alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

旅の手帖

2010年08月20日 | フランスあれこれ


 パリの日々は夢のように過ぎていき
本当に来たのかしら?という想いにいつも
かられながも やっぱりきっと いるんだなあとか
思ったりして そんな思いを重ねた末に
シャルルドゴールに着いてしまうと
なんとも言えない気持ちになる。


 今日は空港で思っていたより時間があって
前回の反省もかねて すぐにチェックインして
何もないゲートの中に入るのはやめ、
出国ゲートの手前で朝ご飯を食べてみた。




 クロワッサンにパンオショコラにカフェクレーム
そんな「普通」の でもありがたい朝食が
明日から は お味噌汁 と 納豆ご飯になるのかな?
日本はめちゃくちゃ暑いから みきちゃんには
絶えられないかも 電話するたびに言われるけれど
それならここから引き返したい そう思ってしまうけど
蓮太郎が待っているから 明日には日本に着かなくちゃ。




 パリは本当に美しくって
いけどもいけどもカフェがあり
これでもか!というくらい 
エスプレッソが飲み放題で
あの ほろ苦い 甘い味 が
また強い後味になって
日本できっと その味を私はひきずることになるのだろう。


 今回は ブログを書いてたおかげもあって
写真をめっちゃ撮ってみよう と久々に
写真に目覚め、昨日は最終日だったから か
とてもいい天気になってくれ
あの独特の光の下のパリは本当に美しかった。
美しいものを美しいと感じられ
美しいものを自分が美しいと思ったように
残すこと が できるなら それって
とても幸せだなあ と 写真をとりながら 思う。





 パリがどうしてこんなにありえない形で
この美しさを残してきたのか
それはおそらく 学校教育と家庭教育によるのだろうけど
パリジャンの子供達 は 3歳やら4歳くらいから
美術館デビューをしてて 美術館も山ほどあるし
展覧会は 一人ではとても見きれないほど
存在してて 土日の行動といえば
「映画かピクニックか展覧会?」みたいな感じ
だから自然と小さい頃から素敵な物をたくさん見てて
学校の方では集団で美術館につれていき
子供達に美術教育をさせている。

 そんなところで育っているから
普通の人の 感性の磨かれ方が
きっと全然違うのだろう。
美しいものをみるだけじゃなく
生活のなかで自分もつくる
自分で自分の美を表現して
世の中にそれを残してく それって
とっても素敵だなあ






 今回は 勉強目的でいったのだけど
行きの飛行機で『ユダヤ人大富豪のおしえ』に
あてられてしまったのか 自分の道を
自分のやりたい方向で どうやってつくればいいのか
それを考える滞在になり、これまでに撮りためてきた
約千枚にものぼるパリのカフェの写真達 を
どうやってまとめていこうか どうやって
自分で仕事をつくっていこうか 
それを主に考えていた。


 私はなるべく自由に生きていたいから
好きなことだってやっていたいから
ない道は 自分でつくっていくしかなくて
そのための時間を 私は与えてもらっていたのかも。





 人生は 何が起こるかわからない
ある程度の 目標をもっていたって
それがどこで転換するかはわからないけど
自分の人生にとって大切なことが何なのか
それをしっかり見ようとすれば
「間違い」なんてないのだろう。


 これから日本に帰ったら
これまでよりも もっと辛くなってしまうのか
それともなんとか乗り切れるのか 私にはわからないけど
もう少し私は強くなり
もう少しだけ 勇気をもって
まだ見えないけど
神様がきっと与えてくれている
未来に向かって
一歩ずつ歩みを進めていこう。




 ヘルシンキの空港にて

最終日

2010年08月19日 | フランスあれこれ


 以前のパリ滞在から計1ヶ月くらい
いさせてもらって 天気の悪いパリも
しっかり体験し いろんなことを考えたけど
そんなパリ も 今日でおしまい。
ブログを書いてる場合じゃないけど
でもなんだか手 は 動いてしまう。


 この一ヶ月で行きたかったカフェには
ほとんど行かせてもらい パリのカフェ地図も
だいぶわかって まだまだパリは魅力に
満ちているけれど カフェに関しては
それなりにみたかなあ と いう感じ。
まあカフェっていうのは 見るものじゃなく
誰かと一緒にいくものだけど
その方がよっぽど楽しいわけなんだけど。




 またここに来ることはできるのだろうか
正気で一般的に考えてみたら
ほとんど不可能なんだけど
パリにきて1ヶ月半後にまた戻ってしまった
私みたいなバカな場合は
また戻ることもありうるのかも。


 この1週間はずっと天気も悪く
雨が降ってとても寒いし灰色で
神様に試されてるような気持ちになった。
「思い出すかい?パリの冬は灰色なんだよ
ここで鬱になっただろう?それでも
パリがいいのかい?」またパリ症候群に
なるのだろうか いやあの時よりは
だいぶ語学もあがったし
フランス人の友達だってだいぶ増えたし
なんだかんだいってもパリはやっぱり
美しい し 大丈夫?とも 思うけど。




