限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第291目)『資治通鑑に見られる現代用語(その134)』

2017-01-19 18:41:16 | 日記
前回

【233.政治 】P.3869、AD438年

『政治』の意味はいまさら説明する必要のない言葉と思うが、読み方は2通りある。そのまま「政治[せいじ]」と読むのと、「政+治」と分割して「政[まつりごと](が)治まる」という読み方とがある。二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で『政治』検索すると下記のように史記には見えず、漢書が初出となっている。ちなみに、類似の句の『治世』『為政』の出現回数を調べると『為政』が断然多いことが分かる。『為政』とは「政を為す」と読むので「政」だけで「政治」の意味であることが分かる。



さて、それでは『政治』は前漢以前には使われていなかったのかというとそうでもない。『晏子春秋』や『管子』にも見えるが、― 全部を調べた訳ではないが ― どうやら「政[まつりごと](が)治まる」の意味で用いているケースが多いようだ。(『晏子春秋』:晏子対曰:「君順懐之、政治帰之…」、『管子』:操分不雑、故政治不悔)このように、元来は「政」の一字で用いられていたのが、六朝ともなると二字の句として使われるようになったことが分かる。

資治通鑑で『政治』は17回出現するが、南北朝時代、宋の文帝(劉義隆)が在位した時代は、元嘉の治と呼ばれ、社会と文化が共に栄えた幸福な時代であったようだ。

 +++++++++++++++++++++++++++
南朝・宋の文帝(劉義隆)は性格が仁厚で、恭倹だった。政治に励んだ。法律を厳格に守った。包容力があったが、かといって情に流されることがなかった。官僚たちも皆、長年職務に励んだ。ただし、地方長官は6年の任期とした。いやしくも官吏は民の私有財産を強奪することはなかった。このような政治が30年も続いたので、国内は平穏無事で、人口が増えた。税金は決められた額だけ払えばよく、官吏が勝手に徴収することはなかった。庶民は朝から仕事をし、夜には自宅にもどることができた。自分の仕事だけをすればよく、やたらと公共工事などに駆り出されることはなかった。庶民の間にも学問を学ぶ風習がひろまった。士大夫たちは徳を磨くことに熱心になり、軽薄な言行を恥じた。このようにして、南朝の宋は淳風を称されるようになった。後代、政治をいうものはみなこぞって「元嘉」を挙げるようになった。

帝性仁厚恭倹、勤於為政;守法而不峻、容物而不弛。百官皆久於其職、守宰以六期為断;吏不苟免、民有所係。三十年間、四境之内、晏安無事、戸口蕃息;出租供傜、止於歳賦、晨出暮帰、自事而已。閭閻之間、講誦相聞;士敦操尚、郷恥軽薄。江左風俗、於斯為美、後之言政治者、皆称元嘉焉。
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文帝(劉義隆)の温厚な人柄と、まじめな官吏のおかげで、平和な世の中が30年間も続いたというのが「元嘉」の時代であったということだ。

ところで、上の文中で「吏不苟免、民有所係」という文句があるが、私は最初、この意味が解らなかった。それで『宋書』を「自事而已」という語句で検索したところ、巻92の『良吏列伝』に次のような個所がみつかった。

「高祖起自匹庶、知民事艱難…三十年間、氓庶蕃息、奉上供傜、止於歳賦、晨出莫帰、自事而已。守宰之職、以六期為断、雖没世不徙、未及曩時、而民有所係、吏無苟得。」

この文からすると、資治通鑑で文帝(劉義隆)の元嘉についての説明は本来は高祖(劉裕)の説明文であったことが分かる。さらに、意味不明であった「吏不苟免、民有所係」の文は本来は「而民有所係、吏無苟得」であったことが分かる。資治通鑑では分らなかった意味が、宋書のこの文からだと正しく理解できる。資治通鑑の編者が上の文と下の文を ― 多分、うっかりミスで ― 入れ替えてしまったのであろう。

しかし、この文の「民の私有財産を官吏が強奪するようなことはなかった」の意味するところは、一見当たり前のように思えるが、中国では官吏が庶民の無知につけこんで規定外の徴税をする悪弊がここから読み取ることができる。つまり、官吏は人民のにっくき敵であるというのが、中国人の骨身に沁みついた考えであるようだ。

続く。。。
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第18回リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム開催

2017-01-15 00:00:01 | 日記
リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム、2月 11日に開催。

出口治明会長の 5000年史は、1700年からは 50年単位になっている。今回は、いよいよ20世紀の最後、つまり5000年史の最後を詳しくお話しをして頂く

タイトルは: 20世紀の世界、その3 ~第二次世界大戦から現在まで~

出口会長の講演の前に、私の方から
 『知的情報収集法(後編) 和漢編、文系のプログラミング』
と題して下記の趣旨の話をする予定である。

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前回(2016年7月30日)のフォーラムでは『知的情報収集法(前編) 欧文編+読書法、Web情報』と題して、読書法と外国語の学び方についてお話をした。今回はそれに対応して、和漢編として、和漢の古典、とりわけ漢文資料をどのように集め、利用するかの方法論について述べようと思う。

漢文の読み方については、第6回フォーラム(2012/6/9)に『リベラルアーツとしての漢文-- 漢文は耳から学べばこわくない』でお話しした。今回お話しするのは、漢文資料の収集や検索を手作業ではなく、プログラミングを使って大量にかつ迅速に処理する方法論である。

漢文資料に限らず日本の古典籍でも、データの格納の形式が各所でばらばらである。まずは、その格納データ形式を理解することが第一歩となる。次にせっかく大量のデータを集積しても整理、検索に手間がかかることが多い。自分でプログラミングすることで、こういった大量のデータ処理を迅速に行うことができる。

今回は、資治通鑑や高麗史節要の実際のデータをサンプルとして、データの入手から検索までの具体的方法を「文系のプログラミング」として解説する。
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今回は、場所がまた日比谷図書館に変わっていますので、ご注意ください!

