よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

サービス・イノベーションことはじめ

2010年01月29日 | 技術経営MOT


「サービス・イノベーションの経営学」の連載が始まりました。

今月からブログでも断片的にメモしてきたサービスのイノベーションというテーマで連載を開始です。狭義のMOTはモノ(product)つくりですが、広義(本来の)のMOTはモノコト(service on product, or product & service)つくりです。その意味で、先進的MOTのテーマの先取りです。

モノコトのイノベーションはすべての産業分野、公共分野、準公共分野に求められますが、とくに、医療・看護の世界を意識してテーマ・アップし書いて行きます。


初回は「サービス・イノベーションことはじめ」です。

資本主義はどうなる? ノート

2010年01月25日 | 技術経営MOT
第15講:どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神

つづき、「資本主義の未来~個人益、会社益、公益~」、「三益主本主義」みたいな感じ。。

<以下貼付け>

健全な資本主義の進化に必要な抑制的・禁欲的な対抗倫理

 正三と梅岩の思想はユダヤ・キリスト教の系譜にあるプロテスタンティズムとは異質。しかし、西洋と東洋の一角に発生した近代資本主義の背骨としての働きには共通項がある。

 それは、自己膨張する欲求によってもたらされる、とめどもない拡大再生産、富の追求を抑止するマインドセットとしての働きである。このマインドセットが近代資本主義には必要なのだ。近代資本主義は、抑制的・禁欲的な対抗倫理が機能してはじめて萌芽、発展の途につく。

「お天道様が見ている」「働くことは当たり前あたりまえ」「みんな一緒にがんばる」、「みんなで分けあう」「ご先祖さまのおかげ」「神様、仏様を畏れ敬う」「世間さまに恥ずかしくないように」「足るを知る」ことが空気のように浸透し、その空気を日本人は吸って働いてきた。

無論、高度経済成長、平成バブル経済とその崩壊の過程で、このような心象が蹂躙され複雑骨折したかのようにも見えるが、それはそれとして別講で詳細を検討することとする。

 かつて先人が築いた日本的勤勉の倫理と日本資本主義の精神を再点検することが重要だろう。そこには資本主義再構築のヒント、新しい働き方についての示唆が隠れている。

<以上貼付け>

          ***

J.C.アベグレンは第二次世界大戦が終わった直後から日本の経済と企業経営を研究し、「日本の経営」、「カイシャ」、「新・日本の経営」などの著書を世に問うてきた。と同時にこれらの研究成果を英語社会にも普及させ、世界の「日本的経営」理解にも大いに貢献。

ちょい個人的なことだがJ.C.アベグレンさんとの対話

以下、J.C.アベグレンの系譜に立つDavid James Brunnerブログより抜粋。

1970年代から台頭してきた市場万能主義・株主至上主義は、社会を犠牲にしてまで儲かろうとする不健全な経営を促した。

例えば経済の「金融化」。金融業界は実業industryを支えるものだが、アメリカの金融業界は大きく膨らんでしまって、むしろ実業をテコにして儲ける仕組みとなった。2008年のリーマン・ショックはその帰結。

そして社会にとって価値を作る実業より金融業の方が儲かるようになった。優秀な人々も金融業に引寄された。実業にとって価値を生み出さないが、投機で儲かるヘッジファンドは代表的な例。2007年ではヘッジファンド・マネジャーの上位10人の個人報酬の合計はトヨタ自動車の利益を超えた。

<以下貼付け>

団塊世代Aの暇つぶしブログさんから

公益資本主義とは、極めて普通の資本主義的考え方であると思う。
18世紀イギリスの近代経済学の祖とも言われるアダムスミスが、主著の「諸国民の富」という本の中で使った市場経済における「神の見えざる手」、これこそが資本主義の根本の考え方であるが、アダムスミスはこの「見えざる手」が機能する前提として、市場に参加する個々の人々が、自分の利益を最大化するために最も合理的な行動をとることを前提としていた。アダムスミスは、一方では、道徳哲学者であり、「道徳感情論」という著作もあり、個々人の行動の前提として、道徳、つまり、相手を思いやる同情の感情があって始めて市場が成り立つと考えていたようです。(参考ブログ:アダムスミス) かのアダムスミスでさえも、グローバル市場原理主義的な考え方ではなかったのである。…

