よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

不思議なキリスト教

2012年04月15日 | 日本教・スピリチュアリティ

橋爪大三郎先生と大澤真幸先生は、小室直樹大先生の直弟子にあたる存在で、昨年3.11のちょうど一週間前に行われた小室直樹博士記念シンポジウムにも揃って登壇していた。

小室直樹の比較宗教学の系譜を引く、このふたりの対談ならば、巷に溢れる浅薄な宗教論にはない、核心を衝いた議論をしているはずだ・・・。そう思って、この本をアマゾンで注文して手にとったのが、アフリカのコンゴ民主共和国に行く数日まえだった。行きの飛行機のなかで、読み終えた。

p4・・・近代化とは、西洋からキリスト教に由来するさまざまなアイディアや制度やものの考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程だった。

p5・・・しかし、現代、われわれの社会、われわれの地球は、非常に大きな困難にぶつかっており、その困難を越えるために近代というものを全体として相対化しなければならない状況にある。

以上、この本のthesisは直裁にして明確。このどっしりとした問題提起に始まり、実にさまざまな議論が展開されてゆく。社会学、比較宗教学の学術マナーを押さえた議論なので、へんてこりんな価値誘導や、恣意的な議論がないのがいい。定価840円以上の価値はありありだ。

国内では相手のインテリジェンスにもよるが、海外で仕事をするときに必要な要素は①外国語コミュニケーション能力を含む人間力、②体力、③専門性、④リベラルアーツの素養に大別できる。

この本は、上記の④リベラルアーツの素養を拡げ、深めるためには格好の一冊だ。その延長線上に、比較宗教論としての日本教の議論があってもよかったが、いかんせん、新書にしては長目の346ページ。

続編として日本教の議論を期待したい。東工大のVALDESで橋爪大三郎先生に逢ったら、ぜひ進言?してみようか笑)

さて、市場、企業ガバナンス、国際技術標準、国際技術規格、財産権、知的財産権にはじまり自由主義、新自由主義の「自由」に至るまで、その淵源はすべてユダヤ、基督教、イスラーム教、つまり一神教=monotheismから発生してきたinstitutionsの系譜に遡る。

ところが、公会議を開催し教義の標準を決めてゆく普遍インテリジェンス志向が決定的に欠落しているのが、monotheismの対極にあるpolytheism(多神教)日本教の、インテリジェンス欠陥症候群。

国際技術経営にとっても「日本の神様とGODはなにが違うか?」の根源的な問い=root questionは、案外重いものなのだ。


引き寄せ、引き寄せられる

2011年12月11日 | 日本教・スピリチュアリティ

このところ、多忙につきブログ更新もままならず。

この2週間で四国松山に2回行き、その間に九州へ飛んでいろいろ医療サービスの品質改善、イノベーション、ものことづくり、標準化、地域連携、マネジメントに関するフィールド調査をしています。

どうも勢いのある方から、突然話が舞い込んできて、その勢いにこちらの勢いが加わり、モノゴトが急展開してゆくという流れが続いています。

     ***

「引き寄せ」やシンクロニシティは、上図の内側の世界に属することです。すなわち、個別に文脈依存的で、特殊であり、意味や物語といった主観性、そして意味的な領域です。

したがって、左側のパラダイム(たぶん工学などが典型)から見れば了解不可能です。

さて、医学、看護学、経営学はアーティスティックな側面があるものの、サイエンスの側面が濃厚です。つまり、普遍性、一般性を目指し、エビデンスを重視して効果や効率を論理的に探究してゆきます。しかし、「学」をはずした医、看護、経営となると、対象となるのは上図の外側の世界のみならず、内側の世界にまで拡がってきます。

医療管理、看護管理、経営管理、技術経営などマネジメント系のディシプリンが複雑で魅惑的なのは、マネジメントする対象が、内と外両方にまたがるからなのでしょう。さらには、人が対象となるサービスをマネジメントするということは、実に奥深い領域にまで手を差しのべることとなります。

     ***

さて、愛媛大学医学部付属病院副院長の田渕典子さんとは毎回会うたびに、看護サービス・マネジメントのいろいろな話もさることながら、精神世界、死後の世界、シンクロニシティ、引き寄せの話に花が咲きます。

どうやらそのテの話というのは、後に残存する磁力のようなものがあり、その残存パワーが尾を引いていろいろな現象、とくに人と人との出逢いに結びつくようです。面白いですね。

     ***

先週は、日本医科大学の長谷川先生に急に「引き寄せ」られて松山を訪問、愛媛大学医学部付属病院の医療福祉支援センター長の櫃本真聿先生と御縁をいただきました。

松山空港からお車で、大洲の臥龍山荘内子町の内子座 をご案内いただき、道々、町おこし、パブリックヘルス、医療福祉連携に関する非常に奥深いディスカッションの渦巻きでした。

地元ラジオ局のパーソナリティもやられているという櫃本先生のパブリックヘルス論、医療福祉連携の方法論、思想、哲学。奥深い。

どれもこれも、刺さる話。

その夜は、またも引き寄せが発動して、田渕さんと3人の副看護部長の方々を囲んで松山市内で楽しい、楽しい宴会。

翌朝、道後温泉本館の3階の個室を占拠して、朝から湯の霊気を全身に稟けてから愛大を訪問。医療サービスの質改善とイノベーションをテーマを抱き、病院の要所要所を案内いただき、議論、議論、議論。

その後、3人の一行は福岡へ移動。そこでJICAプロジェクトの美しき方々と割烹よし田の肴を満喫してから最終便の新幹線つばめで熊本へ移動。

翌朝は「おとなの学校」を訪問。理事長の小山敬子先生と議論X議論。従来型の医療福祉をブレークスルーするサービスを展開する、おとなの学校は老年期のヘルスサービスのイノベーションの坩堝です。

出ました、波動ジャンキー。←これ、小山敬子先生のブログです。どうやら同じような波動をもつ人間は必然的に引き寄せられるようです。

みなさんと、剣道場だった素敵な古い建物で昼食を御一緒してから、興奮冷めやらぬ間に、済世会熊本病院の医療サービスTQM部へ。医療サービスのTQMと地域連携プラクティスのヒアリング。

