alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

驚きのある生き方

2011年01月16日 | インフォーマルパブリックライフ


 フランスにいるときは お腹が消化不良を
起こしていたのか 気候のせいだか やけに
日本食が恋しくて もうこの地になんて
住めないんじゃないかと恐ろしくなってしまうほどに
日本のご飯が食べたかったけど 帰って来て
母の和食を食べてみる と 今日なんか
マグロのづけ丼だったりしたわけだけど
どういうわけだか かの地で想いをはせていたほど
感動するわけでもなくて 美味しいんだけど
お風呂というのもありがたいけど なんだか
とても 日常というか なんだかけっこう 変な感じだ。


 本当に私ここにいるのかな って
ずっと変な気持ちのままで メトロから
エッフェル塔を通りすがりに見つけたときも
メトロで乗り換えをしているときも
街にいっても すぐにあのカフェはここだってわかるのに
それくらい パリの地理は 私の中に
刻み込まれているというのに
それでもなんだか ずっとすべては信じがたくて
本当にここにいるのだろうか、、、と思ってた。


 それは私がどこかで 私にとっては
ため息をついてる程度の日常がお似合いなんだと
思ってしまっているからなのか いつだって
一人で河岸を歩いていたって キラキラしていた
あのパリのまばゆいばかりに美しい景色というのが
そこにいたって あまりに遠かったからなのだろうか。


 けれども出発する前に 数少ない、パリ行を
知っていた友人の一人がこう言っていた。
「美樹ちゃんは私の友人の中で一番夢に近い位置にいる
人だからがんばってきてね」と、、、 一番夢に近いって
一体何なんだろう 夢って一体何なのだろう
それは描いていいものなのか 恐ろしいものなのか
まだ私にはわからない。だって私も 怖いから。


 何か変化を起こすというのは 本当に勇気のいることで
勇気がいる というのは 怖さを知っているからで
何も知らなかったら勇気もくそもないのだけれど
ちょっと分別がつきはじめると すべてが怖くなってくる。
それでも何かを手にしたかったら?
飛び込んでみることなのだろうと思うけど。



 本当に夢に近いのかななんて 大晦日の日
沢山の人が集まる友人の家で考えていた
そこに来ていた日本人の人に なんでパリに住んでいるのか
聞いてみたりしてまた色々と考えて
パリにあるもの 日本にあるもの
それらはそれぞれ違うけど
ここに住んでる日本人の女の人たちは
私が抱えてる言葉にならない苦しさを
理解してくれ それを表現してくれる。
そう ここには 大変なことも山ほどあるけど
自分らしく 生きていられる そういうところが
違うのだろう。


 ところで行く前も帰ってからも
日本にはなんだか安楽なぬるま湯な生活があり
日本語だって全部わかるし スーパーに行っても
何を買えばいいかわかるし それなりに長いこと
生きてたし なんとなーく わかってて
(かといってフランス人に説明を求められると
説明できない)なんとなーく 心地よい。
そりゃあ 生まれ育った国だもん。


 とはいえそこには驚きはない。
驚きがないなら感動だってあまりないと言えるだろう。
パリに生まれ育ったパリジェンヌたちが 生活に
あまり満足をしていないのも その生活がもう
単調で いつものご飯のことくらいしか頭になくって
代わり映えしない そうなってくると生活は
つまらなくなるらしい そこに変化をもたらすものは?

 昨年のパリの哲学カフェのテーマだと

 それは詩であり哲学だそうな。


 詩や 哲学は 単調で何の疑問も持たない
代わり映えしない日常に ハッとさせられる問いを
もたらすそうな。考えもしなかった そんな見方があるのだろうか?
そういう風に日常に驚きを与えてくれる
芸術だってそうだろう。芸術家たちは
驚きのある生き方を好んでいった。
だってその驚きからこそ インスピレーションが
うまれるわけで(まさにシュールレアリストはそう言っている)
それがある生き方と 単調な毎日の繰り返しで
日々階下にゴミを捨てに行く生き方だったら
(これは若かりし日のボーヴォワール)
どちらの方がいいのだろう?


 圧倒的多数の人は 普通の日常が幸せなのだと
言うのだろうけど 私にとってはどうかなあ
フランス語!!!の生活は わからないことばっかりで
映画とかみるたんびに嫌になるけど それでも
とっても面白かった。かつて浜名湖ユースで毎日のように
お客さんとカフェで議論していたけれど
パリでも毎日毎日議論をしてたし 毎日毎日学んで行った
それは面白かったなあ それってなかなかできない経験


 子供を産んで私は思った

 面白い人が集まるようなカフェが隣にある生活と
単調な日常の繰り返しだけがある生活と
どちらかがあるというなら 私は面白い人が
集まるカフェの隣に引っ越したいと
だってその方が面白い。


 人生のおんなじ時間 同じ2年間や3年間を
ぼーっと過してしまうのと 刺激的に過すのだったら
私は刺激がある方がいい。きっとそうなんじゃないかなあ


 私は大学教授でもなければ学生でもなく
何にも属してなんかいないけど そんななんの身分も
持たない私にだって たくさんの面白い議論や出会いが
開かれていて それらはお金がかからなかった。
対話をするのに4千円とか そんな高いお金は払えない
私にとっては パリのように誰かと議論や濃い話をするけれど
払うのはお茶代くらい(しかもたまにごちそうしてもらえたりする)
そんな街 が やっぱり私は好きだなあ、、、

フランスに行くなら

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