 昨日は最後だからと大きな本屋にいって
パリ政治学院時代の苦しい思い出に満ちた
その店の中でフランス文学だとか哲学の
コーナーに行き うーんやっぱり読めないなあ
と思っていたら またお腹が苦しくなってきた。
この店にいく度に後悔するけど
だけど少しは読めてる訳で 新聞だって
まえよりはずっと理解できるようになったしなー


 とはいえフランスの壁は厚くてとても高く
そびえたち なかなか私には太刀打ちできない。
またいつか 来る日のために 日本で
日本語でまずは勉強しとこうか。
哲学もちょっとは勉強したい
うちにある本をちゃんと読もう。
そしてまた今度来た時に は 
読めない という 恐怖から 少し
開放されるといいのだけれど。


 フランスの壁は厚いけど
毎日「え?何?」と聞き返されて
もー!!くやしいと思うけど
レベルは上がっているのだろうか
扉は少し 開きはじめているのだろうか
2つの言葉で生きること が どういうことか
私にはまだわからないけれど 2つ目の言葉といったら
もどかしいばかりだけれど それでも私は
きっとまた 続けようとするのだろう。





 パリの日々 は 本当に
夢の中にいるようで 本当なのか
本当に私はセーヌにいるのか
本当にポンデザールに来たのだろうか
わからない と思っていたけど
きっと本当に来たのだろう。


 私が日本に戻っても ここは
変わらず 20年後もあんまり変わらず存在してて
カフェには人が集ってる。
またここで 生きられる日が来るのかな
その日のために 目標をもっと明確にして
日本でできることをしていこう。
カフェ文化やら 写真やら
発表の機会があったらぜひ声かけてくださいね。

灰色の街で

2010年08月16日 | フランスあれこれ


 パリは夏は空が青くて本当に美しのだけれど
冬になる と 突然街から色が消え去って
灰色の街になってしまう。それはけっこう
おそろしくって 昔から多くの人を鬱にさせてきた。


 私も例外ではなかったわけで 留学を
していたときは 冬くらいからしんどくなって
帰る間際までそれが続いてた。

 旅行中はめちゃくちゃ天候に恵まれるはずの
私も 神様が試しているのか 今回は
あまり天気がよくなくて 昨日なんて1日
雨がザーザー降っていて 8月なのにこんなだなんて
とパリの人たちは驚いていた。


 昨日はフランスでは「8月15日」という日らしく
パリで一番人口が少なくなる日らしい。
(みんなバカンスに行っているから)
それに日曜日なのが重なって これでもか!と
驚くぐらいカフェさえも閉店していて
空いている店を見つけることが難かしい。



 そのうえマルシェもお店が半分しか開いてないとか
普段は30軒くらい出ているというのに
今日は2軒しか開いてないとか 2軒!?
本当になにそれ!?という感じだった。
雨の中マルシェまで行ったのに。。。
(マルシェとは朝市のことです
パリには各地区に朝市があって週に2回ほど
開催されています。)




 フランスでは法律で5週間のバカンスが
定められてて フランス人の大半は
7月から8月にかけて 3週間ほど
バカンスに旅立つらしい。日本とか
外国に行く人もいるけど たいていは
自分の家の持ってる山の家とか
田舎のおじいちゃんの家とかでのんびり過ごして
海にいったり 川にいったり 家のプールで
遊んだり(!)のんびり起きて朝ご飯を食べ
ゆっくりしてから草上の昼食をしたりする。
これがほんとうに たまらなく気持ちいいんだな、、、


 そういうわけで 8月のパリはあんまり
機能してなくて おしゃれな街にいってみても
聞こえてくるのは外国語ばかり。本当に
今はインターナショナル。噂によれば
パリジャンより旅行者の方が多いらしい。
だけど閉鎖している店も多くて その閉め方が
半端じゃなくって 3週間から1ヶ月くらい
まるまる休んでいたりする。これって
かなり すごいよね、、、
まあいっか どっちもバカンスなわけだから。
と この適当なところがフランス人。。。




 ところで昨日フランス人の友達が、
「なまけものであることと知的であることは
両立可能だ」と言っていて なんでかなー
どうしてなのかな と思っていたけど
この国の人たちの知的好奇心や物知り度合いは
半端じゃないけど だけど別に
日本みたいにがんばって大学院にいって
図書館にこもって必死になって本読んで とか
そんな感じじゃないんだな。

 生き方としてはめちゃくちゃゆるくて
大丈夫なの そんなんで!!?と
日本人的感覚としては つい思ってしまうのだけど
だけど一度議論をしだすと もう彼らといったらすごい。


