よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

自分と世界を噛み合わせる?

2012年06月01日 | ニューパラダイム人間学

engageという英語、このところよく出くわす。

会議、雑談で、この言葉を口にする米国人、日本人が増えてきているように思えてならない。

おやおや、と思っていたところ、なんとコーネル大学の卒業式でのSchorton学長のコメンスメント・スピーチは、 'engage the world'という内容。詳細は、President Skorton urges graduates to 'engage the world'に詳しい。

ちょっとこの言葉、日本語には訳しづらいニュアンスがある。だから、一部では、「そのエンゲージメントは年内まで」とか「そのエンゲージメントよろしく・・・」などとカタカナ英語として用いられてきた。

たとえば、この言葉は外資系コンサルティング業界で昔から頻繁に使われてきた。クライアントを対象とするプロジェクト一式や業務上の任務を「エンゲージメント」と称する。

さて、engageには、約定する、抱える、聘する、聘用する、交戦する、招く、結婚する、戦う、雇う、迎える、頼む、恃む、戦闘する、請合う、かみ合わせる、などの幅広い意味がある。そのなかでも、特定の文脈では「積極的にかかわり、自分の役割をつくりあげて貢献する」という含意がある。

'engage the world'には、「世界と積極的にかかわり、自分と世界を噛み合わせ、そこで自分の確固とした役割を築き、世界の進歩に貢献する」ほどの意味があるように思える。

気宇壮大にして楽観的、そして品格もただよう言葉だと思う。なるほど、明るい未来を信じたい卒業式のスピーチにはふさわしいのかもしれない。


ねじれ幸福感のガラパゴス化

2012年05月15日 | ニューパラダイム人間学

facebookで拾ってきたチャート。

平均余命を健康指標としてタテ軸、ひとりあたりGDPを横軸に配置して、国別のポジションをこのマトリックスに書き入れ、かつ、その国の人口規模をマルの大きさで相対化したもの。

3月におとずれたコンゴは左下の隅っこにある。つまり、最貧国のひとつで寿命(0才時での平均余命)も45才ちょっとと極めて短い。翻って日本は、バブル崩壊、長引くデフレ、財政逼迫といっても、右上の上の方。

なかほどに巨大人口を抱えて、右上に向かって伸びてくるであろうインドと中国がどかんと座っている。

日本人は長生きもするし、ひとりあたりGDPも高い。そしてそのような裕福さを享受する人口は、アメリカの約半分の大きさで、右上のグループの中でもひときわ存在感は高い。

つまり、客観的な幸福の条件は他の国々に比べれば整っている方だ。さて、客観的ではなく主観的な幸福感はどうか?

世界各国に暮らす人々の内面の幸福度を測定し比較するデータベースとしてエラスムス大学のワールド・データベース・オブ・ハピネス(WDH)というものがある。

WDHでは、「現在の生活にどの程度満足しているのか」という質問を10点満点で計量化したところ、な・なんと、日本は世界60位。日本の位置は、金融危機のギリシャ(56位)やお隣の中国(54位)よりも低い。主観的な生活満足度は先進国中最低レベルというのが日本の状況だ。

たしかに、鬱病患者は年々増えて、すでに100万人以上に達している。97年に集中した大手金融機関の破綻、大企業の倒産がトリガーになって、以降、年間自殺者は3万人以上で高止まりし、無縁死も年間3万人以上いる。こんななかで、幸せを感じることができるとしたら、それはよっぽど強い人で、まわりが見えていない人じゃないのか?

つまり、日本という国には、外形的な幸福感の条件はある程度高いレベルで揃ってはいるものの、そこに棲む居住者は、主観的に幸せを感じずらいという、ねじれ現象がある。カレル・ヴァン・ウォルフレンは官僚支配の構造を絵解きして、『人間を幸福にしない日本というシステム』を指摘したが、案外、こういう幸福感のねじれ現象に、それは顕れているのかもしれない。

なぜ、そうなのか、については、これからいろんな人と意見交換してみたい。

コンゴと日本。まさに両極端だ。でも、コンゴでは会う人、会う人、みなが良く笑っていた。とても笑えるような状況でなくても、とにかく、よく笑うのだ。幸せだから笑う、笑うから幸せになる・・・まあ、いろんな説明はあるようだが、国民一人当たりのGDPは日本はコンゴの100倍。

で、日本人はコンゴ人の100倍の笑うの?とんでもない。コンゴ人のほうが5倍くらいは笑っている。

日本では、ねじれ幸福感のガラパゴス化が進んでいるのかもしれない。

 


ソリューション、コンテンツ提供業の未来は?