いずれにしても、最近の株主至上主義的な資本主義が、大いに間違った考え方であることが、ここ直近の経済危機の中でようやく認知されて来たことは大いに歓迎すべきである。その意味で、この公益資本主義の考え方は、言わば、従来の日本的な経営理念を体現した考え方ではないかと思う。まだまだ、理論的に確立された、具体的なものではないのかも知れない。また、この資本主義の形態を実現するための社会的制度や法人税や株式関係の税制と言った政策面での検討が必要であろう。

役員サロンさんから

経営のあり方について、我社の歴史を見るとき、「企業は人なり」、「企業は公器なり」ということが根底に流れている。社員を最重要資源として育成し、その力を存分に発揮してもらうことが「企業は人なり」であり、事業を進めるに当たり、その仕事を通じて社会に貢献するという仕事への取り組み方(心がまえ)こそが、「企業は公器なり」という考え方なのである。

辻井の目線さんから

この考え方は、決して原氏の独創ではなく古くからこれを唱える学者などは大勢いたのだが、今、氏の主張はまさに時を得ているし、原氏の場合、何よりも行動を伴っているのが素晴らしい。…

利益至上の資本の原理は結局どこかで行き詰まることが、今次々に証明されようとしている。…

全ての市場のプレーヤーに、社会を思う「公益」の自覚がなくては共倒れが待っている。

NightWalker’s Investment Blogさん

公益資本主義の5つのポイント

会社は株主のもの → 従業員、取引先、経営陣、株主のバランスが重要
経営陣のストックオプション → 株価を気にして短期志向になるので排除すべき
高すぎるCEOの給与 → 一般従業員の300倍以上は極端。公平な利益分配を。
投資ファンドの放任 → 短期利益を追求し、企業活動を妨害するファンドを規制
内部留保より配当重視 → 長期的な研究開発への投資を優先し、剰余分を配当に
要は今の資本主義は、短期利益ばかりを追求する結果になりがちで、企業は長期投資しずらくなっている、というわけなんです。

ガレリア・レイノ社長ブログさんから

当社のクレドも、「職業を通して、社会に貢献していくことが私たちの使命です。」というもので
すので、この人の主張する、「公益資本主義」の経営へという考え方には共感を持ちました。

<以上貼付け>

須賀等先生!ライブケース

2010年01月23日 | ニューパラダイム人間学

(一同、須賀さんを前にして)

須賀等さんとは起業間もない頃に松田修一先生@早稲田BSに紹介されて会った。たわいもないソフトな話をしながらも、シビアにソロバンを瞬時にはじき、かつ感応できる人間かどうかを見ぬく強烈にプラグマティックな人だな、という印象が鮮明に残った。

浦和高校、早稲田、三井物産、ハーバードBSというような記号の平板な羅列に、人はたんなるビジネスエリートの軌跡にのみ注目するのかもしれないが、この人のスゴイところは実は記号の羅列の背後の経験の中にこそ発見されなければならない。独特の勤勉さに裏付けられた資本主義の溌剌たる精神が、その行動パターンに貫徹していることだ。

その時は、須賀さんの暗黙知に触れ、ベンチャーキャピタルの人間になにを訴求すればカネを引き出せるのかがスーとハラに落ちた。その後、実際複数のVCから億単位のカネを投資いただいたのだから、この学びは大きかったし、九段下までの往復交通費のROIは甚大だった。

