よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

旭川~名寄。自転車の小さな旅

2006年07月31日 | 自転車/アウトドア
講演に呼ばれて名寄に行った。北海道にまで来て、仕事だけやって帰るのはもったいない。そこで、輪行して、旭川空港から名寄まで約90KMを自転車で走った。午後7時には名寄市立総合病院の方々との楽しい飲み会があるので、午後2時から走り始めて5時間で90kmを走る。

自転車に乗ると、すべてを忘れ、走りに没頭できる。目的地に達するという単純明快な目標のもと、ただ走るのみ。

とは言いながら、何回か携帯電話にてビジネスをこなしながらの自転車ツーリング。広大な平原の満々中で、さんさんと降り注ぐ太陽の光を背に受けながらのビジネスのミスマッチ感覚がなんともいえない・・・・。

まあ、そんな雑音はあるものの、ペダリングという単純な規律的な回転運動によって全身の血行が促進され、脳内の血流が活性化され、認知空間がひろがり、その霊妙な意味空間には、豊穣で潤沢なフロー経験の泉が拡がる。

さて、旭川空港から名寄までは、通常の交通機関に乗って移動すると、バスや鉄道やらで3980円コストがかかる。自転車ならばタダだ。ただし、途中で弁当やドリンクを補給して飲み食いする費用が1200円ほどかかった。差し引き、2780円ほど浮くことになるのだが。

2780円のために自転車で走るわけではないだろうが、いったいなんのために走るのかと言われれば、答えに窮する。自転車が好きなのだからしょうがない、ということか。あるいは、フロー体験の経験価値は、自転車で走る総コストを上回るという屁理屈もなくはないだろうが。。。

途中、塩狩峠以外にたいした峠があるわけでもなく、普通に走っていれば問題なく着くと思ったのだ甘かった。あと、目的地の名寄まで30km地点の士別でブレーキがかかってしまった。

ハンガーノックと疲労に逆風が加わり、なんと時速16kmの低速走行を余儀なくされた。それまでは、ランドナー系では速いスピードの25kmを維持していたのだが・・・。それでも7時5分前に無事ゴール。とても楽しい飲み会でした。石崎さん、どうもありがとうございました。

マイクロソフト株式会社にてオープンソースを語る摩訶不思議?

2006年07月26日 | オープンソース物語
オープンソースやコマーシャルオープンソースの仕事をしていると、アンビバレントかつ摩訶不思議な感情を抱くことが多々ある。数日前にそんな一日を持った。新宿のマイクロソフト株式会社で、ケアブレインズの仲間とともに
マイクロソフト製品と連携するSugarCRMの講演を行ったのである。しかもSugarCRMver4.5のSQLサーバ連携は世界初の事例。

ケアブレインズは、かねてから早稲田大学、東京大学、千葉県、千葉市などと連携して産学官連携の仕事に取り組んできている。2年ほど前に、東京大学、千葉県、マイクロソフト株式会社(MSKK)が組成する「アドバンストITベンチャー」にノミネートされて以来、MSKKを含める産学官連携スキームでSugarCRMの日本語化やコミュニティ運営を推進させていただいている。

OSSの歴史、マイクロソフトのオープンソースに対するメンタリティをご存知の方は、上記に大して素朴な違和感を感じるだろう。なにをかくそう、僕も当事者でありながら、当初は違和感を感じていたことを認める。

数日前のブログにオープンソースのカルチャーを評してこう書いた。

・オープンソース遺伝子である反プロパライエタリ・スピリットを濃厚に持つ。
・占有、独占、囲い込み、中央統制を極端に嫌う。
・オープン、共有、共生、分かち合い、エコロジーに共感する。
・自由と義務が表裏一体のコミュニティ参加への持続的意思を持つ。
・不特定多数とのオープンな分かち合いからイノベーションが生まれると信じる。

これを読んで、MSのカルチャーを連想する人はいないはずだ。むしろ対極を想像するだろう。しかし、連想しても、しなくても、このような問いはは、もはや意味をなさない。

今や、プロパライエタリ陣営とて、コマーシャルオープンソースのビジネスモデルを取り込まざるを得ない、というのが正しい認識なのである。ビジネスモデルの下部構造としてのカルチャーも、もはや無視できない。むしろ取り込まなければならないのである。

ひとつの証左として、客観的分析で定評のある米IDCは2005年末に発表した「Predictions 2006」のなかで、こう予測している。2006年以降のIT市場を予測した結果、「Microsoft、IBM、Oracle、SAPのように単独でIT技術を開発する企業は絶滅する」と。

このような時代認識のもと、MSはコマーシャル・オープンソースのビジネスモデルを吸収したり、応用したりする必要性をすでに認識しているのである。そして、ビジネスモデルの下部構造たるカルチャーにおいても、すべてではないが、以下の3点はあてはまるようだ。