次は、熊本大学医学部付属病院。対応いただいたのは医療情報経営企画の宇宿(うすけ)先生。神経内科が御専門とあってか、奥深いたゆたゆしいatmosphereの先生。

地域健康・医療サービスの質は、地域連携クリティカルパスというプラットフォームによって担保される・・・などのお話を伺いました。

なるほど、熊本では医療機関のcoopetitionが進んでいます。競争的でもあり、協働的でもある共創関係が進展中。これってco-creationですね。

一行に宇宿先生を加えて4名で、にしくまもと病院を訪問。林茂院長の病院再建ストーリーはすさまじいの一言。医療サービスの質を下支えする医療機関の世代継承、ガバナンスには問題山積。

医療連携から連合、そして統合へのパスを整備するためには、特別医療法人の制度だけでは不十分。トランスペアランシーとアカウンタビリティを伴う、非営利株式会社を発展させてような仕組みがぜひとも必要です。

いずれ、医療システムを生態的に見れば、連携→連合→統合の方向に日本の保健、医療、福祉のシステムも変化してゆくでしょう。たとえばIntegrated health systemのSentraのように・・・。

統合への入り口は、地域連携クリティカルパス。やがて、連携はマネジメント、ガバナンスにまでおよび、経営統合にまで至るでしょう。

割烹火の国で食事をしたあと、スザンヌのお母さんがやっている立ち飲みバーへ移動。そこへ熊本日日新聞でミカジメている大先輩N口氏が登場。

なんと、宇宿先生とN口氏は地元の中高学校で同期だったことが判明。なんともはや、引き寄せが、またも発動したのでした。

     ***

外側の世界にどーっと出てゆくといことは、実は、内側の世界に深く静かに沈潜することなのかもしれません。あるいは、古人が言った顕密一如なのかもしれません。

「引き寄せ」とは、そのような機微にやどる人生のスパイスのようなものだと思います。


イノベータ平田篤胤 その3

2011年05月31日 | 日本教・スピリチュアリティ

今の世の中では、ほとんどの人が、生きている人間の体がなくなってしまえば人間はそれで終わりであり、あとに何も残らないと思っているようだ。

たとえば、「死後の世界」、「霊魂」。

そんな話、やめとけよ、やめとけよ。そんな話、始めたらサイエンティストじゃなくなるぞ!こないだも、車いすの物理学者ホーキング氏が「天国も死後の世界もない」って断言したじゃないか。

そんな声が聞こえてくる、いやはや。

特に日本では妙にこの傾向が強い。いろいろな国のサイエンティストやビジネスパースンとプライベートにいろいろな議論をしてきたが、けっこう欧州、アメリカ、中東、インドあたりの知識人は、まじめに「死後の世界」、「霊魂」の議論に乗ってくる。ホーキング博士のものいいに真っ向から反対する人々が圧倒的に多い。

日本は物質文明が進んで来た反面、知識人の意識はけっこう世俗・低俗的な国で、宗教リテラシー向上にはさほど熱心でない。また、マルクス史観、唯物論や唯物史観の影響、戦後の屈折した反動などがあって、「死後の世界」、「霊魂」のは非科学的、科学が取り扱うようなテーマではないと、片付けられてきた。

かたや欧米や中東、インドなどでは科学者がキリスト教、イスラーム、ヒンズー教などを信仰して実践しているのは特段不思議なことではない。むしろ、しっかりした精神基盤を宗教的なプラクティスを通して確立して、世俗的な仕事もこなして統合するような人物がリスペクトされる。

ははぁ。

私はガキの頃から続いている特殊な超常的体験や、世界放浪経験、長じてからの医療サービスに関連する仕事の経験、グローバル・リテラシーの視点などから「死後の世界」や「霊魂」の問題を、バサっと捨て去るわけにはいかないと思っている。むしろ、ニッポンという文脈を背負って「死後の世界」や「霊魂」をキチンと受けとめることが本質的に大事だと思っている。

いやはや。

ついでに外国の方々にも、それらを正々堂々と開陳、解説することが大事だ。グローバル・リテラシー、インテリジェンスの重要項目として「死後の世界」や「霊魂」の、比較宗教学的な洞察が実に必要だ。

まぁ、そんなに肩に力を入れなくたって、「死後の世界」や「霊魂」のありかたを考えることは大切なことだと思っている。いろいろあって長くなるので、ここではその理由をふたつだけあげる。

①少生多死社会の到来

日本は少子高齢化どころか、少生多死社会に突入してしまって、今後圧倒的に多くの死を社会として受け止めざるを得ないからだ。人には生きたい、死にたくない欲望がある。そして医学、技術が発展して、どんどん生命を長らえさせる術がその欲望を満たそうとする。その欲望を満たすための社会的なコスト=国民医療費をどんどん投入しても、結局は人は死ぬ。

②増え続ける不条理な死

自殺(年間3万人以上11年連続)、孤独死、無縁死、そして今後は放射性物質とそれが発する放射線(現代の魑魅魍魎)の低量ながらも長期にわたる内部被曝を原因としてがんやその他の疾患が確率的に発症し、結果として死がいやらしく増えてゆく。なぜオレが?なぜうちの子供だけが?という不条理な死が増えてゆく。スピリチュアル・ペインが増してゆく。

つまり、死んだら自分はどうなるの?どう死んでいったらいいの?という問題に、より多くの人が直面して自問自答せざるを得なくなってきている。

 それはのっぺりとした抽象的な死じゃないぜよ。家族、隣人、友達などの切実で具体的な死ぜよ。死は、生まれ、育って、老いて、病を得る帰結として訪れることが多いから、結局は生老病死への自問自答が増えてゆくぜよ。逃げられんぜよ。

だから仏教看護(藤腹明子氏)のような仏教の言説、プラクティスを、寄り添うこと、ケアに直接結びつけて実践してゆこうというスタイルや死生学のような行き方は、今後のよりいっそう求められるだろう。

平田篤胤の話に戻す。西洋列強の亜細亜侵略、日本圧迫、そして開国、維新というグローバリズムの大海流のなかで、篤胤は、ジャパニーズならではのアイデンティティを真摯に模索、探求した。