強烈な人というのは潜在意識に刻印される。刻印されない人は忘却あるのみ。そして、刻印される人のその強烈さは潜在的な磁力となってまた人生経路の中で交わることがままあるのだ。昨年、京都大学のシンポ「地域発・グローバルベンチャーの可能性」で、ばったり同じパネルのパネリストとなり、「いや~、ひさしぶりです!」ということになったのだ。

期せずして須賀さんも自分も大学で教えることが共通項となった。こうなるとまた物語は新たな進展を求めて先に進む。農工大の授業に来てもらってありったけの話をしてください、ということになったのだ。

以下はTwitterから。個別企業にかかわる情報はぬき。

            ***

須賀等さんの含意I。情念=暖かなハートによる共感。ソロバン=シビアなROIによる利害関係。∴情念とソロバンを共有できる人間には投資する。情念とソロバンのシンクロニシティは瞬時に創発する。創発しなければ「縁はなし」。この感覚がないエンジニアは一生サラリーマン。起業家として生きよ。

須賀等さんの含意II:日本の未来は暗い?日本は沈滞している?バカを言うな。まだまだWindow of Opportunityは開く。それが見える奴には未来がある。見えない奴には未来はない。どっちを見たいかは自分で決めろ。→賛成!!

須賀等さんの含意III: 結局、ハンズオンVCは「人間の力」とビジネスモデルに投資をするのだ。人間の力としての技術力を持つエンジニアは非技術的能力=人間感応力、ファイナンス力、深い人脈構築力を身につけよ。MOTを学ぶ人にはその可能性があると思う。ただしマジメすぎはダメだ。

AkiraFukuei
@HiroMatsushita
技術経営研究科の須賀さんの講義に参加した、東大の福栄晟です。東大のMOTとは違った、スケールの大きな話を伺うことができ、とても有意義な時間でした。今後とも宜しくお願い致します。

SUKE__SAN
RT @HiroMatsushita
評論家は分析をする。実践者は洞察をする。起業に必要なのは分析以上に洞察である。洞察は行動に奥ゆきと幅を与え成果をもたらすからだ。ゆえに評論家の起業論より実践者の起業論に耳を傾けるべきだろう。
about 18 hours前 from TwitBird iPhone Hir

            ***

受講者のサイトも。

<以下貼付け>

 なぜ、銀行を辞めたばかりの若い1人の男が、日本のスペシャリティーコーヒー市場で大成功できたのか・・・。

「VCと起業家の気があった。つまり、大きくなる気があるか?」

「VCの仕事は、起業家が足りないところを補完することで、事あるごとに売上高をたずねることではない」

「Windows of opportunity 機会の窓はいつも空いているわけではない。タリーズの場合、1年か1年半しか空いていなかったが、そこにもぐりこめた」

「タリーズの成功は、結局お客様が喜ぶものを提供し続けたこと」

「起業・VC いろいろな人との出会いがある」

「シリコンバレーは世界で一番人種差別の無いところ。あなたはどこから来た?でなく あなた何ができる?」

「アメリカのベンチャーの技術者・医者・弁護士・パイロット いずれも商売人。日本人はそれが欠ける。アメリカは子供の頃から、お金の教育をしている。例えばレモネード売り」

「ベンチャーの成功は、アイデア5% 実行力95%。結局、実行する人につきる。この人がやるからついていく。」

「つまらない仕事を面白い人とやるか、 おもしろい仕事をつまらない人とやるか」

「日本と欧米のVCの拠出金の比較グラフ → 日本の惨状。ベンチャーが虐げられている」

<以上貼付け>

「クラウド」仮想遺伝子妄想説

2010年01月21日 | 技術経営MOT


2010年のバスワードのひとつがクラウド。クラウドとは実態がともなう明確な技術体系を示すものではありません。だからロードマップのようなものはなかなか作りえません。

さて"meme"とは個々の文化の情報をもち、模倣を通じてヒトの脳から脳へ伝達される仮想の遺伝子のことです。ポイントは実態ではなく仮想です。イギリスの動物学者ドーキンスが著書「利己的な遺伝子」の中で提唱しています。

