よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

オープンソース・アプリと向き合うポジション

2005年05月31日 | オープンソース物語
オープンソースは、ソースコードをオープンにして、オープンに活用してゆこうという地球規模のパッションや主流のパッケージソフトの独占に対するアンチテーゼをもとに発展してきた。そしてこの動きはこれまで、Linux、Apache、MySQLなどのOSやミドルウェア、データベースなどの基盤領域に集中してきたが、今やその勢いはビジネス・アプリケーションの世界にまで達している。

この動きはパソコンやインターネットユーザを問わず、ビジネス・アプリケーションに関わる人々と組織に甚大な影響を与えることになる。

そもそも、ソフトウエア会社、パッケージ屋のビジネスモデルは、ソースコードの独占によって成り立っている。つまりソースコード独占企業はプログラムを開発したら、ソースコードを企業秘密にしてバイナリーコードだけ販売する。正確に言うと、ユーザはバイナリーコードを利用する権利、つまりライセンスを買っていることになる。このような閉じた世界では、ユーザはたとえ不具合を見つけても改造できない。修正版が出るのを待つか、延々とバージョンアップにコストをかけて付き合いしかない。しかもユーザは、使用許諾の範囲を超えて、バイナリーコードを使用することはできない。複数のパソコンにプログラムをインストールし、他人にコピーさせるのは、ライセンス違反=不正コピーとなってしまうからだ。

ビジネス・アプリケーション領域のオープンソースは閉じた世界に隠蔽されたソースコードをオープンにするがゆえに、既存のソースコードがクローズドなビジネスモデルと根本的に異なり、またクローズドなビジネスモデルを根底から覆す契機となるだろう。

おのような状況のなかで取りうるポジションについて考えてみよう。

まずユーザのポジションから見れば、良質のオープンソースを自己責任の原則のもとでうまく選んで活用すれば、ソースコードを独占している企業と取引するよりも圧倒的に安価なコストでアプリを活用することができる。

旧来のソフトウエア会社、パッケージ提供会社のポジションはどうなるか?MS社に代表される陣営はオープンソフト陣営に対して類似ソフト、もしくは類似ソフトの組み合わせをぶつけることによってオープンソース陣営の拡大に歯止めをかけてくるだろう。ブラウザにおけるファイアフォックス、メーラーにおけるサンダーバードに戦いを仕掛けてくるはずだ。ではMS社ほどの独占力を有しないアプリベンダはどうするか?価格をとことん下げて対応する、一般的な汎用アプリがカバーできない特殊業務領域に特化したパッケージに集中する、みずからのソースコードをオープンにする。

ビジネスアプリ領域でオープンソース化をリードし普及させるポジションはエキサイティングなものになるだろう。ユーザには破格のコストで良質のソフトを提供し、閉じた世界の独占体質の企業には明確なアンチテーゼを送ることになるからだ。それらのポジションはオープンソースコミュニティの精神を深いレベルで理解し、業態的に親和性のあるコンサルティング、運用保守サービスなどいわゆるサービスセクタが担うことになるだろう。


幕張新都心WBGにてシンポジウム

2005年05月28日 | 講演放浪記
両手に花か。倉敷中央病院の樫原副看護部長と北里大学病院の野地教育担当課長に挟まれてうれしい3ショット。ちなみに写真に写っているカメラを持っているのはアシスタント・コンサルタントの青柳君。

今日は幕張新都心にてクリニカルラダー、人材評価・育成システムなどに関するシンポジウム。倉敷中央病院の樫原副看護部長と北里大学病院の野地教育担当課長をシンポジストに招いての集まり。北は山形、南は福岡からの参加者の御受講をいただき、盛況だった。

倉敷中央病院も北里大学病院も大変素晴しい病院だ。とくに人材評価、人材開発、そしてひとりひとりのキャリア開発を支援する姿勢を明確に打ち出している。そして管理職の方々にも樫原さんや野地さんのように優秀な人が多いと思う。これはリップサービスではなく全国の医療機関の現場をつぶさに歩き続けている実感だ。

