限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第275回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その118)』

2016-09-29 21:41:48 | 日記
前回

【217.事宜 】P.2636、AD299年

『事宜』は前回説明した『時宜』と同じ発音であり、また意味も「物事を行うのにちょうどよいころあい」とよく似ている。辞海(1978年版)では、『事宜』は「謂事務之機宜也」(事務の機のよろしきをいうなり)と説明する。ここで「機」が使われているように、「タイミングがよい」という説明だ。

一方、辞源(1987年版)では「事理」、つまり「事の理(ことわり)」と説明する。つまり、都合よいのは「タイミング」ではなく「ことがら、役割が適切」である、という意味に解釈できる。

ついで、ここで前回説明した時宜や今回の事宜も含め、「宜」のつく4つの単語(時宜、事宜、便宜、適宜)を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索した結果を下記に示す。この中では、「便宜」という単語が最も頻繁に使われていることが分かる。



さて、資治通鑑で「事宜」が使われている場面を紹介しよう。

西晋が司馬炎(武帝)によって建国されたが、後継者選定でごたごたがあり、結局、司馬炎の死後に起こった八王の乱で社会が大混乱し、その結果、西晋は滅亡してしまう。その原因の一つが、司馬炎の息子、司馬衷(恵帝)の妃である賈妃(賈南風)にある。賈妃はなにかと癪に障る、太子の司馬遹を引きずりおろそうと画策した。ある時、太子を泥酔状態にさせておいて、予め用意しておいた反乱文を書き写させた。その文を宮廷で大臣達に見せ、太子の退位に賛成せよ、と迫ったが、文面が太子の直筆か疑わしいとの発言があった。

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裴頠は、とにかくその文面の字が太子の他の書面と比べて直筆であるかどうかを検証すべきだ、そうでないと偽物かどうか断定できないと述べた。そこで、賈后は予め用意しておいた太子が書いた公文書(啓事)を十枚ほどとりだして皆に見せた。それをチェックすると、皆は納得せざるをえなかった。さらに、賈后は宦官の董猛に武帝の娘で、帝の姉の長広公主からの伝言だと偽って帝(恵帝)に「この件(事宜)はさっさと結論づけなさい。臣下の中には、違った意見をもち、帝の命令に背く者もいるでしょうが、そやつらは軍法裁判にかけなさい」と言わせた。

裴頠以為宜先検校伝書者;又請比校太子手書、不然、恐有詐妄。賈后乃出太子啓事十余紙、衆人比視、亦無敢言非者。賈后使董猛矯以長広公主辞白帝曰:「事宜速決、而群臣各不同、其不従詔者、宜以軍法従事。」

しかし、朝から始まった議論も日が沈むころになってもまだ結論がでなかった。賈后は張華たちが頑として自分の意見に賛成しそうもないのを見ると、クーデターを起こされるかもしれないとおそれて、太子を死刑にするのではなく、とりあえず庶人の身分に落とすことで手を打ち、その旨の詔を発令した。その後、総理大臣(尚書)の和郁たちが、正式の使いとして東宮に出向き、太子を退位させて、庶人に落とした。太子は服装を変えて出てきて、詔を受け取った。そして、歩いて承華門を出て、粗末な牛車に乗った。東武公の司馬澹は儀仗兵を率いて太子と太子妃の王氏(王恵風)、王子の虨、臧、尚の三人をガードしながら、金墉城まで連れていって幽閉した。太子妃の父親の王衍は王恵風の離婚を請願し、許された。妃の王恵風は慟哭しつつ実家に戻った。

議至日西、不決。后見華等意堅、懼事変、乃表免太子為庶人、詔許之。於是使尚書和郁等持節詣東宮、廃太子為庶人。太子改服出、拝受詔、歩出承華門、乗粗犢車、東武公澹以兵仗送太子及妃王氏、王子虨、臧、尚同幽于金墉城。王衍自表離婚、許之、妃慟哭而帰。
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太子(司馬遹)の不注意で、賈后のワナにはめられて、結果的に自分だけでなく、実母と3人の息子も皆殺しされる運命となった。しかし、群臣の誰もが、これは賈后のワナだと知ってはいたものの、太子直筆の反乱文という証拠物件があるだけに、太子を擁護することはできなかった。それでも、何とかして救いたいとして、宮廷での討論の結論はなかなか出なかったという場面だ。



この場面からも分かるように、中国では太子と雖も、決して命や身分が安泰しているわけではなく、政敵から常にあら探しの危険にさらされている。また、一般的に「中国は中央集権国家で、皇帝が権力の頂点に立つ」という通俗の歴史書に書かれているのは、単なる形式上の話で、実際には今回の例でも分かるように、皇帝を自由に操る黒幕がいることがかなり頻繁に起こっている。

また、政敵から陥れられてしまって、一旦、公式のプロセスを経由して詔という書面が公布されてしまうと、たとえ皇帝の本心ではないとしても、あるいは誰の眼にも明らかな冤罪であったにしても、決定を覆すのは不可能であった。このような理不尽な処分が成立することこそが、悪名高き中国の人治の真髄であり、現在の共産党政権の権力闘争でもしばしば見られる現象だ。

