ブログへの初挑戦。目標はただ一つ、毎日何かを登場させる。続くようであれば次へ挑戦。
何気ない毎日
東松山市埋蔵文化財センター 【全般】
18日に出掛けた東松山市埋蔵文化財センターの話題である。
今回はその第一回目で、その触りである。
入口付近
確認したところ、撮影は問題ないとの事であった。
第一回は表示されている説明板を採り上げてみた。全てではない。
展示されている出土遺跡地図:クリックで拡大
あとは展示順番は無視して貼り付ける。
もちろん発掘された文化財の展示品も撮り込んである。順次採り上げてゆくことにする。
今回はその第一回目で、その触りである。
入口付近
確認したところ、撮影は問題ないとの事であった。
第一回は表示されている説明板を採り上げてみた。全てではない。
展示されている出土遺跡地図:クリックで拡大
あとは展示順番は無視して貼り付ける。
もちろん発掘された文化財の展示品も撮り込んである。順次採り上げてゆくことにする。
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高坂舘で
東武東上線の高坂駅から北東へ歩いて10分弱の所に高済寺という寺院がある。以前は門前を東西に貫く小道があった。以前はよく使った道であったが、寺の東側の都幾川右岸沿いの一帯が大規模開発開始に伴い通れなくなって時が経ってしまった。
何とはなしに寺を覗いてみた。
この場所は高坂舘跡である。戦国の武将で家康の近くに仕えた加賀爪政尚の一族の墓があるとの事であった。家康と行動を共にしていた時伏見城で地震にあい、城門の下敷きになり亡くなったという人である。ずいぶん離れたところに葬られているものである。
高済寺本堂
六地蔵
今回は後の予定があったので周りを覗いただけで退散した。
周りの様子である。
寺の東側:立ち入り禁止
開発が大幅に遅れている。開発開始と共に埋蔵文化財が出土し、その発掘に時間を要したためであった。
住宅団地中心の開発らしい。
寺の北側:運動公園
甲高い音が響いていた。グランドゴルフ中であった。
何とはなしに寺を覗いてみた。
この場所は高坂舘跡である。戦国の武将で家康の近くに仕えた加賀爪政尚の一族の墓があるとの事であった。家康と行動を共にしていた時伏見城で地震にあい、城門の下敷きになり亡くなったという人である。ずいぶん離れたところに葬られているものである。
高済寺本堂
六地蔵
今回は後の予定があったので周りを覗いただけで退散した。
周りの様子である。
寺の東側:立ち入り禁止
開発が大幅に遅れている。開発開始と共に埋蔵文化財が出土し、その発掘に時間を要したためであった。
住宅団地中心の開発らしい。
寺の北側:運動公園
甲高い音が響いていた。グランドゴルフ中であった。
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