よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

世界同時株安

2012年05月31日 | 恐慌実況中継

本ブログでは、2008年から、「恐慌実況中継」とブッソウなコラムを書いてきました。すでに世界恐慌への緩やかな過程に入っていると言う見たてで綴ってきました。

日経BP社日経ITProでやっている「経営に活かすインテリジェンス」という私の連載コラムから引用しておきます。(この連載は会員向けのプレミアム・コラムで、小手先のビジネステクニックや、ノウハウ、スキルには飽き足らないという奇特な読者の方々のために、教養系リテラシーやインテリジェンスについて書いています)

第26講:強欲金融資本主義の断末魔と自由の暴走

(↑会員になると無料で読めるそうです)

<以下引用>

増幅して繰り返される歴史

 今回の欧州危機では対象がギリシャであり、米国を中心とした多数の金融機関がギリシャ破綻による債務不履行を保証するためのCDSや合成CDOを抱き合わせ販売している。「PIIGS」と呼ばれる財政基盤が脆弱なEU加盟国(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)に共通する問題でもある。

 2008年の時点で、CDSの欠陥が露呈していたわけだが、実はその後もCDSは多用されていている。その最大の理由は、CDSは金融リスクマネジメント上、必要な金融派生商品であると市場関係者が判断したからだ。破綻リスクをプロテクトするCDSを強く規制することはなかった。

 欧州の金融を安定化させるはずの欧州金融安定機構でさえもが、CDSを活用している。欧州金融安定化機構が発行する債券が暴落する時が、すなわち、ユーロ液状化が現実に近づく時となる。ここでもCDSや合成CDOのカラクリが事を複雑にしている。

 もともとは国家財政を粉飾してEUに加盟したギリシャの為政者に問題があったのは事実。しかし、財政危機に陥ったギリシャが膨大な額の国債を発行して資金を調達できたのは、CDSの保証があったからである。

 融資、投資をする金融機関、ヘッジファンドなどは、ギリシャが債務不履行に陥った時の安全パイとしてCDSを買うことにより、リスクヘッジをしてきたのである。ゆえに当事者たちにとっては、単純にCDS=悪玉ではない。

 ちなみに、ヘッジファンドとは、私募によって機関投資家や富裕層から私的に巨額の資金を集め、金融派生商品などを活用した手法で運用するファンドの総称である。租税回避地に登記されることが多く、法人ではないので、さまざまな金融規制の対象外である。SEC(米証券取引委員会)などの当局に帳簿を厳格にチェックされることもないので、競争相手や規制当局に手の内を見られることが少ない。

 話を戻そう。CDSを買った機関投資家にとって、ギリシャ国債が債務不履行になれば保険金が入ってくる。つまり、彼らにとってギリシャが債務不履行になってくれた方が得になる。

 一方、CDSを売却した企業からすれば、債務不履行が発生した場合に保険金を支払わなければならない。ところが、手元にそんな巨額の資金はない。ないカネは払えない。したがって、CDSを売った者にとっては、債務不履行は何としてでも避けたいところだ。

 このような事情があるので、ギリシャ国債を債務不履行にさせずにCDSの決済を回避したい勢力は、自主的な債務減免に持っていこうとする。債券を保有している投資家から見れば、「自主的」に債券を帳消しにさせられるわけなので、たまらない話だ。

<以上引用>

もとより、世界金融恐慌は、進行しているという見方にたって、表面的な経済事象の裏側の事象を追ってきましたが、どうやら、マズい方向にコトが進んでいます。しかも着実に・・・。

やはり震源地はギリシャです。ギリシャはこれまで大きな財政赤字をつくることで経済を発展させ、5人に1人以上が公務員のギリシア国民は豊かな生活を享受してきました。でもUEに加盟した時は粉飾・ウソの財務諸表を仕立て上げてインチキをしました。

ギリシア人は、膨大な借金を自力で返済できなくなり、年金カット、リストラ、失業で国民は苦しい生活を強いられました。その結果、『もうこんな状態は耐えられない』として借金の返済を拒むという「やらずボッタクリ」を主張する政党が5月に行われた総選挙で一躍飛躍しました。

よくないシナリオは:

