よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

破壊的イノベーションとしてのオープンソース・ソフトウェア再考

2005年10月31日 | 技術経営MOT
業務アプリケーションのオープンソースの動向、そしてそれによってもたらされる破壊的イノベーションのメカニズムを正確に理解するためには、世界を席巻しているリナックスの特性を今一度正しく知ることが肝心だろう。

自由に移植、改変、拡張、バグの修正ができる利点のため基盤系やミドルウェア系のオープンソース・ソフトウェアは世界中の開発者の間で急速に普及しつつある。地球的規模で非常に多くのボランティア開発者、ユーザの参画を得て、デファクト・スタンダードの地位を得たオープンソース・ソフトウェアも少なくない。このようなオープンソース・ソフトウェアはそれと対置されるプロプライエトリなソフトウエアにとって破壊的イノベーションだ。

その代表格はなんといってもオペレーティング・システムのリナックス(Linux)だ。周知のように、リナックス は1991年にヘルシンキ大学の大学院生だったリーナス・トーバルズによって開発が着手された。リナックスが既存の商用OSと肩を並べるくらいに発展、普及してきた理由は以下のように集約される。

(1)「ものづくり」=プロダクト自体が優秀 
近年のリナックスは他のOSに比べ、低い性能のコンピュータでもストレスなく軽快に動作する。また、ネットワーク機能やセキュリティに優れ、また非常に動作が安定しているという特長も併せ持っている。

それと同時に、あまり必要とされない過剰な機能を装備せず、必要な機能だけを選んでOSを再構築して個々のニーズにあわせることができるという点もWindowsや他の多くのOSには見られない特徴である。リナックスは世界中の研究所や学術機関を中心に広く普及してきた。このようなOSプロダクトとしての優秀さのため、企業のインターネットサーバとしても多く採用されている。

リナックスの総所有コストはプロプラエタリ・ソフトウェアに比べて 非常に低く、特にプラットフォームが増えるとその傾向に拍車がかかる。オープンソースとしてソースコードを公開しながら、まったく普及しないプログラムも無数に存在することから見ても、リナックスが世界規模で普及してきた理由として、進化しつづけるOSプロダクトそのものの高品質、高機能をあげることができる。

(2)「ことづくり」=自律分散、円還型価値創造のオープンネットワーク開発プロセス

優秀なプロダクト性能は、エリック・レイモンドがバザールにたとえたような自律分散的な協創、協調のプロセスによって可能となる。開発者にとってソースコードは生命線だ。 問題を解決し、新しい機能を追加するには、 ソースコードがなくてはならない。

リナックスはUNIX互換のOSとして、フリーソフトウェアとして公開され、全世界に散らばるボランティアの開発者が365日24時間参加するネットワークの場で改良が重ねられ今日に至っている。リナックス・コミュニティに参加することは、知的刺激に満ちた楽しいことなのだ。「ものづくり」の前提としての、「ことづくり」において画期的だ。ソースコードは、必要に応じて修正、拡張が加えられ、デバックされてネットを通して世界中の開発ボランティアの間で地球という大きな円の周りを循環する。

当初はインテルx86系マイクロプロセッサを搭載したコンピュータでしか動作せず、クローズド・ソフトウェア陣営からは「自転車のように遅い」と揶揄されたが、多くのボランティア開発者による自律分散的な改良作業の結果、Alpha、SPARC、PowerPCなどのプラットフォームに移植されてきた。しかも更新のたびに性能を上げながらである。

リナックスは既存のクローズドなOSのコードを流用、継承することなく、ソースコードが進化してきた。またGPLライセンス体系に基づいて、誰でも自由に改変・再配布することができる。また前述したように、改変や追加した部分はGPLに基づいて無償で公開しなければならない。開発ネットワークに参加する開発者が爆発的に増え、またユーザが増えるに従って、リナックスを活用するメリットもそれらと同時に急増するのである。開発と活用の過程に、ネットワークの外部性が効いているのである。

