Thank you for the music

好きな音楽のこと、あれこれ。その他諸々もあり。

中文-広東語対応表(基本編)

2006年05月10日 03時30分18秒 | ××語

 リクエストにお答えして、作ってみましょう。
 まずは、実際の文例をご覧下さい。陳小春(ジョーダン・チャン)が正東(Go East)と契約、7月に広東語アルバムを出すことになったという記事。正東では人気者の陳奕迅(イーソン・チャン)が“一哥”(レーベルのトップスター)扱いされているが、彼とトップを争うのか?ときかれての答え:
<東方日報5月8日>
「畀[イ巨]做啦,我[mou]乜所謂,只要畀音樂空間我,我不嬲都唔爭[ロ野],人[ロ地]亦唔會搶到我[ロ的][ロ野],(以下略)」
(彼に“一哥”をやらせればいいよ、僕は全然かまわない、ただ自由に音楽をやらせてもらえればいいんだ、僕はいつも人と何かを争ったりしないし、人も僕から何か奪ったりしないよ)
<成報5月8日>
「我自問一向不會同人爭,由對方做一哥好了。」
(僕は自分をいつも人と争わない人間だと思う、相手に一哥をやってもらえばいい)
 ほんとに同じ言葉を字にしたとは思えませんね^^;

 それでは基本語彙から。左側が中文、右側が広東語。
<人称代名詞>
 私とあなたはどちらも我とイ尓。ただし、中文では女性に女偏をつけて[女尓]としたり、下に心をつけた字[イ尓/心](北京語では目上の相手に使う[nin2])を使うこともある。
 彼・彼女・・・他・[女也][ta1]-[イ巨][keui]
 それ・・・它[ta1]-[イ巨][keui]
 複数形にするとき・・・們[men]をつける-[ロ地][dei]をつける
<be動詞>(である)
 是[shi4]-係[hai]
<have・have not>(ある・いる・持っている)
 有[you3]・没有[mei3 you3]-有[yau]・(有の横線2本を消した字)[mou]
<否定語>(~ではない、~しない)
 不[bu2,4]-唔[m]
<完了形>(~した)
 了[le]-[ロ左][jou]
<進行形>(~しているところ)
 著・着[zhe]-緊[gan]
<授受>(~を~にあげる・もらう)
 主語+給[gei3]+人+物-主語+畀[bei]+物+人(例:公司 畀 音樂空間 我)
*広東語では受け取る人が後にくるのが特徴
<疑問詞>
 何/甚麼[shen2 me]-乜[ロ野][mat ye]([ロ羊][me])
 誰/誰[shei2]-邊個[bin go]
 いつ/甚麼時候[shen2 me shi2 hou]-幾時[gei si]
 どこ/哪裡[na3 li]-邊度[bin dou]
 なぜ/為甚麼[wei4 shen2 me]-點解[dim gai]
 どのように/怎麼[zen3 me]-點[dim]・點様[dim yeung]

 ・・・まだまだたくさんあるけど、今日はこのへんで。たしか、香港人向けに対応をまとめた本がうちのどこかにあったはず・・・。探してみようっと。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中文