申し込みはこちら ==> http://kokucheese.com/event/index/448650/

それでは、当日会場でお会いしましょう。

 ******************* 第18回:開催概要 *******************

日時:2016年4月2日(土)(14:00 講演開始(13:30開場),16:45終了予定)
開催場所: 東京都千代田区日比谷公園1番4号(旧・都立日比谷図書館)
      日比谷図書館、日比谷コンベンションホール
住所:東京都
参加費: 1,000円(税込)
懇親会費:4,000円(税込)講演終了後2時間程度

スケジュール
14:00 -- 14:50 麻生川の講演 『知的情報収集法(後編) 和漢編、文系のプログラミング』
 参考図書:
 『本当に残酷な中国史大著「資治通鑑」を読み解く 』
  [Kindle版]

15:05 -- 16:15 ライフネット生命保険(株) 出口治明 代表取締役会長兼CEOによる講演 

【5000年史Part.16 20世紀後の世界】 ~第二次世界大戦から現在まで~
 参考図書:
 1.「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史
 2.「全世界史」講義 II近世・近現代編:教養に効く! 人類5000年史
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16:15 -- 16:45
  質疑応答、討議
  司会:麻生川静男

終了後、先着40名(程度)で懇談会を行います。

  =========== 参考情報  ===========

【本フォーラムの目的】

グローバル時代に、活躍すべきヤングエグゼクティブ(幹部候補生:学生、会社員、公務員)がグローバルリテラシーを身につける為のリベラルアーツ教育を実施する。本フォーラムでは、産学協同プロジェクトなどを企画し、その研究・教育の成果を社会還元する。また、積極的にシンポジウム・セミナー、ブログ、出版などの活動を行う。

【教育活動】
  ヤングエグゼクティブのリベラールアーツ教育
  ヤングエグゼクティブのリーダーシップ教育
  非日本人のヤングエグゼクティブの日本文化の理解促進

【研究活動】
教育の仕方をいろいろと試して、個人と組織を育てる手法を開発し、成果を書籍化

【リベラルアーツ教育の必要性】

ビジネススクールではとかく目先の経営技術に終始し、グローバルビジネスの根源をなす文化背景にまで注意が向けられない。そのため、グローバル拠点で多様な文化背景をもった人たちを統率できないリーダーが多い。

そのような欠陥を補うため、東西それぞれの文明の根源的な文化や思想・思考様式を議論を通して学んでいく。それも、夫々の文明を別個に学ぶのではなく、常に複眼的視点で包括的にとらえていく。『教える・覚える』というような通常の講義方式ではなく、『気づく・自分の意見をもつ』ために議論や発表を主体とする。

議論のテーマは、古今東西の歴史、宗教、哲学、科学技術史、などの文理統合した幅広い分野から選択する。受講者のヤングエグゼクティブは将来的には、グローバル拠点でリーダーとして活躍することが期待される。

以上
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想溢筆翔:(第290目)『資治通鑑に見られる現代用語(その133)』

2017-01-12 21:43:30 | 日記
前回

【232.隠居 】P.3868、AD438年

『隠居』とは、日本では「家長が家督を譲って隠退すること」という意味で使われている場合が多いが、漢文ではニュアンスが異なる。辞海(1978年版)によると『隠居』は「避世而居、不求仕進也」(世を避けて生活し、自分から求めて仕官しないこと)と説明する。つまり、単に世事を捨てて生活するのではなく、官吏という公的な仕事には就かないという積極的な意思表示を含む。『隠居』は論語にも2ヶ所見えるが、仕官しないというニュアンスが含まれていることが分かる。

さて、資治通鑑で『隠居』は18回使われているが、南朝・宋の文帝(劉義隆)の時、隠士の雷次宗を招いた場面を見てみよう。

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予章の雷次宗は好学の士として有名で、廬山に隠居していた。以前、朝廷から散騎侍郎の官職を与えようとしたが、出仕しなかった。それで、今年(AD438年)無官(処士)のまま、都の建康に出てくるように命じたところやってきたので、都の近くの鶏籠山に雷次宗のために学舎を建てて、学生を集めて教授させた。文帝はもとから文学・芸術を愛好していたので、この機会にと、丹楊の長官で、廬江出身の何尚之に玄学(老荘の学)を教授させ、太子の率更令である何承天に史学を教授させ、司徒参軍の謝元に文学を教授させ、雷次宗には儒学を教授させ、しめて四学と名付けた。謝元は謝霊運の従祖弟である。文帝はたびたび雷次宗の儒学学館に出かけて、雷次宗にラフな服装で講義させた。経済的にも厚遇した。雷次宗を給事中に任命しようとしたが、雷次宗は断り、暫くすると廬山に戻っていった。