・資本主義体制下における利潤動機を楽天的に肯定する。
・オープンソース・ソフトウェアの精神は分かるが、それを越えたい。
・実用主義、プラグマティズムを信奉する。

どうやら、今回のセミナーはこれらの点が交わる場だったように思われる。SugarCRMはオープンアーキテクチャ。よって、基盤ソフトはLinuxでもよいが、Windowsでももちろん動く。ぐんと進化したSugarCRM ver4.5は、もちろんSQLサーバ上で動く。WordやOutlook Expressに対するPlug-inだってある。Windowsユーザにも、オープンソースSugarCRMはプラグマティックに開かれいてる。




今野由梨、「ベンチャーに生きる」

2006年07月22日 | No Book, No Life
ダイヤルサービスの今野由梨さんと南青山でお会いした。その折、彼女の著書「ベンチャーに生きる~私のチャレンジ半生記~」をサイン入りでいただく。大著されたサインには名前とともに、「完全燃焼」と。

さて、一度はお会いしたいと思っていた矢先、ベテランの会に呼ばれてプレゼンテーションをしたら、なんと今野由梨さんはベテランの会のメンバーで、会場で挨拶することに。それが縁で、会うことになった。ただし、ミエミエの営業目的ではなく彼女のWay of Life、その基盤となってきた素地、スピリットのようなものをぜひ伺いたかったのだが。彼女は、そういうものではなく、ケアブレインズが提供する現実的なソリューションにご興味があったようなので、はからずもSFA、CRMのCTI連携など、SugarCRMがらみの仕事の話で大いに盛り上がってしまった。

さて、自己表現欲求が旺盛な起業家は、なるほど、よく半生記を書く。起業家による著作物は、著者が起業家であるがゆえに、読者=顧客という潜在意識がはたらくためか、直截な筆致で、半生、生涯の主要なライフイベントを紹介・露呈しつつ、顧客の共感を得ようとするコンテンツ展開が一般的だ。それゆえに、都合の悪いことはオブラートに包んで書き、都合のよいことは露悪的にとことん表現しまくる、ということになりやすい。

だから、そのようなスタイルで書かれた起業家半生記は、起業家の内面の凹凸のある陰影、仕事の地平線に見え隠れする泥臭い喜怒哀楽の表現に乏しくなりやすい。また、経営手法の紹介にしても、個別の成功事象の紹介や事後的な説明に終始するために、一般化されたモデルにはなり得ないことのほうが多い。したがって、起業家半生記に接して、ノンフィクションとしても、経営ケースとしても、豊かな読後感を得るということは実はなかった、この本を読むまでは。

この本の行間には、一代の女性起業家としての著者の喜怒哀楽、因縁因果、因果応報の深い陰影が刻み込まれている。その起伏に満ちた陰影の記述には、躁鬱的な性向さえも見え隠れさせるリスクを犯しながらも、無邪気なほどに明るさの余韻に満ちている。

感謝することに大切さ。
努力することの尊さ。
ストレスとうまく付き合う術。
限界に挑戦するひたむきさ。
人脈を創り上げるしたたかさ。
人を受け入れる豊かな受容性。
積極果敢な攻撃性。
信頼と信用と勝ち得る愚直なまでの正直さ。
ビジネスを身の回りに起こさせる運の強さ。

彼女の筆致だからこそ、正直なところ、納得感と感動を胸に刻むことができる。男性、女性を問わず、起業や独立に関心のある人には、ぜひ薦めたい一冊だ。







畏友は書斎にあり、書斎は畏友にあり。

2006年07月21日 | No Book, No Life
ちょっと前に遊びがてらに訪れた畏友、麻生川静男兄の東京別宅は、東西古今の古典に埋め尽くされた古書、漢籍、洋書の巣窟。世の中、書斎ブームとは聞くが、書斎とは本棚、椅子、机ではなく、本が主人公であるべきだ。

その意味で麻生川別宅は惜しみないほどに本が主人公であり、生活の場をことごとく占拠している。氏の凄いところは、主要な書籍の奥つけあたりに、びっしりとその書物の枢要な論点、他の書物との関連などを微に入り、細を穿つようにノートしていることだ。これにより、書物と書物の関係、書物と読書人の問題意識の関係がわかるようになっている。

英語では、その人の知識の全体を"frame of reference"というが、なるほど氏の蔵書は、それら自体がこのように生きた知的枠組みを、芳醇な書物の香りとともに形づくっているのである。古典の引用力の凄まじさは、生半可な研究者以上のものだ。しかも、麻生川兄のオモシロイところは、学部、大学院(修士、博士)ともに、ばりばりの工学系、情報科学系でありながら、人文系の古典教養に強烈なオリエンテーションを示しているところ。こういう人はそうそういない。工学系の人たちで古典教養には無縁な人が僕のまわりにはいっぱいいるのだが。。

さて、面白いものをかしていただいた。氏は、読書人であるばかりではなく、知的枠組みを常に拡大、あるいは枠組み自体を揺らめかせて遊ぶ。韓非子を朗読した肉声入りのメディアと韓非子の原文テキストをいただいた。

原文テキストで漢字を追いながら、韓非子の朗読を聴く。不思議とスーと、頭に入ってくるのである。漢字を読みながら、たぶん左脳で意味を紡ぎ、それと同時に音声が入ってくると頭のどこかで、意味と音声がうまく統合されて、認知活動がはかどるのか?ラーニングの新らしい様式を、埋もれ行く古典を素材に実践しているのは、趣味をすでに超越した、サービス・イノベーションでもある。