2006年05月07日 23時52分52秒 | 香港
 香港テレビの字幕について質問をいただいた。「それで字幕は北京語? 広東語?」
――答えは、概ね北京語(Mandarin Chinese)、なのだが、厳密に正しい北京語かどうかは、私もよくわからない。北京語ネイティブで北京語教育を受けた人(特に北の方の人)からは、「ここちょっと違う」とチェック入るかも。一応、中国語を“読んで”わかる人には理解できるように作られているようだ。
 そもそも、香港の公用語は何語? 返還前はイギリス領だったんだから英語? 今は中国なんだから中国語でしょ?・・・じゃ広東語って、何?
 実は香港の公用語は、「英文」と「中文」。“語”という字を使っていない。それは中国大陸が共産党政府、台湾が国民党政府となり、対立していた時代まで遡る。大陸では漢字の簡体字を採用、発音記号のピンインを定め、“普通話”“漢語”(漢族の言葉:中国は多民族国家なので、他の民族の言語も中国人民の言語であるという立場から、この単語を使う)として、全国で標準中国語の教育を進めた。一方、台湾では伝統の繁体字(臺、灣、舊など)を使い、注音字母という発音記号で表わし、“國語”として教育。ラジオやテレビなどで“國語”と英語以外の言語の放送を原則禁止、普及に努めた。(薬師丸ひろ子が台湾のテレビに出演した時、日本語をうっかり話してしまうと放送で使えないので、声を出さないようにしていたのを見たことがある。)それでも、大陸から移ってきた人以外は國語が母語ではない(閩南語・客家語などを話していた)ので、普及にはそれなりの時間がかかったし、アミ族・タイヤル族など原住民の人たちの間では、異なる部族間の共通語として日本語が残っていたそうだ。(ピヌユマヤン族の張惠妹が「勝気だから」カツという日本語名を親につけられたという話は有名)
 香港は大陸台湾が対立していた時期、言ってみれば緩衝地帯・中継点として機能していた。要するにどちらともそれなりにいい関係を保ちたい。そこで公用語をMandarinにした場合、どっちの字体と発音記号を採用したらいいのか? 一方を取れば絶対もう一方と軋轢を生じる。何しろ、日本人の観光客や留学生でさえ、台湾に簡体字の辞書を持ち込もうとしたら没収されると言われてたくらいだ。どうしよう?
 そこで究極の解決が「中文」。公文書は書き言葉の中国語、文字と話し言葉は「伝統」に従うとして、字は繁体字、話し言葉は元々この地域で使われていた広東語になったのだそうだ。(以上、ほぼつれあいが言ってたことの受け売り^^;)
 というわけで、数十年の間に書き言葉としての中文が新聞・雑誌・教科書などで確立され、ニュースなどの語彙もそれに近いものが使われるようになった(例:1時間=中文:一小時、広東語:一個鐘頭)。ただし発音は広東語読み、という独特のスタイルだ(「一小時」は広東語読みだと「やっしうし」北京語読みなら「いーしゃおしー」)。
 だから現代の香港人は、英語だけで教育を受けた人以外は大体この“中文”を読んで理解できるし、広東語との対応は基本的に頭に入っている。“中文”の文法と語彙は原則Mandarinに沿っているので、台湾・大陸・世界各地の華人も繁体字が読めれば概ね理解できる。香港のテレビの広東語が何を言ってるのかさっぱりわからないけど、内容は中文字幕で把握している人々がいる一方で、台湾のテレビの“國語”が何を言ってるのか全然わからないけど、やはり中文字幕で内容を把握する香港人もいる。そして私たち日本人は、字幕のおかげで聞き取りやすくなるという恩恵にあずかっているのだった。
 広東語:中文の対応表はまた次回
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倫永亮(アンソニー・ロン)

2006年05月05日 18時41分59秒 | 

 倫永亮が、帰ってきた。
 香港ポップスシーンで、質の高い楽曲を作り、自らも魅力ある歌手で、多くのアーチストのコンサートで音楽監督を務めた。バリバリ仕事している頃は、誰のアルバムにも1曲は彼の曲が入っていたのだが、、、長年頑張ったせいか、体調を崩していたらしい。2004年の3月に、港樂ことHong Kong Philharmonic Orchestraがポップス歌手と組む企画で林憶蓮とジョイントコンサートをしたあたりから少しずつ姿を見せ、この4月28日・29日とソロコンサートを開き、久しぶりに新曲+精選「倫流傳」も発売されて、完全復活という感じだ。最近香港で流行の“自作自唱”スタイルの草分けの一人かも。
 ミシガン大学とサンタクララ大学で音楽を学び(優等で卒業!)、86年に香港でデビュー。しかし最初はあまり売れず、しばらくは裏方―作曲や編曲をしていたそうだ。90年の「鋼琴後的人」のヒットから、歌手としても主流に躍り出る。私が聴き始めたのは92年の「ONE VOICE TEN FINGERS」あたりから。93年に出た新曲+精選「listen」は、次男のお産で入院する時持ち込んだ 「歌詞」という曲が好き(再発売版が出ている)
 ジャズ系、ラテン系のアレンジなんかも得意で、香港のほかの作曲家とちょっと違う感覚があるところがいい。日本がけっこう好きらしく、ほとんど日本語&日本の曲カバーのアルバム「1999 夏」も出しているし、日本でのコンサートツアーも何度かある。「夜空のムコウ」「La La La Love Song」なんか歌ってくれてます。
 コンサートには長年の音楽仲間ともいうべき陳潔靈(エリザ・チャン)、呂方(ロイ・フォン)、林憶蓮(サンディ・ラム)、李國祥(K.C.リー)などのほか、新曲でデュエットしている張敬軒(ヒンズ・チョン)や、新進シンガーソングライターとして活躍中の王[艸/宛]之(イヴァナ・ウォン)もゲスト出演したとか。頑張っている後輩たちに刺激を受けてるんだろうな。張敬軒と歌ってる曲、早く聴いてみたい。
 蘇永康は1曲だけ書いてもらったことがある。「生命色彩」(93年)収録の「戀愛實験」。なかなか“実験的”な面白い曲だったけど、蘇永康自身は雑誌のインタビューで「アルバムの中で一番歌うのが難しい曲だった」と語っている。ちょっと相性がイマイチだったかも。
 TVBの勁歌金曲に出演して、ファンから喝采を受けている映像があった。ファンはもちろん、香港ポップス界にも、嬉しい復活だと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<シリーズ気になる日本語・その1>のが

