alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

豊かさとお茶

2014年02月10日 |  カフェ的な場で考えたこと
 先日ほんの1時間だけ時を過ごした中国茶館でのひとときは
私の心に深く影響を及ぼす程に 穏やかで豊かな時だった。

 どうしてたった1時間の、お茶の時間があんなにも豊かだったのだろう。
不思議に思って考えてみると どうやらあの湧き上がる湯気に答えがありそうだ。

 日本茶を飲ませてくれるお店でも 何煎もお茶が飲めるとこはある。
だいたいもともと日本は中国から影響を受けているわけだから
玉露を飲ませてくれるお店と先日の中国茶芸は茶器なんかも
結構似てたりしたのだけれど 大きな違いはあのやかん。

 日本茶をたっぷり飲ませてくれるお店には たいていポットが置いてある。
それは利便性のためでもあるけど、温度のためでもあるのだろう。
玉露に適した温度は低い。沸騰したお湯では苦みが出てしまう。だから
きちんと温度を計って それをポットにいれておく。
中国茶の場合はお湯はいつまでも湧いていて いつまでも
しゅーしゅーと湯気が立っていた。

 立ちのぼる湯気 自分が席を立つまでは その湯気は消えることがない。
それが豊かさを彷彿させるのだろう。
ふんだんにある 
絶えない どこまでもある その安心感。
源泉掛け流しの温泉のように 贅沢なものが尽きることなく
いつまでもある。使っても使っても まだあるというその贅沢さ。
私の目の前にあった湯気 は 露天風呂から立ちのぼる湯気のように
いつまでたっても絶えないという 懐の広さを象徴しているようだった。

 絶えない 山ほど ふんだんにある。
本当は お金だってなんだって 世界にはふんだんにあるのだ と
時折本には書いてある。
そんなこと 自分が貧しい状態にいたら信じるのはとても難しい。
私が極貧だったころ、20円でも200円でも 目の前の出費が怖かった。
20円でもいいから安くしよう。300円と200円の珈琲だったら
200円にするしかない。650円の珈琲なんて私には絶対無理だと思ってた。
その頃はとにかく無理!お金がない!!と強く思い
子供にクリスマスプレゼントを買うために 相当頑張って働いたけど
今思えば どれほどお金がなかったのかというよりも
あれは「お金がない」という強迫観念に近かった。
お金がない、だから無理、これも買えない、あれも買えない。
バスには乗れない、歩くしかない。外食なんてもっての他。

 そのころの心理的状態に戻りたいとは思わない。
あの状態があまりにも怖いから、だからこそ私は無理な渡仏をちょっと避け
様子をうかがっているのだろう。一人身の友達は何人も海外に
移り住んでしまったけれど 生活の苦しそうな話を聞く度
私はそれをもう一度息子と一緒に繰り返すのが かなり怖いと思ってしまう。

 お金がないから パリに居てもカフェにもいけない、ビストロなんて
絶対無理。お金がないからおもちゃも買えない。バスにすら乗れなくて
おむつだって買えそうになかった時がある。安いマルシェで野菜を買い込み
リュックサックを一杯にした。そんな生活 それも悪くないかも
しれないけれど それでも笑えることはあったけど 心はなんだか
おかしくなった。それは本当に現実的にお金がない というよりも
心の持ちようだったのだろう。

 世界には 本当は豊かさがふんだんにあり 自分もそれに触れられる
自分もその恩恵を受けることができると思うこと
「ない!」んじゃなくて「ある」んだと、安心するのが大切なのだと
いくつかの本に書いてある。
私はやっと その豊かさに 少し触れ始めたのかもしれない。

 御殿場にある「時の栖」というリゾート施設の
大人専用の温泉施設には豊かな時間が流れてる。
そこには温泉だけでなく 「菜根譚」という名の休憩所があり
寒い廊下の木の階段をタタっと駆け上っていくと
あたたかなストーブや毛布付きのごろ寝どころが待っている。
ストーブの上からはしゅーしゅーと湯気が立ち。
美味しい珈琲をいただいてほっと一休みすることも
毛布の中で本当に眠りにおちている人もいる。
もちろん温泉にはたっぷりとしたお湯があり 富士山も
見れたりするのだけれど 私はこの菜根譚というお休み処が
なんとも好きだ。いつまでもいてもいい そこで本当に寝てもいい。
本を読みたければ読んでいい。目の前には囲炉裏があって
そっと炭を足してもらえる 静かな中にしゅーしゅーと
ストーブの熱の音がする。どこまでも続く時間。
自分が時計さえ気にしなければ 一日ゆっくりすればいい・・・


 世の中には 豊かな時間を教えてくれる場所がある。
それらは一見高そうだけど ゆっくりと時を過ごせば
後日振り返ってみた時に そこでの時間がかけがえのなかったものだと気づく。
2千円の温泉代も800円のコーヒー代も そこでしか
得られない 豊かな時間と 物の見方を少し広くしてくれる
そんな時間を与えてくれる。そんな豊かな場の中心にお茶がある。
そこにお茶を囲む時間はあるのなら、お茶もまた、豊かさの象徴の1つかもしれない。

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