①6月の再選挙で反財政緊縮派が政権を取る→②財政カットの内容が大幅に見直される。→③財政再建を前提に資金供給してきたECB(欧州中央銀行)、IMF(国際通貨基金)などからの資金提供が止まる。→④全面的なデフォルトが発生。→⑤ギリシャ国内で預金封鎖。→⑥連鎖して欧州(スペイン、イタリアを中心)で金融危機勃発→⑦日本を含め世界に波及、連鎖。

がさネタや素人の観測に頼らず、公開されているデータを活用して、恐慌の進展度合いをウオッチする指標が少なくとも4つあります。(1)長期国債金利、(2)国債に設定されているCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)レート、(3)金融機関向けに設定されているCDSのレートと、(4)金価格です。

よくないシナリオの大儲けをたくらむ国際投機筋がいるいっぽうで、ドフォルトにともなうCDSの決済資金ショートが現実味を帯び始めています。

その動かぬ根拠として、スペインのサンタンデール銀行やイタリアのウニクレディトなどの欧州の金融機関向けのCDSが立て続けに上昇しています。1金融機関がドフォルトするだけでも、その破壊的威力はリーマンショックを凌ぐことになります。

3金融機関がデフォルトすると、一気に金融恐慌が表面化することになります。5月末金価格はgあたり4100円と低いレンジで推移していますが、金価格の暴騰は、以上のシナリオを織り込めば、現実化してゆくことでしょう。

 


「ものことつくり」のマーケティングとアウトリーチ活動

2012年05月28日 | 技術経営MOT

7月にドイツのシュタインバイス大学の技術経営系大学院のアウトリーチ活動に参加することになりました。この活動に参加するのは僕自身のアウトリーチ活動でもあります。詳細はこちらのサイトです。

7-8月にかけて、東京農工大以外にも日本工業大学MOTや札幌市立大学大学院でレクチャーするので、忙しくなります。

さて、シュタインバイス大学は、knowledge and technology transfer partnerと謳っているように、産学連携スキームの大陸欧州でのプラットフォーム的役割を果たしています。

この一連のプログラムの中で、「ものことつくり」のマーケティングについてファシリテートします。使用言語は英語です。ドイツと日本の学生、社会人が一同に会して約1週間、多摩地域のベンチャーやスタートアップスのフォアフロントでインタビュー、ディスカッションし、戦略提案をまとめるという企画です。

準備は大変ですが、楽しみです。

「ものことつくり」のマーケティングってなんでしょうか?マーケティングといっても、コトラーがいうような4Pだとかのクラシックなフレーミングではありません。むしろ、先端的なものつくり系グローバル企業は、既存のフレーミングを破壊するようなイノベーション志向のマーケティングや技術経営3.0(松下の勝手な造語)を先鋭化させています。

ものつくり企業における新しいマーケティングないしは技術経営3.0とは、一言で言うと、マーケティングの「ものつくり」への浸潤、入り込みです。マーケティングが創るものっていったいなんでしょうか。

答え、意味。そして意味を共有する見込み顧客。

つまり、ものつくりへの意味の埋め込みが本質的に重要になってくる。

iphoneを買う人、プリウスを買う人、facebookを使う人、NPOが提供するソリューションを使う人・・・。多くの消費者はsomething differenetな意味を求めています。消費者なんてよぶよりも、もはや、意味の共有者、もっといえば、意味の共創者っていうほうがあっている。

つまり、ものつくりのプロセスの中に、意味つくりのマーケティングが埋め込まれて実装される、ということです。具体的には、意味志向のマーケティング機能が、製品アーキテテクチャ、デザイン、技術標準化、知財戦略、プラットフォーム戦略、事業戦略の中にシステミックに統合されてゆくという姿です。

アップルは、その意味で極めて先端的ですね。アップルはCPUとOSを垂直的に統合したなんてよく説明されますが、ほんとうに垂直統合させたのは、意味(外形的にはプロダクトデザイン、内面的には利用価値)でしょうね。

垂直統合といえば、最近はビジネス版「失敗の本質」の代名詞のような語感がありますが、これからは垂直統合企業の新しい出番だと思います。今求められているのは、意味を垂直的に統合するプロダクションであり、ビジネスモデリングです。

               ***

ダメものつくり:機能・品質重視→意味つくり失敗→付加価値つくり失敗

これからのものつくり:脱ものつくり、つまり、感性・質感・意味の重視→ものつくりプロセスへのそれらの埋め込み→意味のもの(artifact)への埋め込み、つまり「ものこと」化→新しい付加価値つくり成功