 
 昨日は前回知り合った友達の家にお招きされて
(本当は浴衣でワインバーに繰り出す予定だったけど
ワインバーは全部休業してるらしい。しかも大雨なので
だれも浴衣はきてこなかった)
ものすごい種類のチーズと 私の大好きな
サラミたち と アルザスとベルジュラックと
ドイツとボルドーのワインを飲んで
みんなでワインの試飲会。
彼女曰く「ミキが今度はワインの本を書きたい
って言うから、、」って いや 言ってません!!
ちょっとだけ勉強をさせてもらいつつあるだけです。
難しいけど みなさんに沢山のことを教えてもらって
そしてちゃんと違いを味わって
本当に素敵な夜だった。



 毎日こんなで フランス人のいるとこで
フランス語づけですごしていると もう
頭がパンクする!!と思うけど そうして
私は伸びていくので そこでは決して
逃げちゃいけない。 ここで逃げたら
何をしに来たのかわからない と
昨日は本格的議論の中で 必死の思いで
ついていこうとして それでもなんとか
理解もできたし 話の輪にもいれてもらえて
それが私は本当にうれしい。
こういうことがしたかったから
私はきっと 日本で8年待ったんだ、、、


 昨日は「ユダヤ人とは何か」の話
「ユダヤ人には大きく分けて2種類ある」とか
ユダヤ人と哲学の関係だとか
「カトリックとプロテスタントとユダヤ教との違い」とか
ヨーロッパでは人が死んだら死神が表れるとか、
「酒飲み」の人をあらわす単語にギリシャ神話の
話がでてきて それを説明してもらったり、
アルザスのワインのブドウの話、
ヨーロッパではいかに言語が異なってるか。

 それから驚いたことに 世界の人口の60パーセントくらいが
3カ国語を話すんだって!!で50パーセントは
2カ国語を話すんだそうな。 なんかその
計算の仕方が私にはわからなかったけど
だけどへー それが実はマジョリティ、で
日本とかフランスみたいに自国の言語1つしか
話さないという方が 実はマイノリティだったんだ!
という事実には驚いた。

 人間 意外と 3カ国語くらい いけるもんなんだ、、、
パリには3カ国語話す人が沢山いるから
いつか私も!!と思ってたけど
それってすごいことでもなくって
インド人なんかは英語、ヒンドゥ、地元の言葉で
3つはけっこう普通らしい。そんな話をしていた
おじさんも、フランス人かと思っていたら
なんとドイツ人なのだった。私のとなりで
フランス語を話す仲良しの友達は
ニューヨーク育ちでバイリンガルで ドイツ語も
かなり話せるらしい。みなさん とってもすごいです、、、



 昨日は私もそんなヨーロピアンなお話を
その国の言葉のまんまで理解しようとしはじめて
それが私には本当にとてもうれしくて
ああ もっともっと パリには見たいものがある し
知るべきことがたくさんあって もうどうしていいのか
わからない。 もっとここにいて もっとフランス語の
レベルをあげて このままこの国の言葉をつかって
ここで書かれたものを読みたい
そして彼らと議論がしたい と
やっぱりそう思ってしまう
だって議論は楽しいんだもん


 私のパリの友人たちは
なんだかなまけものたちで
さぼる理由をみつけては さぼってもいいや
そんな感じにみえなくもないのだけれど
口を開くと面白くっていつもへーえ!!と
思わされ なんだかかっこいいんだな。
なんで怠け者と知的であるのが両立できるの?と
聞いてみたら こんな答えが帰ってきた。
「だって怠ける時間を多くつくるためには
頭をつかわなきゃいけないでしょ」
ふーん なるほど 
そうともいえる、、、





 人生を楽しみながら
自分の欲求に従いながら
無理はしないけど 知的な世界に向かってく
そんなこと が 可能だったら
それってとってもうらやましいな。
パリには沢山の人がいて
質問をなげかける と答えてくれる
そして何かを教えてくれる
パリは扉をたたいたら 意外と
開けてくれるんだって 誰かが言っていたような
本と人の口を通して 沢山のことを学んでいったら
私もいつか 議論にちゃんと加われるかな
まだまだ知りたいことがあるから
まだまだ見えない だけど行きたい世界があるから
灰色のパリの空の下 少しくらいは勉強しよう。


 

異邦人のパリ

2010年08月12日 | フランスあれこれ


 今までずっとのんきに気持ちよくパリを
楽しんでいたけれど 昨日はいろんな機会があって
ちょっと考えさせられて 自分が向かいたい方向と
そこでたちあらわれてくるだろう沢山の難題に
どう向かっていったらいいものか と
悩んでいたら気分はずいぶん落ち込んで
また笑えない私になっていた。


