今朝はかなりショックを受けて
ブログを書いてみてから友達に会い
また色んな事を考えて
どうして私は
どうして私は4月入所の保育園の申し込みを
しなかったのだろう
と 歩きながら考えた。
申し込みだけでいいなら することくらいはできたのに
それは本当に「申し込んでもどうせだめだろうから」とか
「ちょっと忙しかったから」とか
そんな理由だけだったのだろうか。
よく考えると 違った理由もみえてきて
ブログでも悶々と書き続けてはいるけれど
私は子供がいる生活というものに
(たとえそれに自分が合っている方ではなくっても)
可能性を見いだしていて そこからもっと学びたい と
子供たちにこそ 21世紀の価値観の大事な可能性が
あるのではないかと思った訳で
だから他人の子供を集めて研究をするのではなく
自分で子供を産んでみよう と 思った訳で
そういうところで悩むから だから預けるのにも
けっきょく躊躇するわけだ。
預けるのは簡単だ と 私は思う。
状況的には難かしくても 無理矢理にでも
仕事をみつけて(アルバイトでも)無認可で
空いてるところに預けてみるとか
実家の近くに住んでいるなら 週何日か
母親に見てもらうとか そういうことは
実際に動いてみれば できてはしまう ことであり
だけどそこで働いてみて もちろん家庭との
両立はとても大変だけど 子供のいない環境で
かつての自分がしていたように
何事もなかったように 子供をもっていない人たちと
一緒に仕事をしてみることは
どれくらい 成長なのだと言えるのだろう?
そう私は思っていたから 躊躇したりもするわけで
子供をどこかに連れて行くこと
それはとっても大変で
そもそもその子が楽しんでるか
預けておもちゃに囲まれて 子供用の
プログラムできちんと遊んで成長していく
それでお互いいいじゃないかとも思うけど
子供にとってはそれがいいのかもしれないけれど
大人の世界に 何かが足りない
言葉でばっかり話していても 何かが足りない
潤いのような 深さのような 微笑みのような
足りない何かを小さな子供はもっていて
それを大人に与えてくれる
私が預けなかったのは カフェの研究を
机上でするだけだったら子供はかなり邪魔者だけど
カフェという場にいくときに 子供が一緒な
その時に 最悪なこともあるけれど
雰囲気がぐんとよくなる それを何度も経験したからで
私が一人でカフェにいくのも それはそれで
すごく大切だけど れんちゃんとカフェに行ったら
見知らぬ人との出会いが生まれ 見知らぬ人たちが
会話をはじめる それがとても魅力的でもあったから。
本当は 子供を箱の中に閉じ込めてなんかいたくない。
保育園が地域社会との何かをうたっていたところ、で
地域に住んでる私としては そんな集団の子供達 が
公園やら道路にいても 話しかける気にもなれないし
急いで車で迎えにきては さっさとそこを立ち去ってしまう
そんなお母さんたちをみてると 地域社会と保育園の
関係性があるようになんか思えない。
(以前は保育園の隣に住んでいたけれど
まったくそういった交流はなかった)
だけど子供がもっと少数で歩いていると
たくさんの人が声をかけ 笑顔になってくれるから
社会に子供がいることで 明らかに場の質が変わる事があるから
それはこの私にとっては 研究の一環なのかもしれない。
環境からカフェにテーマがうつったときに
沢山の人に質問された。「どうしてカフェなんですか?