予章雷次宗好学、隠居廬山。嘗徴為散騎侍郎、不就。是歳、以処士徴至建康、為開館於鶏籠山、使聚徒教授。帝雅好芸文、使丹楊尹廬江何尚之立玄学、太子率更令何承天立史学、司徒参軍謝元立文学、 并次宗儒学為四学。元、霊運之従祖弟也。帝数幸次宗学館、令次宗以巾褠侍講、資給甚厚。又除給事中、不就。久之、還廬山。
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雷次宗については宋書(巻93)に詳しい記述があるが、それによると、幼いころから病弱で、健康に気を使っていて、当時からすでに隠棲の志を持っていたという(吾少嬰羸患、事鍾養疾…雖在童稚之年、已懐遠迹之意)。

雷次宗の行動を見ると、儒者というより老荘の隠者の雰囲気を持っているように思える。実際、子供たちには次のように諭していた。
 「人生の長さは既に天命で決まっている。寿命を伸ばそうと知力を振り絞るのは無駄なことだ。与えられた所(命、天分)を精一杯つかって、無理をしないことだ」(夫生之修短、咸有定分、定分之外、不可以智力求、但当於所稟之中、順而勿率耳)



ところで、文帝は文運を興そうとして、儒学だけでなく、他の分野、玄学(老荘思想)、史学、文学の教授を任命した点について司馬光は次のように批判する。

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司馬光の批判:易経に「君子以多識前言往行、以畜其徳」(君子はもって多く前言往行を識[しる]して、もってその徳を畜[やしな]う」とある。孔子は「辞達而已矣」(辞は達するのみ)と言った。これからすると、史学(歴史)は儒学の一分野ではあるが、文学は儒学のつけたし(余事)である。ましてや、老荘のいう「虚無」など教える必要のないものである。学者が「道」を追い求めるのは天下に道は1つしかないからだ。四学などちゃんちゃらおかしい!

臣光曰:易曰:「君子多識前言往行以畜其徳。」孔子曰:「辞達而已矣。」然則史者儒之一端、文者儒之余事;至於老、荘虚無、固非所以為教也。夫学者所以求道;天下無二道、安有四学哉!
 +++++++++++++++++++++++++++

当時の儒者の頭目である司馬光は自らが「資治通鑑」を編纂しているので、史学は儒学と並ぶ重要な学問だと認めているが、その他の文学や老荘思想はクズだと貶している。この意見は、先ごろ、文科省が国立大学の文系部門を減らそうという案を提出したようだが、それと同じ趣旨のように聞こえる。

裾野が広くないと山が高くならないのも事実だが、かといって、厚遇に甘んじて精進を怠っている学者が数多くいるのも、残念ながら、また事実だろう。

続く。。。
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百論簇出:(第200回目)『Vaduz(ファドゥツ)で無人のユースに泊まった話』

2017-01-08 20:20:23 | 日記
前回(『生き方を考えさせるリベラルアーツ』)で「イギリス人のデービッド・アトキンソン氏が著著『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』(講談社+α新書)の第四章「日本人は本当に「おもてなし」が得意なのか」で、日本人が考えるおもてなしは『勘違い』だと鋭く指摘している」ことを紹介した。さらに、「私も実際、海外を巡って体験したことからアトキンソン氏の指摘が正しいと感じた」ことも述べた。

具体例として、私が1977年のドイツ留学時にリヒテンシュタインの首都 Vaduz(ファドゥツ)で体験したことを紹介したい。

当時、私のように普通の学生にとって海外に出る機会は極めて少なかった。それで、私はドイツ留学時には勉強より、むしろ極力ヨーロッパ各地を巡り、ヨーロッパ文明を自分の肌身を通してつかもうと考えた。それで少しでも休みが取れる時には、リュックとシュラフを背負ってぶらりと旅に出ていた。 1977年冬、あるいは1978年の初頭だったか、記憶にないが、まだ雪がかなり積もっていた時に、スイス経由でリヒテンシュタインに入り、オーストリアに行く計画を立てた。宿としては、各国の若者と知り合え情報交換できるなど、何かと便利なので、たいていはユースホステルに泊まっていた。当時、ドイツで買ったユースの案内書には、リヒテンシュタインの首都 Vaduz(ファドゥツ)にユースがあると書いてあった。首都と言っても、2,3千人程度の小さな村で、街中では隣国のスイスフランがそのまま使えたし、またドイツ語が通用したので、非常に気が楽であった。観光といっても取り立てて見る所がないので、遅い昼飯を済ましたあと、道々、土地の人に尋ねつつ、ユースまでかなりの距離を歩いた。辺り一面は30センチほどの雪が積もっていて、 4時ともなるとかなり日が暮れて暗くなってきていた。

ようやくの事で辿り着いてみると、戸口にはビニールシートが被せてあって、職人が出入りしている。私は場所を間違えたのかなと思ったが、そこらあたりには他に家もないので、中に入って行くと、職人が数人働いていた。聞くと、建物は最後の仕上げの段階で、完成までにはあと1週間はかかるとのことであった。それを聞いてショックであった。今から寒く薄暗い中をまた街中まで戻り、宿を探すことを考えると暗澹たる気持ちになった。

しかし、いろいろと話している内に、職人の親方らしき人が次のような提案をしてくれた。「このユースはまだ完成はしていないが、ベッドも入れてあるし、トイレや水、電気も使える。内装工事のために、終日暖房もしているので、温かい。それで、よかったら泊まっていくか?」

この提案はまさに地獄に仏に出会ったような思いで、うれしくて一も二もなくありがたく好意に甘えることにした。仕事が終わるまで、もう暫くかかるので、30分後に戻ってこいと言われたので、リュックをその場において、雪の中を散歩した。橋があって、渡っていくとどうやら、川の中が、リヒテンシュタインとスイスの国境らしく、標識の表にはリヒテンシュタインの国旗、裏にはスイスの国旗が描かれていた。