2006年05月04日 14時21分51秒 | ××語
(設定:クラス対抗リレーの選手を決める話し合い中)
山田「Aくん、Bくん、Cくんは決まりだね。もう一人は? DくんとEくん、どっちが速い?」
鈴木「Dくんのが速いんじゃないかな? Dくんがいいよ」

 上の会話を読んで、違和感を感じる方はどのくらいいらっしゃるだろうか。
 実は私、違和感バリバリで気持ち悪い。「え? どこが?」と思った方、答えは―
鈴木「Dくんのほうが速いんじゃないかな?」
 “ほう”が入らないと、私はとても落ち着かない。文脈からいって意味が曖昧になることはないけど、、、
 この表現を初めて見たのは、昨年のこと。長男が買ってきた「アイシールド21」というコミックに、ちらちら出てくる。
例1:(タックル練習用マシンを壊した人を見て)「怪力、、、おそろしい」(「また校長騙して買わせるか」と言いながら壊れたマシンを蹴る人を見て)「この人のがもっとおそろしい、、、」
例2:「奴ならスタンドから写真撮ってるぞ。アメフトは高いとこのが見やすいからな」
例3:「日曜のこんな朝早くから学校?」「えっと、その、家より学校の自習室のが集中できるかなって・・・」
 「アイシールド21」アニメの放送が始まって、第1回か第2回あたりは、この用法の“のが”が使われたような気がする。が、そのうち出てこなくなり、“のほうが”になった。正確にどの回のどのシーンと覚えているわけではないか^^; どこかから指摘があったのかもしれない。
 私自身、自然な会話の中で聞いたことは一度もない。子供たちにきいてみると、「自分では使わないけど、友達が使っているのを聞いたことはある」そうだ。今の若い子が使うのかと思ったら、私と同年輩の友人も「昔から使っていた」という。「祖父母も使っている」という人もいて、年代の問題ではなさそう。じゃ方言なのか?と考えたが、使うという人の地域がばらばらで、全然しぼれない。ということは、今や正用法への道まっしぐらの「ら抜き」と同じ、大きな変化の一つなんだろうか?
 私が落ち着かないもう一つの理由は、外国人に日本語を教える時、“~のほうが~より~”という表現は初級の段階で教える基本表現だからだ。二つのものを比較して差があることを示すのに、“ほう”がないと二つのうちの一方を表す感じが薄れてしまい、あるものとその他一般になってしまう気がする。そして、音としては同じになる「このシャツは小さいから、もう少し大きいのがほしい」「カレーなら、昨日作ったのが残ってる」などの、「の=(直前に示した・共通認識の)もの」用法と混乱しそうだ。「加藤さんより、佐藤さんのが親切だ」と言われたら、私は「佐藤さんの何が親切?性格?ものの教え方?」と略されているものを探してしまう
 必要ないのにやたらと「ほう」を入れる言い方も最近よく指摘されている。ぼかして言いたい心理の表れかもしれないが、逆にこっちの「ほう抜き」は二つのうちの一方であることをぼかしたいんだろうか。。。使う人は言葉の変化だとも思わず、全く違和感なく使っているみたいだけど、今後広まっていくのかどうなのか、、、気になる~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香港テレビの字幕