続く。。。
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惑鴻醸危:(第56回目)『非科学的な現代の医療技術』

2016-09-25 21:23:58 | 日記
はっきりした原因は分らないが、数ヶ月まえから何だか背中、臀部、腰、股が痛い。歩行時に股(もも)や足に痛みやしびれがでる。いろいろと調べて、どうやら「坐骨神経痛」らしきことが分かった。今まで他人事と思っていたが、いざ自分がそれになって見て、医者にかかり、ウェブでの情報を集めてみて分かったことが幾つかある。ここでは、自分の痛みについてではなく、現代医療技術の欠陥について、「個人的な経験範囲」で得た感想(つぶやき、ぼやき、ため息)を吐露してみたい。(ということで、本論は客観性のある事実を述べる意図は全くなく、単なる個人的経験を愚痴るだけの話。)

結論から先に言うと「現代医療はなっていない!」ということだ。その理由はいろいろとあるが、主なものを2つばかり挙げてみよう。

○「整形外科医と整体師の分離」

整形外科医師は、整体についてほとんど実経験がない。つまり、患者がどれほど痛かろうと、どのように痛かろうと無頓着(俗にいう「暖簾に腕押し」「糠に釘」「馬の耳に念仏」)で、自分の知っている範囲で治療が出来るかどうかだけを気にかける。もっとはっきりいうなら、手術が必要なら、「それ、自分の出番だ」とばかり、腕まくりして俄然張り切るが、そうでないと空気の抜けた風船状態だ。

一方、町角の至る所にある整体医院、整骨クリニックなどでは、レントゲンやMRIなどの近代医術の成果である、可視化技術を全く使わず、指や腕で押したり引いたりして、感覚的に痛みの個所を特定しようとする。確かに、神業クラスの整体師ともなれば、それさえも必要とせず「気」で悪い個所をぴたりと当てることもできよう。しかし、いかんせん(私の普段の心がけが悪いせいも否定できないが)かなり多くの整体師の痛みの原因の見立ては、薄暗い街角にたむろする辻占師とたいして変わるところがない。実に当たるも八卦、当たらぬも八卦的な主観的、蓋然性の世界だ。これなら、痛み原因マップの上でサイコロをころがすのと対して差はない。彼らの説明を聞いていると、自分の知っている治療法に関連したことしか言わない(本当は、言えない)。それ故、何でもかんでも、原因を自分の知識の範囲にもちこうもうとする。

結局、こういった経験を経て、現代の日本の医療の一つの欠陥を、否が応でも知ることができた。それは、臨床医療のように学問レベルの高さ云々をするのではなく、速やかに病気(や、今回の場合では痛み)の原因を取り除くことにおいて、医師といえどもプラクティカルな観点で十分な素養のない者には医師免許を与えてはいけないということだ。

一方、町の整体師のように、必ずしも万全の医学知識を有する訳ではないが、先ずはプラクティカルな面から治療行為を始める者でも、特定の分野に詳しくなったなら、その特定分野だけの国家試験にパスすれば、医師免許を交付すべきであろう。それによって、単に経験から得た断片的な知識しかない者と、そうでなく、しっかりと専門的な医学知識を持った整体師との区別ができる。そういった医師はMRIなどの画像や血液検査の結果を使った総合的な医療・施術ができるように取り計らうべきであると考える。

○「痛みを客観的に測定できない」

医学には、科学的な一面があることは私は否定しない。血圧や血液検査で、病気の原因を正確に特定し、その結果かなり正確な治療を施すことは現代の医療では可能である。しかし、そのレベルと比べると「痛み治療」というのはまだまだ「黒魔術」のレベルに止まると言っても過言ではない。ウェブで調べるかぎり、坐骨神経痛の原因のいまだに8割は「原因不明」であるようだ。

一方では「ピタリ」と当たり、他方では「8割原因不明」という、この差は一体どこからくるのか?両者とも同じ現代医療ではないのか?

自分で体験して分かったのだが、この差は「計測技術」の差からくるのだ。例えば、糖尿病を例に取ってみよう。糖尿病の症状は血液や尿に現れる。昔なら医者が尿やウンチを検査して(時には、なめて!)症状を知ったという。医者が自分でなめることでアナログ情報として、この程度の辛さ/甘さであれば、糖尿病である/ないと判断できた。現在では、ありがたいことに計測技術の進歩で尿やウンチを人間の舌で検査する必要がなくなり、全て数値で表わせるようになった。それで、治療や投薬効果も直ちに数量化できるようになった。これが科学的な医療というものである。

一方、痛みに関してはどうか?今だに「どこが痛いですか?」「どの程度痛いですか?」「どう痛いですか?」など、と聞くのが精いっぱいだ。かつての医者が自分で糖尿病患者の尿やウンチをなめていた時よりも、もっと原始的で、間接的、かつ、アナログ的である。つまり、痛みの個所や程度を計測する器具自体が存在していないのだ!



