alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

dream

2012年02月22日 | 想いをカタチに





「だからさ、奇妙でもなければ変でもないよ。ただ難しかった。
それだけのことなんだ。」と彼は言っていた。
今日の昼時、広尾のカフェ出会ったオーストラリア人の友達と
ビザについての話をしいた。彼はどうしてなのだか
フランスの田舎に家を持ってるらしく 外国人なのに
一体どうしてそんなことが可能なの?しかも日本に
住んでいるのに?それに彼は今度パリに行ったら
iPhoneを買おうかななんて話をしていた。
え?でも携帯買うのってビザがいるんじゃないの?
っていうか家は?外国人が外国に住んでても買えるものなの?


 「だからさ、僕はビザを持ってるんだよ。永住権のあるビザを。」
と 日本に住んでるオーストラリア人の彼は私の目の前で
言ってのけた。え?私は耳を疑った。
観光ビザとか言ってなかった?「それじゃ家は買えないよ」
「え?つまり あなたはオーストラリアのビザと日本と
フランスのビザを持ってるってこと?一人で3つもビザ持ってるの?」
「そうだよ」と彼は答えた。私の理解が正しいならば。
そんなことが可能なの??


 「別に奇妙なことじゃないよ。手続きは大変だったけど
でもおかしなことじゃないんだ。ちゃんと準備をすればいいだけなんだよ」


 世の中には パリで暮らしてる日本人でやたらうらやましい生活を
している人もいるかと思えば 一人で3つもビザを持ってる人もいるのか。
一方で ひとところに縛られて 子供が生まれた瞬間に
子供を産んだ病院で出会った人に「この子は何学区になるの?
そう小学校はどこどこね!」なんて言われる人も居るというのに
いろんな人がいるんだな。

 「visa,,, I'ts my dream.. (ビザかあ ビザは私の夢だよ、、、)」と
遠い目をしながら私は言った。「難しい、でも不可能じゃない」と
一年前に ビザの担当をしてくれている人は私に言った。
一年がたった今、可能性は一年前よりはよっぽど増えたと思うけど
でもどれくらい可能なのかはわからない。


 空港で EUの人たちが何気なく持つワインレッドのパスポートを目にする度に
格好いいなと思ってた。スーツケースと子供と誰かと 空港の
待合室で 慣れた感じで飛行機を待つ そんな人たちがうらやましいなと思ってた。
いつの日か 私も空港を颯爽と歩く 勇気ある日本人の一人になってみたいと思ってた。
そして気づけば息子は私のスーツケースに亀のようにへばりつき
ガラガラひかれるスーツケースの上でゲラゲラと笑いながら
空港の廊下をヒューッと駆け抜けてった。そんな息子は母にちょっと憧れたのか
自分もスーツケースを持ちたくて 「これがあったらフランスに行ける?」
とかなんとかいって 自分用の小さなスーツケースを手にしてる。


 パリのカフェ で 息子と滞在した時 最後の方にお話をした
日本から旦那さんと一緒に避難して来たという日本人ママは私に
脱出劇の様子を教えてくれた。彼らは17日くらいにはもう決意して
日本にはもう帰れないかもしれないと思いながらも空港に走ったそうだ。
ほとんどまともな用意もできてない中 フランス人の旦那さんは
「とにかく空港に急げ!」と言ったらしい。空港に行けばなんとかなる?
そう思ってたらエールフランスの直行便が待っていて どんどん
乗せてくれたらしい。そんな彼らを待っていたのは フランスでの
放射能の厳しいチェック。彼女はそれに驚いた。そして私にこう言った。

 「国っていうのはこうあるべきだなと思いました。
こうやって国民を守るものなんだって、、、」

 彼らが乗ったエールフランスはフランス人やその家族に対しては
予約も不要、料金も無料だったらしい!私はといえば同じエールフランスに
片道かなりのお金を払って それでも25日に脱出したけど
それは自腹でしかなかったし 片道切符ゆえに空港で入国拒否をされかけた。
私は彼女の話を聞いて 心底フランス人と結婚したいと思った。
「国というのはこうあるべきだと思いました」なんて彼女が言った
私たちの出身国は 決してそんな国じゃなかった。
そんな国があるのなら 私も心底そこに住みたい その時強くそう思った。