2006年05月03日 17時48分46秒 | 香港

 04年7月から生放送していた香港TVBの歌番組・勁歌金曲だが、番組表を見ると最近放送時間が変わり、字幕付になったようだ。生放送の頃の音楽監督・梁翹伯さんの奥さんが日本人で友人なので、先日電話できいてみたら、「プロデューサーが替わったので番組のコンセプトがかなり変わってしまった」そうだ。録画放送でトーク部分に字幕もついたらしい。
 生放送では毎回構成や曲のアレンジも大変だし、歌手たちは緊張するしで、番組制作サイドとしては苦労が多かったのだろう。香港ポップス界のためには、生で歌うチャンスが多いほうがいいと思うけど。。。生で歌う場数をこなすだけで、みんな上手くなるんだけど
 それだけでなく、字幕付になったというのが興味深い。歌ってる時に歌詞の字幕を出すのは元々やっていたが、生だとトークの部分には字幕が出せない。台湾や大陸など北京語地域の歌手もよく出演するので、彼らのトークはすべて司会者が通訳しなくてはならなかった。30分もない放送時間で、その通訳の時間はできたら削りたかったかもしれない。それに、いまや新移民と呼ばれる返還後に移り住んだ香港市民も多い。彼らの母語は北京語だし、まだまだ広東語には不自由しているから、字幕はあるにこしたことはないのだろう。
 90年代前半に住んでいた頃は、ほとんどの番組に字幕はなかった。ドラマなんか、1回の放送でまともに聞き取れるセリフは3つもあったかどうか、、、(かえってその頃のほうが必死に見ていたかも。今は字幕ばっかり読んでしまう^^;) 返還後の一番大きな変化は、やはりこの中文字幕だろう。広東語の番組にも、北京語の番組にも中文字幕がついている。広東語が母語の人は北京語を覚え、北京語が母語の人は広東語を覚えることを政府は期待してるんだと思う。(厳密には、広東語で発音している通りの表記はできないが、そこは目をつぶって^^;) 台湾では以前から原則として常に中文字幕が表示される。国民党政府になったとき、それ以前から住む人々は國語(標準中国語、つまり北京語)が話せなかったので、文字で理解してもらうためだ。台湾に住んでいたことがあるつれあいに言わせると、「言っていることをそのまま字で読んでいると、どんどん単語を覚える、聞き取れるようになってくる」とか。それはわかるような気がする。
 広東語の授業の時、先生が「時代劇は単語が難しいでしょ?」というのに対し、生徒の私たちが「単語は難しいけど、字幕と発音の一致度が高くて話は理解しやすい」と言ったら、先生は面食らっていた。時代劇の古めかしい表現はそのまま文字になるのに現代の日常会話ほど“翻訳”しなければならない表現が多く、慣れるまでちょっとかかるんである。北京語を学んだことがない人にはさらに馴染みにくいかも。慣れれば、格段に聞き取りやすくなるのは確かだけど。広東語で先に習った単語を拾いやすくなるが、未習の単語を字幕の意味から類推して拾うのはちょっと大変。
 日程の関係で3月・4月とも香港で勁歌金曲が見られなかった。残念~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変形性膝関節症(滑膜炎)

2006年05月02日 10時58分18秒 | Weblog
 香港を歩き回る間、なんだか右の膝が痛むな~と思っていたのだが、帰りの機内でかなり痛み始め、電車の乗り換えで階段を下りる時、痛くて右足に体重をかけられない。ちょっと腫れている。これはヤバい
 翌日、どこの医者に行こうかと考えた時、時々朝寝起きに手の指の関節が腫れていることがあり、それはリウマチの最初の症状だと聞いたことがあるのを思い出した。リウマチ関連で検索すると、わりと近くにリウマチ外来がある整形外科があったので行ってみると・・・。「完全予約制なので、ご予約いただかないと」あらら~。リウマチ外来にいたっては、「ご予約が取れるのは3年先」だという。首・腰関連が専門らしく、足が痛い人はあんまり関係なさそうだ。「普通、何科に行くもんでしょう?」と受付のお姉さんにきいてみたが、「医師ではないので、、、」と言われてしまった。そんなことは分かってるから、そこの医者に回されてくる、逆によそへ回っていく患者がどこから/どこへ来る/行くか、教えてくれれば十分なのに・・・。
 気を取り直して普通の整形外科に行ってみる。問診票に手の指のことも書いておいたら、一応リウマチも念頭に入れて診てくれた。「水たまってるね、抜いて水を見れば悪いものかどうかわかるから」ということで、水を抜かれた。「リウマチの濁った水じゃないから大丈夫、滑膜炎だね」とパンフレットを渡される。「変形性膝関節症のおはなし」というタイトルで、おじいちゃんやおばあちゃんが杖ついて歩いてるイラスト満載 膝の軟骨が磨り減り、膝を覆う滑膜が炎症を起こし、そこに水(関節液)がたまるらしい。炎症を抑える飲み薬と湿布をもらって帰ってきた。
 つれあいに報告すると、「原因って何?」「書いてあるのは、加齢、肥満、ケガなど」「ケガしてないなら、前の2つか」「
 翌日から温めたり電気を通したりするリハビリに通う。どのくらいかかるのかきいてみると、「3ヶ月くらい」と言われてしまった。血行をよくし、筋肉をつけて少しずつ直していくしかないようだ。あいや~
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鄭中基(ロナルド・チェン)「正宗K」(香港)