 昨日はパリの友人主催の「お茶会」という
日仏交流イベントがあり、
興味深い人たちがたくさん来ていた。
パリに10年以上前からアパルトマンをもっていて
日本といったり来たりしながら、作曲活動をしてる人、
アクセサリー作家の人で、東京に住んでいるけど
年に2回くらパリに長期滞在しながら制作を
している女性、カメラマンとしてパリに来たけど
今は着物っぽい洋服を売る仕事をしている男性に、
大学で源氏物語を研究してから卒業後すぐに
パリに来たという22歳の女の子。

 いろんな人がいるんだなー


 パリには強い人たちがいる。


 みんな自分の方向性で なんとかどこかへ
到達しようともがいてて パリにいたら
「パリの日本人」の一人なんだけど 日本の中では
有名な美大を優秀な成績で出た人だとか
音大から何人かしかいけない留学で
コンセルバトワールに来てるとか
そうとうなレベルの人が わんさかそこにはいるんだな。
まあ あんまりすれ違うこともないのだけれど。



 その帰り道の12時過ぎに、まだキラキラしている
サンミッシェルの明かりの下で、
そのうちの一人がこう言っていた。


「30歳を過ぎてからじゃね 外国に移住するのは
本当に厳しいと思いますよ」


 その男性の言葉に続いて
アクセサリーをつくってる女性はこう言った。
「そうですよねー 私も住む勇気はなかなかないなあ
たいていはワーホリでパリにきても1年終わったら
みんな帰ってきてますよね」そうなのか、、、
私はどうしたいのか なんとも言えないとこだけど。





 昨日はその「お茶会」という友人宅の日仏
交流会に、念願の浴衣を着ていき、「お茶会」という
名前なんだから一度はお抹茶たててみようよ!という
これまた小さな願いがかなって 浴衣で簡単な
お手前をした。私なんかがするのだなんて茶道界では
侮辱に近いかもだけど それでもやってくうちに
それなりに作法を思い出し それにだいたい
みんなお抹茶を飲んだことすらなかったようで
「まずはお菓子から食べるんです」とか
「正面をさけるためにこうやってまわして」とか
いろんなことを それなりにだけど説明ができて
経験としては とてもやってよかったなー。




 私のフランス語 は どうなのかなと思うけど
いまだに読むのはさっぱりだけど 話す分には
相当レベルがあがったらしく みんなの前では
とても難かしかったけど 「あらパリに住んでるのかと
思ったわ!!パリ在住の人みたいにフランス語上手ね!」と
言ってもらえて嬉しくなった。8年前のあの苦しすぎた
時期をなんとか乗り越えて 今では話に入っていける
フランス人が何人かいても それなりに は
話に入れる。流暢には なかなかなれないけれど
それでもたまにびっくりされる それが私は
とても嬉しい。だって 本当に辛かったから。



 話ができる 表現できる もっと彼らの
あのリズムの中にのっていたいと私は思う。
私も一緒に笑いたい し カフェでカウンターに
一人で行って 私も冗談の1つも言いたい。
もっともっと 教えてほしい 沢山のことを
発見したい。パリは私にとっては驚きと
発見に満ちている。





 昨日はずっと行きたいと思ってた
アジアの仏像や芸術作品がたくさん展示されている
私の大好きなギメ美術館に行ってきた。
そこで私がみたものは クメールの美しすぎる
仏様だけじゃなくって 最近日本史で勉強してた
なんと銅鐸、それから青銅器の鏡に甕棺!!
(ご存知ですか?縄文時代に死者を埋葬していた
陶器の大きな丸い棺です)
よく甕棺もってきたよな!!日本からこんな
壊れやすそうなものどうやって!?とかなり驚く。


 それから土偶に埴輪 埴輪は馬のと人形があり、
時代が飛んで日本刀でしょ、刀の鍔に、印籠に。
それから楽茶碗に尾形乾山のお皿まで!!
こんなの日本じゃみれないよ!?甕棺なんて
どこでみれるの?銅鐸なんてはじめてみたよ
尾形乾山だって京都で展覧会をやってた他には
みたこともない。それから北斎漫画もあった
パリ、、、すごすぎる、、、


 しかもパリでは それを「日本だけの文化」として
みるんじゃなくて 隣では韓国の展示があって
その隣では中国の展示があるから
うわー 本当にこんなに影響されてるんだとか
中国ではこんなにもはやくから青銅器が
使われてるんだとか そういうのがわかってうれしい。
しかもフランス語で書かれた説明は いつも難かしいのだけれど
アジアの文化に詳しい人と一緒に行くと
かなり教えてもらえるので それが私はとっても嬉しい。
展覧会って 一人で行っても あんまりいいもんじゃないんだな。
(ここの人たちはアフリカの古代文明を説明できたり
チベット仏教に詳しかったり、中国の歴史を知ってたりする)




