人が美しく見える時 2008-01-10 01:46:10 | インポート 自己中だとか、我がままだとか、空気が読めないとか、情けない自分を注意されることがよくある。 人間は欲の塊だ。 自分をさておいて、他人のためにという行動を取るのは非常に難しい。 自分のことばかりを考えるから、悩みが増幅する。 人に嫌われたくない、人に好かれたい、よく思われたいと意識し過ぎるから、ウツにもなるし、自暴自棄にもなる。 自分が醜く見える。 でも、人間がとても美しく見える瞬間がある。 自分という存在が全くない時だ。 何の駆け引きもなく、苦しんでいる他人のために、自分を犠牲にしている時だ。 いや、犠牲と言う言葉すらないぐらいに、無意識に誰かのために動いている姿を発見した時だ。 その人の周りに美しいオーラが輝いている。 人間がとても美しく見える瞬間だ。 最近、そんな美しい人間像を見ることが少なくなった。 そんな人間像を見たければ、自分がそうすればいいじゃないか?という声が聞こえるが、わかってはいても簡単にできるものではない。 母親が子供を守るときの姿、恋人が愛する人を守るときの姿、友の愛、素晴らしいリーダーが命を懸けて民を守る姿などなど、人間が無我夢中、無心で動く瞬間だ。 つい最近まで日本の至る所に存在していた美しいドラマの舞台であったはずだが、韓国ドラマにすっかりお株を取られてしまった。 今、日本に必要なのは、人が美しく見える社会の創造かもしれない。 « ワーキングプアー | トップ | 当たり前を学問する »
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