さて、30分後に戻ると、職人が2階に連れていってくれて、電気や暖房のスイッチの場所を教えてくれた。ベッドのクッションなどはまだビニールで包まれていた。夕食はなかったので持っていたビスケットを数枚食べて、早々にベッドの上にシュラフを置いてもぐりこんだ。暖房は快適で、おかげでぐっすりと寝ることができた。(今もこのユースがあるかどうか知らないが、私が宿泊者第一号であるのは間違いない。)



冒頭に述べた、アトキンソン氏の本には、彼が体験した箱根の老舗温泉旅館の冷たい対応(『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』P.127)が書かれている。それと私の体験を比較すると、前回にも述べたように、アトキンソン氏の指摘、つまり「日本のおもてなしは日本人が勝手におもてなしの精神を勘違いしている」という意味が理解して頂けることだろう。

思考実験として、もし、この未完のユースが Vaduz(ファドゥツ)ではなく、日本のどこかの山村にあったとしたらどうなっていたであろう。多分、日本の大工は外国人旅行者を泊めないで、追い払うのではないだろうか。というのも、もしも、泊めて火事や水漏れをおこされたら大変だと考えるからだ。旅行者が困るより、自分達の都合を優先するのだ。これがまさしくアトキンソン氏に対応した女将(おかみ)の態度と同じ発想であろう。

私はドイツ留学時(遊学時?)ヨーロッパ各地を半年以上も旅行した。その途上、さまざまな人から、心温まるおもてなしを実に数知れず受けた。(中には、パスポートを盗まれたりもしたが…) それらの経験から、客観的にみて、日本人は優しい一面もあるという点は認めるものの、一方では、ヨーロッパ人が持っている優しさ(おもてなし精神)は日本人には必ずしも備わっていないとも感じている。アトキンソン氏だけでなく、アレックス・カー氏のように、日本を愛しながらも、公平な立場から日本批判する人々の意見は、たとえ日本人には耳の痛い話であっても、耳をかたむけ、酌むべき点は酌むべきだと私は考える。
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想溢筆翔:(第289目)『資治通鑑に見られる現代用語(その132)』

2017-01-05 20:11:36 | 日記
前回

【231.投書 】P.3855、AD434年

『投書』とは文字通り「書を投げ(入れ)る」という意味だが、現在、通常に用いられているように「意見や苦情」ではなく、単なる文章そのものの意味の場合もある。例えば、史記の『屈原賈生列伝』に見える『投書』の文章は弔い文の意味である。

「屈原が汨羅に入水自殺してから100年近くして漢に賈誼が出た。長沙王の太傅となり、湘水を通りかかった時、「投書」して屈原を弔った。」(自屈原沈汨羅後百有余年、漢有賈生、為長沙王太傅、過湘水、投書以弔屈原)

ここでは、明らかに弔い文を絹に(それとも、木簡、竹簡?)に書いて川に投げ入れたのであり、意見書ではなかったはずだ。


 【出典】漢簡精選 

さて、資治通鑑で『投書』が5回使われているが、王朝の滅亡を予言する投書に河西王の沮渠牧犍が腹を立てた場面。

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ある老人が敦煌の東門に投書した。その人を捕まえようとしたが見つからなかった。その投書には「涼王三十年、若七年」と書いてあった。
河西王(北涼)の沮渠牧犍は奉常の張慎に「これはどういう意味か?」と尋ねた。それに対して「昔、虢の国が滅亡しようとした時、神が莘に降臨しました。どうか、陛下は徳をおさめ、立派な政治をすれば、三十年は国家は持ちますが、その反対にもし、狩猟、酒、女に溺れるようでにあれば、7年以内に国家の危機が訪れることでしょう」。それを聞いて、沮渠牧犍は不機嫌になった。

有老父投書於敦煌東門、求之、不獲。書曰:「涼王三十年若七年。」
河西王牧犍以問奉常張慎、対曰:「昔虢之将亡、神降于莘。願陛下崇徳脩政、以享三十年之祚;若盤于遊田、荒于酒色、臣恐七年将有大変。」牧犍不悦。
 +++++++++++++++++++++++++++

君主を批判する投書をした老人は投書するや、さっと身を隠した。沮渠牧犍の統治能力の欠如のせいだろうか、予言より早く4年足らずで北涼は(一旦は)滅亡した。この『投書』も苦情ではなく、警告の内容である。

ところで、君主の気晴らし・遊びと言えば、定番の酒色の外には、郊外での狩猟(田獵)がよく挙がる。現代人がサッカーや競馬に熱中するようなものだったのではなかろうかと想像される。あるいは、ローマ時代の猛獣と人間の格闘技のようにもっと凄惨なものだったのかも?

