語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】フランソワ・ヴィヨン

2010年05月18日 | 詩歌
   語れ いま何処(いづこ) いかなる国に在りや、
   羅馬の遊女 美しきフロラ、
   アルキピアダ、また タイス、
   同じ血の通ひたるその従姉妹(うから)、
   河の面(おも) 池の返(ほとり)に
   呼ばへば応ふる 木魂エコオ、
   その美(は)しさ 人の世の常にはあらず。
   さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いま何処。

 フランスの詩歌の中でもっとも美しい一編、と訳者が注する「バラッド」の、最初の一節である。
 フランソワ・ヴィヨンは、1431年、パリまたはその近郊に生まれた。
 パリ大学で文学修士号を得たが、学生時代から放埒のかぎりをつくし、殺人、窃盗を犯してパリを逃げ出してフランス中を放浪した。1461年、投獄されたが、恩赦により出獄。翌年、パリに舞い戻ったが、たちまち傷害事件に巻き込まれて逮捕された。前科を加重されて死刑を宣告された。控訴して死をまぬがれたものの、パリを追放された。
 1463年1月以降の足取りは杳として知れない。追放後、さほど間をおかずに死去したものと推定されている。

 ヴィヨンはじつに率直だ。自分に対しても、他人に対しても。
 この率直さは、死刑を宣告されて後に歌った「四行詩」に端的にうかがうことができる。「われはフランソワ、残念也、無念也、/ポントワーズの返(ほとり)なる 巴里の生れ/六尺五寸の荒縄に 吊りさげられて/わが頸(くび)は 臀(いさらい)の 重みを 知らむ」
 アウトローらしく、肝がすわっていたのである。

【参考】フランソワ・ヴィヨン(鈴木信太郎訳)『ヴィヨン詩集』(岩波文庫、1965)
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