 篤胤は、外国(とつくに)から伝搬された仏教、儒教、道教、基督教などを徹底的に研究。ジャパニーズなるものを、外来の仏教、儒教、道教、基督教などと比較考量し、そういった借りモノの衣を一枚、一枚とりさっていって、結局残る世界を篤胤は描写しまくった。

平田篤胤は、主著の「霊の真柱」(たまのみはしら)でこんなことを言っている。

「学問をするにはまず何よりも自らの死後の魂の行方を知らなければならない」

これ、「自らの死後の魂の行方や死後の世界のことは忘れて、学問をやりましょう」などというそんじょそこらの平均的(ほどんどのと言うべきででしょうか)日本の科学者の意識と真逆ですね。

            ◇   ◇   ◇

「霊の真柱」の上の巻で、篤胤は壮大な神々と世界観のモデリングを行う。10のモデルを次々に弁証法的に展開するオリジナリティ溢れる構成が圧巻だ。世界観(world view)を大胆に構成し直すイノベーション。

この手法は、たとえば、大正時代の人、原田常治が「上代日本正史」前後2巻などでおこなった実在の歴史的人物として神々に迫るというものとは別のアプローチ。原田常治あたりから流行り始めた手法も面白いが、ここではそれはひとまず措く。

まえにもちょっと書いたが、畢竟、「死後の世界」や「霊魂」はふたつの捉え方に行き着く。①絶対主義:「死後の世界」や「霊魂」は絶対的に存在するという立場。多くの宗教者はこの立場をとる。②構成主義:人間社会の意識、習俗、風習、民俗などが「死後の世界」や「霊魂」を構成(コンスティチュート)するという立場。

篤胤の精神的な師匠である本居宣長は、古典を考証した結果、人の魂はその死後、黄泉国におもむくとした。黄泉の国は穢れた悪しき国であり、だから死ぬことほど悲しいことはないとした。その逃れることのできない運命をそのまま淡々と受け入れるべきだと説いた。

篤胤にも大きな影響を与えた服部中庸も死者の霊魂は黄泉国に行くとした。ただし、中庸はイマジネーションをはたらかせて、黄泉国は天体の「月」のことであり、その世界は須佐之男命(月読命と同神だという)が治めていると構成した。

しかし天文学にも通暁していた篤胤にとって、霊魂が月に行くなどという構成は妄説にしかすぎない。篤胤は、他の学者のように死後の世界はこの世(現世)とは切り離された全く別のところにあるとはしない。

黄泉の国の存在は認めたが、黄泉の国は、死者の国とイコールではないとした。篤胤は、死者の魂は、現世=顕世(うつしよ)を去って死者の世界=幽世(かくりよ)に行くが、その異界はこの世、現世のありとあらゆる場所に遍満・遍在しているとした。


顕世(うつしよ)=上のモデルの左側からはその幽世(かくりよ)=右側を見ることはできない。しかし、死者の魂はこの世から離れても、人々の身近なところ、すぐそこにある幽世に居て、そこから現世のことを見ているという。彼らは祭祀、鎮魂などを通じて顕世の生者とコンタクトを続け、近親者・縁者を見守ってゆくとした。ちなみに上に引用した図以外の図の一応の、「霊の真柱」の解説サイトもある。

            ◇   ◇   ◇

門下一同、悩みながら、幕藩体制が崩壊して明治時代を直前にしたの「夜明け前」(島崎藤村)のグローバル化に直面し、ジャパニーズのジャパニーズたるアイデンティティを求め確立していった篤胤。篤胤が「霊の真柱」で大胆に展開した世界観は、グローバルにしてローカル。

 さて、イノベーションを推進するためのグローバル対応。このテーゼ、イノベーションを言痛(こちたく)議論する産学官領域にかまびすしい。かまびすしい議論がぽこっと忘れてしまっている精神的、内向的なローカル化の支え。

世俗的、外向的なイノベーション・グローバル対応とは、精神的、内向的なローカル化の支えがあってはじめてものにすることができるのである。しょせん支える土壌がないところに柱は建たない。かまびすしい議論には土壌がないではないか、柱がないではないか。

グローバルとローカルの相克、軋轢という点で、篤胤が生きた時代と現代は非常に似ている。だからこそ、土壌と柱が問われるのだ。グローバルなイノベーション対応という文脈にこそ、篤胤の力作、代表作の「霊の真柱」は豊かな示唆を与えてくれるのではなかろうか。


イノベータ平田篤胤 その2

2011年05月29日 | 日本教・スピリチュアリティ


知の巨人、平田篤胤。その巨人の知的スパンは広大にして深遠。あまりにも間口の広さ、深さが広大無辺なため、単一の専門性からはなかなかとらえようがない。

国学、神道学、近代史、思想史などの専門性からは、それぞれの専門領域に依拠した描写になってしまい、なかなか篤胤の全体像に迫れきれない。人は見たいように人物を見るのである。国学者としての篤胤、神道家としての篤胤、神秘思想家としての篤胤、学者としての篤胤、などなど。

人はおのれの尺度でどうしても人物を見てしまう。小さい尺度を用いれば、小さく見えてしまう。小さな尺度に入りきれない部分はどこかに行ってしまう。だから大人物の評価はむつかしいし、大人物に接することを怠っていると、尺度がどんどんちじこまってくる。

さて、篤胤の守備範囲は超ワイドレンジにして茫漠無限の様相を呈する。想像を絶する。窮理(物理)学、暦学、地理学、天文学、漢方医学、西洋医学といった自然科学。神道、国学、古学に始まり、古伝、神代文字、文学、民俗学、妖怪、諸宗教(仏教、儒教、道教、キリスト教、神仙道、陰陽道)、死生学、漢文、ロシア語、ラテン語、オランダ語、英語、蘭学、兵学、易学などに人文知。今の言葉で言えば文理融合、あるいは文理超越的な超広範囲な学問知の蓄積に依拠して、これまた膨大な著述を残している。

Wikipediaの平田篤胤の項の著作物紹介にも膨大な数の著作物が載っています。江戸時代後期、コスモポリタン都市の江戸の知的コミュニティにおいてアベイラブルなあらゆる知識を縦横無尽の渉猟し我がものとして、それらのインターディシプリナリーな知を橋渡しし、トランスレートして、超越的次元にまで高めた篤胤。篤胤の知的世界は、実に超越的=トランスディシプリナリーなのだ。とほもなく。

