誰のための何のための『ゆとり教育』だったのか?
大失敗という形で終わった『ゆとり教育』
知識偏重で教育し教育されてきた教職員が
教務にゆとりが持てないとの憤懣から
自分自身のためのゆとりだったのか?
それとも、
心身ともに健全な子供たちを育成したいと
心底思っての『ゆとり教育』だったのか?
今となっては
その真意が見えなくなってしまった
道徳教育に相通じる修身教育を日本の悪徳教育と教える人々が
『ゆとり教育』を提唱したところから矛盾が起こったような気がする
精神鍛錬をよしとしない教育
歴史に学ばない教育
自然に学ばない教育
平等と個性が共生を破壊する教育
『ゆとり』を壊してしまうための『ゆとり教育』
ゆとりを教えられない人々がゆとりを教えようとしたことに
大きな失敗の要因があったように思えてならない
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