(3)内発的成果主義、内発的動機づけがもたらす経験価値

面白い対話がある。ビル・ゲイツ氏はリナックスについて、「金銭的な報酬なしにプロの仕事は期待できない」とコメントした。それに対してリーナス・トーバルズはこう言った。「僕を含めリナックスの開発者は企業がお金をくれるからやっているのではない。面白いからだ。リナックスが正常に動くことに誇りを持っている。誇りを満たせることが報酬なんだ。ゲイツの主張は通用しない」

認知心理学では、ビル・ゲイツが言う金銭的報酬は外発的報酬、リーナスが言う誇り、やりがい、充実感、達成感などの内面的な報いは内発的報酬と呼ばれる。注目すべきは、世界中のボランティアの開発者、プログラマたちが金銭に代表される外発的報酬ではなく、ひとりひとりの内面から湧き上がる好奇心、共有感、自己能力感、そしてものづくりコミュニティ内での認知、やりがい、充実感、達成感を含めた内発的報酬・成果を求めて、自主的に参加して、つまり「ことづくり」に参画して、急膨張している開発コミュニティがリナックスを支えているということである。

閉じた企業社会の金銭的成果主義とは根本的に異なり、リナックス・コミュニティの核心部分は、純粋な内発的成果・報酬主義が支配する開かれた「ことづくり」の場となったのだ。リーナスはハッカーの生理を心にくいまでに熟知している。リーナスは、ハッカーやユーザたちに絶えず内発的報酬を与え続け、伽藍モデルでは創造もできないような、瞬時にして頻繁なリリースを文化として浸透させて、デバッグと開発に投入されるボランティアの工数を極度の右肩上がりで増大させることに成功したのだ。

内発的成果主義、内発的動機づけに長けたネットワークリーダーシップ、そしてそれらによってもたらされる経験価値ぬきには今日のリナックスの姿はないはずだ。

(4)対抗する有償でクローズドな汎用商品が巨大市場を支配している

逆説的だが、OS分野にはマイクロソフト社が有償提供してきた汎用商品=Windowsが君臨してきたこともリナックス普及の要因である。ソースコードを独占し有償配布というWindows陣営に対してリナックスは文字どおりソースコードを公開し、無償配布という非常にわかりやすい対置関係、対抗関係にある。

ソースコードや有用な技術を共有することで、世界中の誰もが自由にソフトウェアの開発、つまり、もの・ことづくりに参加することができ、それによって高機能、高品質でユーザのためになるOSが生まれるはずだという主義思想に基づいている。その主義思想に共鳴するのは、多くの場合マイクロソフトのWindowsの寡占状態に不満、不安、疑問、憤り、ルサンチマン、対抗意識などのマインドセットを持つ人々である。

前述した開発者の内発的動機に、大いなる不当な存在に対する不満、不安、疑問、憤り、ルサンチマン、対抗意識が加わって、ある種の醒めた熱狂が地球の表面を覆ったのだ。その受け皿がリナックスでもある。いずれにせよ、ソースコード非公開しかも有償という不自由のコストを負担させられているWindowsという商品の代替として、リナックスは絶えず注目され進化してきた。

このような理由で、ソースコードを独占し有償配布するWindowsという商品が巨大なOS市場を支配してきたことじたいもリナックス普及のひとつの要因であると言ってよいだろう。

(5)資本主義との整合性=リナックスをテコにしてビジネスができる

エリック・レイモンドが、リナックスなどのオープンソースがいかにして隆盛を極めたかを論じた「伽藍とバザール」が出版されたことから様々なオープンソースビジネスが立ち上がってきている。

しかし、ソースコードが無償で入手できる以上、なんの工夫もない、たんなるオープンソースそのものはビジネスになりにくい。たしかにリナックスのコアとなる価値観は無数にちらばるハッカーたちの内発的動機の集積によって形作られてきた。しかし、リナックスが成功を収めている背景にはリナックス周辺のオープンソースビジネスにとって期待できる利益獲得の機会が豊富に存在するということは決して無視できない。