これだと、ある料理を素人が食べて、プロの料理人に口頭で伝達するようなものだ。いくらプロの料理人といえども、素人の描写だけで料理がどのようなものであったか、どの程度旨い/不味いか、想像することは極めて難しいであろう。

レントゲンはさておき、MRIですら痛みの検査には不十分であることを考えると、脳には確実に届いている痛みを測定する痛みセンサーを患者の体につけて、計測することが必要である。しかるに、私の管見の範囲では、このようなセンサーが存在していないのだ!ナノ技術あり、遺伝子組み換え技術あり、iPS技術あり、の現在の先端医療分野において、人間の根源的な苦しみの一つである「痛み解消」という分野は、暗闇の中を照らすサーチライトなしに手さぐり状態で進んでいるようなものだ。

と、悲観材料ばかりのようだが、ウェブを調べていると、ラッキーなことに坐骨神経痛の一つの原因であるヘルニアは自然と治るのがほとんどだ、というのだ。初期のひどい痛みの時には安静にしていなければならないが、その後は無理しない範囲で体を動かすことで自然と治るというのだ! (本情報に関しては、以下のサイトを参照)
 【腰痛の9割が自然に治る】

道理で、ある整体医院へ行った時に、「週に2回通院してくれれば、 4ヶ月で半数程度の人は4割は改善します」といかにも自信たっぷりと言っていたことを思い出す。これは通院をすると体を動かすことになるで、別に治療など全くしなくても治るということだったのだ!ちなみに、その医院には、全国から患者が「殺到」しているとのこと。(そりゃ、遠くからはるばる通院すれば、結構な運動になるわなぁ。現在、私の症状も、何も治療せずに、近所を歩くだけで、すこぅ~しずつではあるが改善している。)

以上、私はここ数ヶ月、自分をモルモットにして図らずも現代医療の暗黒部分を隈なく探訪することができた、という訳だ。こういう機会でもなければ、現代医療の欠陥について、全く関心を払わなかったことを考えると、怪我の功名とでもいうか、誠に得難い経験を賜った、と思う次第である。
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想溢筆翔:(第274回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その117)』

2016-09-22 23:16:43 | 日記
前回

【216.時宜 】P.880、BC53年

『時宜』とはそのまま読み下すと「時に宜(よろし)」となる。辞海(1978年版)には「謂当世之所宜」(当世の宜(よろし)き所をいう)と説明する。

『時宜』を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると、漢書あたりから使われた単語であることが分かる。(『史記』で使われている例は、1ヶ所しかなくそれも「天官書」であることから司馬遷時代には広まっていなかった単語だと分かる。)また、古代から旧唐書まではかなり頻繁に使われている単語であることが分かる。



資治通鑑で『時宜』の初出の部分を見てみよう。時の皇帝、宣帝が息子で皇太子の劉奭(後の元帝)があまりにも儒学に傾倒して、父親の法治主義を批判するので、怒る場面である。

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皇太子は人当りがよく儒学に傾倒し、父帝が過酷に法を適用する官僚を多く採用していることに対して、常々次のように言っていた「陛下はちょっとしたことに対しても重い刑罰を課されますが、儒者の意見をと入りれてもう少し緩やかにされてはいかがでしょうか」。宣帝は顔色を変えて怒り「我が漢王朝には昔から霸道と王道を混ぜて使うのが慣例だ。どうして儒者の唱える徳や周王朝のしきたりでうまく治め切れようか!そもそも、俗儒は時宜を弁えず、もっぱら昔を誉めて、今を謗るばかりで、何を正しいと言うのか、さっぱり合点がいかない。政治の要諦をしらないヤツラにどうして政治を任せられようか!」そして、ため息をついて「我が王朝をダメにするのはこの太子だな!」

皇太子柔仁好儒、見上所用多文法吏、以刑縄下、常侍燕従容言:「陛下持刑太深、宜用儒生。」帝作色曰:「漢家自有制度、本以霸王道雑之;柰何純任徳教、用周政乎!且俗儒不達時宜、好是古非今、使人眩於名実、不知所守、何足委任!」乃歎曰:「乱我家者太子也!」
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宣帝が息子の元帝の態度にため息が出たのは、現代に置き換えると、実際の国際政治の現場を知らない評論家が国際社会の紛争を解決するには、一にも二にも「平和的な対話」だと主張するのに似ている。世の中には、法やルール破りを屁とも思わない人がいる。彼らには、理性的な話は通じない。かつてのヒトラーがそうだし、現在では金正恩やイスラム国(IS, Islamic State)もそうだ。さらに、現在の中国政府も習近平という特定の個人ではなく、全体としてそうだ。彼らを動かすには宣帝のいう王道(平和的な対話)だけでなく覇道(経済封鎖や軍事などの強制力)も混ぜて適用しないといけないということだ。

続く。。。
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【座右之銘・97】『画虎不成反類狗』

2016-09-18 21:02:19 | 日記
漢代は前漢、後漢、どちらも名臣が数多く輩出した時代である。司馬遷の『史記』、班固の『漢書』、范曄の『後漢書』には彼らの言動が実に生き生きと描かれている。とりわけ前漢時代の名臣たちの発言はいづれも個性に満ち溢れている、信念がほとばしっている。