2011年10月27日 | ニューパラダイム人間学

私は専門家のはしくれですが、専門性をどのようなメディアを介して提供するのかという手段・方法については人それぞれです。

以前は雇用されて組織を通してソリューション、コンテンツを提供していましたが、自分ならではのソリューション、コンテンツをある程度確立できたので、独立・創業して自分の会社を持つようになりました。

その会社をリーマンショックの直前に上場企業に運よく?売却(これをイグジットするといいます)しました。個人に属人的に帰属するソリューション、コンテンツではなく、経営者としての「私」から分離された事業インフラを売却したことになります。

で、自分で設立した会社=インフラをマイ・カンパニーから、アウア・カンパニー、ユア・カンパニーというように変えて、カンパニーから自由になって自分に残ったものはソリューション、コンテンツとそれらを生み出す「形態形成場」です。素朴な額のキャピタルゲインもありますが、まあこれは横に置いておきます。

現在、ソリューション、コンテンツを提供することを業として、いろんな「インフラ」にそれらを提供しています。自分が経営する会社=自分のインフラを離れてから、実に多様な外部のインフラ=組織と交流が生まれたのは、運がいいというか、不思議といえば不思議です。

大学、大学院、外資系企業、日本企業、医療機関、政府系機関、職能団体、教育関連団体、出版社、ウェブ媒体、NPO、学会、国際会議などです。地域的にはヨーロッパ、アメリカ、日本を含めるアジア、アフリカ。

以上の内、学会、国際会議のコストはこっち持ち、つまり、お金を払う側にいます。お金を払って自分のコンテンツ(発見、理論、モデルなど)を発表させてもらうのです。つまり、ミカジメられています。

それら以外は、なにがしかの報酬をいただいてソリューション、コンテンツを提供しています。印税、原稿料、講演料、業務委託料などの対価を得てソリューション、コンテンツをトランザクションしています。もちろん、NPOや社会貢献活動はボランティアでやっているので、その場合は報酬は受けとりません。

さて、ここからが本題です。

顧客インフラに接する(インバウンド、アウトバウンド)ときには21世紀のネットを主体とした情報革命以前は、どうしても組織の仲介(メディア)が必要でした。しかし、今日のように、ネット、SNS、クラウドが発展し、それらを低コストで活用できる情報環境においては、顧客インフラにアクセスするときに、メディア組織という外部のインフラを敢えて介在させる必要性は消滅しつあります。

ネット、SNS、クラウドを活用すれば、メディアを個人の側に引き寄せることができるようになったからです。土地、建物、機械、生産設備に張り付いた労働ではなく、それらへの張り付き度が希薄で相対的に自由なソリューション、コンテンツ提供業にとって、より重要なのは「個人」の力です。

大事なのは個人のソリューション、コンテンツであり、個人のブランドということになります。私から見て上の世代の先輩方には、「私は~製鉄です」、「私は~自動車です」、「私は~大学です」といったような所属する組織の看板と自己を一体化させて、自分のアイデンティティーを構成・獲得するような人たちが多いのも事実です。

①ソリューション、コンテンツのモノコトへの埋め込み度合いが高い企業の人的資源管理戦略、②終身雇用、年功序列パッケージに順応する個人、③それらを支えてきた産業政策から見れば、このようなアイデンティティー構成手法には一定の合理性があります。

しかし、モノつくりがサービス化し、モノのソリューション、コンテンツ化の動きが激しくなるにつれ、このようなアイデンティティ構成手法はなくなってくると思われます。

情報革命が進行している現在、アイデンティティーを構成する場は、会社→仕事→個人というように移ってゆくのでしょう。マーケティング的に言えば、会社ブランド、仕事ブランド、個人ブランドへのトランスフォーメーション。

こうなってくると、個人はソリューション、コンテンツの形成、彫啄に励まなければなりません。ここで素朴な疑問が生じます。ソリューション、コンテンツは一人で産みだすことができるんでしょうか?