続く。。。
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百論簇出:(第199回目)『生き方を考えさせるリベラルアーツ』

2017-01-01 20:17:11 | 日記
このブログでは時事問題を取り上げることは極力控えている。それは以前のブログで述べたように ― 誇大妄想は承知の上で言えば ―『5000年後の読者が読んでも為になる内容』ということを考えているからである。
(詳細については『ブログ連載、一周年を迎えて』参照)

しかし、最近(2016年12月)電通の新入社員・高橋まつりさんの自殺を受け、同社の石井直社長が責任をとり辞任するとの記者会見( 2016年12月28日)があった。社内体質について自己批判したが、その中に次のような一節があった。
「業務の品質」を高めるために時間を際限なく費やす、それを「是」とする風土となっていた

この感想を聞いて、思い出したが、私は以前から日本人の長所であり、かつ、同時に短所でもあるのが『園芸的メンタリティ』( Gardening Mentality)だと言ってきた。『園芸的メンタリティ』をもつ近代日本人はあらゆる分野で ― とりわけ芸道では『道』というが ― 経済効率を度外視した活動に邁進する傾向にある。
 (詳細については、拙著『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』 P.126、あるいは、『真夏のリベラルアーツ3回連続講演』参照)

『園芸的メンタリティ』のもたらす結果は、従来は、完璧性を目指す製品や工芸などを生み出す、日本の美点だと言われてきた。しかし、それが今回の記者会見では却って否定的に言及されたのである。なぜ、新入社員が自殺するに至るまで、同社においてこの点がまるで顧みられなかったであろうか?

この点にたいする私の考えを述べる前にもう一つの例を取り上げてみたい。

先年、東京オリンピック招致の際に滝川クリステル氏のスピーチで日本の『おもてなし』が一躍脚光を浴びるようになった。その後、いろいろな場面で『おもてなし』に対する日本人自身の『自画自賛』的言論は絶えない。しかし、客観的にみれば、必ずしももろ手を挙げて賛同できないと私は考えている。同じ意見は、イギリス人のデービッド・アトキンソン氏も著著『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』(講談社+α新書)の第四章「日本人は本当に「おもてなし」が得意なのか」で、日本人が考えるおもてなしは『勘違い』だと鋭く指摘する。詳細は、同書を読んで頂くとして、私も実際、海外を巡って体験したことからアトキンソン氏の指摘が正しいと感じる。

問題は、このような自画自賛の過ち、つまり勘違い、がどうして日本人の中から指摘されないかということだ。私の結論は、日本人に批判的精神が欠けているからである。突き放した言い方を承知で言えば、日本人は『自画自賛』が好きなのだ。(この点では日本人は中国人といい勝負と言える…)また、「空気を読む」ことを「是」とし、好ましいと考える日本の風土にあっては、大数の意見に異を唱えると、理非曲直を問わず、一括して「叛逆的」との烙印を押されてしまう。つまり、日本の風土には思想言論の本当の自由が欠如しているとも言える。



今回の自殺に関しては、会社、社会、個人、の3点から問題点を考えてみたい。

【会社】
電通という会社の問題は、鬼の十則に縛られて、社内が攻撃的な雰囲気にあったことだろう。しかし、それに異を唱えることを許さない無言の圧力が存在していたことはもっと責任が重い。会社の責任や過去の違反事例については、すでに各種報道によって周知の事であるので割愛するが、今後の社内改革期待したい。

【社会】
社会に関して言えば、問題は『中途採用市場』が日本ではうまく機能していないことである。と言うのは、サラリーマンとしては社内体制を批判すると、職場に居づらくなり、退職に追い込まれることも考えられる。そうなると次の職場を見つけることは非常に厳しい。この点については、以前のブログ
 百論簇出:(第98回目)『就職難の根本原因は未成熟な中途採用市場にあり』
で指摘したように、現状の日本の社会はいくら適性や能力があっても中途採用においては門戸が非常に厳しく制限されている。所謂、大会社や優良会社の多くは純粋培養的な子飼の社員しか生き残れず、中途採用社員は不当に低く評価されている。また、その中途採用にもひっかからないと、一生非正規雇用社員として送らざるを得ない。この前近代的で理不尽な体制が残っている限り、いくら不満をもっていても、起業するという選択をしない限りは、会社にしがみつくしかなく、不合理な社風を批判できない風習がこれからも続くことであろう。つまり、現代日本社会の問題は、何も電通一社の改革で解決するわけではないので、問題の根はずっと深いと言える。

【個人】
最後に、個人に関して言えば、死者に鞭打つ意図は全くないが、社内のぎすぎすした社風が自分の生き方に会っていないと感じたにも拘らず、自分の生き方を貫き通すことができなかった点が挙げられる。私事になって恐縮だが、私は30代の前半、ソフトウェアのプロジェクトマネジャーとして文字通りセブンイレブン的生活を数年していた。正確な数字は覚えていないが、土日の出勤も含め、残業時間はかなり多かったに違いない。この時の状態は以前のブログ
 百論簇出:(第158回目)『IT時代の知的生産の方法(その6)』
に次のように書いた。
 …このような緊張を強いるプロジェクトを長いプロジェクトでは丸々 2年間、短いものでも1年間もしていると、終盤は流石に疲れが出てくる。特に、地獄の現調の現場に数ヶ月もいるとその内に胃がちくちく痛くなる。流石に胃から黄色い汁が上ってくるということはなかったものの、プロジェクト終了後の健康診断では決まって軽傷の胃炎と診断された。しかし元来、のう天気な性格なので、プロジェクトが終わって数ヶ月経つとけろりとし、胃は元通りに戻っていた。

今回の高橋まつりさんの件を考えてみると ― 正確な情報を得ている訳ではないので、確証があるのではないが ― 自殺に至った真の原因は長時間労働にあるのではなく、仕事に生きがいを見いだせなかったためではなかろうか?確かに今回の件は「長時間労働が原因」と見なされているが、つきつめれば「人としての生きがい」「人としての生き方」をどう見つけるかという問題に突き当たる。

