KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

郷中教育が育んだ奇跡

2017-05-20 00:00:00 | 日記
郷中とは地区を「方限(ほうぎり)」と呼んで区割りした自治組織のことである
「人は城、人は石垣、人は壕」と薩摩武士の教育は
徹底した人間教育にあった
特定の先生がいるわけではなく
年長者が年少者を教育したのが郷中教育である
「弱いものをいじめるな」「嘘をつくな」「負けるな」と
厳しく互いに心を磨き合った
現在のイジメに見られるような
心のねじ曲がった子どもたちが生まれなかったのは
郷中教育があったからかもしれない
稚児や二才(にせ)でどうしても解決できない時には
長老(おせ)に相談した
14歳までの幼い子供達は稚児
15歳から25歳までの青年を二才(にせ)25才以上の大人を長老(おせ)と呼んだ
読書(四書五経)、詮議(対話)、山坂達者(武士としての肉体の鍛錬)の繰り返しが日課であった
郷中教育の原点は島津氏中興の祖
島津忠良、俗名日新公(じっしんこう)のいろは歌が起源だ
いろはのいが「古(いにしえ)の道を聞きても唱えても我が行いにせずば甲斐なし」に始まる、あの教えである
神仏儒のエッセンスをまとめ「薩摩学」に仕上げた偉人である
そして後に新納忠元が「にせばなし格式定目」とまとめ上げ
実践させた
郷中教育としてはっきりと形になったのは
島津25代当主(8代藩主)島津重豪公の安永年間である
下加冶屋町はそんな郷中教育に特に恵まれた村であった
明治維新の中核となった偉人達がこの小さな村から
信じられないくらいに多数生まれた
70戸そこそこの村からである
西郷隆盛、東郷平八郎、山元権兵衛、大山巌・・・
その奇跡の場所
鹿児島のパワースポットを学院生に学び感じてもらった
戦後70年
日本が忘れてきた教育の原点がここにある