今年はフランスで年を越してみることになり
生まれて初めてかと思ってたけど よく考えたら
留学中もしていたわけで そうかあのころに比べると
なんだか同じパリにいても ものの見方や
自分の態度が 随分変化したんだなと気づく。
留学をしていたときは 私はまだまだ
れっきとした「日本人」を背負ってて
日本の価値観にまみれた目でパリを体験して
いろんなことに驚いて 驚く 楽しむというよりも
わけがわからなくて怖かった。自分では判断することが
不可能だった 彼らの言ってることもわからなかったし
なんだか随分表面をみて そこにとらわれてたんだなあと思う。
今はだいぶ知り合いもでき 言葉もあのころに
比べたら 圧倒的に上達したから フランス人と
長くしっかり会話することが増えて来て
面白いのは 話をすればするほど 物質的には
そうかわらない この日本とフランスという国で
びっくりするほど根底的な考え方が違うということだった。
今までは 表面的にみていると「どうしてパリには
こんなにカフェが多いんだろう?どうして彼らは
カフェに行くのだろう?」という疑問な程度だったけど
そして何故議論や創造が生まれるのかなと思ってたけど
話をきくほど それらはヨーロッパ文化にとってものすごく
大切なものらしい。
「日本ではね カフェで議論とかしないんだよ
だからそんな文化を広めたくってね」とカナダ人で
パリにもう何年も住んでる友達に話したら
「ええありえない!!カナダやここでは自分の
考えを分かち合うとか議論する意外の何もしないよ!
それほど重要なことはないのに」と言われて私が驚いた。
それから哲学カフェにいったとき 女の人たちが
「私はそうの意見には反対です なぜなら、、、」と
普通に言ってるのをみて ひゃーすごいなあと思ってたけど
それも議論の文化、文化的なものをつくっていくとき
いままでのものを批判してこわし、新しいものを
つくりあげるという価値観がものすごく大切に
されてるかららしい。だからただ「こうだから」と
今迄あったものを「そうですか」とのみこんで
それをちょっと改良してみる そういう日本的な
考え方とは 根底的に価値観が違うんだそうな
そうやって 人の話がだいぶきけるようになってきて
私も議論!と思うけど 彼らの知識は圧倒的で
なかなか議論にまで至らないけど 新年は念願の
「パリのカフェで議論」にだいぶ近づいたようで
私はとってもうれしくなった。フランス語もこちらの文化も
とっても難しいけれど どちらにしたって
適応努力をしないといけないのなら
私はここで こうしてカフェで
頭をめいいっぱい働かせ それからものを書いていたい。