顧客を基点にして、意味を共有し、バリューチェーン内の様々なユニットの価値共創(value co-creation)が本質的に重要になってきています。

従来はバリューチェーンの下流でのマーケティングが主流でしたが、マーケティング機能が上流へと遡及してゆき、「ものつくり」を「ものことつくり」へと変化させていく、そのドライビング・フォースです。換言すれば、マーケティングのリフレーミングです。

               ***

さて、近年、研究、教育以外のはたらきとして特に注目されている大学のアウトリーチ活動ですが、日本の大学ではあまり注目されていないようです。母校のコーネル大学ではアウトリーチを以下のように説明しています。

Outreach programs solve real-world problems by linking people to Cornell's rich resources. Students, faculty, and staff share their expertise and energy with schools, businesses, government, community organizations, individuals, and families.

つまり、

コーネル大学のリソースにみんなを結びつけることによって、現実世界の問題を解決すること。学生、教員、スタッフが、大学、ビジネス、政府、コミュニティ、個人、家庭と専門知識技術とエネルギーをシェアすること。

こう考えればスッキリします。

 


ねじれ幸福感のガラパゴス化

2012年05月15日 | ニューパラダイム人間学

facebookで拾ってきたチャート。

平均余命を健康指標としてタテ軸、ひとりあたりGDPを横軸に配置して、国別のポジションをこのマトリックスに書き入れ、かつ、その国の人口規模をマルの大きさで相対化したもの。

3月におとずれたコンゴは左下の隅っこにある。つまり、最貧国のひとつで寿命(0才時での平均余命)も45才ちょっとと極めて短い。翻って日本は、バブル崩壊、長引くデフレ、財政逼迫といっても、右上の上の方。

なかほどに巨大人口を抱えて、右上に向かって伸びてくるであろうインドと中国がどかんと座っている。

日本人は長生きもするし、ひとりあたりGDPも高い。そしてそのような裕福さを享受する人口は、アメリカの約半分の大きさで、右上のグループの中でもひときわ存在感は高い。

つまり、客観的な幸福の条件は他の国々に比べれば整っている方だ。さて、客観的ではなく主観的な幸福感はどうか?

世界各国に暮らす人々の内面の幸福度を測定し比較するデータベースとしてエラスムス大学のワールド・データベース・オブ・ハピネス(WDH)というものがある。

WDHでは、「現在の生活にどの程度満足しているのか」という質問を10点満点で計量化したところ、な・なんと、日本は世界60位。日本の位置は、金融危機のギリシャ(56位)やお隣の中国(54位)よりも低い。主観的な生活満足度は先進国中最低レベルというのが日本の状況だ。

たしかに、鬱病患者は年々増えて、すでに100万人以上に達している。97年に集中した大手金融機関の破綻、大企業の倒産がトリガーになって、以降、年間自殺者は3万人以上で高止まりし、無縁死も年間3万人以上いる。こんななかで、幸せを感じることができるとしたら、それはよっぽど強い人で、まわりが見えていない人じゃないのか?

つまり、日本という国には、外形的な幸福感の条件はある程度高いレベルで揃ってはいるものの、そこに棲む居住者は、主観的に幸せを感じずらいという、ねじれ現象がある。カレル・ヴァン・ウォルフレンは官僚支配の構造を絵解きして、『人間を幸福にしない日本というシステム』を指摘したが、案外、こういう幸福感のねじれ現象に、それは顕れているのかもしれない。

なぜ、そうなのか、については、これからいろんな人と意見交換してみたい。

コンゴと日本。まさに両極端だ。でも、コンゴでは会う人、会う人、みなが良く笑っていた。とても笑えるような状況でなくても、とにかく、よく笑うのだ。幸せだから笑う、笑うから幸せになる・・・まあ、いろんな説明はあるようだが、国民一人当たりのGDPは日本はコンゴの100倍。

で、日本人はコンゴ人の100倍の笑うの?とんでもない。コンゴ人のほうが5倍くらいは笑っている。

日本では、ねじれ幸福感のガラパゴス化が進んでいるのかもしれない。

 


