マリークレール3月号
「福島の子供達は避難すべきか?」続きです。
インターネットで野菜を注文
学校の校庭では表土が5センチ削り取られ、地中深くに埋められた。
何ヶ月も前から、子供たちは校庭で活動することが公式に許可されている。
「そんなの全然納得できない」と言うのは、福島で学校を経営している
フランス系カナダ人のRさん。「僕は表土を15㎝削り取ったよ。それで
他県から運んで来た土で表土を覆った。だけど子供たちにはもう外では
遊ばせないようにしてるんだ。」彼の奥さんは取材時、妊娠9ヶ月。
彼女は3人目となる子供を福島で産むことにした。
「みんなここでは近所の人が明日もここに居るかしら、と考えながら
暮らしています。それは正直かなり辛いです。避難をするかどうかというのは
あくまでも私的な決断ですが、いつだって他の人たちから何かしら言われるものなんです。」
6歳児の母親であるKさんは「国や県の言うことなんか信用していません」
と言う。「でも福島を離れることによるストレスと、残ることのストレスを
天秤にかけて、ひとまず残ることにしたんです。親戚は皆福島だし、
お店のローンの返済も終わっていないし・・・」彼女は旦那さんと、
子供を産んだばかりの妹さんと両親とともに、生活様式を変えながら、
ここで生きていくことにした。知り合いの母親たちと測定器を手にしつつ、
ホットスポットをなるべく避けて動いている。「野菜は全部インターネットで
注文します。なるべく福島から遠くで生産されていて、何ベクレル以下か
表示されているものを選ぶようにしています。今では割と簡単にそういったものを
見つけることができるんです。でも食費は2倍になりました。」一方で
子供服の売り上げは半分に下がってしまったという。
この土地にとって重要な農業を守るため、市内のスーパーでは事故前に
愛されていた「地産池消」の掛け声の下、福島県産の果物や野菜が他県の
ものに比べて半分か3分の1の値段で販売されている。野菜の並ぶ棚には
「安心、安全」という表示。 それを信じてもいいのなら---
Kさんはそんな福島での精神の疲労をこう語る。「もう畑が汚染されているなんて
みんなわかっています。でも一度ここで採れた野菜を食べてみたって
すぐ何か起こるわけじゃない。それで、もう生きるのを自分で大変にするのは
やめにしようと思って何かをやめることにするんです。
忘れることにさえしてみたら、日々の暮らしは本当にシンプルになるからです。」
現在の彼女たちにとっての最大の脅威、それは元に戻ったかに見える福島の
日常の中で、放射能の存在を忘れていくことなのだ。
「一番難しいのは思春期の子供たちなんです」と語るのは、郡山に住む
中高生の母親たち。「中学生たちはマスクをつけるのすら嫌がるし、
牛乳を飲むなと言っても言うことを聞いてくれません。ある日娘が外出していて、
今日はどこに行ってたの?と聞いてみたら「福島牛のバイキングに行って来た!」
なんて嬉しそうに言うんです!家ではこんなに気を付けてるのに。子供が
「俺は原発推進派だからな」なんて言うこともあるんです。」
チェルノブイリでは14歳から19歳までという、彼らを守ろうとする人たちの
言うことを聞かない世代が、ガンの発生数が一番高かったという。彼女たちは、
郡山に住む小中学生が集団で安全な場所に疎開できるようにと郡山市に対して
裁判を起こしている。けれども裁判は棄却された。彼女たちは裁判を続けることに
したものの、あくまでも匿名であろうとする。「放射能のことについて何か言うのは
まわりから嫌な目で見られます。今ではもう、みんな普通の生活を送っていたいんです。」
今日では福島の中学では、彼らの継続的な部活動は廊下で行われている。
学校側の見解は「雪が降ってあまりに寒いから。福島の冬というのはこんなもの」
だそうだが、この取材をしていた1月はじめ、お正月の地震の後でセシウムの
降下量が急上昇したというのは誰もが知っていることだ。13歳の中学生の息子の
母親であるSさんは、そんな学校の先生たちの態度に耐えきれなくなったという。
彼らはもはや生徒に対して放射能への注意を促すことをやめたのだ。
そんな態度に嫌気がさした彼女は子供を連れて関西に引っ越しをすることにした。
私たちが彼女の息子に、避難することについてどう思うかと尋ねてみた時、
彼女の運転する車内は長いこと重い沈黙に支配されていた。
運転席からこちらを振り返った彼女は目に涙を浮かべながらこう聞いた。
「あなただったら? あなたが私の立場だったら?
