語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【丸谷才一】小林秀雄の論旨あいまい

2016年02月12日 | ●丸谷才一
 (1)小林秀雄は、折口信夫を訪ねて本居宣長について質問したことがあった。長時間語りあったあげく、折口は小林を大森の駅まで送った。
 「小林さん、本居さんは『源氏』ですよ」
と念をおした。だが、小林は何を言われたのか、わかっていない様子だった。
 『折口信夫全集』第16巻にいわく、
 <本居宣長先生は、古事記の為に、一生の中の、最も油ののつた時代を過ごされた。だが、どうも私共の見た所では、宣長先生の理会は、平安朝のものに対しての方が、ずつと深かった様に思われる。あれだけ古事記が訣っていながら、源氏物語の理会の方が、もつと深かった気がする。
 先生の知識も、語感も、組織も、皆源氏的であると言ひたい位だ。その古事記に対する理会の深さも、源氏の理会から来てゐるものが多いのではないかと言ふ気がする位だ。これ程の源氏の理会者は、今後もそれ程は出ないと思ふ>

 (2)日本文学大賞の選考委員会で、丹羽文雄が山本健吉『詩の自覚の歴史』を評して、こういうものは批評じゃない、学問だ、批評は小林の書くようなものだ、と言ったのに対し、司馬遼太郎が弁護し、これを受けて丸谷才一が続けた。
 小林秀雄の文章は威勢がよくて歯切れがよくて、気持ちがいいけれど、しかし何をいっているのかがはっきりしない。中村光夫や山本健吉の文章は歯切れのよさという点では小林秀雄に劣るかもしれないが、少なくとも何をいっているのかはよくわかる。そういう意味で、小林秀雄の批評は明治憲法の文体ににている。気持ちのいい文体という人もいるが、私には何のことをいっているのかよくわからない。そこへゆくと中村光夫や山本健吉の文書はそういう爽快さはないけれど、内容を伝達する能力は高い。その意味でこれは現行憲法みたいなものである・・・・。
 翌年、丸谷がパーティで会った司馬いわく、
 例の小林秀雄は明治憲法うんぬんを講演のときに使うと非常に受ける、どうもありがとう。

□丸谷才一『文学のレッスン』(大進堂、2010)
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