かたや金銭では説明できない内発的動機の自律分散的なネットワークによってリナックスのコアな方向づけはなされるものの、利潤を求めてさまざまな関係者がリナックスの開発、普及、活用のプロセスに参画する構図も背景にあるのである。

もちろん、オープンソースの理念への賛同、熱狂は大事な要素だが、それだけではないのである。資本主義と整合をはなりながら、資本の論理をも包みこむ広がりがリナックスにはあるのだ。いっとき言われたソフトウェアにおける社会主義=OSSという図式化は失敗に終わっている。

それではリナックスの周辺のどこで儲けるのであろうか。

・商用サーバービジネス   →  自社製サーバにリナックスその他を組み込んで提供
・システムインテグレーション  →リナックスその他を活用したSI
・ソフトウェア製品  → リナックス上で動作する有償プログラム制作など
・付加価値OS製品 → リナックスを組み込みOSに書き換えてサービス付で販売
・スタックビジネス  → リナックスとその他のオープンソース・ソフトウェアの検証や組合わせテストによる信頼性の付与。SpikeSource 、SpeceTagなど。
・コンサルティング  → リナックスを活用したビジネス創出サポート
・運用、保守ビジネス  →  リナックス導入、運用をサポートする ターボリナックス?
・教育・研修提供ビジネス → リナックスそのものを題材とするノウハウ提供
・出版ビジネス  → リナックスその他のオープンソースをテーマとする書籍の販売


ではSugarCRMは?企業秘密だが、近々ホームページで発表で発表する予定だ。

市立加西病院にて医療サービス・サイエンスの講演

2005年10月30日 | 講演放浪記
兵庫県の市立加西病院を中心とした地域の複数医療医療機関の講演会に呼ばれる。暗くなった姫路城を長めながらタクシーで40分くらいのところに加西市がある。

さて、医療をサービス・サイエンスの視点でとらえることがぜひとも必要だ。医療でも看護でも「ヒト」が「ヒト」にたいして様々な医療技術を駆使してサービスを提供することが基本となる。

医療・看護サービスには有形のカタチはない。サービスそのものは瞬時にして消え去る。患者と医療提供者の間には質量ともに圧倒的な情報の非対称性が存在する。サービスそのものは人間と人間とのインターフェイスで生み出されるのでヒューマン・サービスの側面が濃厚だ。時々刻々と共有されては消え去るサービスをカルテや看護記録といった媒体に構造的に「記録」することが求められる。かたや、医療サービスそのものには、新薬、新医療機器、新しい手術方式の導入、テイラーメード医療、再生医療などのイノベーションがつぎつぎと起こりつつある。

このような医療・看護の性質を考慮すれば、従来、職務とヒトのあるべき姿を標準化したり文書化したりする動きが希薄だったことはサービスサイエンス的アプローチが希薄だったためか。変化に対応しつつ、職務とヒトのあるべき姿を設定するクリニカルラダーのアプローチが待たれているゆえんだ。




クパチーノにて

2005年10月26日 | 技術経営MOT
慣れたはずのフライトでもやはりサンフランシスコでは眠くなる。飛行場から車でとばしてSugarCRM社のオフィスがあるクパチーノへ。

このあたりはシリコンバレーなんて呼ばれているが、バレーを感じさせるほど山々は高くもなくまた近くにまで迫ってきているわけでもない。

ここの地形と気候はぶどうの栽培にピッタリだという。そんなよしな話やらビジネスの密談を交わしながら、ワインを飲みながらのランチ。時差ぼけとあいまって、かなりワインがキク。

くそ忙しいビジネスの合間をぬって、たっぷり2時間ものランチミーティングに高じるあたり、シリコンバレーの若いベンチャーのエグゼキュティブ達は、けっこう肩の力が抜けている。

不覚にもけっこうよぱらった。ぱっと目が覚めると、いったいここはどこなんだ?デジャビューか幽体離脱か?