その一人に、前漢時代の汲黯(きゅうあん)がいる。当時の皇帝であった武帝に対しても、ずけずけと直言した。流石の武帝も汲黯の指摘がツボを衝いているので、内心では「ごもっとも」とは思うものの、他の臣下の手前、簡単に汲黯の意見に賛同するわけにいかず、いつも辟易した。しかし、処罰を恐れずに筋の通った意見を述べる汲黯は「社稷之臣」と目(もく)された。ただ、あまりにも自分の意見に固執し、広い視野に立てずにいた欠点があったとも言える。その点について武帝は汲黯が退出したあと「人はやはり学がないといけない。汲黯のいう事を聞いていると、ますます片寄ってくる」とぼやいた(「人果不可以無学、観黯之言也日益甚」)。



ところで、最近、あるベンチャー経営者が「学生時代には、思い切り遊ぶのがよい」との発言をしたと、人づてに聞いた。彼の主張は、遊びやアルバイト、あるいはインターンシップを通じて自分の生き方をしっかり見つめ、さらに、海外経験も積むべしとの意図らしい。自分はこれら全てをした上に、アメリカの有名大学のMBAも取ったのでベンチャーで成功することも出来たという。

私も、彼が強調するように、学生時代は勉強だけに止まらず、広く世界を見るという経験が必要だと感じている。しかし「学生時には遊べ、そして将来は起業せよ」という点をあまりにも強調しすぎることに対しては若干の懸念を持つ。それは、本人の意図とは無関係に部分的に切り取られた言葉だけが一人歩きしてしまう危険性があるからだ。

以前のブログ
 百論簇出:(第98回目)『就職難の根本原因は未成熟な中途採用市場にあり』

でも述べたように、日本では、ベンチャー熱に、あるいは、MBA熱に煽られて、起業やMBA取得はしたものの、結果的に、そこから先の展開が見えずに残念なことにあまり明るいとは言えない人生を送っている人を私は数多く見てきた。起業やMBA取得で成功する人はいないとは言わないが、失敗した人に比べると遥かに少ないのが実態であろう。

この点について、後漢の武将・馬援がはるばる甥に送った言葉が思い出される。
 「画虎不成反類狗者也」(虎を描いて成らざれば、かえって狗に類す者なり)

この意味は、世の中には真面目な人がいるが、その人の真似をするとたとえ大成しなくとも、失敗することはない。しかし、義侠心あふれる大親分の真似をして大成しない(つまり虎になれない)とすると、大失敗する(つまらない犬になってしまう)、という事である。

私は、常々、現代の日本人にとって、中国古典を読み、人類の叡智を得ることは非常に重要なことだと思っている。それは何も知識をひけらかすためではなく、自分自身では経験できない、あるいは到達できない智慧を得ることができるからである。この意味で、世の中の識者や成功者の話す事を無批判的に受け入れて、そのまま実践してしまうと、思わぬ落とし穴に陥ってしまうことがある。そのような失敗に陥らないように注意せよ、とこの言葉「画虎不成反類狗者也」は教えてくれているように思う。
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想溢筆翔:(第273回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その116)』

2016-09-15 09:32:52 | 日記
前回

【215.節度 】P.3806、AD429年

『節度』とは「行き過ぎのない適当な程度。ほどあい」というのが現代の意味である。つまり「限度」を外れない、ということであろう。

しかし、漢文ではニュアンスがすこし異なる。例えば史記の天官書の冒頭には北斗七星は世の中の規律の定める重要な星だとして次のような記述が見える。

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史記(中華書局):巻27(P.1291)

北斗七星というのは、所謂「旋、璣、玉衡は七政を正す」と言われている星である。…陰陽や四季の区別を立て、五行を均等に巡らせ、二十四節気などの時節を的確に定める。これら全ては斗の働きである。

北斗七星、所謂「旋、璣、玉衡以斉七政」。…分陰陽、建四時、均五行、移節度、定諸紀、皆繋於斗。
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このように、節度とは、定められた順序のことを指す。辞源(1987年版)によると『節度』とは「謂、節序度数」と説明する。つまり、現代使われている「限度」のニュアンスより、「定められたルール」というニュアンスの強い語であることが分かる。

しかし、いつからかは分からないが、現在用いているような意味にも解釈される文がある。資治通鑑の宋紀の部分を見てみよう。

劉宋の文帝(劉義隆)が異母弟で江夏王の劉義恭に、王族としてのあり方を諭した手紙の中に見える。

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…自分の身分が貴いと考えて人に接すると、人は付いてこない。しかし、態度に威厳が備わっていると、人は従う。これはそれほど難しいことではない。音楽や園遊は度を過ごしてはならない。賭け事や飲酒や狩りは一切してはならない。お供の者も、自分自身も節度を守れ。華美な服や珍奇な品物に耽ってはならない。

…以貴凌物、物不服;以威加人、人不厭;此易達事耳。声楽嬉遊、不宜令過;蒲酒漁猟、一切勿為。供用奉身、皆有節度、奇服異器、不宜興長。…
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上の文章が書かれた時期も含め、文帝の目配りの行き届いた政治運営によって、一時の平安が訪れた。これを「元嘉の治」というが、文帝の政治姿勢はまさにこの文に書かれたようであったのだろう。



私の本、『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』(P.122-123)では、中国人は気質的に派手なことが好きであったと述べた。
「…そもそも人口が多く、資源にも恵まれた中国人は派手なことが気質的に大好きであった。…経済性を無視して、どでかいことを好む中国の国民性を言っているのである。「地大物博」を誇り、何かにつけケタはずれの物量を誇るその稚気(childishness)にあきれかえる。…」