この点において、以前のブログ
 沂風詠録:(第177回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その8)』
(及び、拙著『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』 P.46)では『リベラルアーツは、まさかの時に備える保険のようなもの』と題して次のように述べた。
 …リベラルアーツの学習で得た知識は、必ずしも日常の生活でいつも必要とされる訳ではない。将来のいつかの時点で、実務の中で役に立つかもしれないという漠然としたものである。しかし、リベラルアーツを必要とする場面に遭遇することは必ずあるといえる。例えば次のような事象は身近にも必ず経験することであろう。
 ○組織(会社・官庁・団体)の利益と社会の利益が相反する時
 ○組織(会社・官庁・団体)の方針と自分の生き方が相反する時

こういった時にどういう判断を下すか、どういう行動をとるかで、その人の考え方、生き方、つまり哲学が、試される。


私は、以前、京都大学で教養科目の一つとして『国際人のグローバルリテラシー』を教えていた時から、学生たちには国際的に活躍するために、グローバルリテラシーが必要だと考えていた。その中核がリベラルアーツであるが、世間で言われているような雑学ではなく、個人個人が自立心をもち、健全な批判的精神を持つ本格的なリベラルアーツを修得することだと思っている。
 (参照ブログ:【座右之銘・63】『Miserrimum est arbitrio alterius vivere』

現在の日本社会は江戸時代と異なり、すべての国民が海外と何らかの関連を持たされている。一例としては、アメリカの大統領が替わった途端に日本経済や日本社会が大きく変わらざるを得なくなった。あるいは、中国経済の動向によって、中国人観光客が大幅に増減し、それが地域経済や人々の生き方、生きがいにも大きな影響を与える。この意味で、ビジネスパーソンは国際社会で活躍する人材だけでなく、国内で活躍する人材もリベラルアーツの修得は必須であることが分かる。

リベラルアーツを修得することで、最終的には「日本文化のコアをつかみ、日本人としての生き方」を個人個人が自立的に突き詰めて考える社会を実現しない限り、今回のような悲劇が根絶することはないであろう。しかし、日本の文化コアをつかもうとして、日本の事ばかり調べるのでは失敗に終わるだろう。世界各地の文化を知り、その上で日本と比較して始めて日本が分かり、ひいては日本人としてではなく『人としての生き方』わかる。つまり、リベラルアーツというのはグローバル的視座を必然とするのだ。

今更ながら、リベラルアーツはグローバル時代に生きる全ての社会人が ― 欲を言えば、学生も ― 学ぶべきものだとの感を強く抱く。
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想溢筆翔:(第288目)『資治通鑑に見られる現代用語(その131)』

2016-12-29 21:59:28 | 日記
前回

【230.分限 】P.3846、AD433年

『分限』とは、日本語ではたいていにおいて「分限者」という語句で用いて「金持ち」を意味する。しかし、漢語では「尊卑・身分の上下」つまり「身のほど」の意味しかないので、「分限者=金持ち」は日本語特有の言い回しのようだ。

二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると26ヶ所しか使われていず、それも清史稿が11ヶ所なので、殆ど使われていない語句であることが分かる。初出は三国志。

資治通鑑でも『分限』は2ヶ所でしか使われていない。初出の場面を見てみよう。北魏が高車を属国として統治していたが、その方針を巡って、太武帝と臣下の陸俟の意見が対立した。

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北魏の太武帝が陸俟を散騎常侍に任命し、懐荒鎮の大将として高車を統治させた。一年も経たないうちに、高車の族長(莫弗)たちが、陸俟のやりかたがあまりにも厳しく、思いやりに欠けると訴えた。以前の統治者の郎孤に戻してくれるようにと懇願した。北魏の太武帝は陸俟を召喚して、郎孤を代わりに送った。陸俟は戻ってくると、太武帝に向かって「一年も経たない内に郎孤は必ず失敗して高車は必ず反旗を翻すでしょう」と言った。太武帝は怒って、陸俟をきびしく叱りつけ、陸俟の建業公の爵位だけは残したものの蟄居するよう命じた。

翌年、陸俟の予想通り族長たちは郎孤を殺害して反乱した。太武帝は大変驚いて、すぐさま陸俟を呼び出して問うた。「貴卿はどうして、反乱を予知できたのだ?」陸俟が答えていうには「高車の連中は上下の礼を知りません。それで、私が彼らに対するときには威厳をもって臨み、法を厳格に適用しました。こうすることで徐々に法を守らせ、貴賤の上下関係を周知させようと思ったからです。しかし、族長たちは私のすることを嫌がって「思いやりがない」とこじつけて謗り、郎孤を誉めたのです。私が去って郎孤が代わって治めると、郎孤は自分の名声を高めるために、もっぱら寛大な処置をするようになりました。そうなると、礼義を弁えない連中は得てして驕慢になるものです。その結果、一年も経たないうちに、上下関係がぐちゃぐちゃになることは目に見えています。郎孤も我慢できなくなって、法律を厳格に適用したことでしょう。そうなると、連中は厳格な統治を恨んで反乱すること間違いありません。」太武帝は、なるほどと頷いて「貴卿は体は小さいものの、思慮は底知れず深いなあ」と感心した。そして、その日の内に陸俟をもとの官位の散騎常侍に戻した。

魏主徴陸俟為散騎常侍、出為懐荒鎮大将、未期歳、高車諸莫弗訟俟厳急無恩、復請前鎮将郎孤。魏主徴俟還、以孤代之。俟既至、言於帝曰:「不過期年、郎孤必敗、高車必叛。」帝怒、切責之、使以建業公帰第。

