仕事とは一体全体何だろう。仕事の悩みで、たくさんの若者が相談に来る。
お父さん、お母さん、おじさん、おばさん、そして大方の先生方の教えによると、生きていくためには、嫌な仕事でも我慢して頑張らなければいけないのだそうだ。就職したら、職種をコロコロ変えてはいけない、安定した仕事に就くのが一番幸せだとも言う。いい仕事を手にするためには、とにかく大学は卒業した方が良いと激励する。こんな教えは、本当に正しいのだろうか?
まだ日本が貧しくて、生きる道を自由に選択できず、男女も平等でなかった頃ならよくわかる。僕は思う。誰のための就職か?本当に生きがいを見出すまでは、天職に巡り合うまでは、職種はコロコロ変えるべきだし、次のステップへの資金作りのためならまだしも、嫌な仕事を我慢して続けてやることほど愚かなことはない。様々な職種を体験しながら本命の職を見出したらいい。たまたま自分好みの素晴らしい職場に、一発で巡り合った幸せ者なら別の話だが、苦しくても、辛くても、同じ職場で一生を過ごしなさいなんて、「井の中の蛙」になることを奨励することはあってはならない。恐ろしいほどのスピードの時代だ。今日の真実は、明日の嘘になる時代だ。生きるということは、様々な体験を積むことにある。間違った安定には、価値ある人生は存在しない。大卒という肩書きだが、大学は教養を学び、学問を愛し、専門を磨き、哲学を確立する場所であり、就職のための道具ではない。肩書きだけが目的なら、大学で4年も掛けて馬鹿になる訓練をする必要はない。
クラーク博士のあの言葉を思い出して欲しい、「青年よ!大志を抱け!」。新渡戸稲造先生など数多くの偉人を輩出した札幌農学校での就学期間は、ほぼ一年であった。一年ぐらい、どっぷりと、生きるための教養を学んで、後は、やりたい仕事を思いっきり起業するぐらいの精神を持って自らの人生に望んで欲しい。