中国人の派手好みの伝統を考えると、残念ながら、文帝の忠告もどの程度実行されたか、疑問視せざるを得ない。

続く。。。
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沂風詠録:(第275回目)『和臭英語からの脱却には英語の語感を鍛えよう』

2016-09-11 07:15:18 | 日記
かつて、私は京都大学で、留学生向けの英語授業(KUINEP)と日本人(京大生)向けの一般教養科目としての授業と2つをもっていた(2009年から2012年)。
 教養科目:『国際人のグローバル・リテラシ-』『ベンチャー魂の系譜』
 英語授業:『日本の情報文化と社会』『日本の工芸技術と社会』


留学生向けの授業は、座席に余裕がある限り京大生の出席も許されていたので、毎回、20人近い京大生が受講していた。これは授業だけでなく、テストも英語で行った。一方の、一般教養科目は、受講生のほぼ全員が日本人であり(中には、韓国からとポーランドからの留学生もいたが)授業は日本語で行ったが、テストは英語で行った。

それ以外にもしばしば、日本人の書いた英文をチェックする機会は当時から多いが、文法ミスや文章構成(syntax)はさておき、しばしば当惑するのが、使われている英単語である。たまに和英辞書から直接抜き出して来たと思しき単語が使われていることがある。

なかには、ラテン語やギリシャ語由来の難解な単語を使っているケースも見られる。同じ文章内の他の単語とはその難度において比較にならないほど突出しているため、なんとも言えないちくはぐ感が漂う。あたかも、ステテコ姿のフーテンの寅さんが、靴だけ超高級のジョンロブを履いているようなものだ。

私も自分自身がまだ英語に未熟だったころを思い出すと、このような現象が起こるプロセスは次のように分解できる。

[1] 先ず、日本語の単語を思い浮かべ、該当する英語の単語を思い浮かべる。あるいは和英辞書で、探すと英語の単語が幾つかならんでいる。その中で自分の知っている単語を選ぶ時もあれば、知らない単語でも、逆に英和辞書で日本語の訳をチェックしてみると、意味があまり外れていないような単語を選択する。



[2] 上の図のように、この時日本語の単語と英語の単語の意味がかなり重なっているなら、適切な単語といえる。この時、語義だけでなく、例文もチェックすることは本来は必要である。つまり、意味は正しくとも、ニュアンスが異なることが往々にしてある。(例:「気が短い」とは否定的ニュアンスを持っているが、「決断力がある」には肯定的ニュアンスを感じる。しかし、この両者は突き詰めれば、同じ事象を表現していることもありうる。)

[3] しかし、いつもいつもこのようにうまく行くとは限らない。下の図のように、和英辞書から見つけた英語の単語は、確かに日本語の意味も含む(図の▲印)が、その英単語の中心的な意味は×印の部分であるような単語もある。



[4] あるいは別の単語を和英辞書で探すと見つかる(図の★印)が、それは英語として、最初に見つけた英単語とは全く関係のない意味合いを持っているかもしれない。

いづれの場合(英語(悪1)、英語(悪2))においても見つけた英語の意味は、日本語の意味とはあまり関係のないものであるので、使ってみたところで(日本人なら理解できても)外国人にはきょとんとなるケースもありうる。

例えば、日本の国民性という単語を英訳することを考えてみよう。或る人にとっては、「我々の性格」という意味で our personalities が思いつくかもしれない。しかし、personality は、語幹の person が示すように、「人間」というのば根本的概念なので、国家や人の集団のように漠然としたものを対象には使えない単語である。ただ、OEDに依ると、企業体(a corporate body)には適用可能のようだ。

また別の例で、「私は今までxxについてxxのイメージを持っていた」という文を "I had an image that" のように直訳するのではなく、I had presumed that を使う方が「今までこう思い込んでいた」というニュアンスがよりよく伝わるように思える。

結局、英語の単語の選択には、和英辞典を頼るのではなく、まず自分の語感を磨くことが重要であると私は考えている。つまり、もともと何を言いたいのかという本質を考えて、その意図するものに相応しい単語群を辞書に頼るのではなく、自分の頭の中で想定出来ないといけない。

そういったことができるためには、以前のブログ
 沂風詠録:(第271回目)『英語力アップは英英辞典から』
で述べたように、英英辞典を活用することから始まる。

日本語と英語というように、全く単語の表わす文化背景が異なる単語では、TOEICやTOEFLのテストのように、各単語の日本語訳を次々ときちんと覚えるよりも、日本語を離れて英語自身の単語のもつ漠然とした「語感」を「感じ取る」能力を磨くことが最終的に、英語での作文能力の向上に大きく寄与すると私は思う。その為には、いちいち和訳せずに英文を多読することが必要だと考える。

【参照ブログ】英語でのテストについて
 沂風詠録:(第11回目)『国際人のグローバル・リテラシー・英語のテスト』
 沂風詠録:(第35回目)『ベンチャー魂の系譜・英語のテスト』
 沂風詠録:(第63回目)『英語講義:日本の情報文化と社会・テスト』
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想溢筆翔:(第272回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その115)』