それぞれの切り口からクラウドはどのようなテーマに繋がるのかを"meme"のコンセプトで表したものが上の図です。仮想が仮想を呼ぶこと、これを妄想といいます。多少古い図なので、現段階ではTwitterなどのニュータイプのソーシャル・ストリーム系のSNSなどを加える必要があるでしょうが。ここのプレーヤーはそれぞれがどのような仮想シナリオで行動するのかを読みながらイノベーションのとば口に立っています。仮想をもとに仮想するので、一歩間違えば妄想になってしまいます。

そこを妄想ではなく、因果関係を作ってビジネスプラン化するわけですからこのクラウド分野での事業化はチャレンジングなものです。

気になるのは日本勢のプレゼンスは影が薄いことです。クラウド・イノベーション生態という点からみれば、日本勢はTech, Player, Serviceの開発、市場化ではめっきり出遅れ、ひたすらMarket-sideでlead-userが新規性の強いメディアに触れて興奮しているという図が見て取れます。

平野勝之監督、自宅に現わる

2010年01月17日 | 自転車/アウトドア


(『自転車人』久田一樹さん、サイクリスト平野勝之監督とともに)

平野勝之監督といえば知る人ぞ知る過激なAV映画監督。その作風はストレート・フォワード、激アツなラディカルな表現に特徴があります。その平野監督が自宅に来たのですが、そのテの話やビデオ鑑賞のためではありません笑)

平野さんはサイクリストです。ラディカルな走りをモットーにしていますが、たぶんサイクリストとしての過激性、逸脱性、倒錯性、越境性、偶有性の複合体はAV映画監督としてのそれらと根底で繋がっているのでしょう。僕もこの種の「性向」を深いところで保有しているので話が合うのです。

サイクリングとソレはなにか似ています。

・身体性と精神性の営みであること。
・全身全霊で取り組むこと。
・フェチな世界がひろがること。
・上に乗ってハァハァすること。

本質的な共通点は次のように考えられます。

・エロス
・エクスタシー、フロー経験をもたらすこと。
・豊穣なピーク・エクスペリエンス(至高体験)をもたらすこと。
・異界性、無境界性をもたらすこと。

そのサイクリストとしての平野さんが、「山と渓谷」の『自転車人』の久田さんを伴っていらしたのですが、なんでも平野監督は、キャンピング自転車やランドナーというタイプの自転車をテーマに本を書いているそうです。そこで、知人を通して僕が乗っている片倉シルクキャンピングに白羽の矢が当たり、取材となったしだいです。

自転車の写真を撮ったり、自転車談義、パーツ談義、ルート談義などで濃密でディープな時間を共有させていただきました。

その本、3月には書店に並ぶそうです。楽しみです。


国際シンポ:Everyone a Changemaker ― 世界を変える社会イノベーション ―

2010年01月13日 | ビジネス&社会起業
理事をつとめているNPO法人国際社会起業サポートセンターが協賛して、社会起業に関するシンポジウムを開きます。

詳細案内はこちら

<以下貼付け>

写真家で『チェンジメーカー―社会起業家が世の中を変える』著者の渡邊奈々氏、プロジェクト・インパクト代表のデイヴッィッド・グリーン氏、そして基調講演者として、「社会起業家の父」と呼ばれるビル・ドレイトン氏の招聘を予定しています。

日 時:平成22年2月6日(土) 13:00~17:00
場 所:東工大蔵前会館 「くらまえホール」
(東急目黒線・大井町線 大岡山駅 正面)
http://www.somuka.titech.ac.jp/ttf/access/index.html
電話 03-5734-3737

[プログラム概要]
講演「ソーシャル・アントレプレナーという生き方(仮題)」
渡邊奈々

基調講演「Everyone a Changemaker(仮題)」
ビル・ドレイトン

パネルディスカッション「社会起業家を養成する社会のシステムづくり」
渡邊奈々/ビル・ドレイトン/デイヴィッド・グリーン
司会:渡辺 孝(東京工業大学 特任教授)