私を含め凡人にはちょっときついでしょう。一人ではできないので、いろいろなインフラ、それらに乗って活動をしているいろいろな方々とのナマの交流がとても大事になってきます。今風にいえば、「場」を共有することによって共創するソリューション、コンテンツが大切になってきます。

逆説的ですが、個人→共同体→地域→国→グローバル社会というように「場」を拡張させてゆくことが大事になってきます。ともあれ、日本人にとって擬似共同体でいつづけてきた会社、産業社会の崩壊が進んでいるので、会社、産業系以外の共同体的「場」(家庭、地域コミュニティ、NPO、お茶のみ友達、交流会、趣味の仲間、勉強会、サロンなど)に関わって、顔を突っ込むことが大切になってくるでしょう。

そういう力を「場力」と呼ぶようにしています。いずれ、梅竿忠夫の「知的生産の技術」にあやかって、本にまとめたいものです。いつになることやら。


セレンディピティ、心の習慣、イノベーション、5S

2011年09月06日 | ニューパラダイム人間学

セレンディピティ(serendipity)という英単語の語源はセレンディップ国(セイロン)に由来しています。『セレンディップの3人の王子』という物語です。

    ***

旅にでたセレンディップ(今のスリランカ)の三人の王子は、ラクダ泥棒の嫌疑をかけられた。しかし、ずばぬけた機転によってその嫌疑から逃れ、皇帝の命をも救う。皇帝の信頼をえた三人は、奪われたベーラムの宝「正義の鏡」をとりもどすため、インドへ向けてふたたび旅に向かったとさ。

    ***

イギリスの政治家・小説家であるホレス・ウォルポール(18世紀の人)が子供のときに読んだこの物語に因んでセレンディピティ(serendipity)という言葉を創ったそうです。それがめぐりめぐって「探しても見つからない、価値ある楽しいものを見つける力」、「偶然と才気によって、探してもいなかったものを発見すること」、「ものをうまく見つけ出す能力、不思議な発見力」を意味するものとして使われるようになってきています。

とくに科学、技術、新しい画期的なアイディアを価値あるものたらしめ、大きなインパクトを世の中に期せずして与えるようなイノベーションの機序を説明するコンセプトとして注目を集めています。

高分子質量分析法(MALDI法)の発見した田中耕一氏や導電性高分子の発見した白川英樹氏らが、しばしば「セレンディピティ」に言及したこともあり、セレンディピティは俄然、イノベーション界隈に研究者によって注目されることになりました。『成功者の絶対法則 セレンディピティ』(宮永博史)という本さえあります。

    ***

シンクロニシティ、フロー体験、スピリチュアリティ、アントレプレナーシップ、サービスといった観点からセレンディピティ(serendipity)をつらつら考えたり、しばしば強く感じたりしてきました。どうやら、「類は友をよぶ」ということでしょうか、回りにはセレンディピティに敏感だったり、そのメカニズムを積極的に活かしたり、議論することが好きな人が実に多いのです。

さて、まったく期せずして医療システムの5S-KAIZEN-TQM(Total Quality Improvement)のプロジェクトでセレンディピティの国、スリランカへ行く事になりました。実にセレンディピティ(serendipity)なんでしょう。

セレンディピティとは、意識や心のある種のreadiness(意識のなかの準備周到さ、ふとしたきっかけを感知する力)から創発するものであると考えられます。上記の5Sはproduct-cetricなシーンで応用されてきましたが、発想を変えて、意識や心を対象にすると、以下のように言い換えることもできるでしょう。

1S:整理(Sort)大切なモノゴトに集中する。捨てようとしたものの再利用を考えてみる。

2S:整頓(Set)大切なモノゴトを心の引き出しにそっと仕舞っておいて、いつでも取り出せる状態にしておく。

3S:清掃(Shine)常に気持ちをきれいにしておいて意識を軽妙、清明にしておく。

4S:清潔(Standardize)上の整理・整頓・清掃を心の習慣として自分の中で維持、標準化しておく。そしてその習慣をまわりの人々と分かち合う。

5S:躾(Sustain)以上の4Sを自立・自律、発展的に活用する。意識のなかでシステム化しておく。

    ***

5Sはセレンディピティを創発させ、インクリメンタル、ディスラプティブを含めイノベーションの機序にreadinessを与え、創発のきっかけを意識に与える手法なのかもしれません。明後日から、バンコクを経てスリランカに行ってきますが、またいろいろな方々と議論を深めて、洞察を深堀してみたいです。

スリランカは言わずと知れた上座部仏教(Theravada Buddhism)の教法が色濃く伝え護られている国でもあり、その方面のことも調べてこようと思っています。


