よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

3.11:「苦」の連鎖と、「苦」の分かち合い

2011年05月11日 | 日本教・スピリチュアリティ

原発事故の被害状況(原発の施設状況、大気、環境に放出されている放射性物質、健康被害など)は、政・産・学・官の利権構造に報(主流メディア)が組み込まれている構造から発せられているので、原発擁護派による暗黙的情報マニュピレーション(操作)やマヌーバ(工作)が織り込まれている。

それと同時に、原発から発電・送電される電気を湯水のごとく使い、便利な生活を享受し、そのくせ、巨大なリスクの塊を東京ではなく東北へ押しやってきた大きな構造に乗かっている「私」。

だとしたら、見ず知らずのうちに、「私」は誘導されて「私」の意識(潜在意識というべきか)を、操作・工作してきたこととなる。3.11で明らかになりつつあることは、体制の闇の構造。と同時に明らかにすべきは、「私」の意識に塗り込められた闇の構造。

3.11は「私」が今まで疑うことなく大きな前提にしてきたあらゆることを、もう一回棚卸しすることを突きつけている。地震、津波、原発事故は、とほうもない苦痛をばらまいている。低線量の体内被曝による放射線被害は、「私」のバイオメディカルな本元であるDNAをも傷つけ、「私」のみならず「私」の子孫にも、「確率的」に棄損を及ぼす。

「私」はどのようにケアされるべきなのか?

「私」を救う道はあるのか?

「私」はなにを信じて、苦に耐えていきていけばよいのか?

・・・・こんな問いと無縁の人はよもやいまい。

そんなときに、上田紀行先生からメッセージが届いた。新しい「私」、新しい生き方が生ぜざるを得ないのではないか。

<以下貼り付け>

上田紀行です。
9日月曜日の読売新聞に
「震災後」新しい日常へ ―違和感の先に、成熟した個と社会
が載りました。
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/yomiuri110509.html

3月下旬からほぼ毎週新聞紙上に書いてきました。
末期の母の在宅看護があって、家を離れることができない中、逆に東京で動けないこ
とから見えてくる視点で書き続けてきました。
これで新聞への寄稿は一段落になります。

6月中旬に震災に関する緊急出版を刊行する予定です。

これまでの論考は以下でご覧になれます。

毎日新聞(3月30日) 「社会への信頼 絆の回復が復興の道」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/mainichi1103.html
朝日新聞(4月8日) 「仏教者の役割 苦を支えるネットワークに」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/asahi1104.html
中日新聞・東京新聞(4月16日)
「『救いの力』の復活を(上) 大震災から再創造へ 悲しみを共有し信頼を取り戻す」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/chunichi%20tokyo110416.html
中日新聞・東京新聞(4月23日)
「『救いの力』の復活を(下) 重なり合い、補い合う 大きな可能性持つ寺院ネット
ワーク」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/chunichi%20tokyo110423.html

以下にテキストでも貼り付けておきます。

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「震災後」新しい日常へ ―違和感の先に、成熟した個と社会

 困窮の中にある被災地から離れた東京に私はいる。しかし自分もダメージを受けていることに気づいたのは、地震から45日後に初めて東京を離れたときだ。京都駅に降り立つと、体が一気に軽くなった。集中講義後の学生との懇親の場が、地震後初めての飲み会だった。「自粛」ムード以前に、自分からまったくそんな気が起きなかったのだ。そして地震以来心の底から笑ったことがないことに気づいた。

 幼い子どもたちを疎開させ、重病で動かせない母と二人で東京に残留し、新聞や雑誌への寄稿のために、来る日も来る日も震災関係のニュースと資料漬けという状況は特殊かもしれない。しかし私と同様、心身の変調に見舞われた人も多かったのではないか。

 それは大きな違和感である。しかし不思議なのは、その違和感が消え失せて震災前の日常に戻ればよしとは思えないことだ。それは震災前の社会に私たちが感じていた違和感をあぶり出すものでもあり、新しい自分、新しい社会への再生を促しているように思われるのである。

 それは震災後に起こった一見ネガティブに見える事象の見直しから始まる。照明が落とされた街を、あのどこもかしこも眩しい街に戻すのか。間引き運転のせいで遅刻が増えたが、遅刻の言い訳もできて何か人間的になったような気もする。エステ狂いだった自分がバカらしくなった、職場での些細ないさかいなど「小さいことは気にしない」と思えるようになったという声も聞く。

 その中で注目すべきは、震災後の社会における「個と全体」の枠組みの変化の可能性だ。例えば、原発事故後の情報開示に私たちは大きな不安を抱いた。実際、水素爆発で大量の放射性物質が放出されても、政府はSPEEDI(拡散予測システム)の情報も開示せず、私たちは長時間、屋外で列車やタクシー待ちの列に並ばされていた。こうした状況では、頼れるのは個々の情報収集能力になる。乳児を抱えた私自身も、インターネット上の情報を検索し、公式発表の前日から粉ミルクに水道水を使うのをやめた。

「信用できない情報」というネガティブな状況から、個人の自覚が生まれ、そうした個人をつなぐ情報ネットワークが成立したのである。

 盛夏に予想される停電からも、新しいライフスタイルが生まれそうだ。日本人もフランスのバカンスのように長期休暇を取れれば、システムへの過剰適応からの自己回復の場となり極めて有益だと、私は『「肩の荷」をおろして生きる』(PHP新書)に書いたが、今年の夏は首都圏の「バカンス元年」になりそうだ。

 そして、私たちの心身の重苦しさが、被災者への共感共苦からであるならば、それは犠牲者の供養と、被災者の徹底的な救済にしか解決はない。増税等の負担増は避けられないが、困窮者への援助の自覚をもって国民が支え合う。しかし復興利権に群がる人々への厳しいチェックも忘れてはならない。自分の取り分が減るから怒るのではなく、自分の託した援助がきちんと届かないから怒る。そんな成熟した個が支え合う社会を生みだせるか。日本社会の大きな試金石になるだろう。

<以上貼り付け>


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