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自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

イノベータ平田篤胤 その1

2011年05月27日 | 日本教・スピリチュアリティ

日本に顕現してきたスピリチュアリティを語る上で、避けようもない人物がいる。

平田篤胤。

代々木の平田神社の早稲田大学の大先輩でもある米田勝安さん(篤胤の子孫)が亡くなられて、それまで平田神社に所蔵されていた平田篤胤関係の膨大な遺稿、確定原稿、テキスト、メモ、絵図、資料・史料が国立歴史民族博物館に移管されたのが、たしか2004年あたりのことだった。

読書界ないしは近代史、思想史分野での平田篤胤の一般的に受けとめられる人物像はここ10年くらいで様変わりしている。

荒俣宏氏と前述の米田勝安氏による「よみがえるカリスマ平田篤胤」が出版された2000年を節目として、2004年には別冊太陽が「知のネットワークの先覚者平田篤胤」を特集。そして2004年には、満を持したように歴博が、「明治維新と平田国学」という企画展示を行ったことのインパクトが大きかった。

以前は、八紘一宇の皇国のあるべき姿を唱道し、排外的な国家神道のエキセントリックなイデオローグといったもの。年配の方々が抱くイメージは大概がそんなものだろう。

こところが、近年は、「よみがえるカリスマ」、「知のネットワークの先覚者」、「諸学の統合者」、「自然科学、人文科学、超科学の先導者」といった形容が忽然と加えられ、専門家のみならず一般の歴史・思想愛好者、幻想文学、妖怪愛好者、好事家、キワモノ好きの間でも平田篤胤の再評価イメージが拡がってきている。

歴史の記述には、なにやら法則のほうなものが働いている。それは、歴史に名を留める傑出した人物の再評価は、変化する時代の節目、節目によく顕現するということ。平田篤胤のイメージの変化は時代の変化の裏返しなのだ。

タコツボのような専門にとらわれることなく、イノベータとしての篤胤に迫ってやろう。幸いイノベーション研究という切り口からの平田篤胤研究は前例はない。ほとんどの研究は、国学、神道学、近代史、思想史などの領域からのアプローチからにとどまってきた。

ということで、特別の許可を得て、佐倉市にある歴史民俗博物館の奥の院に潜入する貴重な機会を得たのだ。実に有り難いことだ。奥の院では、某大な史料の現物に直接、手づから五本の指と手の平で触れ、肉眼で括目して診て読んで、かぐわしき門外不出の史料の芳香を嗅ぐ知的悦楽を存分にわがものとすることができる。

ちなみに、この奥の院は裏口から入ることになっている。裏口から入ると、一般閲覧、特別展示、合計1500円くらいかかる入場料もタダになる。おまけに奥の院では、有能なアシスタントがついてくれて、膨大な史料に対する直接アクセスの手助けまでしてくれるのだ。

歴史民俗博物館の奥の院は、顕世(うつしよ)と幽世(かくりよ)を架橋する場である。本業の間をみて何回かに分けてちょくちょくメモってみることにする。いずれまとまったモノになればいい。


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