「頼まれごとは試されごと」
最近の学院内の流行り言葉である
ある人物の講演会でしきりに紹介された行(くだり)だが
まさに言い得て妙である
先日の学院生のスピーチの発表会で
コメンテーターとしての役割を
英語講師のアンドリュー・ゴンザレス氏にお願いした
引き受けても
期待を裏切る人もいれば
頼まれたことだけを普通にやる人もいる
如何にコメントを述べればいいか
頼まれたこと以上に
一生懸命に準備する人もいる
ゴンザレス講師は
日本文化のスピーチのコメンテーターだからと
早朝から羽織袴の装いで
万全の準備をして
学院生の一人ひとりの発表に
素晴らしいコメントをしてくれた
1つの頼み事に
100の思いで答えてくれた
試したわけではないが
お願いした僕にとっては
ゴンザレス氏の素晴らしい評価となった
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(私の場合は、単に自分に自信がないことの裏返しだったように思います。)
本音と建前を使い分ける日本人だからこそ、依頼を引き受けるにしても、謙遜の意味を込めて、一度お断りをいれるのかもしれません。
しかし、ちょっと違った視点から物事を見てみると、何かを依頼されたときに、即答で「私でよろしければ喜んで!」と答えることができれば、他の人よりも確実に早くチャンスをつかむことができるわけです。
もちろん、何かを引き受けるということは、責任を伴うし、自分の力が試されるわけでもあるので、とても怖く不安な気持ちになります。
あの講演会の中で、「日本人に足りないものは何ですか?」と外国人の方に尋ねたら、「勇気がない」という答えが返ってきたとありました。
できない理由を考えるために使っていた時間や労力を、自分の不安な気持ちを、しっかり受け止め、自分を高めていけるように「勇気」を振り絞る時間と労力に変えて、これからは与えられた試練にどんどん挑んでいきたいなと考えています。
神様はその人が乗り越えられない試練はお与えにならないのだ!と信じて(^_^;)
そのおかげでチャンスはものに出来てるようです。成長することが目的だとするならば、場を踏めば踏むほどその目的は果たせます。 今年で11年目をかければ迎えますが、日本で社会福祉を学ぶ生徒さん達の為のセミナーのメンターと、講師を任されています。教えることの難しさを経験、その役割は重要だと思いますので、それを果たせるようにチャンスがあたえらていますね。