 今の私の人生に は 沢山の難題があるけれど
それを全部 解決するのは 難しいのだと思うけど
問題を全部考え込んで しんどくなって暗くなるよりは
自分自身に素直になって 笑って一歩
歩みを進めた方がいいのだろう。

 パリにはいろんな人がいる 
人生は時に難かしく 時に複雑なんだけど
複雑なことを経験してきた そんな人たちも
いっぱいそこには存在してて それでもみんな
それらをそのまま背負ったままで
ワイン片手に ちょっと笑って生きている。
苦しかったら?飲みに行こうよ!
じゃあいついく?今週の日曜日!
そんなノリ が いつもあって
東京みたいに3週間先じゃないと予定が埋まって、
とかじゃない。明日だめなら明後日は?という
かなり適当に でも絶対に 会える感じが
私は嬉しい。こんどはみんなで浴衣でワインバー。




 諦められたら ことは簡単になるのだろうと思うけど
でも ここに 集ってきている外国人は
とりあえず 諦めることをいったん拒否した人たちで
この先どこまでい続けるのかも
何をするかもそれぞれだけど
彼らはやっぱり私に刺激を与えてくれる。
これから先はどうなるだろう?
神のみぞしるならば もがこうとするんじゃなくて
いろんな殻を取り除き、ゆだねた方がいいのだろう。

パリの空の下

2010年08月08日 | フランスあれこれ


 本当に?本当に?と何度も確かめてしまったけれど
今このパソコンの横で見えるのは やっぱり
パリの屋根達のようで 私はパリに着いたらしい。


 どうなるかなあと思っていたけど
やっぱりパリは心地よくって
なんで気持ちがいいのかって
夏なのに湿気がないのと
エアコンなしでも過ごせちゃうのは大きいけれど
(意外と寒くて驚きました)
それよりなにより 大方の人が
好き勝手に やりたいように生きているっていう
それが一番大きいのだろう。


 パリ?パリ と言ったって、、、
と私の中にも 自分で疑問を投げかける言葉くらいは
いつもあるのだけれど それでも圧倒されてしまう
そんなすごさがパリにはあって
一日目の散歩だけ で やっぱりすごいと思わされる。


 何がすごいかと言いますと


 私が留学をしていた2001年にパリプラージュという
意味の分からない大規模な企画がはじまって
それが今でもしっかりと受け継がれてて
自分たちのまちを自分たちでもっと
楽しくしちゃえというアイデアを実現する力というか
そんなのありなの?というのが目の前で行われてるすごさ




 パリプラージュというのはもともとセーヌ川の
横を通ってる高速道路を夏の間だけ通行止めにして
海から砂をもってきて セーヌ川沿いを
海岸にしてしまおうという 突拍子もないアイデアで

 私がパリにいたころに その一年目がはじまって
かなり長い区間にわたって 白い砂がしきつめられて
そこには長椅子もたくさんおかれ パリの
ど真ん中であるというのに 水着をきて
日焼けしようとしている人たちがたくさん寝そべっていた。
なんじゃこりゃ!!とその時は本当に驚いたけど
(パリジャンも驚いていたらしいけど)
結局その後もそれはつづいて だんだんと規模も
拡大されて セーヌ川だけじゃなくって
周辺の運河でもやったりしてるらしい。




 私がそこで見たものは
砂浜と長椅子だけじゃなくって もちろんカフェに
5歳くらいの子達専用の小さなボート教室に
運河の上に大きな風船みたいなものを浮かべて
その上を歩いてみたりとか 子供用の
遊び場だったり サルサも踊れるダンス場とか
まああれやこれやと 人生を楽しむ仕掛けが
沢山あって かなり圧倒されてしまった。

 そこにいるのは 乳児からおじいちゃんまで
国籍もアフリカ系から中国人まで
もうごっちゃごちゃにまじってて
パリの底力を感じた一日でした。
やっぱり国際都市だなあ
本当に 初日から圧倒されてしまいました。




 パリはごちゃごちゃしてるけど
うるさい音も沢山あるし そりゃあメトロは汚いけれど
なんというか 人生に対する気楽さ 気安さみたいなのが
存在してて せっかく生まれてきたわけだから
なるべく楽しんじゃえばいいじゃない?と
そんな雰囲気が流れてる。
私は自分一人では 自分を縛ってがんじがらめに
してしまいがちな人だから そういう環境が
とても嬉しい。そして私もカフェに長居して
そんな人たちを眺めてる。





 パリに行ったら すべてがバラ色なわけないけれど
美術館にでも行こうものなら もう説明文の
2行目からわからなくなって
とっても悲しくなるけれど まだまだまだまだ
フランス語のレベルをあげないとダメなんだなあと
いつも痛感されるけど
それでもここには 世界の他の国にはないような
でもここにだけ 今でも存在しているような
何かがちゃんと あるんだな
それを「自由」というのだろうか
しいていうなら「精神の自由」?