2016-09-08 19:22:27 | 日記
前回

【214.免官 】P.3804、AD428年

中国の定評ある辞源(2015年半)には『免官』は「罷免官職」と説明する。このような字を見ていると、現代の漢字がいかに冗長であるかがよく分る。つまり「免」の一字を「罷免」という二字で、「官」という一字を「官職」という二字で表現しているが、それによって意味が深まるわけでも、ニュアンスが変わる訳でもない。日本語でいう「馬から落ちて、落馬する」の類で、まったくの tautology(類語反復)だ。

この原因は、言うまでもなく漢字には同音異義語があまりにも多いせいだ。耳から聞いただけでは、判断ができないので、仕方なく、音韻に冗長性を持たせた。そうすることで、漢字を見るのではなく、耳から聞いてすんなりと意味が分かるようにする為の苦肉の策であったのだ。残念ながら、漢字の下品な冗長化は今後も止まることなく進展していくことだろうと私は推測している。

さて、「免官」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると、史記から始まって清史稿まで非常に多く使われていることが分かる。類似の「免職」は、と見ると五代から唐にかけて集中的に表れるがそれ以外の時代にはあまり用いられていないことが分かる。

もう一つの類似語の「免冠」とは、「罷免させられる」のではなく自分から率先して「冠を脱いで謝罪の意を示す」ことである。この語の使われ方で興味深いのが南北朝時代を対象にした史書のうち「魏書、北史」などには多く使われているが、「宋書、南斉書、南史」などにはほとんど見えない。これから判断すると、異民族(遊牧民)が占領した中国北部には「免冠」のような、時代がかった仕草が、まだ現役状態であったのに対して、異民族に追われて逃亡し、南部に定着した漢民族は、そのような仕草は out-of-mode だとして、すっぱりと捨ててしまったのであろう。



「免官」の例として、南朝の宋代の詩人・謝霊運が関連する部分を見てみよう。

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秘書監の謝霊運は、自分の家柄と才能をもってすれば、政治の中枢を占めると、ひそかに考えていたが、宋の文帝からは単なる才気溢れる文人としか見なされていず、宴席でも常に談笑の上に出る話はなかった。一方で、自分より門閥も才能も劣る(と謝霊運が見下していた)王曇首、王華、殷景仁などが自分よりずっと上位の役に就いているのが謝霊運には非常に不満であった。

それで、ふてくされて病気と称して登庁しなかった。また、まち(城郭)から80Kmも郊外に出て何日も戻らなかったが一向に連絡しなかった。文帝は、困ったヤツだとは思ったが、大臣の意向も勘案して、謝霊運が自発的に辞職願を出すように仕向けた。それに応じて、謝霊運は病気療養を口実とした辞職願を提出した。文帝は休暇を与え、会稽に戻した。故郷に戻った謝霊運は自由気ままに遊び、飲み、暮らしたが、その態度が司法の糾弾するところとなり、免官させられた。

秘書監謝霊運、自以名輩才能、応参時政;上唯接以文義、毎侍宴談賞而已。王曇首、王華、殷景仁、名位素出霊運下、並見任遇、霊運意甚不平、

多称疾不朝直;或出郭遊行、且二百里、経旬不帰、既無表聞、又不請急。上不欲傷大臣意、諷令自解。霊運乃上表陳疾、上賜仮、令還会稽;而霊運遊飲自若、為法司所糾、坐免官。
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詩人・謝霊運としての才能は「文選」にも数多くの詩が採られていることから当時だけではなく、中国詩全体から見ても文才がひときわ際立っていたことが分かる。中国の悲劇は、人間としての価値が、政治への関与度合いで測られるということだ。それ故、文才よりも政治家としてのランキングという一次元的な値(数学用語でいうスカラー値)が重要である。

元来、人の才能というのは、一次元だけで表わしうるものでない。多次元値(数学用語ではベクトル値)で才能を測り、総合的に評価し得るものである。端的に言えば、日本の文系特有な「数学はからきしダメだが、英語と世界史なら誰にも負けない」学生や、逆に、ガチガチの理系頭の「英語は全くだめだが、数学・物理ならいつも満点」という学生もいるが、それぞれの個性的な能力を評価すべきで、それを「漢字の書き取り」という一つのテストの点数(つまり、スカラー値)で評価すべきないという事だ。

その意味で言えば、謝霊運は不本意な境遇に対して鬱積した不満から叛逆を企んだとされ、処刑されてしまったが、なまじ多面的な才能を持ったがために、一次元的評価に押しつぶされた悲劇の典型と言えよう。

【参照ブログ】 tautology(類語反復)
 百論簇出:(第26回目)『蟷塘路辞漢字』

続く。。。
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惑鴻醸危:(第55回目)『無いものが、あるように見える妄想』