泉佐野から札幌へロード生活

2005年10月23日 | 講演放浪記
先週は羽田から関空へ飛んで泉佐野病院で講演。翌朝、関空から帰って幕張新都市へ。いろいろな会議やたまった仕事を片付けて、また土曜日羽田へ。そして札幌へ。

千歳から札幌までの紅葉が目に沁みる。恵庭から北広島の丘陵地帯のナナカマドも赤くなり、イチョウも黄金の色を青い空にたたえている。赤と黄色が空に舞っている、原色の風景のなか、秋の風景のなかを流れる幸せを感じる。

札幌鉄道病院での講演は楽しかった。フリートーキングの時に、「マツシタ先生、ちょっと太ったかしら」とか「なにか元気ないみたい」とか言われたとか。いやー、どうもスミマセン。

講演が終わってから、すすき野へ皆さんと繰り出す。いやー、美味しかったです、お寿司。ボタンエビ最高!キレイな師長さん、主任さんにかこまれて、そのあとのなんとかというワンショットバーか居酒屋?

いろんなおしゃべり、たのしかったです。セレンディピティとシンクロニシティで随分盛り上がった。

宇宙はときめきに満ちている。札幌の夜もときめきに満ちている。

SugarCRM社と包括的パートナー契約

2005年10月18日 | オープンソース物語
今いるタワーの窓から見える東京湾の、そのまたむこうの太平洋を渡ったアメリカ西海岸のクパチーノにあるSugarCRM社正式な包括的パートナー契約を結んだ。

SugarCRM社は、業務アプリケーションにおけるCRMソリューションでコマーシャル・オープンソース領域を切り開いた破壊的技術力とプロダクトを有するベンチャー企業だ。「コマーシャル・オープンソース」を堂々と主張し、新しいビジネスモデルの構築に邁進するSugarCRM社はときあたかも今日、$18.77MのCラウンド増資をしたと発表した。半年くらい前か、ベンチャー・スピリットに大いに共感することから提携交渉は始まった。

チーフ・テクノロジ・オフィサの内田さんは2月から今までに何百という膨大なメールを機関銃のように送りつけ、SugarCRM社からはこれまた機関砲のような返答があびせられてきた。このスピード感覚と直接ビジネスに切り込むプラグマティズムが爽快だ。それにあわせて、会議室のホワイトボードには速射砲のように、わいわい、がやがやと戦略マップが次々と書き加えられる。こういう議論は本当に楽しいものだ。

日本の大企業ならば、「本社に持ち帰り、担当役員の意見を仰ぎ、法務部のチェックをうけなければいけません」というふうに、ああだこうだ言っている間にどんどん時間が過ぎていってしまう。そうこうしているうちに、気のぬけたような議論しかできなくなってしまう。

ベンチャー企業同士の交渉は、形式的な手続きは横に置いて、すぐさまビジネスの核心にせまるアーギュメントに切り込む。プロダクト評価、市場性評価、技術対応力、ローカライゼーション、価格、チャネル、terms and conditions、など議論してきた項目は100項目にも登る。

英語には"Speak straight"という表現がある。たんに率直に話すというニュアンスではない。テーマの核心を明確にして、論点をはずさず論理をフル活用して自己の主張を相手のマインドとハートに届けるとでも言おうか。そして、ベンチャー・スピリットの共有、共感あってこそ"Speak straight"でお互いがアツくなれるのだと思う。




伊勢原協同病院にて

2005年10月16日 | 講演放浪記
講演のため伊勢原協同病院に呼ばれる。西に進む小田急線とともに大きくなる丹沢の山々の稜線が目に沁みた。

伊勢原協同病院は1968年に神奈川県厚生農業協同組合連合会が伊勢原町から町立病院の移管を受けて発展してきた病院である。以降、さまざまな経営改善と設備改善の途上にある病院だ。