明年、諸莫弗果殺郎孤而叛。帝大驚、立召俟問之曰:「卿何以知其然也?」俟曰:「高車不知上下之礼、故臣臨之以威、制之以法、欲以漸訓導、使知分限。而諸莫弗悪臣所為、訟臣無恩、称孤之美。臣以罪去、孤獲還鎮、悦其称誉、益収名声、専用寛恕待之。無礼之人、易生驕慢、不過期年、無復上下、孤所不堪、必将復以法裁之。如此、則衆心怨懟、必生禍乱矣。」帝笑曰:「卿身雖短、思慮何長也!」即日復以為散騎常侍。
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現代の人権尊重の世界では、人々の心の痛みを思いやる政治が望ましいと考えられている。しかし、この例でも分かるように、人道主義的な思いやりのある政治が必ずしも全ての局面で良いとは限らない。



過去の中国では、法律違反に対して残酷すぎるほどの刑罰を課さないと治め切れなかった例に事欠かない。最近出版した本『旅行記・滞在記500冊から学ぶ 日本人が知らないアジア人の本質』(P.113~P.115)にも書いたが『春秋左氏伝』の子産が死ぬ前に子大叔に残した言葉がある。「徳の備わった人に限り、緩やかにしても民を服させる。その次は力を烈しくして見せるのが何よりだ」(唯有徳者、能以寛服民。其次莫如猛)。

日本人は、政治家、一般人を問わず、大多数の人は人道主義的な観点が善だと単純に信じて疑わず、世界のどの国でも善意が通用すると考えている。しかし、現実の世界だけでなく、過去の歴史をつぶさに観察すると、そういった考えは単なる思い込み(illusion)に過ぎないことが痛いほど分かる。その国々の伝統的な民族性に適合した統治が必要とされる。

続く。。。
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百論簇出:(第198回目)『年輪を失った顔』

2016-12-25 20:16:38 | 日記
以前のブログ
 惑鴻醸危:(第52回目)『あくどい整形外科医』
では、日本の街路樹や公園の樹木の不必要で醜悪な剪定を指摘したが、その悪弊は樹木だけでなく、人間の顔にも及んでいる。

顔面を整形するのは韓国では当前のようだが、日本ではまさそれほどでもないように思う。しかし最近 ― と言っても、私が最近になって気付いただけかもしれないが ― 熟年を通りこして、老年になった男女のタレント数人の顔を見て、驚いてしまった。顔面全体を整形手術し、あたかも安っぽいセルロイド面をかぶっているようであったからだ。(セルロイドのお面というと現在では目にすることがすくないが、昔は屋台などでよく売っていたが、いかにも安物というものだ。)

女性ならどの年代でも整形手術をして、しわやシミ、そばかすを取り去り、若々しく見えたいという気持ちを持っていることは分かる。しかし、いい歳をした男のタレントや歌手でも顔面全体をそっくりとセルロイド面にして、一体何をしようとしているのか、理解に苦しむ。

顔のしわやたるみという生理現象は、見方を変えればその人の長い人生の生き様を如実に反映しているものだ。それまでの人生の苦労が眉間に深い溝を刻み、目尻にはにこやかな笑いがしわを作ったことだろう。あるいは、常に前向きで朗らかに暮らしてきた人の顔は溌剌として、見ていてもじつに爽快な感じが伝わってくる。若い時の肌の艶は失せても、年輪を感じさせる顔の表情は美しいものだ。顔面をセルロイド面に整形するというのは、自分の過去の年輪全てを全否定することに他ならないのではないだろうか?汚いもの、醜いものを隠し、「純粋」「生一本」「一途」など専一性をむやみと過大評価する日本文化のネガティブな部分が社会現象化したものが、セルロイド面だとも言える。



このような画一化への異常な傾斜は、米、リンゴ、ブドウ、イチゴなどの特産品のブランド化にも見られる。アメリカやヨーロッパのマーケットで見られるように、果物は、本来は実に多種多様で、色合いや味わいも異なるのが自然の姿である。しかし、そのような自然の姿を否定し、人工的に種別を狭め、ブランド化で市場性を高めると、限られた品種しか世の中に出回らない。その結果、現在ではすっぱいリンゴや夏みかんなどは全く手に入らなくなった。食物を通じて自然界の多様性を知る機会のなくなったこれからの日本の社会の歪性(いびつせい)は人々の生活様式や、果ては性格にまで悪影響を及ぼすのではないかと私は危惧している。
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想溢筆翔:(第287目)『資治通鑑に見られる現代用語(その130)』

2016-12-22 22:15:56 | 日記
前回

【229.消息 】P.3844、AD432年

『消息』とは、日本語では「知らせ・安否・事情」など「何か伝えるべきこと」の意味に使う。漢文にもこの意味はあるが、元来は「物事の変化」の意味であった。『消息』の「消」は英語でいう decay、「息」は英語でいう breath。つまり、「消えると生まれる」と言う原義から、「物事のup and down」の意味になる。

『消息』は易経においても、次のような文脈で使われている。「陽も南中を過ぎれば、西に傾き、月も満月になれば、欠けていく。万物の盛衰も時と共に変化する。ましてや、人や鬼神なども当然の事ながら盛衰がある」(日中則昃、月盈則食。天地盈虚、与時消息。而況於人乎、況於鬼神乎)

人に盛衰はあるのは分かるが、鬼神にもあるというのは、ちょっと不思議な感じがするが、神社なども人気が出たり廃れたりすることを意味しているのであろうと解釈できる。



さて、資治通鑑では『消息』は20回も使われているが、南北朝時代での一つの場面を紹介しよう。ここでは『消息』が「体調の up and down」の意味で使われている。