<以上貼付け>





講演会の補足(日本助産師会)

2010年01月12日 | 健康医療サービスイノベーション
先週末、日本助産師会@東京で講演。テーマは、『病院経営の視点からみた助産マネジメント~助産師外来・院内助産所開設のキーポイント~』

2時間ではちょっと少なめでした。少子高齢化が進み人口が減る国はなかなか成長・発展しません。ではどうするか?人口というものは人為的に操作が難しいものですが、先進国では悩みのタネの一つです。政策という点から考慮すべき2つのオプションがあります。

(1)フランスのPACS
フランスでは1999年にPACS(連帯市民協約)法というものが成立し、同棲カップルにも夫婦と同じ権利が与えられるようになった。そのひとつの結果として出生率が上昇に転じている。

http://trickystar.blog59.fc2.com/blog-entry-51.html

<以下貼付け>

歴史的な流れのなかで、人工中絶、ピル解禁、契約結婚、同棲、通い婚など、時流に合わせて規制緩和がすすみ、結婚と事実婚の制度上の恩恵にかかわる格差が縮まり非婚カップルが増えた。フランスで結婚を選ばない、いわゆる「非婚カップル」が一般化したのは、五月革命のショックを経て、結婚と事実婚の間の格差が縮まり、事実婚が限りなく結婚に近づいていった結果であると言われる。しかし実際のところ、五月革命の直後しばらくの間、婚姻数は増え続け、事実婚は70年代後半から急増し始めた。とはいえ、地域格差はある。パリを中心とした大都市と、地方とではカップル形態もことなり、「結婚」が重視される地方も依然多い。大都会を中心に以下のような形態が見直されるようになってきた。①同棲(ユニオン・リーブル)②近くに住み互いに行き来③PACS④結婚、など。

<以上貼付け>

(2)移民の受け入れ
移民を大量に受け入れる。ただし移民の70~80%位は中国人となる可能性が高いので様々な軋轢が想定されるが・・・。フランスやドイツでは移民増加による社会問題が頭痛の種になっている。

               ***

以上は国レベルの政策の話。現場ではもっと細かなことが問題になっています。

さて、現状では出産の98%は病院で行われており、助産施設での出産は2%位にとどまっています。医療費抑制政策、産科医師の大きな業務負担、産科医師に対する訴訟リスクなどが複合して、医療機関での産科が脆弱になってきています。これららの問題に対処するために、

・助産施設を院内で開く、拡充させる→助産外来・院内助産施設の拡充
・助産師による独立起業→独立型助産施設の拡大

がクローズアップされてきているのです。この流れは、うまく行えば受益者である妊婦さん、地域医療の利益になります。

まずは、病院(医療行為)と助産施設(非医療行為)の役割分担を整えて、形式主義ではない現場の仕事をやりやすくしてスムーズな連携を実現するワークフローを確立すべきです。

ところが、千葉県では、「超音波は診断になるため助産師は診断ができない」などという意見が医師会から出され、助産施設の業務を圧迫している歪んだ現状があります。

嘱託医の監督下で、超音波を活用するテクノロジーを使って、頭位・骨盤位胎盤の位置・羊水量・頭の大きさ・大腿骨頭の長さ心拍数の状況を観察するのは、助産師にとって業務上必要なことで、妊婦の利益になることです。これらの業務は厚生労働省によっても認められています。

厚生労働省によって認可されている業務が、地域の医師会の声によって円滑に出来なくなるのは問題です。

「超音波検査は、助産師が嘱託医の監督下で行い業務遂行のための状況観察をおこなうものだから必要」、「超音波検査から得る情報によって助産師が診断するのではない」ということを共有すべきです。

