語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『妖怪と歩く -ドキュメント・水木しげる-』

2013年10月15日 | ノンフィクション
 水木しげること武良茂は、大正11年生まれ。21歳の時、応召してラバウルに送られ、戦傷により隻腕となった。復員後、紙芝居画家を経て貸本漫画家となる。
 昭和40年に雑誌に発表した「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞。赤貧に終止符をうった。

 本書は、著者が水木に平成4年10月から約3年間、密着取材したルポタージュである。
 人間と妖怪が同じ生存権をもって共存している水木漫画の特徴は、手塚治虫のそれと対比する時に際だつ。
 「手塚の薄幸な自己犠牲死に対して、水木の安逸で快感原則に満ちた不死」(四方田犬彦)。「生きている人間の側からしか世界が見えていなかった手塚に対し、『あの世的』な水木」(夏目房之介)。「時間の芸術である映画の手法を意識的に取り入れた手塚に対し、時間の流れとは無関係な一幅の絵画を原点にすえる水木」(荒俣宏)。

 かかる作品をものする漫画家はさぞかし浮き世離れした変わり者だろう、とひとは思うに違いない。
 ところが、じつは意外と世間智にみちた常識人、したたかな人なのだ。
 貸本向け単行本から雑誌へ転身をはかる時、雑誌業界の動向や編集部のねらいを慎重に探り、作品修正の要諦をつかみとった。
 収入が増えた後も生活は堅実で、水泳を日課として体調を維持する。
 つげ義春によれば「アシスタントなんかの人遣いもすごく上手ですよね。絶対に感情的にならずに」

 頻繁な海外旅行は、休暇を兼ねた取材だ。
 計3台のカメラを撮りまくり、小型ビデオ撮影も自分でこなす。
 米国の先住民ホピ族の、取材禁止の聖なる祭りには小型テープレコーダを隠しもつ。
 書店では金に糸目をつけずに資料を買いまくる。
 要するに、旅先では「一個の貪欲な情報収集マシーン」と化するのである。

 だが、他方、富士山麓の小さな別荘では、「頭を空っぽにして」ひたすら焚き火を見つめながら、南方へのつきせぬ憧憬を語ったりもする。
 子どもみたいな側面もある。
 プラモデルの連合艦隊づくりに熱中し、美人には握手攻めに写真攻め、有名漫画家の座談会へ列席する時にはふだんは吸わない洋モクを持参したりする。
 俗物であることに正直なのだ。さればこそ、水木と同じ一面をもつ私(或いはあなた)は、彼とその作品に魅せられるのである。

 本書は、作品論ではない。漫画家論でもない。矛盾と活力に満ちた庶民、苛酷な戦さと変動の激しい戦後を骨太に生き抜いてきた一人の男の素描である。
 余談ながら、妖怪ロードこと水木しげるロード(鳥取県境港市)に、2008年には172万1,725人の観光客が訪れた(前年比16.55%増)。鳥取県人口の3倍に近い数値である。

□足立倫行『妖怪と歩く -ドキュメント・水木しげる-』(文春文庫、1997)
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