 私が一人で日本にいたら
決して見ることも考えることも到達することも
できないような 沢山のまだ見ぬことが存在してて
それを吸収しようとするのは ものすごく
しんどいことだけど やっぱりまだまだ
興味があるから このパリ滞在
できるだけ沢山のものを吸収しよう。







フランス語の私

2010年08月01日 | フランスあれこれ



 今日はまちに待ってったフランス人を
京都に案内する1日目 で
どうなるかなあと思ってたけど
私なりには 4年前にやったときより
それなりに は しゃべれたし
それなりにだけど知識もついたし
ちょっとは役にたったかな??だといいけれど、、、


 役目を終えて家の近くについたころには
あまりに足が疲れてて驚いたけど
それでも私は楽しくて パリにいた頃を思い出す。


 あー私 なんであんなに笑顔だったんだろうと
帰ってきてから本当に不思議に思ったけれど 
たぶん一つは フランス語しゃべってたからなんだ、、、


 今日は朝から晩までひたすらフランス語づけだったけど
この1ヶ月半 脳みそがフランス語だったおかげかどうか
フランス語のせいで疲れたということは全くなくて
逆にとってもエキサイティングで自分らしくなり
嬉しくなった。私 フランス語 好きなんだ、、、


 何が好きって フランス語をしゃべっている自分自身が
好きらしい。日本にいて 日本語をしゃべっていると
「自分のこと好き!」だなんて 思うことすらないけれど
フランス語を話す自分は たどたどしくても
本来の私らしくて 私は自分の全部を出して
オープンになり なんだかとってもナチュラルだ。
なんでなのかはわからないけど フランス語の自分というのは
別人でもあり より本来の自分に近くて
だからきっと友達だってできるのだろう。


 けれども何故か 日本語になると
私は壁をつくっているのか なんだか自分になれなくて
とくに京都では本当に気の合う友達をつくるのがとても難かしい。
一体何が違うんだろう?フランス人の考え方が好きなのか
そのフランス的志向方法が好きなのか
ただフランス語をしゃべっているのが好きなのか
何なのかはわからないけど
最近フランス語で思ったことを 日本語にするのがとてもしんどい。


 たとえば挨拶ひとつでも それを日本語におきかえたとたん
トーンがひとつおちついて なんだが形式ばってしまって
あの気楽さであり 気安さみたいなのがどっかにいって
なんだか別物になってしまう。多分イタリア語の
「ボンジョールノ!」が「こんにちは」と全く別ものな
感じに似ているんだろう。


 それならきっと 翻訳 というものは
ちょっとは意味をなすけれど やっぱりかなり無理があり
本当に知りたい者は そこの文化をしっかり学んで
そこの言語をしっかり学んで それで原文でがんばってみる
それでこそ本来の意味がわかるのだろう。


 昔読んだ 今橋映子という人の『異図憧憬 日本人のパリ』
という本に こんな話が書いてあったのを覚えてる。

 日本とフランスの文化は似ているようで全然違う
その違いに気がついてしまった者は その短いけれども
深い溝を埋めるために半生を費やさねばならない、、、

異都憧憬 日本人のパリ (平凡社ライブラリー)
今橋 映子
平凡社



 なんて馬鹿みたいな!放っとけば?と
大方の人は思うのだろうと思うけど
もしかして 私はといえば その溝を自分で埋めるために
半生を費やしてしまう人の方なのかもしれない。


 今日ガイドを始める前に ホテルのトイレで考えたけど
なーんで私 フランス語をやってるんだろう
レベルをあげて レベルをあげて?
Et Alors?
それで一体どうしたいわけ?
Je ne sais pas,,,? Ou je le sais?
たぶん私は議論したくて そこからどこかに到達したくて
私のもうひとつの言語を獲得したいから
そうすればもっと沢山の人と意見をかわして
思考をもっと深められるから
違う世界に向かってけるから
だからきっと 私は勉強してるんだ、、、

 フランス語を学ぶため に フランス語を
学んでるんじゃなく どこか違う世界をめざして
私は向かっているんだな おそらくそうだとトイレで思った。

 そして私は楽しくなった
パリって遠いと思ってたけど
きっとまた 怖い想いをするんだろうと思ってたけど
意外とこれだけ話せるのなら そんなに怖くないんじゃない?
意外とこんなにも自分自身であれるのならば
日本語よりも 生きる喜びを感じて話せるのなら
いつも笑顔になってしまうなら
意外と怖く ないのかも?


 もっとフランス語で話していたい
もっとフランス語で書いていたい
そしてもっと理解がしたい
彼らのいっていることも
彼らが書いてきたことも
そして私も 仲間にいれてほしいから
明日もちゃんと がんばろう。 

パリに行ってきました!!

2010年06月15日 | フランスあれこれ
 a Paris!

 a Paris!!