2006年05月01日 16時40分02秒 | CD紹介

 まだコンサートの余韻に浸っている私。あらためて鄭中基(ロナルド・チェン)という歌手を見直しつつ、この新曲+精選3枚組を聴いている。あえて時系列に曲を並べていない。にもかかわらず、「これはデビュー間もないころの曲」「これは例の事件前後の曲」「これは最近」とすぐわかってしまう^^; それは私が特別なファンだからではなくて、彼の歩みが曲調や歌い方に表れてるからだろう。
 香港在住の友人が「鄭中基の曲って、『無頼』以外はよく知らない」と言ってたが、無理ないと思う。私もコンサートの間「この曲って何だったっけ」と思いながら聴いていた。大ヒットが少ないので、曲と曲名が一致しない^^; けれどもCDで聴くと、佳作といえる曲がたくさんあることがわかる。
 Disc1とDisc2は広東語、Disc3は北京語曲を収録。1と2には去年の「Before After」から8曲も入れている。「無頼」以外にもいい曲が多くて、本人も気に入ってるんだろう。平井堅「瞳を閉じて」のカバーもその一つ。今や喜劇映画主演俳優でもあるので、映画の主題歌も多い。ビージーズ風の「Beautiful People」(「我要做Model」主題歌)なんかは笑えるが、ファルセットで歌いきってるのは偉い。香港のCMでよくある若手歌手数人共演の曲「火紅火熱」も、もしかして当時の彼女?の楊千[女華](ミリアム・ヨン)・何韻詩(デニス・ホー)・梁漢文(エドモンド・リョン)とカッコよく歌っている。自作曲も多いが、胡彦斌(アンソン・フー)、彭海桐(ウク・パン)、陶(デビッド・タオ)など意外な人の曲もある。LMFのDavyの曲は、だら~んとした感じが面白いラップ「基哥、基哥」。バンドサウンド系の曲は、ちょっと陳奕迅(イーソン・チャン)っぽいかも。
 Disc3の北京語曲は、正統派台湾バラードが多い。特にデビュー当時の曲は声が伸びやかで美しい。ちょっと張學友(ジャッキー・チョン)めざしてる?感じ。プロデューサーも歐丁玉だから、そういうつもりで育ててたのかもしれない。が、なまじ似ていたのでかえって飽きられたのでは・・・。意外というべきか納得というべきか、北京語アルバムは02年の新曲+精選「Encore」を最後に出ていない。
 コンサートレポに書いたように、頑張っても張學友になれないとわかったとき、自分のスタイルの模索が始まり、自分のスタイルが見つかったとき、代表曲と呼べる曲が生まれたのだろう。豊かな声にまかせてガンガン歌っていた時期、バンド系でわざとつぶして歌っていた時期を過ぎて、説得力のある静かな歌い方に落ち着いた。やや母音が狭いが、入声がクリアで、~nと~ng、長母音と短母音の区別がわかりやすい広東語の発音。北京語もネイティブでないのは明白だが、そのままピンインに起こせそうな安定した発音だ。
 歌詞を見ると、工夫は凝らしてあるがわかりやすい。設定やシチュエーションが不明ということはなく、ストーリーやシーンがちゃんと見える。歌詞の制作に本人がどの程度関与しているかわからないが、これも彼の音楽性の一部という気がする。
 私が彼を初めて見たのはNHKBS「アジアLive」で、「相思無用」を歌ってた。その後帰国したので、97年の広東語デビューの時はどの曲がどのくらい売れたのかよく知らなかったが、「搬屋」という曲が好きだった。調べてみたら、北京語2ndアルバム「別愛我」(96年)に北京語版「除非イ尓要我」と共に収録されていた。おそらく、一番最初に録音した広東語曲なんだろう。コンサートでこの曲を歌った時、一瞬目頭を押さえていた。
 ひとつの集大成となった3枚組だが、私としては譚永麟(アラン・タム)トリビュート「誰可改變」収録の「最愛的イ尓」を入れてほしかった。スイングジャズのアレンジで、すっごくいい感じに歌ってるのだ。・・・次回作はジャズ系なんか、やってみない?
正宗K @YesAsia.com

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする