梅雨空を眺めながら考えた。
いつの時代もそうだが、世が乱れると、
あの手この手の思想家や預言者、
そして怪しい宗教家が出没する。
溺れるものは藁をも掴む心境かもしれない。
出家しないで、
俗人のままでいることを在家の人と言う。
詩人・相田みつお氏も、
在家の人を代表する人物だ。
僕の初代相談役、伊藤龍吟先生のことをふと思い出した。
伊藤先生は、東京大学でインド哲学を研究され、
鹿児島県内のたくさんの高校で教鞭をとられ、
教育センター所長などを歴任された先生だが、
僕が鹿児島県立甲南高校に在学中の
三年の時のクラス担任である。
古典を専門に教えられていた。
先生は、
あの関ヶ原の戦いで、家康陣地のど真ん中を突き抜けていった
島津義弘公の菩提寺、妙円寺(徳重神社)の
御住職になられる身分を捨て、
在家の人であることを望まれた人だ。
煩悩を絶ち、俗世間を捨て、
仏門に入ることを出家という。
伊藤先生は、そんな出家の道を選ばずに、
俗人であること、在家の道を選ばれた。
古の名のある人々は、
ほとんどの場合が、
晩年は、出家をすることで余生を生きている。
真理の探究には、
どちらの道を選ぶ方が良いのかわからないが、
僕は、伊藤先生のように、
果てしなく俗人でありたいと思う。
俗人であれば、
神を崇敬はしても、神頼みはできない。
天は自らを助くる者を助く!であるから、
悩みも自分で解決しなければいけない。
頼れるものは、神ではなく、自分である。
そして、自分を愛してくれる人々だ。
苦しく、辛い。悩み満載だ。
あらゆる分野の学問を究めなければならない。
しかし、俗人であることの方が、
自分に正直に生きていけそうだ。
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