よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

起業家教育がもたらす変化と革新

2009年09月29日 | ビジネス&社会起業
起業家教育がもたらす変化と革新~ アントレプレナーシップとイノベーションの実現に向けて ~が10月12日に東京駅のすぐ近くで開かれます。

僕の講座「ベンチャービジネス戦略論」が資金支援をいただいている大学・大学院起業家教育推進ネットワーク、日本ベンチャー学会、経済産業省が主催者です。

そのポスターが先日たくさん送られてきました。

副題にあるように、イノベーションの担い手としてアントレプレナーを明確に位置付けています。MBA、MOT、社会起業をはじめ、イノベーションとアントレプレナーシップに関心のある向きはぜひ参加しましょう。

僕も参加するので会場でお会いしましょう。

豊穣の半月弧地帯での起業

2009年09月27日 | ビジネス&社会起業


このところ、東南アジア方面にからむことが多くなってきている。

マニラのAsian Institute of ManagementのToby CantoのCase-based Learning and Case Methodの知的興奮度◎のワークショップに参加したのが2週間前で、先週は、インドネシアでプロジェクトを立ち上げている石崎浩之さんにお目にかかった。

石崎さんは、L.A.のUSCでMBAを取得後、日本に帰ってきて外資系コンサルティング会社PwCでキャリアを積み、その後独立起業したそうだ。

彼はインドネシアの農村地帯で、無線メッシュネットワーク技術によるインターネットインフラを構築するプロジェクトを、インドネシアから日本にやってきている留学生といっしょに立ち上げつつある。

まあ、アメリカ帰りの人たちはよほど自覚的でないと、アメリカかぶれになってしまってアメリカ批判ができなくなってしまう。お遊び的ゴガク留学、ただの遊学からトップスクールへのdegree取得を目的にするハードコアな留学生まで、だいたい同じ傾向だ。そして、その後は、日米の関係性のなかで生きてゆこうとするのが大半。

さて、これから世界経済をリードする「豊穣の半月弧地帯」をいち早く海洋史観の視点から描き出したのが、川勝平太の「文明の海洋史観」。ちなみに、札幌で会った鷲田先生は、川勝氏が拡張させる着想を得た「文明の生態史観」の梅棹忠夫氏と交流があったそうで、面白い話をたくさん札幌で聞いたのだが・・・まあ、それはそれとして、「豊穣の半月弧地帯」にはチャンスが溢れんばかりだ。

次世代起業は、この「豊穣の半月弧地帯」をターゲットにするくらいの戦略的国際性がいるんじゃないのか。この地域には日本から2-4時間で簡単に行けるという地の利がある。そして、この地域でのビジネス言語は圧倒的に英語化しているので英語ができる人にとっては仕事がとてもやりやすい。

「閉じられた言語」日本語の窮屈な世界に内向している人にはこのチャンスが全く見えない。でも、見える人にはハッキリ見える。

成長へのパスと事業モデルの変遷を日本やアメリカで経験していれば、いくらネット経済で地域間技術ギャップが縮まっても、1.2.3次産業を含めて活用できるノウハウは大きいからだ。

イギリスの医療は問いかける:「良きバランス」へ向けた戦略

2009年09月25日 | No Book, No Life


医学書院の方に贈呈いただいた一冊。おもしろくて一気に読んでしまった。

著者の森臨太郎氏は、小児科新生児、周産期医療のスペシャリストでロンドン大学の公衆衛生学熱帯医学大学院に留学し、7年イギリスやオーストラリアの医療を内側から参与観察した人だ。

参与の仕方はかなりディープで、National Institute for Health and Excellence(NICE)に関与して、治療ガイドラインの作成にも関与しているので、ブレア政権下の医療政策策定にまでタッチした数少ないpractitionerの一人。

自らの参与的経験をもとに筆を進めるライティング・スタイルには好感が持てる。古くはジョン万次郎のように漂流の果てに異国に棲み、その経験を日本語で伝えるというスタイル。とくに医療システムのような制度比較が重要な分野では、cross institutionalな経験を基盤にする比較の視点は、本質的に重要だと思う。