2016-09-04 20:14:40 | 日記
中国の老荘思想家と言えば、老子、荘子が代表的だが、列子も巧みな喩えで読む者をあきさせない。

その『列子』の「説符篇」に次のような話が載せられている。

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ある人が鉄の道具(多分、農具)をなくした。隣家の子供が盗んだに違いないと考えて、よ~く観察すると、歩き方もまさに盗みを働いたようだし、顔色も、言葉遣い、動作態度、どれをとっても全てが盗みを証拠立てているようであった。ところが、或る日谷を掘っていると、亡したはずの鉄の道具が突然、見つかった。その後、隣家の子供を観察すると、動作態度、いずれも盗んだところがまったくない態度そのものだった。

人有亡鉄者、意其隣之子、視其行歩、竊鉄也;顏色、竊鉄也;言語、竊鉄也;動作態度、無爲而不竊鉄也。俄而抇其谷而得其鉄、他日復見其隣人之子、動作態度無似竊鉄者
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この喩え話は、疑ってかかれば、無いものでもあるように見えてくる、という人間心理を指摘している。

古来、世の中の宗教家や哲学者は東西を問わず、「神の御業(みわざ)」、「神罰」、「仏の慈悲」あるいは「天」、「天罰」という言葉をもちだして世の中の現象を説明することが、よくある。

さらには、そういったもの(神や天)が実在して、その証拠が必ず見つかるはずという先入観からいろいろと探索した。そうすると、鉄の道具を亡くした人のように、自分の考えている証拠らしきものが続々と見つかった。それに勇気づけられて、最後には、見つかったものを統合して神や天のイメージを勝手に膨らせた。



こうして、行き着いたところが、トマス・アクイナスの『神学大全』や朱子の「太極図説」あるいは「理・気」、のような何やら得体の知れず、とっかかりがまるで見当たらない、化け物ように大がかりな理論だ。

私は、随分前から、「何故、人々は宗教にそれほど熱心になれるのか?」と不思議でたまらなかった。ドイツやアメリカ留学中に、私に熱心にキリスト教徒になれとすすめる人々の態度は、まるで、上の列子の鉄の道具を亡くした人のように、何事にも神の恩寵や罰が見えているかのようであったのだ。かつて世間を騒がしたオーム真理教の教徒のように、一旦、その宗派の教義に洗脳されてしまえば、無いものでも、あたかもあるように見えてくるのだと言える。これは本人が善人であるか否かなどとは一切無関係に「知らず知らずに陥る宗教の陥穽」とでも名付けることができよう。

このように理由が分かると始めて、私はドイツやアメリカで感じた不思議感がすーっと消えていった。
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想溢筆翔:(第271回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その114)』

2016-09-01 20:41:13 | 日記
前回

【213.温泉 】P.3802、AD428年

『温泉』とはいうまでもなく「thermal bath, hot spring」であるが、二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると、驚くことにかなり新しい単語であることが分かった。『晋書』が初出ということは、だいたい西暦300年ごろになる。しかし、後漢の王符(83年-170年)が書いた『潜夫論』にすでに「温泉成湯」と出ているので西暦200年ごろには見えていた文字であることが分かる。温泉は昔からあったはずなので、どう表現していたか?時代を遡ってみると、楚辞など古代の書物では「温泉」ではなく「湯」という文字が使われる。



さて、二十四史中、『温泉』が最も頻出するのは、言うまでもなく唐書(旧唐書、新唐書)である。白居易の『長恨歌』の有名な句、「春寒賜浴華清池、温泉水滑洗凝脂」で代表されるように、玄宗皇帝はしばしば驪山の麓の温泉に出かけた。

唐書に次いで、『温泉』が頻出するのは『魏書』である。その部分を見てみよう。

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魏王(北魏の太武帝)が宮殿に戻ってきたが、また八月には広甯に行って温泉につかった。

魏主還宮。八月、復如広甯観温泉。
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温泉を「観た」とあるが、見学したのではなく、湯に入ったのであろうと、考えてそう訳しておいた。

さて、この部分に胡三省が『温泉』について下記のような注を付けている。

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北魏の土地記には次のような文章が見える:

下洛城の東南、四十里(16Km)のところに橋山があり、その麓に温泉が湧いている。温泉の上の方には、祭堂がこしらえられてあり、至る所に、彫り物や飾りつけがなされて、温泉の上を覆っている。石に囲まれた池からは泉がわき出ている。下の方からは温泉が出ているので、冷たい水と暖かい湯をかわるがわるに感じられる。この湯の温かさは年中変わることがない。万病に効くとの評判で人の流れが絶えることがない。

魏土地記:下洛城東南四十里有橋山、山下有温泉。泉上有祭堂、彫簷華宇、被于浦上、石池吐泉、陽陽其下。炎涼代序、是水灼焉無改;能治百疾、赴者若流。
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このように、温泉の効用が知られていたはずなのに、どうして史書には『温泉』があまり出てこないのか、不思議だと思わないだろうか?