グローバル・イノベーション人材

2011年08月25日 | ニューパラダイム人間学

大学のグローバル・イノベーション人材の開発というミッションを帯びてトルコを旅している時、興味を持っていろいろ調べてみたのが山田寅次郎。特定の人物の足跡を追いながら歴史を探索するのも旅の楽しみです。

第23講:グローバル・イノベーション人材、山田寅次郎と日土友好

熱血漢の快男児、寅次郎。さすがにトルコ知識人の中での知名度はありますが、いっしょに行った日本人の間では学生を含めて山田寅次郎のことは全くといっていいほど知られていません。

そりゃちょっとまずい、ということで書きました。


福島第一原発で働く20代の若者の話

2011年07月26日 | ニューパラダイム人間学

国民的快挙をたたえる賞が国民栄誉賞であると言われている。なでしこジャパンの快挙の一方で、福島第一原発の現場で働く若者を取材した記事が、A young man sacrificing his future to shut down FukushimaとしてThe Independentに載っている。

翻訳する時間がないので、既に翻訳を試みているブログから引用させていただく。そのモト記事はこちら


<以下貼り付け>

デイビッド・マクニール記者のインタビュー記事だ。

 契約社員ではなく正社員。保険にも入っている。月給18万円。4月からは「昼飯代」で1日1000円、プラスされるようになったそうだ。

 「ワタナベ」さんは、こう語った。
 「核燃料は溶けてしまっている。メルトスルーを起こしているかは分からない。8溶融した核燃料は)炉の底にある。それがメルトアウトし、水に接触したら、重大な危機になる。エンジニアたちはそれを抑え込もうと懸命に働いている」

 "The fuel has melted, but melted through or not – we don't know," Mr Watanabe says. "It's at the bottom of the reactor. If it melts out, and meets water, it would be a major crisis. The engineers are working very hard to get it under control."

 現場の人は、こういう認識を持って、日々、復旧作業にあたっているのだ。「水蒸気爆発」が起きるかも知れない、と思って。

 「ワタナベ」さんは「結婚はあきらめた」そうだ。「もしも彼女に仕事のこと打ち明けたら、私の将来の健康と、子どもに何が起きるかと心配するだろうから。どんな仕事をしているか、隠すことはできない」

 Whatever happens, Mr Watanabe has abandoned any hope of getting married. "I could never ask a woman to spend her life with me," he says. "If I told her about my work, of course she will worry about my future health or what might happen to our children. And I couldn't hide what I do."

 (一時、病院に入院して雲隠れした清水前社長について)「こういう現場で一度だけ作業したことないし、現場の問題を経験したことがないから、事故が起きたら本能的に逃げるしかなかったんだろうね」。「ワタナベ」さんは清水前社長に、軽蔑でなく同情しているのだそうだ。「ああいう人に厳しく当たると、自殺してしまうかも知れない」

 "[Mr Shimizu] had never worked onsite before or experienced any problems, so when trouble hit his instinct was to run away," Mr Watanabe says. He says he feels no contempt for the disgraced company boss, only sympathy. "If you pushed a guy like that too hard, he might commit suicide."

 こんな「ワタナベ」さんの答えに、マクニール記者は記事の結びでこう書いている。

 「理由はともかく、ワタナベ氏は東電の経営者たちと比べ、とてつもなく大きな謙遜と人間性への気遣い、ユーモアを示している。ふつうの会社の事務員とほとんど同じ給料で、彼と彼の同僚たちは、ふつうの生活への希望を犠牲にしているのだ。彼自身、首相にも県知事にも東電の社長に会ったこともない。子どもを持てないし、早死にするかも知れない。別世界に生きたら、ウォールストリートのトレーダーくらいお金をもらえるかも……そんな話をしたら、彼は笑った。
 「仕事を辞めたら、たぶんペンとタオルを買うと思うよ。こんな仕事をしてるんだから、それぐらい持ったっていいじゃないか」
 
 Whatever his reasons, Mr Watanabe displays infinitely more humility, concern for humanity and humour than the men who run his industry. For roughly the same take-home pay as a young office clerk, he and his workmates have sacrificed any hope of normal lives. He has never met the Prime Minister, the local prefecture Governor or even the boss of Tepco. He will never have children and may die young. In another world, he might be paid as much as a Wall Street trader, an idea that makes him laugh.

"I'll probably get a pen and a towel when I retire," he says. "That's the price of my job."