というわけで、篤胤は、「~としての」の「~」に実に多様な代入項目が入りすぎる。結局は描写する専門性からの切り口になってしまう。学問の専門性がこまぎれになり、専門領域が狭まるにつけ、たしかに深くはなるのだが、それだと、篤胤のような巨人には歯がたたないのだ。

だから、なんでもかんでも一切万物を飲みこむ「博物学」のような切り口が篤胤描写には合いますねん。だから荒俣宏氏の描写は、とにかく面白いし刺激的。しかし、この水木しげると仲良しのオッサン、魑魅魍魎、幻想文学、妖怪の方向性が強すぎるのが難点といえば難点でしょうか。

じゃ、どう篤胤を見るんですか?はい、まずは、社会イノベーションを体現する社会イノベータ、ソーシャル・アントレプレナーとしての平田篤胤ですね。

ウンチクを少々。そもそもアントレプレナーシップとは、チェコに生まれのオーストリア人経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが、イノベーションの担い手として起業家(アントレプレナー)を捉え、起業家によってもたらされるイノベーションの本質を「新結合」の実現に求めたことに淵源する。

シュンペーターは、著書「経済発展の理論」でイノベーションの本質を抉り出して「新結合」と定義した。イノベーションとは、ラテン語の"innovare"(新らしくする)が語源で、in (内部へ)+novare(変化させる)がイノベーションである。つまりイノベーションとは、経済活動を通して新方式を内部に取り込むことである。シュンペーターはイノベーションとして5類型を提示した。

つまり、新しい財貨の生産、新しい生産方法の導入 、新しい販売先の開拓 、新しい仕入先の獲得、新しい組織の実現。シュンペンターはイノベーションを体現する当事者をアントレプレナー(entrepreneur)と呼んだのですね。

ただし篤胤先生が切り開いて普及させた財は、モノじゃなかった。で、銭儲けにはほとんど手を出さなかった。一生お金に困った貧乏学者でした。初めの奥さんの織瀬さんと死別してから幼い子供たちを男でひとつで育て、江戸の下町の借家の家賃も満足に払えないものだから、家を転々と。

で、学者としての篤胤のアウトプットは学問知、霊性、スピリチュアリティ、広い意味での文化、文明をおおぐくりにとらえる知の体系なり。宇沢弘文先生の言説をおかりすれば、社会的共通資本(Socail Common Capital)。

ちなみに、下手の横好きで、内閣府で社会起業関連のワーキンググループの委員として参画したことがありまして。その時に内閣府に提出された公文書では、ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)はつぎのように定義。

「社会的課題に対し、解決の意思をもって新規の事業アイディアを創出し、当該事業アイディア実現のための事業基盤の持続性確立を目指し、手元の資源に制約を受けることなく、主体的に実践に取り組むことによって、当該事業の普及と普及による社会変革の担い手となる一人または複数の人物」(露木 2008)。今は明治大学にいる露木さんの定義、光ってますね。

次にこの定義に沿って、篤胤の業績をトレースしてみましょう。

この定義に現れるキーワードに沿って篤胤の業績をトレースしてみると・・・ 

(1)新結合 

うえに書いたように、窮理(物理)学、暦学、地理学、天文学、漢方医学、西洋医学といった自然科学。神道、国学、古学に始まり、古伝、神代文字、文学、民俗学、妖怪、諸宗教(仏教、儒教、道教、キリスト教、神仙道、陰陽道)、死生学、漢文、ロシア語、ラテン語、オランダ語、蘭学、兵学、易学などに人文知を縦横無尽に結び付け、イノベーティブな知的アウトプットを出し続けた。このうえもなく、スカラー、求道者として新結合を体現しています。 

(2)社会的問題 

外からは西洋列強、アメリカが日本に開国、通商を迫り、内では、徳川封建体制の崩壊と、明治維新へと続く社会の激動が、シンクロナイズして、とにかくこの時代は、一気に社会的問題がどっと出てきた時代でした。

鎖国から開国へ。封建鎖国経済から資本主義経済へ。激変の時代、人々は新しいマインドセットは切実に希求しました。幕末の混沌とした政情の中王政復古が間近に迫っていた時代。篤胤はこの新しいマインドセットを提案、供給したのです。ただし、「新しい」だけではなく、「新しき古」という一語に膨大な知の体系を込めたんですね。

(3)解決の意思

篤胤先生の解決の確固たる不動の意思は執筆活動に端的に現れています。篤胤愛用の机にはヒジを突きすぎてぽっかり穴があいているくらいです。不眠不休の末、執筆した本が多数あり。解決の意思は強烈です。

マインドセットの変革のための知をいかにディフューズ(普及)させてゆくのか?平田篤胤の学問は燎原の火のごとく世の中に普及。その普及の仕方が、これまた目を見張る。一般大衆向けの「大意もの」を講談風に口述し弟子達は自主的に筆記して講義録のような形で記録。後に製本して出版。これらの出版物は町人・豪農層の人々にも支持を得て、国学思想の普及に多大の貢献をする事になる。

解決の意思は広く社会に共鳴して5000人を越える門人が育ってゆきます。平田篤胤→平田銕胤→平田延胤→平田盛胤→平田宗胤とつづく家系に沿って、門人組織も継承されていった。

(4)手元の資源の制約を受けない

江戸の知的コミュニティーのネットワークによって、どこからともなく西洋由来の発禁本などを入手してしまう篤胤。インプットする知的資源は膨大。

またアウトプットする知識も特段の制約を受けない。古学という側面だけとっても、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長の学問的系譜の最後に平田篤胤は国学四大人(うし)の中の一人として位置づけられる。この学派の学問的系譜、学説を無批判的に継承するのではなく、手厳しく批判もして自説を展開するのは凛とした書きぶり。

代表作の『霊能真柱』の中で述べている篤胤の幽冥観(死後の行方)についての論考しているが、死して人の霊魂は黄泉の国にゆくとした師本居宣長の説(世界観)に対して、顕世(うつしよ)・幽世(かくりよ)論を展開し、まっこうから新説(新しい世界観)を構成し発表している。師の人格を心から尊敬はするが、師の言説は人格とは別。よって人格は尊重するが、言説は別。知識発信においてもウェットな制約はなし。