ガラパゴス化する日本では留学も海外でのワーク経験を追求しようとする人々は少数派。しかし、知的プロフェショナルはその真逆をいかなければならない。

さて、この本のNHSトラスト、診療ガバナンス、NICE診療ガイドライン策定プロセスなどのディテールに関する記述は気が利いている。このあたり、日本の医療政策策定のために大いに参考になる。

NHS Directについてはこの本を通読してからNHS Directサイトに飛んで歩きまわるとよく分かる。なるほど、NHS Directは医療におけるサービス・イノベーションだ。

民主党に政権が転換し、長年政府自民党が進めてきた医療費抑制政策にいかに修正をくうぇるべきかを論ずるときなどに、よくイギリスの医療政策の転換が言及される。長年、医療サービスを市場原理にゆだねてきたアメリカよりも、政策という点では、英国の苦渋の経験にこそ、学ぶものは多いと思われる。

『ライティング・スペース』と脚腰

2009年09月21日 | No Book, No Life


哲学者の黒崎政男が翻訳した、ジェイ・デイヴィッド ・ボルター「ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール」は、口頭言語、写本、印刷術、ハイパーテキスト、というメディアの変遷とともに、「書くこと」と「読むこと」の根本的な変容を描写している。

マクルーハン、脱構築理論、人工知能研究などの視点をもおさえて、新たなテキスト文化論の出現を予兆させる示唆的な本だ。1990年代前半の作品だが、今日のネット社会の昂進を正確に捉えて「書くこと」の変化をたんねんに素描する。

「ライティングは、記憶を取り集めたり、人間の経験を保存したりするためのテクノロジーだ。書くという技術は農業や織物ほど直接に実践的な技術ではないかもしれないが、それは明らかに、社会を組織化する人間の能力を--確固とした法や、歴史・文芸の伝統を持った文化を与えることによって--拡張する」(p53)

そして、ボルターは「文化的なリテラシーとは、ようするにPCリテラシーと同義になりつつある」とさえ言うのだ。

ものを書いて読むという欲望の出口は、ハイパーテキスト化、ウェブ化、クラウド化の勢いを得て拡張につぐ拡張。拡張された地平線にあまりにも多様な欲望のはけ口があるがゆえに、欲望はむしろたじろぐ。

社会の組織化とは、データ、情報、知識、知恵をいかにオーガナイズしていくかということ。意味を与える、物語を紡ぎあげる、フレームや理論を構築する、という負荷は情報・知識処理系の脳に強烈な負担を強いることになる。

その負担をバネにして伸長するか、ヘナるかは案外、アタマが乗る胴体、そして胴体を支える足腰の鍛え方と強靭さが問われるような気がする。今年の夏は自転車で2000キロ走ったが、「書くこと」と「読むこと」の秋にどう出るのか、さて。

東大病院でのフィールドサーベイ

2009年09月18日 | 技術経営MOT


フランス出身の医療イノベーション研究者でトライアスリートでもあるJeromeと連れだって東大病院の検査部門へフィールドサーベイにでかけた。以下メモ。

               ***

豚フルのパンデミック化で騒がしい昨今だが、今回のテーマは、医療サービスのイノベーションと技術経営の場としての高機能大学病院。

まずは、放射線部の井野副放射線技師長とともに。雨アラレの質問によどみなくお答え頂き、ときには熱い議論。刺激に充ち溢れた3時間。

医療サービスのイノベーションは日進月歩。大学病院にはプロダクト・イノベーション、プロセス・イノベーション、そしてサービス・イノベーションが凝縮されている。

たとえばプロダクト・イノベーション。東芝メディカルのAquilion ONEは160mmのcoverageを持つ320列面検出器Area Detectorを実装し、一臓器を1回転で瞬時に撮影することができる。体軸方向に160mmの幅を持つAquilion ONE™では、寝台移動を伴わずに心臓や脳のスキャンが可能となった。

プロダクト・イノベーションの導入は、臨床現場にサービス・イノベーションをもたらす。たとえば、医師の診断に役立てるために、得られた膨大な画像データを集約して医師にデリバーするソフトウェアは東大病院が自前で開発した。これは、医師の診断をサポートする画像データに付加価値をつけるサービス。

スピーディーな画像処理にともない、ワークフローのボトルネックは患者さんの待ち時間と医師が診断を下すまでの時間となった。増員ができない状況でいかにこれらのボトルネックに対応するかが課題となっている。