さて、日本的人事なるものの中核を占めるという年功主義人事は長年、医療看護の世界では当たり前のもの、デファクト・スタンダードを占めてきた。講演で訪れた農業と公的病院という二つの背景を持つ、伊勢原協同病院には顕著に年功価値観が強い。

なぜか?いくつかの理由、説がある。

(1)職務習熟度向上説
就業年数や勤務経験とともに強い相関性をもって職務習熟度が向上し、それにともない仕事の成果も向上してきた。ゆえに、年功を機軸に人事管理を行うことが、間接的に能力、成果管理ともなりえた。だから、年功主義人事は、間接的な能力主義、成果主義ともいえる。

(2)診療報酬制度の員数中心説
看護者の賃金の源泉は診療報酬制度のなかの看護料金である。法定の看護料金はケアユニット内の看護者(看護補助者も含む)の員数と患者数の比率で定められている。看護料金には看護者の能力、成果、看護介入の質的側面は反映されていない。看護師の人件費の源泉を占める看護料金が、能力や成果を無視して設定されているがゆえに、看護師の人事管理においても能力、成果は除外されてきた。

(3)消極的人事マネジメント説
そもそも非営利性原則が中心を占め、さまざまな規制や保護ルールが混在し、競争原理が希薄な病院という業態そして看護部門には、マネジメントが発達してこなかった。ゆえに、マネジメントの一部門を占めるヒューマン・リソース・メネジメントも未発達の状態で推移してきた。だから年功主義人事が長年用いられることとなった。

いずれにせよ、協同病院がクリニカルラダーを導入しようとする意図は、人事管理の機軸を、上記諸説を説明してきた諸要因によってもたらされてきた年功から個別の役割、能力、成果に置き換えようという動きから生じてきたのは明らかである。

福島県看護協会

2005年10月13日 | 講演放浪記
朝新幹線に乗って福島へ。看護管理者セカンドレベル向けの看護経営について講演。

車中、文藝春秋11月号を読みふける。半藤一利、保坂正康、中西輝政、福田和也、加藤陽子、戸高一成ら堂々たる論陣による「日本破れたり~あの戦争になぜ負けたのか~」が秀逸にして面白い。場当たり的な対米戦略立案、実施の過程が克明に議論されている。

国運を賭けて大作戦をやるか否か、という極めて高度で冷徹な判断を迫られる場においてすらも軍令部においては、合理性の議論ではなく仲間内の立場を守り、情に訴える「お友達の議論」中心に展開された状況を中西は徹底追及している。言うなれば、機能組織の最たる海軍組織が、共同体原理で運用されてしまったということだ。

戦争、戦闘という場面でこそ、技術が最大限に発揮されなければならない。米国でMOT(Management of Technology、技術経営)が発展してきた背景には、産業政策もさることながら、第1次、2時世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東紛争、アフガニスタン、イラクなどへの直接的、間接的な軍事力行使への関与がある。

太平洋戦争における帝国海軍のひとつの致命的欠陥は、ロジスティックス(兵站)、情報通信を含め戦時MOTの欠如、戦争技術戦略のビックピクチャーに、共同体原理が跳梁跋扈し機能力を弱めたことである。その結果、戦時MOTを戦争を通して進化させることができなかったと仮説することはできまいか?




戦艦三笠と横須賀講演

2005年10月08日 | 講演放浪記
横須賀には縁あって講演で過去3回訪れている。さて今年は日本海海戦100周年という記念すべき年だ。講演が始まる前の時間帯を使って、長年の課題であった戦艦三笠が保存されている記念館みかさを訪れた。

バルチック艦隊と東郷平八郎率いる連合艦隊が接近遭遇し、バルチック艦隊の進路をT字のように押さえつつも、あの左に大きく回る敵前のターンを中心とした戦況が時間帯の推移とともに双方の艦隊行動を再現している展示が圧巻だ。「坂の上の雲」やその他の資料を読み漁っても、なかなかわからなかったことだけに、何回も動く展示を見て唸ることしきり。