「古学とは、よく古の真を尋ね明らめ、そを規則(のり)として、後を糺すをこそいふべけれ」とスパッと定義、ブレはない。

(5)社会的変革の担い手

真菅乃屋、後に気吹乃舎と改名される勉強会、門人の知識共有の私塾のような組織がネットワーク上にできあがり、篤胤の学問は社会に普及。「解決の意思」に賛同する門人が、そうですね、今組織論あたりのはやりのタームで言えば、ラーニング・コミュニティ、プラクティス・コミュニティといった自己組織的な組織をネットワーク的に生成されてゆき、それが明治維新胎動の一大契機にまでなっていった。

伊那の平田学派の存在は有名ですね。ただし、明治新政府にとっては、これらの動きがあったことを歴史に残すことはいろいろと都合がよくなかったようで、まあり文献が残っていません。わずかに島崎藤村の小説『夜明け前』で平田学派の開明的な地方民衆の苦悩が描かれています。

※だだし、「気吹舎日記」という篤胤とその周囲の動向が記されている日記全32部が歴史民族初物間に所蔵されている。戦前に渡辺金造という研究者がこのうち4部だけを紹介いただけで、あとは世に出ていない。吉田麻子さん(資料)という気鋭の研究者が残りの解読と公開に挑んでいるようだ。ちなみに彼女が作った平田篤胤略年譜はとても力作で役に立つ。(別冊太陽「知のネットワークの先覚者平田篤胤p133収蔵)

この日記に残っているかどうかは分からないが、年代別の門人の人数推移、地域ごとの人数、出版別の推移などをデータベースにすれば、計量的に社会的普及を明らかにできるのかも知れない。今後の課題。

 さて、篤胤にとって変革の対象にタブーはなかった。天保12年(1841年)に篤胤が開発した『天朝無窮暦』が幕府によって発禁処分。いわゆる徳川幕府が設定する社会秩序の根幹を代替する『天朝無窮暦』は幕府から見れば権威の否定である。それでも篤胤は、『天朝無窮暦』の科学的正しさを凛として主張。これがもとで、篤胤、故郷である秋田に帰るように命じられた。

◇  ◇  ◇

以上のように、平田篤胤は社会変革者、社会イノベータとして見ることができるだろう。



イノベータ平田篤胤 その1

2011年05月27日 | 日本教・スピリチュアリティ

日本に顕現してきたスピリチュアリティを語る上で、避けようもない人物がいる。

平田篤胤。

代々木の平田神社の早稲田大学の大先輩でもある米田勝安さん(篤胤の子孫)が亡くなられて、それまで平田神社に所蔵されていた平田篤胤関係の膨大な遺稿、確定原稿、テキスト、メモ、絵図、資料・史料が国立歴史民族博物館に移管されたのが、たしか2004年あたりのことだった。

読書界ないしは近代史、思想史分野での平田篤胤の一般的に受けとめられる人物像はここ10年くらいで様変わりしている。

荒俣宏氏と前述の米田勝安氏による「よみがえるカリスマ平田篤胤」が出版された2000年を節目として、2004年には別冊太陽が「知のネットワークの先覚者平田篤胤」を特集。そして2004年には、満を持したように歴博が、「明治維新と平田国学」という企画展示を行ったことのインパクトが大きかった。

以前は、八紘一宇の皇国のあるべき姿を唱道し、排外的な国家神道のエキセントリックなイデオローグといったもの。年配の方々が抱くイメージは大概がそんなものだろう。

こところが、近年は、「よみがえるカリスマ」、「知のネットワークの先覚者」、「諸学の統合者」、「自然科学、人文科学、超科学の先導者」といった形容が忽然と加えられ、専門家のみならず一般の歴史・思想愛好者、幻想文学、妖怪愛好者、好事家、キワモノ好きの間でも平田篤胤の再評価イメージが拡がってきている。

歴史の記述には、なにやら法則のほうなものが働いている。それは、歴史に名を留める傑出した人物の再評価は、変化する時代の節目、節目によく顕現するということ。平田篤胤のイメージの変化は時代の変化の裏返しなのだ。

タコツボのような専門にとらわれることなく、イノベータとしての篤胤に迫ってやろう。幸いイノベーション研究という切り口からの平田篤胤研究は前例はない。ほとんどの研究は、国学、神道学、近代史、思想史などの領域からのアプローチからにとどまってきた。

ということで、特別の許可を得て、佐倉市にある歴史民俗博物館の奥の院に潜入する貴重な機会を得たのだ。実に有り難いことだ。奥の院では、某大な史料の現物に直接、手づから五本の指と手の平で触れ、肉眼で括目して診て読んで、かぐわしき門外不出の史料の芳香を嗅ぐ知的悦楽を存分にわがものとすることができる。

ちなみに、この奥の院は裏口から入ることになっている。裏口から入ると、一般閲覧、特別展示、合計1500円くらいかかる入場料もタダになる。おまけに奥の院では、有能なアシスタントがついてくれて、膨大な史料に対する直接アクセスの手助けまでしてくれるのだ。

歴史民俗博物館の奥の院は、顕世(うつしよ)と幽世(かくりよ)を架橋する場である。本業の間をみて何回かに分けてちょくちょくメモってみることにする。いずれまとまったモノになればいい。


3.11:「苦」の連鎖と、「苦」の分かち合い

2011年05月11日 | 日本教・スピリチュアリティ

原発事故の被害状況(原発の施設状況、大気、環境に放出されている放射性物質、健康被害など)は、政・産・学・官の利権構造に報(主流メディア)が組み込まれている構造から発せられているので、原発擁護派による暗黙的情報マニュピレーション(操作)やマヌーバ(工作)が織り込まれている。

それと同時に、原発から発電・送電される電気を湯水のごとく使い、便利な生活を享受し、そのくせ、巨大なリスクの塊を東京ではなく東北へ押しやってきた大きな構造に乗かっている「私」。

だとしたら、見ず知らずのうちに、「私」は誘導されて「私」の意識(潜在意識というべきか)を、操作・工作してきたこととなる。3.11で明らかになりつつあることは、体制の闇の構造。と同時に明らかにすべきは、「私」の意識に塗り込められた闇の構造。

3.11は「私」が今まで疑うことなく大きな前提にしてきたあらゆることを、もう一回棚卸しすることを突きつけている。地震、津波、原発事故は、とほうもない苦痛をばらまいている。低線量の体内被曝による放射線被害は、「私」のバイオメディカルな本元であるDNAをも傷つけ、「私」のみならず「私」の子孫にも、「確率的」に棄損を及ぼす。

「私」はどのようにケアされるべきなのか?