どんなにこの響きに憧れてきたことだろう。
蓮太郎が生まれて2、3ヶ月の時
フランス人から国際電話がかかってきたとき
"C'est Laurent a Paris!"と言ってた。a Paris?!
パリなんて存在するの?私には4畳半の小さな世界と
京都の近所のせいぜい鴨川くらいしか存在していなかったけど


 パリってほんとにあるんだろうか
ほんとにそんなとこに人は生きてるのだろうかと思ってたけど
本当に念願かなって行かせてもらえて
行ってもなかなか実感のわかないままだったけど
パリは変わらず存在していた。


 パリにいったらまずノートルダムを見たいと思ったけど
今回私は滞在させてもらった家は ノートルダムの目と鼻の先で
毎日どこかにでかける度にノートルダムを仰ぎ見ていた。


 パリに行っても?どうせ3日もたったら日本がいいというのだろう。
どうせ3日もたったら「やっぱりパリは、、、」というのだろうと
思っていたけど 今回は恐ろしいほど楽しくて
沢山のシンクロニシティも待っていて
本当はイタリアにいくはずの予定を全部キャンセルしてまで
パリに二週間いることにした。その間に いろんな素敵なことがおこって
なにもかもが 素晴らしかった。歩きすぎて 足はものすごく痛かったけど
それでも歩かないわけにはいかないくらい
パリはとっても美しくって


 どうしてあんなに10年前は 住んでいたのにつらかったのかと
思うけど 10年たって 前よりもっと 語学の力もあがってて
今回はじめて かなりまともに 自分の考えをフランス語で
表現できたことが 本当に心の底から嬉しかった。
日本語とは全然違うフランス語の表現のおおげささ も
フランス人達の自分に素直で適当な感じとか も
着たい服を着たいように着てる感じも
本当にいいなと思えて とってもとっても楽しくなった。


 東京に帰ってきても 水を得た魚のような気持ちになるけど
パリでそんな気持ちになれて 沢山の人と話ができて
沢山の人にフランスの文化を教えてもらって
カフェを巡り ワインを味わい ビストロの料理を食べては
フランスの文化を学んで 本当にすごく面白かった。


 私の人生は灰色だ と 友人のフランス人がうちにくるまで
思っていたけど そこには違う世界があった。
全然違う だけどもっと私でいられる 私らしい私があった。


 たくさんのことにとらわれて
自分をしばってきたけれど
今 という瞬間しかないのなら
次なんて もうないのかもしれないのなら
今にすべてを費やすしかない。
未来ばかりを考えるより 今一瞬を
最大限に生きていたい。そう思えるようになっていったら
沢山の奇跡が起こった。
私はとっても楽しかったし 自分でも驚くほどに元気でいられた。
本当に素晴らしい時間の連続だった。


 日本に帰って 待っているのは灰色の日々?
そんなのは とても嫌だから
もうため息ばかりついていないで
もっと自分を活かせるように
もっとパリとも関われるよう本気を出して がんばってみたい。

フランスに行ってきます!

2010年05月23日 | フランスあれこれ
 本当です。念願のフランスに。


 何故か蓮太郎が産まれたときから
ものすごく行たくてたまらなくなったフランスに。
蓮太郎がまだ一ヶ月にもならないころに
馬鹿な私はフランス語力を落としちゃいかんと
やたら焦って童謡とシャンソンをかけて
授乳をしたりしてました(まさに焦りですね)


 それでもなんやかんやで2年がたって
蓮太郎が2歳になる前に いっしょに行ってやれ!!と
思って雨の中京都駅までパスポートをつくりにいったり
雨の中おんぶして何度もHISに行ったけど 
沢山の人との本音のお話があり
今の状況と私のしたいことを考えた結果
2人の券はキャンセルをして 一人で行くことになりました。
「4万円で肩の荷が全部降りるなら安いものだよ!」と
一人で行け、と説得をした友人が言っていました。


 それまでは いつかフランスに行くために と
体力をつけなければと おんぶで鍛え(でもへろへろだった)
ベビーカーをかつぎあげ(でもやっぱりとてもしんどくなった)
カフェでいい子にできるように あれやこれやと考えたけど
結局のところ 彼が行けるカフェなんて カフェ欅と
喫茶ゴゴの2つしかなく (あとたまぷらのベーグル&ベーグル?)
他のカフェに誰かと行っても 席に着くなりメニューをもらって
すかさず注文。頼んだものが来るまでは なんとかミニカーや
『工事のくるま』(蓮太郎が大好きな本)でごまかせるけど
甘いお菓子を食べ終わったならさあ大変!!
彼はもうじっとなんてしていられない。