日露戦争は、ロシアの極東侵略によって国家存亡の危機に立たされた日本が、国力の限りを尽くして戦い抜いた防衛戦争である。日本のパーフェクトゲームで終止符を打ち、海戦史を塗り替えた日本海海戦の勝利は作戦戦略、軍事戦略的にも突出する。また国家間の地政学的大戦略、その後の世界史に与えた歴史的影響力においても隔絶する。

当時の極東の有色人種の弱小国が、圧倒的大国である白色人種国ロシアを打倒した世界史の一大金字塔である、というテーマが一貫して流れる展示は、濃度の高い空気を艦内に充満させている。

市内のウエルシティでの講演会には300人くらいの方々にお集まり頂いた。「みなさん、みかさに行ったことありますか?」と問いかえると、8割くらいの方々の手があがった。

さすが横須賀、小学校の遠足などではよく記念艦みかさを訪れるという。自虐史観や戦後の表層的パシフィズムによって正しい史実を教えない学校や歴史教科書が未だ多数あるなかで、当地横須賀は、みかさを抱える土地としてしっかり歴史の保存に取り組んでもらいたい。




セレンディピティとMOT

2005年10月06日 | 技術経営MOT
画期的で独自性がほとばしるような技術を創出して真に新しい価値を持ったプロダクトを生み出してゆくことは先般のMOTシンポジウムでも主要なテーマだった。

面白い論文がランチタイムの雑談のなかから舞い降りてきた。「成功する先見的技術テーマ発掘のための評価モデル」早稲田大学ビジネススクール交際経営学 堀川嘉明さんが書いたものだ。

技術評価、新市場創造というキーワードに、なんとセレンディピティという言葉が並置されている。成功する技術の発想の原点に技術の軸と市場の軸をおいて論ずる論文はあまたある。おそらくは正統的な経営学、工学系の技術評価、新市場創造に関するテキストは、この2つの軸あるいは類似軸で議論してきた。

見落としがちなのが、技術者、研究者サイドの属人的なある種の能力である。ここで能力というと、伝統的な能力類型によると分析的思考能力、概念化能力、パターン認識力、専門的能力などでひとくくりにされやすいが、もっと本質的な能力特性があるのだ。

その従来伝統的な経営学、技術経営、組織・人材論の議論の俎上にさほど登らなかった有力な能力類型がセレンディピティである。前にも書いたが、セレンディピティ(serendipity) とは偶然に幸運に出会う能力のことだ。ノーベル賞の田中耕一さんも言っていた、「失敗した実験結果を捨てるのがもったいなくて偶然手にした実験結果が受賞につながった」と。

セレンディピティが強い人材は、ふとしたきっかけ、偶然の一致、めぐり合い、めぐり合わせ、組み合わせ、出会い、流れに敏感で、そうした経験に対して内在的に開かれている。セレンディピティ人材は、他者には見えないそのような特異点のなかになにかを創造するのである。そのような人たちにとって、偶然は必然であり、「運」は統計的な偶発性ではなく、人為的に運ぶことができる必然性の産物だ。

セレンディピティ研究は、従来の経営学のフレームではHuman Resources ManagementやOrganizational Behaviorあたりで取り上げる必要がある。MOTにとっても非常に重要な課題である。もちろん、先見的技術の評価、プロダクト・マネジメントや起業といった実践領域においても最重要課題のひとつだろう。

東京MOT6大学連合 シンポ記録アップ

2005年10月03日 | 技術経営MOT
ケアブレインズが事務局を担当する東京MOT6大学連合が東京国際フォーラムで開催したMOTシンポジウムは盛況のうち終了した。定員100名のところ、240人の参加を得たのは、MOTというテーマに多くの関係者の関心が集中しているからだ。

さて多くの関係者と言ったが、その内訳やさらに細分化された関心事項、MOTに対する期待についてはアンケート結果に如実に現れている。

当日のシンポ内容の記録とアンケートの結果などはmotjapan.orgにアップされている。シンポ参加者によるアンケートの結果やきたんのないフリーコメントなども収録されている。