「私」を救う道はあるのか?

「私」はなにを信じて、苦に耐えていきていけばよいのか?

・・・・こんな問いと無縁の人はよもやいまい。

そんなときに、上田紀行先生からメッセージが届いた。新しい「私」、新しい生き方が生ぜざるを得ないのではないか。

<以下貼り付け>

上田紀行です。
9日月曜日の読売新聞に
「震災後」新しい日常へ ―違和感の先に、成熟した個と社会
が載りました。
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/yomiuri110509.html

3月下旬からほぼ毎週新聞紙上に書いてきました。
末期の母の在宅看護があって、家を離れることができない中、逆に東京で動けないこ
とから見えてくる視点で書き続けてきました。
これで新聞への寄稿は一段落になります。

6月中旬に震災に関する緊急出版を刊行する予定です。

これまでの論考は以下でご覧になれます。

毎日新聞(3月30日) 「社会への信頼 絆の回復が復興の道」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/mainichi1103.html
朝日新聞(4月8日) 「仏教者の役割 苦を支えるネットワークに」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/asahi1104.html
中日新聞・東京新聞(4月16日)
「『救いの力』の復活を(上) 大震災から再創造へ 悲しみを共有し信頼を取り戻す」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/chunichi%20tokyo110416.html
中日新聞・東京新聞(4月23日)
「『救いの力』の復活を(下) 重なり合い、補い合う 大きな可能性持つ寺院ネット
ワーク」
http://www.valdes.titech.ac.jp/~ueda/chunichi%20tokyo110423.html

以下にテキストでも貼り付けておきます。

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「震災後」新しい日常へ ―違和感の先に、成熟した個と社会

 困窮の中にある被災地から離れた東京に私はいる。しかし自分もダメージを受けていることに気づいたのは、地震から45日後に初めて東京を離れたときだ。京都駅に降り立つと、体が一気に軽くなった。集中講義後の学生との懇親の場が、地震後初めての飲み会だった。「自粛」ムード以前に、自分からまったくそんな気が起きなかったのだ。そして地震以来心の底から笑ったことがないことに気づいた。

 幼い子どもたちを疎開させ、重病で動かせない母と二人で東京に残留し、新聞や雑誌への寄稿のために、来る日も来る日も震災関係のニュースと資料漬けという状況は特殊かもしれない。しかし私と同様、心身の変調に見舞われた人も多かったのではないか。

 それは大きな違和感である。しかし不思議なのは、その違和感が消え失せて震災前の日常に戻ればよしとは思えないことだ。それは震災前の社会に私たちが感じていた違和感をあぶり出すものでもあり、新しい自分、新しい社会への再生を促しているように思われるのである。

 それは震災後に起こった一見ネガティブに見える事象の見直しから始まる。照明が落とされた街を、あのどこもかしこも眩しい街に戻すのか。間引き運転のせいで遅刻が増えたが、遅刻の言い訳もできて何か人間的になったような気もする。エステ狂いだった自分がバカらしくなった、職場での些細ないさかいなど「小さいことは気にしない」と思えるようになったという声も聞く。

 その中で注目すべきは、震災後の社会における「個と全体」の枠組みの変化の可能性だ。例えば、原発事故後の情報開示に私たちは大きな不安を抱いた。実際、水素爆発で大量の放射性物質が放出されても、政府はSPEEDI(拡散予測システム)の情報も開示せず、私たちは長時間、屋外で列車やタクシー待ちの列に並ばされていた。こうした状況では、頼れるのは個々の情報収集能力になる。乳児を抱えた私自身も、インターネット上の情報を検索し、公式発表の前日から粉ミルクに水道水を使うのをやめた。

「信用できない情報」というネガティブな状況から、個人の自覚が生まれ、そうした個人をつなぐ情報ネットワークが成立したのである。

 盛夏に予想される停電からも、新しいライフスタイルが生まれそうだ。日本人もフランスのバカンスのように長期休暇を取れれば、システムへの過剰適応からの自己回復の場となり極めて有益だと、私は『「肩の荷」をおろして生きる』(PHP新書)に書いたが、今年の夏は首都圏の「バカンス元年」になりそうだ。

 そして、私たちの心身の重苦しさが、被災者への共感共苦からであるならば、それは犠牲者の供養と、被災者の徹底的な救済にしか解決はない。増税等の負担増は避けられないが、困窮者への援助の自覚をもって国民が支え合う。しかし復興利権に群がる人々への厳しいチェックも忘れてはならない。自分の取り分が減るから怒るのではなく、自分の託した援助がきちんと届かないから怒る。そんな成熟した個が支え合う社会を生みだせるか。日本社会の大きな試金石になるだろう。

<以上貼り付け>


仏教看護の実際

2011年03月30日 | 日本教・スピリチュアリティ

敗血性ショック、他臓器不全で死にそうになった母(彼女は変わった人で臨死体験を2回経験)が入院していた日本医科大学千葉北総病院の書店で偶然、背表紙が目にとまり買い求めた一冊です。その後、このブログが御縁となり、著者の藤腹明子さんと出版社の方と気脈を通わせるようになり、ぜひ書評を、ということになりました。

なんとも不思議な御縁です。記念に張っておきます。(医学書院、看護管理3月号)

<以下貼り付け>

書評 「仏教看護の実際」 

日本の看護界ではアメリカを中心に発祥・生成してきた理論、モデル、アプローチがこぞって紹介され、いわゆる近代科学としての看護学が全面に出てきている。しかしながら、このようなサイエンスとしての看護のみで完全に人を癒し、救済できるのだろうか。