新技術の導入で20名のスタッフはMRI、法射線CTスキャナ、アンギオなどマルチタスク対応になった。イノベーションに対応するためには、強烈なストレスに対応することが検査部門に求められる。ネガティブな面もあり、実行レイヤーとしての人的資源はストレスに曝されることにもなる。



臨床検査部門の鹿糠さんとともに。

産学連携が盛んで、検査機器や試薬メーカーが機材を提供しコラボレーションしている。Point of Careなど、臨床検査サービスにも多様なイノベーションが創発している。免疫検査などテクニカルな領域での進展も凄まじいものがある。



高機能病院は臨床に加え、研究、教育の重い役割を背負っている。と同時に、イノベーションを医療機器や薬剤メーカーなどとともにco-createしたり共進化させたり、創発させる場であり、イノベーションを伝搬させてゆく場でもある。

Jim Spohrerの言を借りれば:

★Science is a way to produce knowledge. 
科学とは知を創る方法。

→病院では医学、看護学、臨床検査学、リハビリテーション学、栄養学など諸学の知が創造される。

★★Technology is a way to apply knowledge and create new value.
技術とは、科学知を応用して新しい価値を生み出す方法。

→医療の現場は技術の集積によって立つ。病院経営とはつまるところ技術経営なのだ。

★★★Business model is a way to apply knowledge and capture value.
病院のビジネスモデルは科学知を応用して価値を獲得する場。

→価格が政府によって決定されるので医療マーケットは規制市場。また原則、病院トップは医師。株式会社ではないので、エクイティ・ファイナンスができない。その特殊な市場のなかで病院はビジネスモデルを作らねばならない。

               ***     

イノベーション生態の視点で病院を眺めてみると、いろいろ見えてくる。日本は先進各国と比べてCTスキャナやMRIの普及率が非常(異常)に高い。地域コミュニティでの病病連携、病診連携をかませたうえでのデータ共有化、共同利用の余地は高い。

来る医療改革では、高機能病院の新たなポジショニングとして、イノベーション創発プラス伝搬の場としての役割を位置付けてゆくべきだろう。


アントレプレナーシップの参考書

2009年09月16日 | No Book, No Life


アントレプレナーシップの参考書。なんといってもこの本の特徴は、その分厚さ。その分厚い記述は説得力があり、編著者の本気度が伝わってくる。

武蔵大学の高橋徳之氏@起業学らが監訳している。ちなみに、こないだ出たとあるワークショップで高橋教授の同僚の黒岩准教授とバッタリあったのはシンクロニシティか。

さて、分厚さもさることながら、この本はラーニングデザインの基本をきちんと押さえている。理論、ケース、キー・クエスチョン、参考ウェブへのリンクなど、読者=learner=主人公というデザインのもとで編集されているので分厚さから来る威圧感にもかかわらず、大変読みやすい。



<どっしりとデスクトップに立つ>

「モデル・理論→ケース・ツール→判断」→「モデル・理論→ケース・ツール→判断」、という流れは起業家の思考、行動に沿うもの。よって実際的なlearningを支援するために、編集もこのフローに沿っているのは、なるほど感あり。

Learning DesignがInstruction Designになっていて、それがそのままWriting Designになっているのは、心憎いまで。またフットノートはページの下に、まとまった語彙解説は巻末にあり、ストレスを感じることなく読み進めることができる。

すぐれたアントレプレナーシップ教育を推し進めているバブソン大学関係者だけあって、起業のプロセスに沿って体系的に編集がなされている。また、各章には専門家がライターとして参画している。

机のうえにこの本を置いて、Global Entrepreneurship Monitor平成20 年度 大学・大学院における起業家教育実態調査などと並行して読んでゆくと知識が立体的になってゆく。もちろん、アントレプレナーシップやベンチャービジネス論などの講座の参考書としても使える。ということで、後期の「ベンチャービジネス戦略論」では、同書を参考書とすることにした。

4500円で一見ちょい高めのプライシング。高めの値段にひるんではいけない。860ページの大著なので、1ページあたりの単価はたったの5.2円。このページ単価は専門書のかなでも破格の安さだ。このところをよ~く考えて、買って損はないです。「ベンチャービジネス戦略論」の授業取る予定の人は買い求めておいてください。

