昨日の夜はParis-Bistrot.comの
ディレクターのお家に夕飯を食べに行き
「ところでミキ、どうやって帰るの?」
と聞かれた時にはもう24時になっていた。
ひゃー!!23時くらいだと思ってたのに
20時すぎに事務所に行ってから、気がつけば
4時間も経っていて なんだか沢山しゃべったものだ。
正確にはよくわからないけど
おそらく私が思うには パリではディネというのが
大切で ディネというのは夕飯をともにすることで
ディネに招かれるというのは親密さの証なんじゃないかと
私は前から思ってる。というのも留学時代には
そんな経験は全くなくて 初めて知り合いの人の
ディネに招かれた時はとっても緊張したからだ。
ディネでは何が大切かって それは話をすることで
フランス人のお得意の議論になったときに
自分も話ができるかどうか それがとっても大事なのだけど
はじめてディネに招かれたときはほとんど何も
しゃべれなかった。だってスピードがすごいんだもん。
その時は私の知らない人の家だったし 招かれた人も
6人くらいいたわけで はじめてにしてはハードルが
高すぎたのだろうと今になったら思うけど
昨日のディネはとっても楽しく アハハ!!と笑えて
面白かった。
私はフランスの何が好きかって 適当なところ
ご飯とか 食べてもいいけど お腹減ってないなら
食べなくてもいいんじゃないとか
フランス人が日本に来ると 蕎麦屋に連れて行ったのに
あえてたこわさやきゅうりのつけものや豆腐だけを食べたりだとか
普通は定食を食べるというのに「刺身だけ食べたい」だとか
そんなの昼の12時にありなのかよ!ということを
平気でやって 度肝を抜かれることがある。
そして彼らは平気な顔してこう言ってくる
「だってお腹空いてないんだもん」
あ そうですか、、、、
お腹が減ろうが減るまいが お昼になったらご飯を食べる
自分の都合はどうであれ 夜になったら夕飯をつくる
そういうものだと思って縛られていた私にとっては
あまりのフランス人の自分本位な考え方に
たまについてけないと思うけど でも
どちらかといえばこっちの方が合っていて
日本でいつも 誰かを気にして、でも出来なくて
非難されてるように感じているより
ああそっか お腹へってないのか ならいいか
それでも生きてられるんだ、、、と思ってる方が
私には心地がよいみたい。
日本で主婦をやってると それこそ
マクロビオティックの本とか読むと
「あれもだめ これもだめ こうしなきゃ
きちんとできない妻はだめ!」という感じがしてて
私は読むたび「そうかー じゃあがんばらなくちゃ」と
思わされ そのあとでまた激しく葛藤したりする。
(ちなみに私の本『cafeから時代は創られる』は
愛知県の吉村医院という超有名な自然分娩の
産婦人科に見学に行ったあとに、でも私は
母にだけなんてなりたくない!と家に帰って号泣し
その葛藤がもとで執筆することになりました)
でもこちらにくると 例えば日本は1日30品目
食べましょうといっているのに(そしてうちの母は
それを守る感じの人なのだけど)こちらでは果物も含め
1日5品目は野菜を食べましょうと言っている。
日本人からしたら笑っちゃうけど そんなのでも生きている。
それだけでも笑い事だけど ロンドンに行って来たばかりの
フランス人が「イギリスの料理なんて最悪だよ!
あいつらは料理なんてしないんだ」と言っていた。
「スーパーにいってもほとんど出来合いのものか
冷凍食品ばっかりで お菓子なんてめちゃくちゃ甘くて
食べられるようなもんじゃないんだ。 お昼には軽い
サンドイッチとかを食べてね 3時になったらお茶とお菓子で
また夜になったら軽食とお茶とお菓子なんだよね。
イギリスはお茶はいいけど それがなかったら
ひどいもんだよ!」と言っていた。
お茶の文化があるっていいじゃん
この間イギリスの映画を見ていたら
ゾンビの出て来る映画なんだけど
ゾンビ退治をしてる間ですら彼らの一人が
「まあお茶でもしよう」といってお茶を
しながら作戦会議を練っていた。
これはかなり笑えるシーンで
そんな文化はいいと思うけど
そうかイギリスってそんな食なんだ。
それでも人は70歳くらいまで生きられて
違う幸せがあるのなら 私はそれでいいと思う。
日本では「食で全てが幸せになる!日本食最高!」という
教えみたいなのがあるけれど 確かに日本食は
素晴らしいけど その玄米菜食とかを守れば
本当に幸せになれるのかって 私にはそうは思えない。
食はいのちかもしれないけれど
食だけがいのちじゃないよ。
食は本当に大切だけど 食を彩る
関係性とか 会話とか 楽しみ方とか
そういうものが 本当はもっと大切で
玄米を黙々と50回かんで食べてれば
それでハッピーになれるかって
私にはどうもそうとは思えない。
世界にはもっと違う生き方があり
もっと違う人生の楽しみ方があるようで
いくらおいしいご飯があっても
そこに楽しい会話や楽しい関係性がなかったら
楽しい時間は生まれない し
身体の細胞もそんなに喜んでいないんじゃないのかな
フランスのディネの文化やかつて存在していたらしい
週末に長々と昼食をとる文化 は おいしいご飯は
もちろんだけど そこでの会話をいかに楽しむか
誰がいれば面白いのか どんな雰囲気に
したらいいのか そういう食を中心にした
場づくりという感じなのかな
昨日は6ヶ月前に比べて 私もだいぶ
言いたいことが言えるようになったみたいで
一緒に笑えて本当に嬉しくなった。
美味しい物を食べながら 時間をかけて
会話をしたり論じたりする それって
本当に素敵な文化。飯田家はお正月に
親戚で集うとおせちのまわりで4時間くらい
話してた。そうしてイギリスのお茶を飲みながら
ずーっとしゃべる。私はそこにいるのが好きだった
私もいつか仲間に入りたい
私もいつか議論がしたい
そう 思っていたのかな。
もっとフランス語がしゃべりたい
もっとフランスでしゃべっていたい
日本のことも大事にしながら
もっとちゃんと勉強しながら
だけどここで論じていたい
ここでいろんなことを考えていたい
日本語もちゃんと大切にして
考えたことを日本語で日本の人に伝えたい。
フランスはバラ色なんかじゃないけれど
悪いところも沢山あるけど
もう少し日本とフランスの中間くらいの
思想のバランスがとれたなら
かなりいいのだろうと思うのだけど
だから私はもっと知りたいしもっと書きたい。
「次はいったいいつ来るの?」
「次会うことはあるのかな?」
そう言われる度 苦しいけれど。
戻ってこよう 私はここに戻ってこよう
だってパリでは ちょっと散歩をしていたら
あ!と ロダンの彫刻に出会えたりする。
しかも私の大好きなやつが 偶然目の前にあったりもする
沢山の芸術家たちがパリに来て
ここだと思って そこに居着いた
今おもしろいのはベルリンなんだよと昨日言われてしまったけれど
でも私はパリにいるのが好きだなあ
何がどうなってくかなんて
まだまだわからないけれど
きっと神様がいると思うから
私はやっぱり ここに戻ってこようと思う。