語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【詩歌】E・ケストナー「顔を交換する夢」 ~人生処方詩集~

2015年10月31日 | 詩歌
 いま話そうとする夢を ぼくが見ていると
 何千という人間が その家へおしかけた
 そして まるで だれかに命じられたいるように
 そして だれもが 自分の顔にうんざりしたように
 みんなが顔をぬいだ

 引っ越しのとき壁の画(え)をはずすように
 ぼくたちは ぼくたちの顔をはずした
 それから それを 両手に持った
 舞踏会のあとで仮面を持つみたいに
 しかし はなやかではなかった その場所は

 目もない 口もない 影法師のようにずんべらぼうなのが
 みんな となりへ手をのばした
 もういちど顔ができるまで
 手ばやく 音もなく とりかえっこがおこなわれた
 見つかりしだい ひとのやつをとった

 急におとなが子供の顔になった
 女の顔にひげが生えはじめた
 老婆がめかけのようににっこりした
 それからみんな駆けだした ぼくもいっしょに鏡の前へ
 しかし ぼくにはぼくが見えなかった

 ますます奪い合いがひどくなった
 ひとりが自分の顔を見つけた
 大声をあげて 彼は人ごみを押しわけた
 そして さんざん 自分の顔を追いかけた
 それでも やっぱり見つからなかった 顔はかくれたままだった

 ぼくはあの長いお下げの子供だったのか
 ぼくはあそこににいる赤毛の女だったのか
 ぼくはあの禿げ頭のどれかだったのか
 ごちゃまぜになった人間の中には
 ぼく自身だった人間は全然見えなかった

 そのとき ぞっとして ぼくは目をさました 寒かった
 だれかがぼくの髪をむしっていた
 指がぼくの口と耳をもみくしゃにした
 怖ろしさがうすらぐと ぼくはわかった
 それは ぼく自身の手だった

 完全に安心したわけでは むろん ない
 ぼくは ぼくとかかわりのない顔をしていないか
 急に跳ね起き あかりをともし
 鏡に駆けより 顔をながめ
 あかりを消し ほっとしてベッドにはいった

□エーリヒ・ケストナー(小松太郎・訳)「顔を交換する夢」(『人生処方詩集』、岩波文庫、2014)
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 【参考】
【詩歌】戦争を礼賛する牧師 ~E・ケストナーによる諷刺~



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