惜しむらくは、他のページを削っても、起業家活動の中の中核たる商品開発=New Product/service Developmentのページがもっと欲しいところだ。でも、ないものねだりはできないので、ケースで補うことにしたい。

進化論を拒むアメリカ

2009年09月14日 | 技術経営MOT


日本では、ウェブ進化論、経営進化論、マーケティング進化論、はたまたイノベーション進化論など、なんでも進化論にしたがる。それをそのままアメリカに持って行って無節操に進化論を唱えてひんしゅくを買う向きが多い。

下のニュースは、進化論を頑なに拒んできているアメリカの一側面が如実に表れている。この一件の背景には、キリスト教ファンダメンタリストや福音派といった宗教右派の精神構造、あるいは世界理解の固定的な呪縛がある。そこを理解しないと、このニュースの本質は見えてこない。

WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)という素雑な切り口ではダメ。セグメンテーションをして宗教右派という一派の影響力をカウントしなければアメリカのひとつの本質は見えてこない。

たまたま先月コラムで書いた「キリスト教国家アメリカ中枢の黙示録的思」でも、その日本人には非常に見えずらいアメリカの宗教右派を素描してみた。

<以下貼り付け>

【ロンドン時事】

進化論を確立した英博物学者チャールズ・ダーウィンを描いた映画「クリエーション」が、米国での上映を見送られる公算となった。複数の配給会社が、進化論への批判の強さを理由に配給を拒否したため。12日付の英紙フィナンシャル・タイムズが伝えた。

 映画は、ダーウィンが著書「種の起源」を記すに当たり、キリスト教信仰と科学のはざまで苦悩する姿を描く内容。英国を皮切りに世界各国で上映される予定で、今年のトロント映画祭にも出品された。

 しかし、米配給会社は「米国民にとって矛盾が多過ぎる」と配給を拒否した。米国人の多くが「神が人間を創造した」とするキリスト教の教義を固く信じている。ある調査では、米国で進化論を信じるのは39%にすぎず、ダーウィンにも「人種差別主義者」との批判があるという。

 今年はダーウィン生誕200年で、「種の起源」出版150年の節目の年。英国では関連イベントが盛り上がっている。

<以上貼り付け> 


新聞はたしかにヤバイ

2009年09月11日 | 技術経営MOT


ニューズウィークは新聞、テレビではない解説的な特集記事や時事問題を主戦場とするから、このような特集をあえて組めるのだろう。

以前は経済系の新聞を読んでいたが、すでにネットでもタイムリーな記事の更新があり、もう新聞はほとんど読まなくった。論説や特集などは必要に応じて図書館でまとめ読みするようになった。くだならい社説を読むのならば、質量ともに社説を凌駕するエッジの利いたブログはいくらでもある。

社説を読むとしたらその目的は、各新聞の偏向度をチェックするためだ。なにについて書いているのではなく、何について書いていないのか、がポイントとなる。

また民意操作・洗脳の手段としての新聞やテレビのありかたについても多くの人々が気が付き始めている。新聞、テレビはスポンサー=広告主や出資者=資本家の利害に関わるネガティブな記事は書けない。書いても、トーンダウンだ。

たぶん僕のようなメディアとの接し方をネットに移している人々が急速に増えているのだろう。大手新聞社や放送局は軒並み業績が急降下中だが、これは必然的なトレンドである。マスコミは結局のところ、コンテンツの消費者=視聴者、読者の要求に長年応えることなく、民意操作・洗脳に励んできたがゆえに自らをマスゴミ化してしまったのである。

マスゴミはゴミとして社会から廃棄され再利用さるのがよい。そう思っている人々が着実に増えているのだろう。マスゴミという用語は当のマスコミ関係者でさえも自己言及的に使い始めてすでに定着している。ただし、これは自覚的な一部のマスコミ関係者であり、ほとんどのマスコミ関係者は都合の悪い言葉としてダンマリを決め込んでいる。

マスコミがダンマリを決め込むほどにネットの世界では、この特殊用語が特殊でなくなり立派な市民権を得ているのである。

さて、ネットに軸足を移しつつあるマスコミもあるがどこも本来の媒体の補完的ポジショニングに甘んじている。ネット媒体のみで収益化できているものは少ないのが現状だ。

情報の受信は、もっぱらネット中心。そして、発信系でもこのようなプライベートなブログと、日経BP社のウェブ媒体になっている。ストックではないフロー系の情報は受信も発信もwebのほうがスピーディかつ省コストで快適だ。