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北魏の李順が再度、北魏の皇帝の使として涼に到着した。涼王の沮渠蒙遜は中兵校郎の楊定帰に李順を出迎えさせて次のように伝言させた。「ワシは、歳のせいで病気がちで、足腰も痛くて思うように動かせないので、拝礼ができない。ただ、この数日は体調がよいので、お目にかかることができる」それに対し李順は「王(沮渠蒙遜)が歳をとり、病気がちなのは、我が皇帝もご存知とはいえ、皇帝の勅使を無視すると、この先どうなっても知りませんよ」と脅した。翌日、沮渠蒙遜は李順を王宮の庭で引見した。李順が入庭しても、沮渠蒙遜は椅子に座ったまま、起き上がろうとしなかった。その様子を見て、李順は怒って「このじじいめ、無礼にもほどがあるぞ!国が滅びることも心配せず、皇帝をバカにしているのか!くたばりぞこないめ、引見などくそくらえだ!」と怒って詔を渡さず握りしめたまま、退出しようとした。

魏李順復奉使至涼。涼王蒙遜遣中兵校郎楊定帰謂順曰:「年衰多疾、腰髀不随、不堪拝伏;比三五日消息小差、当相見。」順曰:「王之老疾、朝廷所知;豈得自安、不見詔使!」明日、蒙遜延順入至庭中、蒙遜箕坐隠几、無動起之状。順正色大言曰:「不謂此叟無礼乃至於此!今不憂覆亡而敢陵侮天地;魂魄逝矣、何用見之!」握節将出。
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中国の冊封体制において、北魏は宗主国で、涼は属国である。それで、宗主国の北魏の李順は使者の身分にしかすぎないが、属国の国王である沮渠蒙遜を叱り飛ばしたのだ。李順のあまりの権幕に涼の王や廷臣たちは慌てて李順をなだめた。結局、沮渠蒙遜は痛い足腰を折り曲げ、儀式どおりに平伏して宗主国からの詔を拝領した。

ちなみに、沮渠蒙遜は翌年に66歳で逝去している。このことから椅子に座ったまま勅使を引見したのは、傲慢であったためではないことがわかる。

続く。。。
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【座右之銘・99】『munus philosophiae quod bene vivimus』

2016-12-18 21:38:42 | 日記
前回の【座右之銘・98】『ανασκευη τησ επιθυμιασ』では、エピクテトスの欲望の滅却を紹介したが、今回は同じ点についてストア派のセネカの言葉を紹介したい。

通常、セネカの『道徳書簡集』と言われているエッセイ集がある。当時のローマで流行した書簡スタイルをとり、自分の意見を自由に述べている。セネカの『道徳書簡集』は若者のルキリウス(Lucilius)宛となっているが、どうやらこれは架空の相手であるようだ。しかし、わざと書簡スタイルをとることで、セネカの語りかけるような言葉を直接聞いているような錯覚に陥る。ストア派の巨匠の文なので内容はもちろん素晴らしいのだが、それ以上に当時の弁論術の技(テクニック)を直に味わうことができる。私の愛読書の一つでもある。



さて、『道徳書簡集』は全部で124本の書簡があるが、第90番目のものはかなり長い。Reclamの Zweisprachig(ラテン語・ドイツ語対訳本)では大抵のものは数ページだが、この90番目のものは30ページもある。

冒頭の文章に題名の句がある。
 【原文】Quis dubitare, mi Lucili, potest quin deorum inmortalium munus sit quod vivimus, philosophiae quod bene vivimus?
 【私訳】ルキリウスよ、我々が生きていけるのは不滅の神からの贈り物であるが、哲学からの贈り物は「より善く生きる」ことだ、とは疑いようがない。
 【英訳】Who can doubt, my dear Lucilius, that life is the gift of the immortal gods, but that living well is the gift of philosophy?
 【独訳】Wer könnte daran zweifeln, mein lieber Lucilius, daß es ein Geschenk der unsterblichen Götter ist, daß wir leben, ein Geschenk der Philosophie aber, daß wir rechtschaffen leben?

ここでセネカの言いたいのは、次のような意味だと私は理解する。つまり、単に生きているというのは動物だってしていることなので、何も人間のレベルの知能を必要とはしない、しかし人間の知能に相応しく「より善く生きる」には哲学を修得する必要がある、と。ただし、この書簡後半部では、セネカは人間の知能は必ずしも「より善く生きる」為に使われていないと指摘する。戦争や強奪で正義が踏みにじられ幸福な生活が破壊させられていると嘆く。

老子の第80章では『小国寡民』の理想が「隣国、相望み、鶏犬の声、相聞えるも、民、老死に至るまで、相往来せず」(隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死不相往来)と描かれているが、セネカも同様に、「善き生」を享受していた古(いにしへ)の理想国家を描く。そのような世界が無くなってしまった最大の原因を「avaritia」(貪欲)だと説く。
 【原文】 Avaritia paupertatem intulit et multa concupiscendo omnia amisit.
 【私訳】貪欲が貧困を引き起こした。あれもこれもと、際限なき欲望が全てをぶち壊した。
 【英訳】It was avarice that introduced poverty and, by craving much, lost all.
 【独訳】Die Habgier hat Armut mit sich gebrachat und sich durch ihre vielfältigen Ansprüche alles entgehen lassen.

人々が不必要以上に物を求めことが貧乏だけでなく、全ての悪徳がはびこる原因となったと指摘する。
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