エコなカフェをしたいんですか?」そうではない と
私は思った。でもどうしてなのかわからなかった。
それが今では 社会変革の場としてのカフェという風に
きちんと結びついていて もしかした ら
今回も 私にとっては カフェの次もしくは
カフェと深く関連しているテーマの一つに
子育てというのがあるかもしれない。
私が働くというそのために 子供は預ける
そうして両者は全く別の世界で生きる
そういう世界はとっても楽なわけだけど
(東京では私もそうしているのだけれど)
でもそれは20世紀の価値観をひっぱりすぎな気もしてて
「何事もなかったように」振る舞ってても
何事か は あったわけ で
例えば子供が風邪をひいているとか 激しい下痢になっているとか
明らかにたくさんのことが変化をしていて
それならば 無理してみんながそう振る舞ってる
そんな社会のままでいるより
変化や違いを noiseさえもっと受け入れられる
そんな社会が 本当は みんなが口にする
多様性のある社会なんじゃないのかな
たくさんの箱に 閉じ込められた人たちがいる
彼らは箱と家との往復で なかなか他では交われない
箱の中にいれておくことが 豊かな社会になるのだろうか
サードプレイスはそれと真逆な概念で
21世紀的だとするなら 私自身はもう少し
子供から 学んだ方がいいのかも。
今日はカフェのカウンターでいい子に座ってたれんちゃん
ブログも書かせてくれたれんちゃんと 公園で
フリスビーをしてきました。
ブログを書いてみてから友達に会い
また色んな事を考えて
どうして私は
どうして私は4月入所の保育園の申し込みを
しなかったのだろう
と 歩きながら考えた。
申し込みだけでいいなら することくらいはできたのに
それは本当に「申し込んでもどうせだめだろうから」とか
「ちょっと忙しかったから」とか
そんな理由だけだったのだろうか。
よく考えると 違った理由もみえてきて
ブログでも悶々と書き続けてはいるけれど
私は子供がいる生活というものに
(たとえそれに自分が合っている方ではなくっても)
可能性を見いだしていて そこからもっと学びたい と
子供たちにこそ 21世紀の価値観の大事な可能性が
あるのではないかと思った訳で
だから他人の子供を集めて研究をするのではなく
自分で子供を産んでみよう と 思った訳で
そういうところで悩むから だから預けるのにも
けっきょく躊躇するわけだ。
預けるのは簡単だ と 私は思う。
状況的には難かしくても 無理矢理にでも
仕事をみつけて(アルバイトでも)無認可で
空いてるところに預けてみるとか
実家の近くに住んでいるなら 週何日か
母親に見てもらうとか そういうことは
実際に動いてみれば できてはしまう ことであり
だけどそこで働いてみて もちろん家庭との
両立はとても大変だけど 子供のいない環境で
かつての自分がしていたように
何事もなかったように 子供をもっていない人たちと
一緒に仕事をしてみることは
どれくらい 成長なのだと言えるのだろう?
そう私は思っていたから 躊躇したりもするわけで
子供をどこかに連れて行くこと
それはとっても大変で
そもそもその子が楽しんでるか
預けておもちゃに囲まれて 子供用の
プログラムできちんと遊んで成長していく
それでお互いいいじゃないかとも思うけど
子供にとってはそれがいいのかもしれないけれど
大人の世界に 何かが足りない
言葉でばっかり話していても 何かが足りない
潤いのような 深さのような 微笑みのような
足りない何かを小さな子供はもっていて
それを大人に与えてくれる
私が預けなかったのは カフェの研究を
机上でするだけだったら子供はかなり邪魔者だけど
カフェという場にいくときに 子供が一緒な
その時に 最悪なこともあるけれど
雰囲気がぐんとよくなる それを何度も経験したからで
私が一人でカフェにいくのも それはそれで
すごく大切だけど れんちゃんとカフェに行ったら
見知らぬ人との出会いが生まれ 見知らぬ人たちが
会話をはじめる それがとても魅力的でもあったから。
本当は 子供を箱の中に閉じ込めてなんかいたくない。
保育園が地域社会との何かをうたっていたところ、で
地域に住んでる私としては そんな集団の子供達 が
公園やら道路にいても 話しかける気にもなれないし
急いで車で迎えにきては さっさとそこを立ち去ってしまう
そんなお母さんたちをみてると 地域社会と保育園の
関係性があるようになんか思えない。
(以前は保育園の隣に住んでいたけれど
まったくそういった交流はなかった)
だけど子供がもっと少数で歩いていると
たくさんの人が声をかけ 笑顔になってくれるから
社会に子供がいることで 明らかに場の質が変わる事があるから
それはこの私にとっては 研究の一環なのかもしれない。
環境からカフェにテーマがうつったときに
沢山の人に質問された。「どうしてカフェなんですか?
エコなカフェをしたいんですか?」そうではない と
私は思った。でもどうしてなのかわからなかった。
それが今では 社会変革の場としてのカフェという風に
きちんと結びついていて もしかした ら
今回も 私にとっては カフェの次もしくは
カフェと深く関連しているテーマの一つに
子育てというのがあるかもしれない。
私が働くというそのために 子供は預ける
そうして両者は全く別の世界で生きる
そういう世界はとっても楽なわけだけど
(東京では私もそうしているのだけれど)
でもそれは20世紀の価値観をひっぱりすぎな気もしてて
「何事もなかったように」振る舞ってても
何事か は あったわけ で
例えば子供が風邪をひいているとか 激しい下痢になっているとか
明らかにたくさんのことが変化をしていて
それならば 無理してみんながそう振る舞ってる
そんな社会のままでいるより
変化や違いを noiseさえもっと受け入れられる
そんな社会が 本当は みんなが口にする
多様性のある社会なんじゃないのかな
たくさんの箱に 閉じ込められた人たちがいる
彼らは箱と家との往復で なかなか他では交われない
箱の中にいれておくことが 豊かな社会になるのだろうか
サードプレイスはそれと真逆な概念で
21世紀的だとするなら 私自身はもう少し
子供から 学んだ方がいいのかも。
今日はカフェのカウンターでいい子に座ってたれんちゃん
ブログも書かせてくれたれんちゃんと 公園で
フリスビーをしてきました。