北海道自転車ツーリング (4)過去から現在へ

2009年09月07日 | 自転車/アウトドア


Mixiのコミュで出会った方の親切により入手。!?年前の凛々しいロードレーサーで湘南の海辺で撮影されたモノ。風景は一瞬北海道に見えなくもない。均整のとれたライディング・スタイルで颯爽と湘南の風を切っている。

当時所属していた大学のサイクリングクラブのOBが「サイクルスポーツ」誌の編集をしており、ヒマな部員が順番で表紙になった。貧乏学生で容姿は問わない、という編集長の方針が徹底していたのがよかった。たしか一回出ると5000円か10000円位の小づかい稼ぎになったと思う。

このアルバイトで極東ペダルの「プロエース・ロード」の鉄プレートを買い求めた。その極東ペダルはまだ現役だが、会社自体はもう存在しないが。

乗っているロードレーサーは原サイクル製のもので2年上の先輩から譲ってもらったもの。ロードレーサーはその後2台作るも、ツーリングにとってはランドナーのほうが格段に相性がよいのでもっぱらランドナーで走るようになっている。

北海道自転車ツーリング(3)津軽から江差へ

2009年09月07日 | 自転車/アウトドア


実は、「津軽から江差へ」というのは走ったコースではなく、とある先輩が書いた本の題名です。昔からのサイクリストでも、この一冊を知っている人は少ないでしょう。

「津軽から江差へ」にあやかって、札幌から神恵内へ、そして寿都から長万部へと走りながら自転車と文字表現について考えてみました。

1970年から80年代にかけて 旅とランドナー系の自転車、つまり「シクロツーリスモ」を愛するコアなサイクリストのためのハイクオリティな自転車雑誌だった「ニューサイクリング」誌で珠玉のエッセイを寄稿されていた綿貫益弘氏。


<綿貫益弘氏サイン>


綿貫益弘氏が書きかげた作品が「津軽から江差へ」。この一冊、中野の原サイクルの原さんから譲り受け、今は僕の貴重な蔵書の一部を成しています。

どのような専門分野にも決してマイナーとは言いませんが、狭く深いジャンルというものが存在します。綿貫益弘氏が開拓、渉漁した深遠な世界は、「自転車紀行文学」、「自転車純文学」とでも言うべき分野。

いまや、ランドナー系の自転車ツーリング自体が極小化しています。さらには自転車紀行文学なるジャンルは極小化傾向の果ての極小点のようなものでしょう。したがって、ここにおいて逆説的な存在価値が生じます。たとえば、自転車文学研究室もこの極小点の系譜を継ぐものでしょう。

               ***

技術経営(Management of Technology)的に言えば、自転車はプロダクト・イノベーション、プロセス・イノベーションが渦巻く世界です。したがって、これらのイノベーションの系譜からとりのこされた希少分野、たとえばビンテージ自転車の世界が成立します。

今後は自転車の世界にも本格的なサービス・イノベーションが訪れることとなります。たんなる距離・スピードのメータではなく、サイクリストのコミュニティを創り、サイクリストをサポートしてゆくといったブリヂストンサイクルのeメーターは、サービス・イノベーションのひとつの行きかたでしょう。

さりとて、「自転車紀行文学」、「自転車純文学」というサービスジャンルがロードバイク、クロスバイク、マウンテンバイクなどを媒介にして復活するとはなかなか思えません。やはり、泥除けやフロントバックがついたランドナーという自転車の雰囲気とともに陰影を伴う文学的な肌ざわりがあるように思えます。

               ***

札幌から神恵内へ、そして寿都から長万部へと走りながら自転車と文字表現について考えましたが、現在のサイクリストにはwebという強いメディアの味方がいます。商業出版という形に乗せることなく、一人一人のサイクリストが文字、映像、動画で情報や知識を発信して共有できるのはこの時代を走る者の特権でしょう。

サイクリストの新しいライティング・スタイルはwebから生まれてくることでしょう。自転車で参与する世界の変化、フロー体験という内面の変化をさわやかに記述するようなライティング・スタイルがあってもよいでしょう。