KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

間違った選択

2007-05-02 17:22:56 | インポート

Dsc02548 仕事とは一体全体何だろう。仕事の悩みで、たくさんの若者が相談に来る。


 お父さん、お母さん、おじさん、おばさん、そして大方の先生方の教えによると、生きていくためには、嫌な仕事でも我慢して頑張らなければいけないのだそうだ。就職したら、職種をコロコロ変えてはいけない、安定した仕事に就くのが一番幸せだとも言う。いい仕事を手にするためには、とにかく大学は卒業した方が良いと激励する。こんな教えは、本当に正しいのだろうか?


 まだ日本が貧しくて、生きる道を自由に選択できず、男女も平等でなかった頃ならよくわかる。僕は思う。誰のための就職か?本当に生きがいを見出すまでは、天職に巡り合うまでは、職種はコロコロ変えるべきだし、次のステップへの資金作りのためならまだしも、嫌な仕事を我慢して続けてやることほど愚かなことはない。様々な職種を体験しながら本命の職を見出したらいい。たまたま自分好みの素晴らしい職場に、一発で巡り合った幸せ者なら別の話だが、苦しくても、辛くても、同じ職場で一生を過ごしなさいなんて、「井の中の蛙」になることを奨励することはあってはならない。恐ろしいほどのスピードの時代だ。今日の真実は、明日の嘘になる時代だ。生きるということは、様々な体験を積むことにある。間違った安定には、価値ある人生は存在しない。大卒という肩書きだが、大学は教養を学び、学問を愛し、専門を磨き、哲学を確立する場所であり、就職のための道具ではない。肩書きだけが目的なら、大学で4年も掛けて馬鹿になる訓練をする必要はない。


 クラーク博士のあの言葉を思い出して欲しい、「青年よ!大志を抱け!」。新渡戸稲造先生など数多くの偉人を輩出した札幌農学校での就学期間は、ほぼ一年であった。一年ぐらい、どっぷりと、生きるための教養を学んで、後は、やりたい仕事を思いっきり起業するぐらいの精神を持って自らの人生に望んで欲しい。



昭和の祭日を考えて

2007-05-01 00:15:44 | インポート

Dsc02503  日本の礼儀作法を「教養」という言葉に置き換えて、日本の歴史を簡単に振り返ってみましょう。


 礼節は教養を育み、愛する人を思いやる心に通じると思います。日本の憲法は、西暦603年の冠位十二階に始まります。憲法と言うよりは、礼儀作法と言った方が良いかもしれません。


 翌年604年の十七条の憲法に続き、794年の第50代桓武天皇による平安遷都以降、400年間続いた貴族社会の教養である「公家有職(こうけゆうそく)」が、室町時代、第三代将軍足利義満の頃、小笠原流礼法(日本の礼法の基礎にある礼法)を主流として、茶の湯、歌舞伎、生け花、日本建築(書院造り)など、日本伝統文化の大半が形を整えました。更に、貴族の「公家有職(こうけゆうそく)」と武士社会の「武家故実」が足されたような形の「有職故実(ゆうそくこじつ)」の教養学が体系付けられました。


 江戸時代になり、孔子の『論語』など、儒教の思想を取り入れた「寺子屋」
を通して、一般庶民の教養教育が勧められました。禅寺の教養を基礎として、農作業、掃除など労働一般の重要性を説いた「作務」という考え方も一般化しました。鹿児島の「郷中教育」もこんな中から生まれました。


 時は流れ、明治維新により、貴賎尊卑の差別なく、士農工商の身分が四民平等となりました。明治政府は富国強兵の思想を掲げ、同時に、和洋折衷の中で、日本文化を基盤とし、国際的に通用する教養を模索し始めました。明治5年に学校制度ができあがると、「修身」という科目を設け、その冒頭に教育勅語を載せました。


 昭和13年、文部省が「作法教授要綱調査委員会」をつくり、宮内省、文部省、外務省、陸軍省、海軍省から30名の委員を選任し、昭和16年4月、新しい教養体系「作法要綱」を作りました。これを、文部大臣が地方長官に通達し、違反したものには罰則を設けるという厳しいものとし、「国民礼法」と名づけました。ところが、終戦後、国民礼法は幻の礼法となりました。


 わが国の歴史において、国が形を整える頃から、常に教養(礼儀作法)というものは、国を治めるために欠かすことのできない教えでありました。教養教育が消えてしまった結果、日本はどんな時代になってしまったかは、周知の通りです。

 人は自分のために生きるのではなく、愛する人のために生きるものだと思います。礼儀作法とは、愛する人を思いやる心だと思うのです。日本の文化の根本は、愛する人を思いやる所に全てが始まっているような気がします。そんな思いやりを取り戻した時、本来の美しい日本がよみがえるような気がします。昭和の祭日に徒然考えたことを書いて見ました。