語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【政治】「道徳教科書化」を笑う ~安倍政権の自業自得~

2014年11月11日 | 社会
 「道徳」が特別の教科になるという。
 笑いを噛み殺さざるを得ない。
 単にばかばかしいだけではない。安倍晋三・首相を始めとする国家社会主義的な国会議員が、自らの首を絞める愚策に気付かない愚かさを笑うのだ。

 安倍らの考えているのは「修身復活」なのだろう。
 自己よりも国家を優先する思想に染め上げれば、
  戦争をしようが、
  労働力を搾取しようが、
  言論の自由を奪おうが、
国民は国家に楯突かなくなる。「非国民」は獄につないでしまえばいい・・・・。
 時代錯誤も、ここまでくると喜劇でしかない。

 そもそも教科書には何を載せるのか。
  「愛国心」
  「日の丸・君が代の尊重」
・・・・ここまでは想像がつくが、結局
  「環境を守ろう」
  「人権を尊重しよう」
とかに触れなければ、ネタ切れになってしまう。
 その際、原発やヘイト・スピーチについてはどうやってテーマから外すのか。

 そして、安倍首相お得意の「積極的平和主義」だ。
 内実は自衛隊の米国傭兵化だが、建て前としては「国際平和に積極的に貢献する」となる。
 当然、「愛国主義」との整合性をどう図るのか、という難問が生じる。
 解決は、簡単ではない。
 安倍首相に妙案があるとは思えない。

 とはいえ、日本の官僚は小狡さという点において、国際的にトップ・レベルにある。たぶん、あれこれと悪知恵を使って、「道徳」の教科書を仕立てあげるはずだ。
 しかし、経済的にも文化的にもグローバル化した時代、ましてインターネット社会の時代に、「修身」を持ち込むのは、鮨をソースで食べろと強制するようなものだ。
 教育現場の現状をみると、当面は学校も文科省の指示に従うだろうが、いずれ破綻するのは目に見えている。

 さらに「修身」が成立した背景にあったのは、申すまでもなく、「天皇=神」の構図だ。
 天皇制の是非はいったん棚の上に置くとしても、現状では多くの国民がそれを受け入れている。もはや「神」ではないのだ。この点からも、安倍的「道徳」は迷走するしかない。

 国家社会主義的色彩に染めれば染めるほど、「道徳」は時代からかけ離れる。
 それが結局は、安倍首相を中心とする「日本会議」所属議員のアナログぶり、喜劇性を浮き彫りにする。
 「期待」を持って見守りたい。 

□北村肇「「道徳」教科書化を笑う ~風速計~」(「週刊金曜日」2014年11月7日号)
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 【参考】
【教育】考え方や行動まで評価対象に ~「道徳の教科書化」2018年度実施~