否。患者は、せつなさ、やるせなさ、しんどさ、やりきれなさ、つらさ、不安、焦燥感、絶望、希望、苦しさ、スピリチュアルな痛みなどの内的な世界に、個別、特殊な意味を紡ぎつつ、生老病死という果てのない、小さいながらもかけがえのない物語を生きているからだ。さらには、退嬰化しつつも、実は日本社会の内側に未だ深く埋め込まれている文化、習慣、習俗、価値観、共同体性といった大きな物語を、普遍志向が強いサイエンスのみでは十全に包摂できないからだ。

 私なりに読んだ本書の画期的な点を4つほど指摘しておきたい。第一に、一般的な看護師にはさほど縁がないであろう仏陀の教えを、現代日本の看護の臨床場面で実に分かりやすく解説している点だ。読者は、瑞々しい仏陀の教えを臨床現場で親しく感じ、複雑な判断をするときの依るべ=倫理判断の規準の一端を見出すことができるだろう。

第二に、本書の構成である。筆者は、「仏教では、この世に生を受けるということは、すでにその中にさまざまな『苦』を内包しており、人間が根底的苦を基に据えた存在であるという人間観があすます」(104ページ)としたうえで、生老病死のプロセスに沿って様々なケースを丹念に展開している。どれも深く考えさせられる事例ばかりだ。

第三に、本書では、仏教の正統的な脈絡の上で議論を展開しているということだ。いわゆる大乗仏教の創作経典ではなく、あくまでも釈尊によって説かれた言説を忠実に伝承する阿含経典を中心とする原始仏教の教えと法に依拠している。著者が「七科三十七道品」に言及しているのは、本気で仏陀の教えに向かっている証左である。

第四は、ケアのイノベーションの本質に関連する点だ。近代科学の技術進化を貪欲に利用するキュア(治し)のイノベーションは、要素還元的な方向性をますます強化し、臓器別、疾患別をさらに細分化、分節化させ、分子標的治療、遺伝子治療までをも視野に収めつつある。その方向性が先鋭化するほどに、実はそれとは対蹠的な志向性を持つケア(癒し)の拡張が待たれているのである。本書は、人体のみにとどまらず、精神、身体性、人生、生活、生命、いのち、スピリチュアリティというようにホーリスティクな方向性に沿っている。 

 和魂洋才という古い言葉を借りるのならば、本書は日本の看護における「和魂」を真摯に問いかけている。近代科学は、人間的であること、つまり豊饒なヒューマニティの支えがあってはじめて真価を発揮する。看護に日本的ヒューマニティが、看護に教養なるものが要請されるのならば、私はその一部門として「仏教看護」を薦めたい。

<以上貼り付け>

 


小室直樹博士記念シンポジウム(3月6日)

2011年03月10日 | 日本教・スピリチュアリティ

東工大で開かれたシンポ。さすが、橋爪大三郎先生。世界文明センターの大舞台で知の巨人を追悼するシンポジウムにふさわしく、このシンポの副題として「社会科学の復興をめざして」と銘打った。

小室博士は、一般にはアカデミックな「前期」の業績の延長線上に構想された「後期」のジャーナリズム的な業績がよく知られている。(1)1980年に出版した『ソビエト帝国の崩壊』でソ連崩壊を10年以上も前から正確に予測したことや、(2)ロッキード事件で大バッシングを浴びた田中角栄元首相を一貫して擁護する論陣を張り「無能な検察官僚どもを殺して電信柱に逆さ吊りにせよ!」とTV番組生放送中に叫んだことなどが有名だ。

後半の討論会で、副島隆彦氏が「今、小沢を貶めている検察官僚を殺せ!」と絶叫したのはまさに小室博士の言説の同型反復か。それ以外でもリバタリアン副島氏、咆哮しまくりだ。(下記ビデオリンク)

「前期」の小室博士の特徴は、自然科学、社会科学、人文の非常に多岐にわたる学問のオーソドックスな基礎をガッチリ押さえ、「持続する大いなる志」の上に自らの学問体系を構築していったことだ。その学問探求の幅と深さがハンパではないのだ。否、超人的である。

小室直樹は、京都大学で理論物理学を収めた後、大阪大学で高田保馬、森嶋通夫 、安井琢磨、二階堂副包らの下で 理論経済学を、アメリカのミシガン大学大学院に留学しダニエル・スーツから計量経済学を、MITで、ポール・サミュエルソン、ロバート・ソローから、ハーバード大学大学院ではケネス・アロー、チャリング・クープマンスら名だたる学者達から経済学を吸収。ハーバード大で、スキナー博士から心理学、一時コーネル大学にもいた泰斗タルコット・パーソンズから構造機能主義(structural-functionalism)を徹底的に学ぶ。当時のアメリカの社会科学の殿堂を総なめにするように、この天才は学問を構築していった。

これほどさように、小室博士の学問は世界的なworld valuesに極限的に忠実で合理的(rational)である。しかしながら、これまた討論されたことなのだが、合理の究極を支えるものはlocality。郷土への鬱勃たる愛情、天皇陛下への絶対帰依(渡部恒三は小室博士をして国家主義者と言っていたが)とでも言うべき心象などは、小室博士が愛した学問の世界から見ればなかなか説明がつかない非合理的情動、情念ではある。合理、非合理、world values、local valuesが小室という人格の奥底に同居している、あるいはそうした要素が越境しあって小室という人格に統合されている、その姿に、この巨人の摩訶不思議な磁力、魅力を見出すのだ。

帰国後は、これほどの天才、博覧強記の頭脳と、それらと対置したときに、世間ではエキセントリックととられやすい「社会的発言」のためか、日本の学会では受け入れられず市井で学問の研鑽を続けてきたのだ。

帰国後1967年から、ボランティアで所属・年齢・専攻を問わない自主ゼミ(小室ゼミ)を開講し、経済学を筆頭に、法社会学、比較宗教学、線型代数学、統計学、抽象代数学、解析学などを幅広く無償で教授。

小室ゼミ出身者には、橋爪大三郎、宮台真司、副島隆彦らがいる。このシンポでは、今田高俊(東京工業大学教授:自己組織性、小室ゼミは2年間参加)、志田基与師(横浜国立大学教授:小室の構造機能主義に異義を唱え、あるいは覆し、前期後期の転換点への契機を導いた)、大澤真幸(京都大学前教授)、盛山和夫(東京大学教授)、山田昌弘(中央大学教授)、伊藤真(司法試験指導校主宰)らも馳せ参じていた。

「小室直樹博士のような天才が再度出現したとき、学会に迎え入れなかったような、あのような失敗を二度と繰り返してはならない」と言った橋爪大三郎先生のコメントが印象的だった。シンポでは誰かが言っていたが、小室直樹博士の前期業績を「正」、後期業績を「反」としたら、それらを止揚する「合」の業績ほど待たれるものはなかったはずだ。博士ご存命ならば、今の状況をなんとみたのだろうか?