これからの医療機関の優勝劣敗はひとえに人材開発にかかっている。なぜならば優秀な人材によって切れ味のある戦略が立案され、実行されるからだ。優秀な人材を採用し、開発し、報いる、いわゆるhuman resources managementの時代を日本の病院は遅まきながらも迎えている。そんなことを熱心なシンポジスト、受講者に囲まれて実感した。


東京労災病院にて

2005年05月27日 | 健康医療サービスイノベーション
今日から東京労災病院で管理職向けのマネジメントスキルを高めるためのプロジェクトが始まる。そんなことでいっしょに働いている青柳君と大森にでかけた。

テレビのマラソン中継でよく見る大森の折り返し地点をすぎてしばらくすると東京労災病院がある。さて、この医療機関は、医療技術を組織化して提供する専門的組織だ。その医療技術をオーガナイズして効率よく効果的に医療サービスを提供するためには医療における技術経営、Management of Technology in Medical & Health Servicesなるものが要請される。

医療においてもあてはまるが、技術というものは極めて属人的だ。だから技術管理、技術経営というものも実践の場では人的資源管理の側面を色濃く併せ持つ。仕事を終えて湾岸線をタクシーを飛ばして帰る道すがら、医療とMOTのことを考えていたらタクシーが高速道路からの出口を間違え余計な時間がとられてしまった。

蜂にさされた話

2005年05月26日 | よもやま話、雑談
先週印旛沼あたりをトレーニング方々自転車で走っていると、右太ももの付け根あたりに鋭い痛みを感じた。蜂にさされたのだ。走りながらサイクリンググラブをはめた左手で蜂の奴をつまんだ手も針にやられた。合計4箇所の負傷だ。

自転車に乗っているときはけっこう蜂にさされる。2-3年に一回くらいは刺されている。そんなことを会社で話したら、なんと生まれてこのかた一回も蜂にさされたことのない人のほうが圧倒的に多かったので逆にびっくりした。

刺された日は、なんともなかったが翌日から痛痒くなってきた。しかも血圧があがってけっこう大変だった。合計3日間なんらかの蜂に刺されたダメージを背負ってしまたのだ。つきしょう、蜂めが。蜂対策のリスクマネジメントの大切さを悟った次第だ。

小牧市民病院で講演

2005年05月22日 | 講演放浪記
昨日は名古屋の北のほうにある小牧市民病院で講演。この病院を訪れるのは4回目だ。もうずいぶん前になるが、この病院の余語病院長と全国自治体立病院学会のシンポジウムでごいっしょしたのが、そもそものご縁だった。

この病院は、医療機関としての成果をきちんと定義し組織全体で追及している。ゆえに長年の赤字も一掃しつつあり変革の機運に満ちている。このような変革志向の病院といっしょに仕事をするのは楽しいし、勉強にもなる。

病院はもちろん、人の病を治す場所だが、自治体立病院の多くは経営的な病気になっている。経営的な疾患から立ち直り自主独立経営、成果責任経営を標榜している公的病院の未来は明るい。

早稲田大学アントレプレヌール研究会

2005年05月20日 | よもやま話、雑談
早稲田大学アントレプレヌール研究会(WERU)から以前、ベンチャー起業の事業発表会で優秀賞をいただいたことがあった。それが御縁となり、早稲田大学関連のベンチャーキャピタルのWERU INVESTMENTから出資までしていただいている。さらにそれが踏み台になり、いろいろな産学提携プロジェクト、産学官連携プロジェクトにまで繋がってる。ありがたいことだ。

管理体制としての大学組織に対する帰属意識や母校に対する回帰意識が極端に乏しい僕だが、いただくものに関しては感謝の気持ちで一杯だ。ただし、学部卒業以来、大学組織に対する募金、寄付は一銭もしていないのだが。

