おれの首が斬られて祭壇に捧げられるときおれの愛したカヌーや槍や盾やタパや鯨の骨のとびきり切れるナイフやそれからもちろん女たちの首飾りや揺すれる腰やたくさんの子供たちもおれを救いにくることはできない。おれはずっとむかしから精霊とだけ話が合った。あいつはタマヌの木のほらあなにしゃがんでちいさな透きとおる壜をかかえていつでもおれを見つめている。あいつの胸から下はとても貧弱でしゃがんでいるのが精いっぱいなのに頭部の大きさはおどろくばかりだ。一世紀にいちどしかまばたきしないあいつの眼からはシダが密生しあいつの分厚い唇の奧には暗い礁湖がぴたぴた波うっているのがきこえる。あいつが口をきかないのにおれと話が合うというのはおれがあいつの悲しみを知っているからだ。あいつは人間の記憶が生んだ怪物。人間の怖れや死臭や血の記憶や追放の嘆きや溺死人のつかむ青空の切れっぱしでいっぱいなのであいつは透きとおる壜にたたえた悲しみの油でそれらを溶かし子守唄で眠らせつづけているのだ。おれはあいつの醜怪な顔の奧に海神モアナの激情よりも深い思想、死をもやわらげる思想を感じる。おれが首を斬られて死んでもあいつはタマヌの木のほらあなでまばたきもせず小さなあいつの壜にまたひとり新しい死者を加えるだけだ。おれはあいつに抱かれてこれからの何万年なにを考えるだろう。礁湖のカモメが大洋の鮫を軽蔑するのは弱者のささやかな慰めにすぎぬ。今日は夕陽がほんとに美しい。
□大岡信「礁湖にて --戦士のうたえる--」(『わが詩と真実』(思潮社、1962)所収)
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