「これって、売れますよね」
「いやいや、趣味としてやっているだけだよ」
「いやー、もったいない!素読の新しい形として世に出しましょうよ」

なんて会話が続いたが、なるほど、書斎は人を語って余りある空間だ。
持つべきは読書人の畏友か。



コマーシャルオープンソース企業のカルチャー

2006年07月16日 | ニューパラダイム人間学
このところ、SugarCRMの幹部やユーザ企業の方々と企業カルチャーについて語り合うことが多い。たしかに、オープンソースのカルチャーはプロパラエタリーなソフトウェアを作り続けてきた企業のそれとは大きく異なる。

このあたりの議論、ライセンス方式、コスト構造、マーケティング手法、開発手法などのビジネスモデルの具体論でひとしきり、アツくなる。しかし、根っこの部分は風土、体質、カルチャーに行き着く。

そもそも、OSS運動のカルチャーなるものは、プロパライエタリな企業に対するアンチテーゼとして発展してきたわけなので、プロパライエタリな企業を中心として形づくられてきたカルチャーとは、根本的に異なるわけだ。圧倒的優位の勢力に対峙する少数派は、一般的に、主義・主張を先鋭化させてゆく。OSS運動も、この一般則があてはまり、敬愛するリチャードストールマンは、さしずめOSS運動の原理主義的カルチャーの体現者という位置づけが似合う。

では、オープンソース・ソフトウェアのカルチャーとは、いったいなにか?

・オープンソース遺伝子である反プロパライエタリ・スピリットを濃厚に持つ。
・占有、独占、囲い込み、中央統制を極端に嫌う。
・オープン、共有、共生、分かち合い、エコロジーに共感する。
・自由と義務が表裏一体のコミュニティ参加への持続的意思を持つ。
・不特定多数とのオープンな分かち合いからイノベーションが生まれると信じる。

ここまでの特徴は、多かれ少なかれ、OSS運動の系譜にある。左翼運動、ニューエイジ経験者なら、共感できる価値観だろう。しかし、近年ほころびつつあるとはいえ、終身雇用、年功賃金、企業内組合で囲い込まれてきた、日本のIT産業企業のカイシャ員的精神構造からは乖離した価値観でもある。

だから、既成の体制価値観に批判的な方々からは熱烈な共感を得ることになる。かたや、このようなスピリットに共感をいただけない方々には違和感を感じざるをえない。

さて、オープンソース・ムーブメントの運動には無くて(あるいは極端に希薄で)、コマーシャル・オープンソースに濃厚に存在するカルチャーとは?

・資本主義体制下における利潤動機を楽天的に肯定する。
・オープンソース・ソフトウェアの精神は分かるが、それを越えたい。
・実用主義、プラグマティズムを信奉する。
・リスクがあれば、先取りしたい。ついでにリスクマネーも。
・前世代のビジネスモデルを否定したがる、超えたがる。
・コミュニティの価値を経済的に理解しようとする、計算できる。
・おもしろいコト=画期的サービスづくりが大好き。
・プロパライエタリな世界とも、オープンソースの世界とも異なる世界観を夢見る。

これらがコマーシャル・オープンソースのコマーシャルたるゆえんだ。オープンソースの原理主義の系譜をひきながらも、ビジネスよりの発想と行動ができるのだ。これは、コマーシャル・オープンソース界隈で仕事をしている連中と交わってみて肌で感じてよく分かる。

シリコンバレーでコマーシャル・オープンソース界隈のベンチャー企業のマネジメントに棲息するプロフェッショナルたちの間では、スタンフォード、UCバークレイ、カルテック、USCは言うに及ばす、イーストコーストのアイビーリーグ出身のエンジニアリグ・バックグランド、MBA、MS、ph.D.などを持つ天才的ビジネスウーピー、天才的エンジニアが一大勢力をつくっている。こういう連中がよってたかって、次々にイノベーションの坩堝をこしらえ、そこにVCから大金が投ぜられる。

コマーシャル・オープンソースは「コマーシャル」なゆえに、商材=価値を生み出す対価としての価格が存在する、という側面がもちろんある。しかし日本では、表面的なコマーシャルの側面にのみ商業的に注目し、そこから利益を吸い取ることばかりに執心し、根底に横たわるオープンソース・スピリット、そしてコマーシャル・オープンソース・スピリットには無関心という方々が多いのは残念なことである。

スピリットを分かち合える人、会社と一緒に仕事をしたいものだ。








コマーシャルオープンソースの波

2006年07月14日 | オープンソース物語
仕事仲間の内田隆平の連載。オープンソースに関心のある関係者にとって必読の内容だ。ぜひチェックされたい。

今年の2月に彼と共著で「実践!オープンソースCRMアプリケーション入門」を書いが、その後も、このカテゴリには大きな変化が立て続けに巻き起こっている。7月現在、あの本を書いていた頃を思い出すと、「一昔前」、「懐かしい」というのが実感だ。

この本と前期連載とあわせ読むと、さらにビビッドな理解、洞察、ヒントが得られるだろう。