よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

いま、ここに。

2008年06月25日 | よもやま話、雑談
アントレプレナーシップ論の授業を取っているO崎君がアメリカに留学するという。

いたってうれしそう。
目が輝いている。

ああ、いいな。
オレもこういう目をしてアメリカに行ったのか。
でも彼女と別れるのはつらかったよな。

まばゆい未来への道筋は人を明るくする。
人は仮想する明るい未来があってこそ、
「いま、ここ」を明るくすることができる。

そして「いま、ここ」が陰鬱にみちたジメッとした
うつろなものであるのなら、未来も鬱勃な予兆で
満たされてしまう。

鬱勃たる「いま、ここ」に耐え切れなくなり
秋葉原で、あの青年は
多くの「いま、ここ」のみならず、
仮想する未来を殺戮した。

コヘレント感覚を喪失すると
人は、アノミーに陥る。
格差社会とは、コヘレント感覚の格差
なのかもしれない。

似たような年代のふたりの青年、
そこに隔絶と格差があることを
覆い隠すことはしない。

だからO君。
君は本当に恵まれているのだ。
そして自分の立ち位置を
「いま、ここ」の時代を俯瞰して
眺めてみるといいだろう。

アメリカでの生活がはじまったら
Be here now!
と朝に晩に自分に言ったらよいだろう。

そうしたら、次なる未来に
だんだん気がつくだろう。

次なる未来、
これを目標といってもいいかもしれない。

人は、仮想する明るい目標があってこそ、
「いま、ここ」を明るくすることができる。

Sense of Coherence あるいは生き抜く力

2008年06月23日 | No Book, No Life
溌剌として健康な人もいれば病気がちな人もいる。面白そうに生きている人もいれば、なにかつまらなそうに生きている人もいる。クリエイティブに前向きな変化やイノベーションを起こす人もいれば、いわれたことをそのまましかやらない人もいる。いろんな人がいる。

なにがこのような違いをもたらすのか?

そのこたえの一つがSense of Coherence。

人生の当事者として身の回りの世界に首尾一貫した意味のある一体感を保持し、人生を手中にしている感覚。そして、世界と自分との間に目的を見出し自分が選び出した世界と仲良く親密になれる感覚。首尾一貫して新しい世界との対話を楽しみ、そこに前向きな意味を紡ぎだしていけるおおっぴらな楽観的感覚。世界にほのぼのとした光をみいだし、レンズでその光を集めて退屈な紙を焼いてしまうような集中する感覚。

ちなみに預言者コヘレトは、「なんという虚しさ、なんという虚しさ、すべては虚しい」と言った。抑鬱と倦怠こそが人生の敵だと、コヘレトは警鐘を鳴らした。コヘレトはヘブライ語で説教師という意味だ。(Colin Wilson, The Search for Power Consciousness)。なるほど、コヘレント感覚は人生の教師かもしれない。

コヘレント感覚を持つ患者は早くなおるという。またコヘレント感覚を持つ人は前向きだという。また身の回りをみても、起業家の多くにはコヘレント感覚を持つ人が多いように見える。

フッサールじゃないが、思考は志向的だ。Michael Polanyiは、ゲシュタルト(形態)は認識を求めるときに能動的に経験を編集するプロセスで形づくられ、その形成と統合こそが「暗黙の力」である、そして、その暗黙の力が進化の動因でさえあると意味深なことを言った。なのでひとりひとりの個人には、たぶん宇宙的な原理として、より高い位相に向かう志向性があるということを想定するのは、なるほど希望に満ちている。

でも言葉で書けそうもないのでせいぜい暗黙知というほかない。でなければウィトゲンシュタインでも引っぱってきて、「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」とでも言うほかない。

さてMaslowは、その高い位相のことをSelf Actualizationと言ったが、彼と熱心に意見交換したColin Wilsonはそれを宇宙意識とも言った。至高体験のさらに上には春の意識、魔法の意識、そしてX意識があるという。

このような志向性に、新機軸への契機が埋め込まれているとしたら、根っこのところでイノベーションはMagicalな香を帯びてくる。


MOTアントレプレナーシップ論→飲み会

2008年06月11日 | ビジネス&社会起業
今日の授業は京都大学産官学連携センターイノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門から畏友、麻生川静男先生を呼んで社内起業、社内ベンチャーのケーススタディ。こういうナマのケーススタディは、きっと新鮮な視点をもたらしたに違いないと期待。




ここまでは極めてマジメモード。いい質問もたくさん出ました。
さて、その後は例によって飲み会。麻生川先生との懇親会もかねて。



農工大MOTが誇る美女才媛3人衆に囲まれてニヤけている麻生川先生。
みんな笑顔が素敵です。



このクラスのいいところは20代から60代までの世代が気持ちよく繋がっているところ。
それにしても楽しそう。

途中から、企業倫理学(CSR経営学)の藤田先生とそのクラスの学生も合流。



授業では知的刺激を共有し、その後はアルコールを共有しよう。
講義ではロジックを重んじるが、起業家には情も必要ですね。
適度なアルコールは情と情を結びつけてくれます。



熱い二人が結びつく。イノベーションは新結合から生まれる!?



