語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【中野好夫】人びとの気持ちを変えるテクニック ~シェークスピア~

2016年03月21日 | ●中野好夫
 (1)『ジュリアス・シーザー』第3幕第2場、シーザー暗殺の後、まず暗殺主謀者の一人ブルータスが登場する。暗殺のやむをえなかった理由を説明し、市民は歓呼して、これを納得する。続いて、故人シーザーの友人にして同志のアントニーが登場する。その雄弁をもって、市民をして逆にシーザー万歳、暗殺者たちの邸を焼き討ちしろ、と叫ばせる。市民は暴動化する。
 舞台でみれば僅々20分間余。アントニーの演説は12~3分間程度。アントニーは舌先三寸で、この12~3分間のうちに、民衆の意志と行動を180度回転させるのだ。
 ここで注意したいのは、中野は当初「市民」と呼んでいるのだが、アントニーが「いわば真西を向いていたものを真東に向け変え」るあたりに筆が及ぶと、「民衆」と呼び換えている。以後「市民」は消えて、「群衆」または「大衆」となる。激越な評語を伴って。このあたりに中野の複雑な心情を忖度できる。
 以下、市民/民衆/群衆/大衆の用語は、中野の原文に合わせている。

 (2)まず、ブルータスの演説がある。
 シーザー暗殺の大義を説く。シーザーを愛する以上に、ローマを愛する心が篤かったからだ。
 彼の野心を知ったがゆえに、刺した。彼の友情に対しては涙、幸運に対しては祝福、勇気に対しては尊敬、しかし野心に対し得は死をもって酬いたのだ。この運命は、もし自分にもまた野心家という疑いがあれば、いつでも喜んで甘受する、云々。

 (3)(2)は、まことに堂々たる正論である。論理的にも首尾一貫している。それを見事な三段論法で畳みこんでいく。
 しかし、ブルータスは高邁な政治哲学者だったかもしれないが、実際政治家ではなかった。書斎人政治家であって、生きた実際の大衆の心の動きに完全に無知であった。大衆は、究極において理性や論理によって動くものではない。
 自分の論理的説得を過信したあまりか、迂闊にも演壇をアントニーに明け渡して引き上げてしまう。

 (4)アントニーが演説を始めるときは、四面楚歌、万民が反シーザー=反アントニーである。
 演説は、徹底的な低姿勢をもってはじまり、市民たちをまず安心させる。
 「私はシーザーを葬るために来たのであり、彼を賞賛するために来たのではない」
 ほとんど大詰めにくるまで、一言としてブルータス一味を誹謗するような言葉を口にしない。
 それどころか、敵への賞賛をじつに十度近くくりかえしている。
 「ブルータス君は人格高潔の士であります」
 アントニーは、決して群衆の理性などに訴えない。三段論法など、持ちださない。
 まず、きわめて卑近な事実を具体的に述べる。シーザーが貧しい市民たちとともに泣き、また戦争捕虜の身代金を国庫に納めてローマの富をふやした、というような。
 次に、いわくありげた遺言状のことを持ちだす。
 これらの事実で多少市民たちの心が動いたとみると、こんどは血に染んだシーザーの外套をかざす。
 最後に、まだ血の渇かぬ傷ましい死骸の傷口まで示して見せる。
 すべてがじつに具体的な事実、それも、もっとも女子どもの情に訴えやすい感傷的な事実ばかりなのだ。
 最後になって、民衆の心の変化を十分に見きわめた上で、はじめて、ブルータス一味に対して「反逆者」という烙印をあたえる。
 「このシーザーの傷口一つ一つに、心なき石をさえ暴動に決起させる力があるはずだ」
 かくて、10分ほど前にまではブルータス万歳を絶叫していた民衆は、たちまち掌を返すように反逆者打倒を叫び、暴動化していく。 
 アントニー、快心の悪魔的笑い。
 「あとは勢い。復讐の鬼め、動きだしたな。どっちへ行こうと、あとは貴様の気任せだ」

(4)アントニーは、大衆というものの心の秘密だけは知っている現実政治家であった。
 夫が急死したあと細君の身代わり候補は、必ず最高点で当選するに決まっている、というあのいわゆる不文律の秘密を、彼は見事に知っていた。
 「が、それでももちろん感傷的な民衆は、次次と明らかにされる具体的な事実の前に、じりじりと無意識に動いていく」
 「アントニーの語る感傷的な訴えは刻々民衆の心を移していく。そして、気がついたときには、われにもなく、変節を変節とは意識せず、いつのまにか暴動一歩手前のシーザー賛美者に変わっているのである」 
 暴動化した民衆は、「勝手に踊っている民衆である」。
 「ブルータス君は人格高潔の士」という殺し文句の巧妙きわまる反復を見のがしてはならない。真西を向いた大衆の心が、じりじりと微妙な動きでまわりだす。と、アントニーはそれを抑えるかのように、この殺し文句をタイミングよくくりかえす。四面敵の中で反対派の扇動家と怪しまれたら、危険が身辺に迫るのだ。激しく動きそうな民衆の兆候をみると、前述の殺し文句をはなつ。これなら敵も安心するのだ。
 それだけではない。この殺し文句、天の邪鬼という人間通有の弱点を刺激しているのだ。人心操縦の秘密である。なに、アントニーはあんなことを言っているが、事実はどうだか・・・・。
 シェークスピアは、いつ、どこにでもいる二つの政治家の型を見事に描き出しているように思える。
 ブルータス・・・・高潔、理想家、頭もよく、政治哲学もちゃんと持っている。が、民衆から遊離し、かんじんの民衆の心だけは知らない。
 アントニー・・・・他の政治的能力はともかくとして、民衆の卑近な要求、その心の秘密だけは薄気味悪いほと知り抜いている実際政治家。
 「せめてこの場面など、もし日本の政治家たちが若いときから味読していたら、国民指導の上などで、もっと巧く、もっと円滑に行ったろうに」
 中野のこの指摘、もちろん、反語というものだ。シェークスピアは大衆操作を語ったが、大衆の側からすれば、操作に対する防御法をここで学ぶことができる。

□中野好夫『シェークスピアの面白さ』(新潮選書、1967)
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