さて、せめてもの恩返しでPRしたい。早稲田大学アントレプレヌール研究会が7月8日開催される第8回早稲田ベンチャーフォーラムのために、各大学や研究所やベンチャーなどから事業計画を募集してる。

優秀事業計画に副賞として現金100万円が贈られるし、応募者の中から抽選で30名さまにも図書券1万円を配るとのことなので、やる気のある方はぜひ応募することをおすすめしたい。

ほんとうの若者

2005年05月19日 | ニューパラダイム人間学
東京農工大学の中村昌允教授と仕事関係の打ち合わせのとき、中村先生より新聞記事のコピーをいただいた。

過去迎えた誕生日の回数の合計が年齢だが、けっして年齢は「老いている」「若い」を示すモノサシではない。この記事を見ろ!71才の大学院新入生に関する記事だ。よぼよぼの体で背中をまるめてうつろな日向ぼっこに身をまかせる71歳もいるだろうが、記事で紹介されている宮城さんは驚異的に前向き、溌剌、アクティブな人だ。

20代でも老人はいる。新しいことに挑戦しない。変化をすすんで創りださない。好奇心が希薄。責任を回避する。自分のことばかり考えている。体を鍛えない。こんな奴らは、若くても老人以上に老人だ。

年齢は重ねていても、若者は若者だ。いや、人生の経験、知識、知恵を蓄積している以上、体力の裏づけがあれば、若者以上のハイパフォーマンスを示すこと、必定だ。勇気づけられる中村先生のお話を聞いて、会議に参加したみんなの顔がパッと輝いた。

anti-aging(抗老化)のメソッドは近年、健康管理学でもとみに注目されている。抗老化現象の顕著な人のライフスタイル研究も進んでいる。

・適度な有酸素運動を定期的におこなう。
・魚、野菜、海草、ゴマ、きのこ、漂白していない穀物、玄米など中心の食生活を維持する。
・ビタミン、ミネラル、コラーゲンなどの抗酸化物質をサプリメントとして摂取する。
・アタマを使い知的な刺激を脳に送り続ける。
・よく眠る

おおむねこんなライフスタイルがanti-agingに寄与することが分かって来ている。新聞記事を読んで、宮城さんのライフスタイルに多くあてはまると思った。なるほど、anti-agingの実践者としてもわが意を強くした。

元気の素

2005年05月18日 | よもやま話、雑談
ジンテックの内藤勝統社長とは麻生川静男さんが主催する異業種社長の交流会で知り合った。中華料理の料理人から身を起こした立志伝中の起業家だ。名前がいいです。勝利と統帥。社長そのものか。あのパワーにあやかりたい。

内藤勝統社長、その後のフォローが素晴らしい。

一ヶ月の一回、「元気の素」というニュースレターを送って頂いている。なるほど、けっこう読むと元気がでるような話が満載だ。ちょっとしたことかもしれないが、継続力がいる。出会いを大事にするというのは、出会った瞬間というよりもその後を大切にすることだ、と悟った。

学校歴記号社会の病気

2005年05月17日 | ニューパラダイム人間学
人事の世界では学歴は公然と語られる。バブル経済華やかりし頃はソニーなどで学歴不問という人事的ファッションが流行っていたが近年は学歴による一次スクリーンが明らかに復活し、また強化されている。

とある一部上場企業の人事担当役員と人事部長の集まりによばれたことがある。酒の勢いもあってか、いろいろなホンネの意見が交わされた。

「ようは、スポーツ、芸術、勉強でもなんでもいいから我慢して成功体験を持つことが大事だ。世に言う2流以下の大学卒業生にはなにかに耐えて我慢して成功体験を勝ち得るという体験が少ないので社会にでてからの成功確率が低くなる!」

「そもそも10代の生活習慣のかなで、集中する、知的なものに好奇心を持つことが少なかった青年は大体大学受験にも失敗する。その失敗を引きずってコンプレックスになり、劣等感、卑屈感が成功を阻んでいる」

