語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】20世紀はドイツの時代、フランスにないもの ~役立つ教養②~

2018年05月18日 | ●佐藤優
 (1)今、日本では大学教育改革が話題になっている。文部科学省は、「人文系を軽視しているわけではない」と言いながら、ごく一部の超エリート校だけを文理両方を教える総合大学とし、あとは大学の名前は残すが、事実上の専門学校として再編しようとしている。
 しかし、本当に人文系の知識は役に立たず、経済学や工学などの「実学」だけが重要なのか。
 ここでは、国際社会の中で教養が果たす役割について考えてみよう。

 (2)近現代史の第一人者、エリック・ボブズボーム(英国の歴史家)は、「20世紀はドイツの時代だ」と述べている。
 ドイツは、19世紀末から後発の工業国として急速に国力を増してきた。20世紀に入り、この新興国をどうやって取り込むかという問題に直面した世界は、二度の世界大戦を経て、どうにか軟着陸するに至った。これが20世紀最大の事件であり、歴史の主役はドイツだった、ということだ。
 いまミュンヘンのレストランでビールとシュニッツェル(カツレツ)を注文するとする。おそらく、店の経営者はドイツ人で、清掃係はかなりの確率でチェコ人かハンガリー人だ。カツに使われている豚肉はハンガリーから輸入されていて、ハンガリーのその養豚場で働いているのはウクライナ人が中心だ。豚の餌もウクライナから来ているはずだ。
 つまり、ドイツは二度の世界大戦に敗れたにもかかわらず、ヨーロッパの中でドイツ人を頂点とするシステムを作りあげた。EUの統合通貨ユーロも、ドイツの通貨マルクを拡大させたものと見ることができる。

 (3)では、ドイツはなぜ勝者になれたのか。見過ごせないのが、大学教育だ。ドイツの大学教育は、欧州におけるライバル、フランスの教育とは対照的だった。
 フランスでは、19世紀初頭、ナポレオンによって学校改革が行われ、大学は徹底した実学重視になった。神学や文学なんて教えるのはやめて、工学・経済学・軍事学などの実学にせよ、と。今も、フランスの国立大学のほとんどには神学部がない。
 一方、ドイツでは今でも、神学部がないと大学を名乗れない。ドイツがなぜ神学を重視するかというと、「目に見える世界だけでなく、目に見えない世界を学んでこそ、知はバランスを保てる」という考えがあるからだ。

 (4)(3)のような考え方をドイツに定着させたのが、神学者フリードリヒ・シュライエルマッハー(1768年11月21日~1834年2月12日)だ。
 彼の考え方は、「知は体系知でなければ意味がない」というものだ。断片的知識を山ほど持っていても意味はない。それらの知識がどう関係しているのか。そうした「体系知」を体得しないと、知は完成しない、という考え方だ。
 ベルリン大学神学部長だったシュライエルマッハーは、専門科目を教える教授にも教養科目を受け持たせた。そうやってさまざまな学問の交流をはかり、生きた「体系知」を生み出してこそ、初めて大学の存在意義があると彼は考えたのだ。

 (5)これが19世紀ドイツの大学教育を貫く方針になったのだが、21世紀の今も、これと同じような考え方にもとづいて教育を実践する国がある。米国だ。
 <例>ハーバード大学の学部では、教養重視の授業が行われていて、専門的なことは基本的に大学院で学ぶ。昔のドイツの大学と同じようなシステムだ。ちなみに、ハーバード大学の授業料は年間7万ドル。邦貨にしておよそ800万円。当然、ここで学べるのは富裕層の子どもたちだけだ。

 (6)フランスのような実学志向ではなく、教養を中心とした「体系知」を重んじたドイツは、20世紀の主役となった。21世紀の今も、欧州では「ドイツの世紀」が続いている。
 この実例から分かることは、すぐ役に立つ「実学」は、短期的に、あるいは狭い範囲でしか役に立たず、一見すると役に立たなそうに見せる「教養」こそ、案外役に立つことがある、ということだ。
 私たちは、普段、無意識のうちに合理主義や近代的なものの見方にもとづいて行動している。国と国の関係においても、国際法や国家の主権があることが自明の前提になっている。
 しかし、世界にはこの前提が通用しない地域も珍しくない。<例>中東で起きているイスラム教シーア派とスンニ派の紛争の背景には、近代以前の世界観が横たわっている。

 (7)2016年1月、サウジアラビアとイランが国交を断絶した。きっかけとなったのは、2015年、メッカ(サウジアラビア)近郊で起きた巡礼者の将棋倒し事故だ。日本ではあまり報じられていないが、この事故で2,000人以上が亡くなり、うち400人以上がイラン人だった。激怒したハメネイ・イラン最高指導者は、「サウジに責任をとらせる」と言っている。
 ところが、イランとサウジが国同士のレベルで国交断絶しても、サウジはイランからの巡礼者を受け入れ続けている。ということは、今後、メッカでイランとサウジの巡礼者がいつ大規模な衝突を起こしてもおかしくはない、ということだ。
 しかし、「聖地巡礼」となると、その瞬間に、イスラム教徒の中では近代(国家という枠組み)とは全く異なるスイッチが入ってしまうのだ。

 (8)近代合理主義だけでは捉えきれない、この世界の成り立ちと、どう向き合っていけばよいか。
 少なくとも、安倍晋三・首相がちやほやする「実学」だけでは、とうてい太刀打ちできない。「実学」には限界があるのだ。

□佐藤優「ドイツにあってフランスにないもの 20世紀はドイツの時代 ~社会人のための「役立つ教養講座」 第2回~」(「週刊現代」2016年3月19日号)
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 【参考】
【佐藤優】金正恩の思考回路、なぜ水爆か ~役立つ教養①~

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