あなただったらどうします?」
ーーーーーーーーーーー
追記
何人かの方に読みたいので訳してほしいと言われたので
訳してみたこの文章がけっこういろんな方面に流れているようで驚いています。
ということはそれだけこのルポタージュのような内容が一般には
知られていないということなのかなと思います。
こちらに書かれていることは10日間朝から晩までの取材を4ページにまとめたもので
ごく一部といえば一部です。かつ取材は1月でしたので情報としては
随分前、「そんなこと知ってるよ!」と言ってもらいたいような
ものですが、そうでもないから色んなところに流れているのかと思います。
この取材の間に耳にしたことを「福島見聞録」の中に書かせてもらっています。
まとまってはいませんがもっと生の声を知りたいという方は
少しのぞいてみてください。(特に1月10日から17日くらいまで)
「福島の子供達は避難すべきか?」続きです。
インターネットで野菜を注文
学校の校庭では表土が5センチ削り取られ、地中深くに埋められた。
何ヶ月も前から、子供たちは校庭で活動することが公式に許可されている。
「そんなの全然納得できない」と言うのは、福島で学校を経営している
フランス系カナダ人のRさん。「僕は表土を15㎝削り取ったよ。それで
他県から運んで来た土で表土を覆った。だけど子供たちにはもう外では
遊ばせないようにしてるんだ。」彼の奥さんは取材時、妊娠9ヶ月。
彼女は3人目となる子供を福島で産むことにした。
「みんなここでは近所の人が明日もここに居るかしら、と考えながら
暮らしています。それは正直かなり辛いです。避難をするかどうかというのは
あくまでも私的な決断ですが、いつだって他の人たちから何かしら言われるものなんです。」
6歳児の母親であるKさんは「国や県の言うことなんか信用していません」
と言う。「でも福島を離れることによるストレスと、残ることのストレスを
天秤にかけて、ひとまず残ることにしたんです。親戚は皆福島だし、
お店のローンの返済も終わっていないし・・・」彼女は旦那さんと、
子供を産んだばかりの妹さんと両親とともに、生活様式を変えながら、
ここで生きていくことにした。知り合いの母親たちと測定器を手にしつつ、
ホットスポットをなるべく避けて動いている。「野菜は全部インターネットで
注文します。なるべく福島から遠くで生産されていて、何ベクレル以下か
表示されているものを選ぶようにしています。今では割と簡単にそういったものを
見つけることができるんです。でも食費は2倍になりました。」一方で
子供服の売り上げは半分に下がってしまったという。
この土地にとって重要な農業を守るため、市内のスーパーでは事故前に
愛されていた「地産池消」の掛け声の下、福島県産の果物や野菜が他県の
ものに比べて半分か3分の1の値段で販売されている。野菜の並ぶ棚には
「安心、安全」という表示。 それを信じてもいいのなら---
Kさんはそんな福島での精神の疲労をこう語る。「もう畑が汚染されているなんて
みんなわかっています。でも一度ここで採れた野菜を食べてみたって
すぐ何か起こるわけじゃない。それで、もう生きるのを自分で大変にするのは
やめにしようと思って何かをやめることにするんです。
忘れることにさえしてみたら、日々の暮らしは本当にシンプルになるからです。」
現在の彼女たちにとっての最大の脅威、それは元に戻ったかに見える福島の
日常の中で、放射能の存在を忘れていくことなのだ。
「一番難しいのは思春期の子供たちなんです」と語るのは、郡山に住む
中高生の母親たち。「中学生たちはマスクをつけるのすら嫌がるし、
牛乳を飲むなと言っても言うことを聞いてくれません。ある日娘が外出していて、
今日はどこに行ってたの?と聞いてみたら「福島牛のバイキングに行って来た!」
なんて嬉しそうに言うんです!家ではこんなに気を付けてるのに。子供が
「俺は原発推進派だからな」なんて言うこともあるんです。」
チェルノブイリでは14歳から19歳までという、彼らを守ろうとする人たちの
言うことを聞かない世代が、ガンの発生数が一番高かったという。彼女たちは、
郡山に住む小中学生が集団で安全な場所に疎開できるようにと郡山市に対して
裁判を起こしている。けれども裁判は棄却された。彼女たちは裁判を続けることに
したものの、あくまでも匿名であろうとする。「放射能のことについて何か言うのは
まわりから嫌な目で見られます。今ではもう、みんな普通の生活を送っていたいんです。」
今日では福島の中学では、彼らの継続的な部活動は廊下で行われている。
学校側の見解は「雪が降ってあまりに寒いから。福島の冬というのはこんなもの」
だそうだが、この取材をしていた1月はじめ、お正月の地震の後でセシウムの
降下量が急上昇したというのは誰もが知っていることだ。13歳の中学生の息子の
母親であるSさんは、そんな学校の先生たちの態度に耐えきれなくなったという。
彼らはもはや生徒に対して放射能への注意を促すことをやめたのだ。
そんな態度に嫌気がさした彼女は子供を連れて関西に引っ越しをすることにした。
私たちが彼女の息子に、避難することについてどう思うかと尋ねてみた時、
彼女の運転する車内は長いこと重い沈黙に支配されていた。
運転席からこちらを振り返った彼女は目に涙を浮かべながらこう聞いた。
「あなただったら? あなたが私の立場だったら?
あなただったらどうします?」
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追記
何人かの方に読みたいので訳してほしいと言われたので
訳してみたこの文章がけっこういろんな方面に流れているようで驚いています。
ということはそれだけこのルポタージュのような内容が一般には
知られていないということなのかなと思います。
こちらに書かれていることは10日間朝から晩までの取材を4ページにまとめたもので
ごく一部といえば一部です。かつ取材は1月でしたので情報としては
随分前、「そんなこと知ってるよ!」と言ってもらいたいような
ものですが、そうでもないから色んなところに流れているのかと思います。
この取材の間に耳にしたことを「福島見聞録」の中に書かせてもらっています。
まとまってはいませんがもっと生の声を知りたいという方は
少しのぞいてみてください。(特に1月10日から17日くらいまで)