 そこをなんとかしつけようとか思ってたけど
沢山の人に「子供はね そんなことできないよ
そこまでさせたらかわいそうだ」と本音で言われ
「結局ね あなたは一人で行くのが一番よ」とまた
言われてしまい でもおかげさまで子育てについてちょっとわかった
こんなにも本音がきける機会は今までなかった。
そして彼らはチケットをとった私を躊躇させ
もう一度考えさせた。本当はどっちがいいのか、、、

 ちょうど驚くくらいにママ離れも進んできたし
じいじもジープも大好きだし 蓮太郎の頭の6割くらいは
車でできてるし(ママは2割くらい?!)それなら
実家の父母にまかせて 私が一人で行った方が
そりゃあ堪能できるよなあ


 そういうわけで 結局券を変更し
高いお金も払ったけれども 一人で6月初めから
10日ばかり フランス イタリアカフェの旅を
してこようと思います。今度は少しは映像も
撮ってこようと思います。3年ぶりのパリのカフェ は
一体どうなっているんだろう?何年か前から興味をもった
イタリアのバールはどんななんだろう?
最近ちょこちょこ描き始めてる 色鉛筆画と
カメラをもって 現在のカフェ事情を探ってこようと思います。
そして本の第二弾が できたらいいなと思います。


 蓮太郎は私がフランスに行くからか 急に淋しくなってしまって
激しくママ返りを初めてしまい 私の姿が見えないだけで
「マンマ!! マンマ!」と泣いてしまう。パパが
側にいてくれるのにトイレにすら行けないくらいの状況に
急になってしまったけれど(つい最近までママの価値はすごく
下がってたのに!)なんとかやってくれるかなあ
もうこれ以上 券は変更できないし いっしょにいれば
それだけで2人が幸せというわけでもないから
もう二人とも ものすごく自我があるから
私がもう一人いるようなものだから なかなか本当に難かしいけど
なんとかやってこれますように 二人が元気でお互い笑顔で
楽しかったねと会えますように またいつ行けるかわからないから
思う存分楽しんでこよう

あと一週間で 行ってきます!

懐かしのパリ

2009年02月19日 | フランスあれこれ

 今日は念願のパリ ドアノー展に行かせてもらい
久々に写真展を味わった。

 ドアノー展にはそんなに興味はなかったけれど
JRに乗った際にふとチラシを見ると あれ?
あの有名なパリ市庁舎前のキスの写真は
もしやカフェで撮られてる、、、


 このポスターを見た人は 何千人もいるのだろうけど
これを見て この写真がカフェのテラスから撮られたなんて
考える人はきっと私くらいしかいないだろう

 そう思ったら行きたくなった。私もそのカフェが
あったところの テラスに座っていたような気がしてるから
もしかしてあのあたりから そう思うと身近になって
こりゃどうしても行かなけりゃ と行ってきた。


 するとロベール・ドアノーがいた時代というのは
ボーヴォワールが活躍していた時代と同じころのことらしく
見る写真みな 懐かしいような 私が知ってる
本だけで知っているけど すごく身近に感じてしまう
20世紀半ばのあのパリで ああこの人も あの人も
あの有名な ボーヴォワールのドゥマゴの写真も
みんなドアノーが撮っている。


 嬉しかったのは私が一度もみたことのない
パリ中央市場の写真をぱっとみて あ!レアルだ!と
思えたことで かつてレアルという場所にあった
大きな大きなパリの胃袋 パリの中央市場の写真は
とても暖かくて目をひいた。かつてフロールの主人のブバルも
レアルの近くのカフェで働いていたんだそうな
あの時代が懐かしく あの時代がうらやましい


 ドアノーの写真を見ると パリに行きたくなるけれど
彼が伝えてくれること は パリでも何処でも
人は生きてて ただ賢明に毎日を生きている ということで
たまたまパリに生まれた人も たまたま日本に生まれた人も
アフリカに生まれた人も モンゴルの人も みんな日々を生きている
ただそれだけのことなんだ 何も特別なわけじゃなく
同じように 生活してる それだけのこと。


 よくみれば パリは汚く
よくみれば みながみな幸せそうなわけでもなくて
かつてフランス人に言われた言葉を思い出す
「どうしてこんなにきれいな国に住んでいるのに
日本人はパリにやたらと憧れてるの?」ほんとだね。
けれどもやっぱりパリはなんだか恋しくて
なんだかとても行きたくさせて
あのカフェが淋しくっても
コーヒーの飲み過ぎと 砂糖のとりすぎで
さえない表情になっていっても 
なんだか行きたくなってしまう


 またパリに行きたいなー
れんちゃんつれて 行きたいなー
今度は仕事で そう思っているけれど
そのために は フランス語
子育てしながらフランス語は重たいけれど
フランス語は やっぱり詩的で美しい

 暇つぶしをしてる人達にとって
パリは大きな劇場なんだと ドアノーは言ってたそうな
汚くっても詩的なパリに 淋しくっても美しいパリに
いつか私も戻りたい。

フランスに行くなら

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