その理由は儒教にある。

孟子の巻10「万章章句下」には次のような文句が見える。

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柳下恵は、品行の悪い君主にでも仕え、またどんなつまらない役職でも辞退しなかった。仕えるかぎりは全智力を振り絞った。道理に合わないことは何があろうと為さなかった。君主に見捨てられても、へとも思わず、つらい境遇でも一向に苦にしなかった。田舎びとと一緒にいてものんびりと一緒に楽しんでいるようだった。「お前はお前、ワシはワシ。たとえ横に裸の人間が来てもワシを汚すことはできやしない」

柳下恵、不羞汚君、不辞小官。進不隠賢、必以其道。遺佚而不怨、阨窮而不憫。与郷人処、由由然不忍去也。『爾為爾、我為我、雖袒裼裸裎於我側、爾焉能浼我哉?』
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このように、古代中国の風習では裸を見せることを極端に嫌う。裸になるのは、非文明人だとの考えは儒教では、牢固たるものとなった。それで、儒教的教養を身に着けている(とみなされている)皇帝や士大夫たちは、庶民のように気楽に温泉に行くことができなかったのかもしれないと想像される。(あるいは、もう少し現実的に思考すると、『温泉』を表わすのに、別の字を用いていたとも考えられる。。。)

続く。。。
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【座右之銘・96】『Quo plus recipit animus, hoc se magis laxat』

2016-08-28 22:34:33 | 日記
リベラルアーツについての講演や企業研修などでよく質問されるのが「リベラルアーツはどのようにして学べばいいのですか?分野が広すぎてどこから手を付けていいのか分りません。」である。このような質問者の顔を見ると、たいていは几帳面で、性格的には「まじめにこつこつ」の、努力型である。

私の想像では、質問者の期待する答えは「これこれの本をこの順序に読みなさい。その時に考えるべきテーマはこれこれですよ」といういわば「読書ガイダンス」であろう。申し訳ないが、リベラルアーツの修得には、このようなガイダンスは存在しない。(他の人はどう考えているか分らないが、少なくとも私流のリベラルアーツでは存在しない!)

このように答えると、そこまでリベラルアーツの修得に胸ふくらんでいたのが、急にぺしゃんこになり、がっくりと肩を落としてしまうことだろう。中には、失望から恨みに変わり「こん畜生、金輪際、リベラルアーツなんかするもんか!」と内心むくれてしまう人もいるかもしれない。

それで、私はいつも次のように答えるようにしている。「何から始めてもいいですから、自分が疑問に思ったことを自分で解決しようとして下さい。自分の疑問を解くために、本を読みましょう。読むとまた新たな疑問が湧いてくることでしょう。その疑問が次々とドライビングフォースとなって読書が進むのですよ。」

資格試験や、入試と異なり、成果を期待せずに、まずは自分の疑問を解くことだけに集中しよう。疑問に対する答えを安直に求めないことだ。とことん自分の疑問にこだわることが大切である。世間の常識や、学識者のいうこと、はたまた、古典や権威者のいう事でもその説明が少しでも不審に思えるようであれば、徹底的に調べることだ。井戸掘りに喩えると数メーター掘っても水が出なくとも、諦めず次々と掘り進むような感じだ。知らず知らずの内に数百メーター掘り進んでいくと、やがて水脈に当たるだろう。それだけでなく温泉を掘り当てることだってある。

こういった努力のしかたは、何も私だけの考えではないようだ。

大倉財閥を一代で築いた大倉喜八郎は何事に対しても常に命懸けで臨んでいる。手がけた事を失敗するということがほとんど無かったようだ。全くその強運には恐れ入る。晩年になって口述筆記した(であろう)『致富の鍵』(大和出版)には次のような一節がある。

富はカスである「働く結果として富は自然に向こうからやってくるので、真の幸福はその働くうちにある。幸福を得てしまった渣滓(カス)、楽しんでしまった渣滓が富なので、富があるから幸福がくるという訳ではない。

大倉喜八郎の仕事ぶりがまさしく、リベラルアーツの修得の仕方である。彼のいう「働く」のがリベラルアーツの修得においては「自分の疑問を解決する」ことであり、その結果、手にする「富」とは「知識」である。功利的観点から、最小の時間で最大の効果を挙げるべく、がむしゃらに「知識」の修得を目指すのではなく、自分の疑問を解決しようと邁進することだ。そうするとその内に自然とカスのように「知識」がたまってくる。



ところで、富(金)に関しては、謙遜抜きで私には言う資格がこれっぽちもないので、知識に関してだけ申し添えると:
ある事に関して、最初はひとかけらの知識もなく、五里霧中で全く途方にくれているものだ。それでも自分の疑問の導くままに読書を積み重ねると、徐々に知識がたまってくる。そうすると、何故か分らないが自動的に知識が勝手に増えてくるような感覚になる。俗にいう「寝るだけで強くなる」ようなものだ。

この点について、私の愛読書であるセネカの倫理書簡集(Seneca, Epistulae morales ad Lucilium)の第108で、的確に次のように指摘する。

 【原文】 Quo plus recipit animus, hoc se magis laxat.
 【私訳】 智というのは、素直な心で求めれば、どんどん広がるものだ。
 【英文】 The more the mind receives, the more does it expand.
 【独文】 Je mehr die Seele aufnimmst, desto mehr erweitert sie sich.

結局、リベラルアーツの修得には、「読書ガイダンス」に従って計画的に着実に進めようという方針がもっとも不適切であるということだ。時間を気にせず、あせらず、自分の疑問や気持ちに素直に従って「成果を期待せず」読書を続けることに尽きる、と言っていいだろう。

【参照ブログ】
 【麻生川語録・30】『知のパラドックス - 知れば知るほど知らないことが増す』
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