これをやるなという声が医師会から上がるということは、尋常ではありません。またそれを真に受ける行政もどうかしている。一時が万事、力関係や声の大きさに依拠するインフォーマルな政治的意図で誘導されいて、合意形成のための民主的な議論とは言えません。

日本助産師会としては政策分析・提言機能を強化して、健全な合意形成を促し、そのプロセスの中で職能団体としてのポジショニングを主張してゆくべきでしょう。

鳥越神社

2010年01月09日 | 講演放浪記


お正月の喧騒が嘘のような静かな佇まいの台東区の鳥越神社。
日本助産師会の本部はここからものの2-3分のところにある。

社務所でもらった『鳥越神社略記』に曰く、『回國雑記』には:

「暮れにけり

やどりいずくと

急ぐ日に

なれも寝に行く

鳥越の里」

と詠まれている。

           ***

その昔はもっと神域は広大で、鎮守の森は奥深かったようだ。

その緑ゆたかな鎮守の森に鳥がねぐらを求めて群がったとも読めるが、遊び好きな男が、このあたりで浮世の名を流しながら「なれも寝にゆく」ことを暗喩しているとも読める。


ライフネット生命保険の出口治明社長と飲み会

2010年01月08日 | 技術経営MOT
今日は授業でライフネット生命の出口社長にライブケースを提供いただきました。
開業が2008年5月、現在資本金132億円。月次(年次ではない)生命保険契約高の伸び率は8パーセント。すごいですね。

これだけでもケタはずれのベンチャー企業だということは自明。かつ生命保険会社の新規起業は70年ぶり以上です。

生命保険はサービス・プロダクト。生命保険サービスに一大イノベーションを巻き起こしつつあるライフネット生命。生命保険ビジネスは、モノづくりとは対蹠的なコトづくりだが、じつはMOTにとってはコトづくり=サービス・イノベーションの接種、取り込みこそが重要テーマです。

あとで飲み会。全員がTwitterをやっていることが判明。大笑。




資本主義はどう変わるのだろう?

2010年01月05日 | 技術経営MOT
どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神を書きましたが、ちょっと予告的な補足をしてみます。

~資本主義という言葉がはやっています。たとえば、パッと思い出してもちょっと前の経営本では次のような「資本」のあり方が提言されています。

金融資本 financial capital
物的資本 material capital
人的資本 human capital
技術資本 technology capital

最近では、

知識資本 knowledge capital   
関係資本 relation capital   
制度資本 institutional capital
信頼資本 trust capital   
評判資本 brand capital   
文化資本 culture capital

なんていう「資本」もよく議論されます。

元来、資本というものは目に見えにくいものですが、さらに知識、関係、制度、信頼、評判、文化といったものは見えにくい、でも、メタレベルで誰もが影響を受けるものです。

搾取・寄生型の経済と自給自足型の経済。公共型経済と私有型経済。政府介入型経済と市場主義経済。さまざまな二項対立がありますが、これらの反対命題が止揚されて新しい資本主義が生まれてくるのでしょう。もちろん、それはスンナリゆくわけはなく、様々な軋轢、葛藤を伴います。

でもどのような資本主義であっても、人間の「はたらき」あっての資本主義です。人間の「はたらき」が労働であり、労働のあり方をポジティブに支える価値観が「勤勉」です。

以前は、ゼニをひたすら稼ぐ、モノを買って所有する、記憶力を身につけるような「勤勉さ」が大事でした。でもこれからは、知恵を身につける、良い人や組織と望ましい関係を構築する、信頼を得る、評判になる、文化を涵養し発信するといったソフトでしなやかな「勤勉さ」が大事になってくるのかもしれません。

資本主義のスタイルが変われば、「勤勉」の中身も相応に変化してくるのでしょう。と同時に、「勤勉」のスタイルを反映させた形で、新しい資本主義の方向性が生まれてくるのかもしれません。

新しい時代の「勤勉」に意味を与えず、「はたらく」ことの内実を空虚にしてしまうことが、実はもっとも危ういことなのでしょう。