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マリークレール「福島の子供達は避難すべきか?」訳part1

2012年04月07日 | 福島見聞録

大変お待たせしました。
沢山の方から「何が書いてあるのか知りたい!」との声をいただいた
フランスで3月8日に発売されたマリークレール3月号の全訳が完成しました。
2部にわけて掲載しようと思います。



Marie Claire3月号

「福島の子供達は避難すべきか? 」
Faut-il évacuer les enfants de Fukushima?
 
文/Sophie Pasquet ソフィー・パスケ(フォトジャーナリスト) 
取材同行通訳 フランス語翻訳/ 飯田美樹


 福島原発の事故から1年が経つ今も、福島に住む人たちは放射能のある中で
生活を続けてる。彼らが直面している恐ろしいジレンマ、それは国や県の
言っていることを信じるか、それとも危険性を指摘する医者たちが言うように、
避難をするべきなのか・・・

 新幹線で福島駅に着いてみると、普段より呼吸を控えようとしている自分に気が付いた。
けれど、チェルノブイリの事故以来、最大級の原発事故で有害物質がまき散らされた
空気の中で、そんなことをしようとするのは馬鹿げた試みなのだった。
そのことを話すと2児の母のAさんは笑いながらこう言った。「私たちも始めは
そう思ってました。呼吸してもいいの?って。だけどすぐに呼吸しないなんて
無理だってことに気が付くんです。爆発の後から日常のほんの些細なことですら、
いちいち疑問に思うようになりました。この水は飲んでもいいの?食べ物は?
外でもう干せなくなった洗濯物は?ちょっと窓を開ける時ですら、風向きを
確認してから開けるんです。」

 とはいえ、原発から60キロの福島市は他の都市と大して変わらない雰囲気で、
一見すると日常を取り戻したかに見えてしまう。ここには津波や地震による痕跡は
ほとんど残ってないし、すれ違い様にマスクをしている人を見かけることすらまれなのだ。
この街で事故を想起させるのは、ほんの小さなディテールだ。母親のカバンに入った
ガイガーカウンター、子供の姿の見えない公園、窓際から離して置かれた子供用のマットレス。
そして雨や雪が降った時、空気中の放射性物質が地上に舞い降りるのではという苦悩。
福島市には別名放射能通りと呼ばれる道もあり、その道では測定器が高い線量を示すらしい。
それから家庭の親密な空気の中で、親たちの頭を離れることがない疑問。


「今日の福島は、子供達にとって一体どれほどの危険性があるのだろう?」



大量の鼻血と原因不明の下痢

 1月には福島市内で市民主催の子ども健康相談会が開催された。
健康相談会会場には毎月日本中から10名くらいの小児科医や栄養士、心理士たちが
ボランティアでやって来て、福島の住民たちが無料で身体の調子や悩みについて
相談できるようになっている。ここにやってくる両親は、中学生の子供の慢性的疲労や、
小さい子の気になる症状、病院での検査結果などを抱えてやってくるという。


 チェルノブイリの架け橋という団体のメンバーで、小児科医のHさんは単刀直入に
こう言った。「福島の子供達から、大量の鼻血や下痢が報告されています。
チェルノブイリ以来、これらは外部から大量の放射線を浴びた結果の初期症状だと
わかっています。子供の免疫力は大人の8分の1の強さしかないのです。」

 ボランティアチームの医師、Nさんによると、爆発後の急激な外部被曝に加え、
呼吸や爆発の後数ヶ月、数年にわたって食べるもので引き起こされる内部被爆が、
長い目でみると一番危険なのだという。そういうわけで、放射能の危険性を
指摘する医師たちは、今日の日本のコンセンサスとは違った言葉で話を締めくくる。
「福島産の果物や野菜、水や牛乳、米はなるべく避けること。体内の放射性物質を
除去する働きがあるペクチンをなるべく摂取すること。子供達の様子を定期的に
チェックすること。可能な限り頻繁に、遠く離れた所へ子供を連れて行って
保養させること。そしてもし可能なら--- 避難させること。」



 避難・・・愛着のある土地や人から離れて引っ越しをする・・・。 
福島県では人口200万人のうち、すでに6万2千人が県外へ避難したという。
25年前のチェルノブイリ同様に、まずはそれが可能だった家庭から。爆発直後、
避難区域に指定されたのは原発から20キロ圏内の場所だけだ。この現状に対し、
数々の団体が、福島市まで避難区域にすべきだと主張してきた。というのも、
福島市では避難区域で立ち入り禁止の場所よりも高い放射線量を示すところが
あるのだから・・・「少なくとも家庭を持つ人や妊婦さんで避難したい人たちは
補償をもらって避難できるようにするべきだと思います。20キロの避難区域なんて、
当時のチェルノブイリ以下ですよ。」と言うのは福島市に市民放射能測定所を設立したIさんだ。


 もちろんお金の問題は避難を妨げる主要な要因だ。けれど問題はそれだけじゃない。
福島に残る方がいいと言う人たちも沢山いるのが現状なのだ。離れよう、と決心すると
家族がバラバラになることもあるからだ。30代でエレガントな女性のNさんは台所で
3人の娘さんたちの料理を作りながら取材に答えてくれた。「5月に内閣参与の方が
涙ながらに訴えているのをテレビで見たときにすごく衝撃を受けました。彼は政府が
子供達の放射線許容量を引き上げようとしているのが許せなかったんです。
それを訴えて彼は辞任しました。その頃長女のリンパ腺は腫れ、大量の鼻血を
何度も出しました。鼻血を止めるのにティッシュを一箱使うことすらあったんです。
私のまわりには今までに見たこともないような症状を出した子供達が沢山いました。」
彼女は料理を教える仕事を中断し、住んでいた郡山市から110キロ離れた山形県の
借り上げ住宅に移ることにした。3部屋あるアパートの家賃は山形県が払ってくれる。
それ以降彼女は家族の形をなんとか保とうとして努力している。旦那さんは週末に山形に
やってくる。「この生活は以前に比べて毎月10万円近い出費がかかります。
今のところなんとか節約してやっていますが、この先は? 
日々の生活の中で、主人と離れて暮らすのは本当に辛いです。」


 事故から1年が過ぎようとしても、この出来事は人間関係を引き裂いている。
カップル間、家族間、世代間、市民間、避難区域に指定された人たちと
自主避難者との間でも、放射能の危険性について話を始めた途端、
関係性がギクシャクしたものに変わってしまう。強制避難区域を広げることを
拒否した日本政府は「除染」の効果を強調することを選び、福島での生活はもはや
危険ではないと言い張っている。福島市役所を訪ねてみると、今後5年間で
森林も道路も全ての家も放射線の除染が完了する予定だと説明された。

(続く)


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