後半は東工大で開かれてる別のシンポで話をしなければならなかったので残念ながら参加できず。でもだれかが動画をアップしてくれている。この動画がまた、凄まじく面白い。繰り返し見よう。(永久にネット空間で保存されるできだろう)

小室直樹博士記念シンポジウム第一部(前半)

小室直樹博士記念シンポジウム第一部(後半)

小室直樹博士記念シンポジウム第二部(前半)

小室直樹博士記念シンポジウム第二部(後半)

後半は、なんと会津中学校以来親交があった渡部恒三(近年反小沢の先鋒化しており、シンポ参加者の多くは小沢擁護の副島さんと激突するかと思ったはずだ)が話をした。若い世代を登壇させたのがよかった。自分と接点がある早稲田大学雄弁会は、小室直樹博士の学問・言説空間の継承者でもある。ぜひとも関口慶太(早稲田大学雄弁会出身・弁護士)や村上篤直(小室直樹文献目録管理人)のような若者によって、小室直樹博士の学問・言説空間が継承されなければならない。もちろん、これは、同時代に生きる一粒の塩として自分の課題でもある。


友人の通夜:スピリチュアル・ケア・サービスあれこれ

2011年01月16日 | 日本教・スピリチュアリティ


<写真は辻宏さん帰天5年の集いから引用>

過日の友人の通夜のあと、仲間達で飲みに出かけた。

こうして飲みながら、故人の話を振り出しに、お互いの話など延々と続き、飲み会は渋谷の三次会まで続いてしまった。うつくしきかな、30年以上の仲間達よ。


<心やさしき仲間たち>

すると、仲間のひとりがボソっとこういうのである。

「一神教の葬儀はキビシイよなぁ」

なるほど。通夜というとなんとなく慰霊のような響きがあるが、先日、参会した聖公会聖パウロ教会での今は亡き友人の葬儀は遺体を前にして行う神(God)への礼拝であった。

Godの実在はサイエンスの領域では証明不可能命題なので、自分の立場は不可知論(I am agnostic about it)。別の友人は『書評:愚にもつかない、「神」の証明』を書いているが、まぁ、この立場に近い。

さて、葬儀を通じ死者を生も死も含めた全ての創造者である神に一切を委ねるということが強調された。式次第=プロトコルには、これでもか、これでもかというくらい唱和を含め、三位一体説、贖罪、召天の教えが繰り返された。(残念ながら、その式次第は教会にお返ししなければならなかったので今は手元にはない)

とくに、プロテスタントでは、外形的なものではなく、内面=信仰が重視される。

さて、プロテスタントでは人の死は忌むものではない。死とは、霊が地上の肉体を離れ、天にいる神とイエス・キリストのところに召されることと説明される。

死とは、イエス・キリストの再臨において復活するための準備のために天に召されるということになる。(牧師さんは「召天」と呼んでいたし、会葬挨拶のなかにも「召され」たとちゃんと書いてある。聖歌にも、「主よ、みもとに近づかん」とあった)。

そして死とは、天国において故人と再会できるまでの一時的な別れにすぎないという。そのようなスピリチュアル・サービスとしての会葬には、少なくとも3つの「癒し」のはたらきがあるように思える。

(1)遺族、親族、友人など地上にのこされた人間にとっては、その別れは悲しく寂しいこと限りない。慰められるべきことだ。この残された人間たちへのグリーフケア(悲嘆へのコーピング)。しかし、断じて死そのものは悲しむべき事であってはならないと教義上説明される。残された者にとって、ここに救いがある。

(2)死者が主のみもとに招かれることを牧師がガイドするサービスに参加することによって地上から故人の召天(昇天ではない)支援するスピリチュアル・ケア。

(3)故人を中心に同心円的に形成されてきた、地上の遺族、親族、友人らの共同体の絆を確認させ維持させる。コミュニティ・ケアともいえるだろう。

Godや死後の世界が絶対的なものであれ、人為的に構成されたものであれ、そういったものを媒介にして共創されるスピリチュアル・ケアには、効用があるのである。

リチュアルなものごとの中には、人が十全に生老病死を経てゆくための知恵が埋めこまれている。キリスト教ではGodを中心にそれをデザインしているし、仏教では四諦、「苦」からの解脱という主題を中心にデザインされている。もちろん会派、宗派によって様々なバリエーションがある。

でも、ひかえめに言っても、スピリチュアル・ケア・サービスは、共同体の絆~社会の大事な中心~を保持して育んでゆくためには必須のものだと思う。だから、スピリチュアル・ケア・サービスについては、とてもじゃないがagnosticではいられないのだ。


友人の通夜

2011年01月15日 | 日本教・スピリチュアリティ

学生時代、いっしょに自転車で走りまわっていた友人が突然亡くなった。

昨夜は通夜。知らせに接した仲間の一人がその痛切な思いを綴っている。

仲間の一人が昔の写真を多数通夜に持ってきてくれた。

その何枚かには亡くなった友人が写っていた。

これには、ご遺族の方々もたいそう喜んでくれた。

棺桶の中の友人は静かにだまったままだったが、

その写真のなかの彼は天真爛漫に笑っていた。


     ◇     ◇     ◇


いつしかのOB会の時、酔って彼に悪態をついて

怒らせてしまったことがあった。

その侘びもとうとうできなかった自分が

なさけない。

     ◇     ◇     ◇

聖公会聖パウロ教会での会葬挨拶のなかには、

クリスチャンの亡き友人は、

「神の恵みによる生涯を送り

平安のうちに神のみもとに召されました」

と記されていた。

冥福を祈るばかりだ。