ソーシャル・イノベーションってカッコいい?greedからgreenへ

2012年05月08日 | ビジネス&社会起業

スタンフォード大学で教鞭をとっている人と面白い話になった。

もともとがイグジットを済ませた起業家でもあり、大学の仕事をするようになってからは、ボランティアで途上国向けのソーシャル・イノベーション支援や研究を仲間といっしょにやっている。(各種資料はここららダウンロードできるよ)国際的社会起業については、わりと熱心に書いたり、支援してきているので、ついつい話がアツくなってしまった。

もともとStanfordは、Sillicon Vallyに位置してinnovation eco systemのハブのような起業に熱心な大学ではあるのだが、近年の学生の志向性がずいぶん変わってきているというのだ。たしかにCornellからも似たような話はよく聞く。

僕がいたころのIvy leagueあたりでは、有能で、てんこ盛りの野心があれば、①スタートアップを設立して、すばやくファイナンスを行い、M&AかIPOでイグジット。そこまで才覚がなければ、②投資銀行やコンサルティング会社にいったんは就職、③その他の普通の学生は、大手企業、④その他ボンクラは役所へ、っていうのが、まあ定石だった。

日の丸エリート君たちの標準的キャリア選好は、④→③→②→①の順番で真逆ということで、しばしば揶揄されるのだが、こんな揶揄は、もはや一般的すぎて面白くないもなんともない。ところが、昨今のtop schoolでは、風向きが変わっていている。風の吹いている方向は、従来のカテゴリーにはない、ソーシャル・イノベーションであり、ソーシャル・ビジネスとなっている。

市場から排斥され、市場原理だけでは、なかなか解決できないような社会的問題に対して、まっとうな解決を与えてゆくイノベーション類型をソーシャル・イノベーション(Social Innovation)と呼ぶ。こうしたソーシャル・イノベーションを、ビジネス手法を活用することで実現する事業がソーシャル・ビジネスだ。

ピースコープ(ボランティアを組織して世界に人材を派遣する機関)やティーチ・フォー・アメリカ(大卒者を僻地の学校へ教師として派遣するNPO)も米国大学卒業者のトップ10にはいってきている。利他的でgreenであることを重視し、持続可能性を担保してゆく社会起業家(Social Entrepreneur)がカッコよく、利己的でgreedyなキャリア追求は、むしろカッコ悪いのだそうだ。

10年前と大差ない日本の、硬直的、画一的就職ランキングを見るにつけ、こりゃいったいなんだ?と思う昨今。ほとんどが衰退期、成熟期に入った大企業ばかり!そんなリスト、墓石リストとでも名前を変えた方がいい。


近畿中央病院にて

2012年05月01日 | 講演放浪記

ちょっと前に、近畿中央病院から依頼があり講演に招待された。いただいたテーマは看護ケアサービスシステムと看護師長の役割、コンピテンシー」というもの。とある専門誌に寄稿した拙論をご一読いただいたことが縁となって呼ばれた。有り難いことだ。

医師も看護師も、当然、顧客である患者に対して診断、治療、看護に関わるケア、キュアのサービスを提供している。だから一括して、医療サービスなんていう言い方が一般的だ。

さて、診療部門や看護部門には管理職やマネージャがいる。彼ら彼女たちの仕事は、現場でケアやキュアのサービスを患者=顧客と共創する医療チームへのエンパワーメント、マネジメント、リードが中心。換言すれば、サービスへのサービス、あるいはサービス・オン・サービス。

医療崩壊がさかんに喧伝される昨今、現場の医療サービスを支えるサービス・オン・サービスが、今こそ力を涵養し発揮する必要がある。そのためには、医療という振る舞いをサービス・マネジメント・システムとして捉えてゆくべきだ。

しかし、医療の現場では、病歴管理、安心安全マネジメント、リスクマネジメント、人事管理、資財管理、財務管理、システム部門、etc...というように、サービス・マネジメント・システムはタテに部門ごとに割りつけられていて、バラバラな状態。そして、専門化も進み、学会もおおむねこのタテ割構造の延長線上にある。

これではマズイ。保健・医療・看護・介護などのサービス・オン・サービスをヨコ方向に結び付ける、サービス・マネジメント・システムの一般理論のようなものがぜひとも必要だ。そんなことをみんなで一緒に考えて談論風発する機会だった。

談論風発は研究の触媒、起爆剤みたいなものだ。研究をある種のサービス活動を見立てれば、フィールドでの談論風発は、研究者にとってサービス・オン・サービスのようなものだ。