若いっていいですね。健全な二人に幸いあれ。



というわけで、わいわいがやがやの楽しいひと時。
あっという間の3時間でした。

MOTが日本を元気にする。
そのためにはMOTを学ぶ者同士が元気でなくちゃいけない。

ケーススタディーとして起業家の人生=文脈に埋め込まれている物語を体感することは本当に大事だと思う。起業家の経験を疑似体験しておいてから、起業経験をするほうが成功確率は高まるだろう。

麻生川先生、ありがとうございました。
幹事の加藤さん、ありがとうございました。



徳島赤十字病院で「年次改革要望書」を語る

2008年06月07日 | 講演放浪記
久しぶりに徳島へ行く。午前は招待講演、午後はコンサルティングで忙しい一日。すべての予定をこなし、ひととき歓談。その後、看護部長さん、副部長さんの美女軍団に囲まれて記念のフォト。

全国に散らばる伝統的ノンプロフィット医療機関の赤十字病院のなかでも徳島赤十字病院は、その新しさがユニークだ。

徳島赤十字病院は急性期病院で、高度救命救急センターを運用し、Emergency Roomも強力。また、難病、集約的医療の必要な慢性疾患にも対応している。しかも屋上にはヘリポートを持つ。

2年前に移転した高機能病院でもある。全面的に電子カルテを展開していて、64列CT撮影装置設置、高機能心臓血管撮影装置を設置(撮影室2室)。また拡散強調画像が撮影可能なMRI装置を装備していて、ER悪性血液疾患治療にも対応している。

株式会社と異なり配当などで利益配分を株主に還元する必要はないが、赤字では運営できない。Going Concernは株式会社以上に、ノンプロフィット医療機関には厳しく問われる。だから組織の維持拡大を図るには、優れたマネジメント力が必須である。徳島赤十字病院では経営担当の事務部長が副院長を兼ねるということだけでも、医療・経営分離のガバナンスのもとでも経営マインドが旺盛なことが分かる。

さて株式会社が経営するアメリカの病院では多くがビジネスマンが病院長を勤める。診療ニーズに対して、経営ニーズが優先されると、利益率が高い診療科目に傾斜配分するようになるので儲かる診療科目に資源を集中させたり、金払いのいい患者しか診療しない、保険会社と契約をしている患者しか診ない、というようになっている。

保険会社、病院、医師、患者・・・、それぞれ健康のステークホルダーが個別の利益を追求した結果、均衡しているとされる米国の医療は、医療費世界No.1だが、無保険者が4200万人もいて平均余命も短く、けっしてパフォーマンスのいい医療制度ではない。Managed Careとよばれる均衡状態がもたらしたものは、いびつの均衡でしかない。

さて日本では、ノンプロフィット医療機関の病院長は医師だから、必然的に診療と経営を統合することが医師である病院長の仕事となる。しかし、医師の多くは経営に関するトレーニングをうけることは、あまりないので医療がわかるビジネスマンを経営チームの中にいちづけることが重要だ。聞けば徳島赤十字病院は黒字で、平均在院日数は8日位で7:1看護を維持しているという。地方にあって大健闘している病院だ。

そして医療政策では、国民皆保険を堅持して公的医療費をキチンと上げてゆくことが望まれる。もちろん、ムリ、ムダ、ムラをなくす努力をしながら。混合診療や高い自己負担を認めると、あひるがギャーギャー鳴くような喧騒をかなでながら外資系(米国系)保険会社や、目ざとい保険会社が大挙して参入してしてくるだろう。

米国の国益のため書かれる「年次改革要望書」に沿って郵政民営化では簡易保険市場が民営化される方向にうまく誘導されてしまった。「民」というのは実はアメリカの保険会社が中心。そのおこぼれにあずかり年次改革要望書を応援するさもしいオリックス保険なども、もちろん医療保険市場を狙っている。外圧に協力することによって利益を得るという手法。

ついでに言うと「年次改革要望書」を白日のもとに晒して糾弾した関岡英之はいい仕事をした。

いまこそ、反面教師としてのアメリカの医療を学び、「年次改革要望書」を読み込まねばいけない。「年次改革要望書」の路線で行なわれる政策では、利益が米国に移転され、日本が収奪されるという構造が透けて見える。そのツケはすべて患者に来るからだ。日本の公的医療を安直に市場原理に明け渡し保険会社の草刈場としてはいけない。新自由主義的な医療保険制度改革には要注意だ。

最近の講演はこんな話で盛り上がる。


突然、古~い記憶が蘇った瞬間

2008年06月05日 | 日本教・スピリチュアリティ
右脳系の記憶には自信があるほうだ。一回会った人ならば、名前は忘れても顔は絶対に忘れない、と密かに思っていた。

決して自信過剰なほうではないのだが、今日、めずらしく、どうでもいい自信を深めてしまった。

東工大で社会起業家の集まりがあるというので、出かけていった。大学院で講義しているアントレプレナーシップ論のなかでも、「株式会社の起業はホネも折れるし、大変。これからは、医療、福祉、犯罪防止、農業、継続教育などの分野で社会起業しよう!」と常々熱く語っている。それやこれやで東工大社工国際社会起業家養成の渡辺孝先生の集まりに参加させていただいた。

名刺を交換してインドレストランでビールを飲みながら、テーブルの前に座っていた某女史の顔をビールの飲みながら、眺めていたら、どっかで見たことがある!?とふと気がついたのだ。

恐る恐るたずねてきると、はやり、その女史はXX年前に某予備校で同じ教室にいた人。

たぶん、世の中、袖を触れるような近場にいても、そうとは気づかないでいることのほうが圧倒的に多いのだろう。もしかしたら、幼稚園、小学校、中学校の時の友人、知人と駅前の雑踏かどこかですれちがっているのかもしれない。ただ、忙しさにかまけて気がつかないのだろう。

まあ、世の中こんなこともあるのか、と思ったのである。ちなみにN田さんの記憶の中に僕が痕跡をとどめなかったのは、残念といえば残念でもあるのだが・・・。

と言いながらも、いろいろありすぎてもクラス会などは出ずらいことも、ままあると聞くこともある。なので、まあ、いいのではないかと変に納得した今宵であった。