 いいなあビザがある人は、、、

 いいなあいざというときフランスに飛べる人は、、、

 私は彼女がとってもうらやましかったけど

 今の時点で 私には他に選択肢がないわけで 目指すビザが難しくっても
他のビザは不可能だから それを目指してやってみるしかないわけだ。


 夢とか 自分の立ち位置って 一体何かなと思うこともあるけれど
今日は広尾の図書館でとても素敵な本に出会って それを読んだら
やっぱり間違ってない、と思えて嬉しくなった。
私が都市に住む背中を押した『クリエイティブ都市論』の著者が書いてた
『クリエイティブクラスの世紀』はぞくぞくするほど面白かった。
それは素敵な言葉に満ちていて 万年筆のインクが空になるほど
メモをとってしまったけれど 心に残ったものにこんな一節がある。

 「もし古いドリームが家族を養える仕事を持ち、彼らを守れる
安全な場所によい家を持つことだったとしたら、新しいドリームは、
自分が好きな仕事で、働くことを楽しめ、自分自身でいられるコミュニティに
住むことだ。」(『クリエイティブクラスの世紀』リチャード フロリダ p.110)


 そうか そういうことなんだ だから私はパリにひかれていたわけだ。
私は自分自身で居たかったから。そして私は古いドリームから
新しいドリームに移行しようとしていたわけだ。だから彼の本は
私の背中を強くドーンと押したんだ。でも日本では古いドリームの価値観が
ほとんどを支配しているから、新しいドリームと言っても話は通じないだろう。
通じなくって当然なんだ。でもだからといって道が存在しないわけじゃない。
きっとこれから未来は変わる そんなきざしを教えてくれる。

そうして彼は私の知らなかった
大切なことをまた教えてくれた。

 
 「私の理論では、文化とは人間のクリエイティブな潜在能力を
制約するものではなく、その成長を促進し、動かすものだ。別の言葉で
表現するならば「自由」だ。よく知られているように、自由は参政権よりも
重要である。自由とは自分自身でいられることであり、夢を追いかけることである。
開かれた文化はイノベーション、起業精神、経済成長に拍車をかける。歴史的に
アメリカ、特にアメリカの大都市が一般的に優れていたのは、まさにこの種の
開放性と自由なのである。」(同 p.93)


 だから私は自由と文化にひかれていたのか、、、
自由とは自分自身でいられることだったのか、、、!
だから私は 特に子供を産んで以降、女性の自由度がとても高い
フランスにひかれていったのだろう。だって子供を産んだ日本の女性には
この手の「自由」なんて存在しない。子育ては主体を失うことだと思うと
かつて友達は私に言った。自分自身でなんかいられない。
主語がいつの間にか子供になって、子供の都合で全てが決まる。
それがよくある日本の母親像であり 子供のために自分を
犠牲にしていくことが どちらかというといいこととしてとらえられている。
でもフランスはその逆だった。彼女たちはけっこう平気で
「それじゃ子供の奴隷じゃない!」と言ってくる。
そう それって奴隷なんだよ本当は。 でも そんなことすら言えない
だから私にとって 子供を産んでからの日本というのは
自由もなければ文化もないように映ってた。そこにはナチュラルとか
自然というやさしい言葉を使った古いドリームに帰れという制圧はあったけど
フロリダの言うような自由はなかった だから苦しかったんだ。


 もし私が 子供を産んでいなかったなら
ここまで狂おしくフランスを求めなかったかもしれない
フランス?一年に一回行ければもう充分!とまわりの人たちのように
思っていたかもしれない。でもそこには 女たちが声を挙げ
獲得していった歴史があった 女たち が 自分自身であるために
そんなフランスに対する思い そんなことを語っても
ビザとは関係ないよと言われてしまうけど それでもやっぱり
私はもっとかの地が知りたい。ボーヴォワールという人の後で
一体何が変化したのか いつの日か 女たちの状況について
私も本が書きたいなあ。


フランスに行くなら

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