「評判の芳しくない大学をでるだけで、周囲の目から遠ざけられる。期待が少ないから活躍の場もあたえられない。結局いい仕事をまわせない」

人事部長諸氏の多くは、東、京、東工、一、早、慶など、世に言う著名大学出身であり、自己の屈折したプライドが織り込まれたアイデンティティにかけてホンネをやや誇張して言っていたのだろう。彼らの多くにとって学歴は学問歴ではなく、記号としての学校歴なようだ。

先進諸国のプロフェッショナルの世界はとうの昔に学部うんぬんではなく、大学院での学問歴を重視するようになっている。いまだに、記号としての学校歴、しかも学部レベルでぎゃーぎゃーいうのはやめにしませんか?だいたいサラリーマンをやっている以上大差ないんじゃやないですか?といったら、場が静まり返ってしまった。とはいえ、人事部長諸氏の観察には実は僕も極端な異を唱えるものではない。おおかたはそんなものなんだろう。

だからといって記号にすべてを帰属させるやりかたには抵抗を覚えざるをえない。人事制度の理念あたりでは「個性の尊重」とかていのいいことを言いながら、記号を通して個性を品定めするのは明らかに手抜きですね。学校歴記号社会の病気か。立派な記号を持っていても時代に流され元気のない人たちが夥しく存在するのもまた事実だ。どうせ記号を使うのなら、帰属したコミュニティーの記号ではなく、現在の自分という記号で勝負したいと思う。










エキセントリック・プラチナ人材

2005年05月15日 | ニューパラダイム人間学
職業に就けない、就かない、就こうとしないニート(Not in employment, education nor training)は労働経済的には競争力のない人材だ。かたやニートとは対極を成す産業界の先端を切り開く競争力のある優秀な人材には欠乏感がとほうもなく大きい。

平成15年の科学技術白書では、質量ともにもっとも不十分な人材は起業家、企業家支援人材、MOT(技術経営)、人材目利き人材、知的財産関連人材であると報告している。なるほど多くのクライアントの経営陣、起業家たち、産学提携の業務でお付き合いさせていただいている早稲田大学ビジネススクールや東京農工大の技術経営研究科の先生方もまったく同様の認識を持っている。

このような人材クラスターには、ナレッジや技術においてプラチナのように希少な卓越性をもちながらも、アンチテーゼを明確に主張し、既存の体制にはエキセントリックな異議を持っているような奴らがけっこう多い。ただしビジネスの共通言語を持っているのでエスタブリッシュ側のビジネスコミュニティのなかでもプレゼンスと交渉力を持っている。こういう人たちをエキセントリック・プラチナ人材とでも言おうか。

財貨でもサービスでも社会に不足しているもの不足するであろうものを積極的にクリエートして持つことがビジネスの基本といえば基本だ。人材経営においても然り。これら質量ともに不足している人材を採用し育成し、マネジメントやオペレーションチームに加えることができれば大きな競争力となる。いやコンサルティングやITベンチャーといった知的成果が業績に直結する分野においては、優秀な人材が、ナレッジや技術をエイヤッと一気にビジネスにすることが求められるので、エキセントリック・プラチナ人材こそが即競争力の源泉であり、源泉でなければいけない。

専門職大学院ならば産業社会が要求する分野に優秀なエキセントリック・プラチナ卒業生を投入し、卒業生が成果を生み出すことがスクールの名声に直結する。ベンチャー企業からすれば、新卒、ミッドキャリアを問わず、差別化可能分野で知的成果をアウトプットできる優秀なエキセントリック・プラチナ人材をあの手、この手で仲間に入れることが大事だ。こんな考えをもとに、わが社でも、産学間でのエキセントリック・プラチナ人材の採用、産学官のステージへの投入、相互交流、相互還流に力を入れてゆきたいものだ。