 同紙の東京特派員のマクニール記者は「共感のペン」の持ち主だ。だから、彼のインタビュー記事は、いつも私たちの胸に響く。

 国民栄誉賞は「なでしこ」だけでなく、フクイチの現場作業員一同に出すべきである。

<以上貼り付け>

ペーソスに満ちた話。

このブログでは、原発事故の健康被害(含む将来予測)についてフォローしてきている。

内外の情報格差は歴然としていて、特に、客観的かつ科学的立場に立つ医科学者の分析をレビューして見れば、今後被害は10年~50年(それ以上になるだろう)という長期に渡って末広がりに拡大してゆくだろう。

昨今、放射性物質の環境への放出によって麦わらを食べた牛の肉の感染が、マスコミをにぎわしているが、まだまだこんなものは序の口とみるべきだろう。

秋口から収穫される新米は、東日本のほぼ全域で汚染が確認されることになり、一大パニックを引き起こすことになるだろう。

放射性物質の汚染は、地上、海中、水中のすべての生き物に影響を及ぼす。とどのつまり、食物連鎖の頂点にいすわる人間に、長い時間をかけてじわり、じわりと濃縮されてくる。

そんな阿鼻叫喚のなかで、月収18万円の若者が福島第一原発で粛々と職務をこなし、将来の結婚さえも諦め、失職したら、ペンとタオルを買うというのだ。

ワタナベ君は、「慈悲の怒り」の人だろう。


セミナーのご案内

2010年12月13日 | ニューパラダイム人間学
年の瀬を挟んで2つのセミナーが開催されます。

(1)いのへる(医療サービスイノベーション研究フォーラム)のセミナー

加藤眞三先生『患者学~患者中心の医療を実現させるために~』
講演タイトル:
加藤眞三先生(慶応義塾大学医療看護学部教授)
『患者学~患者中心の医療を実現させるために~』

モデレータ:
松下博宣(東京農工大学大学院技術経営研究科)

日時・場所:
2010年12月18日(土) 18:00~20:00
於:田町キャンパス・イノベーション・センター4階 405教室 (25人)
講演会のあと講師を囲んだざっくばらんな懇親会があります。(会費制です。おおむね2500円位です。)

申し込みはコチラからです。

(2)第3回リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム開催

今回は、第1回目の続きとして、ライフネット生命保険株式会社の出口治明社長の『5000年史 Part. 2』をご講演頂きます。今回は、ライフネット生命保険(株) 出口治明 代表取締役社長 をお迎えして、前回に引き続き次の1000年(BC1000~0年)史につき、『5000年史 Part. 2』と題してご講演をいただきます。

ビジネススクールで教えるテクニック論に飽き足らない、本当の学びを得たい企業人、大学生の方、是非ご参集下さい。

『5000年史 Part. 2』のカバーする時代範囲は、紀元前1000年から紀元0年までの千年間。取り扱うテーマは次の3つ:
○アジア・大帝国の興亡
○紀元前5世紀・高度経済成長の到来
○紀元前4世紀・世界宗教の登場

2011年01月22日(17:00講演開始(16:30開場),19:30終了予定)
開催場所 矢満登ビル 5F-3 「ルノアール八重洲」
(東京都中央区八重洲1-7-4 )

申し込みはコチラからです。

リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム

2010年09月07日 | ニューパラダイム人間学


仲間うちで語らって、『リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム』が立ち上がりました。このフォーラムの経緯、背景、趣旨については京都大学の麻生川静男准教授のブログ「限りなき知の探訪」に詳しく書かれているのでご参照ください。

9/30に第1回フォーラムを京都大学東京オフィス会議室(東京都港区港南2-15-1 品川インターシティA棟27階)で開催します。

概要、参加申し込みなどはコチラから。

ライフネット生命保険(株) 出口治明代表取締役社長による講演 
 講演タイトル:
  『5000年史 Part. 1 ~人間とその社会を  よりよく理解するために~』

松下もパネルディスカッション:『なぜ今リベラルアーツ教育が必要か?』 で語ります。

 パネリスト:
    出口治明(ライフネット生命保険株式会社代表取締役社長)
    松下博宣(東京農工大学大学院技術経営研究科 教授)
    麻生川静男(京都大学 産官学連携本部 准教授)
  司会: 楠浦崇央(TechnoProducer株式会社 取締役)

趣旨は:

<以下貼りつけ>

ビジネススクールではとかく目先の経営技術に終始し、グローバルビジネスの根源をなす文化背景にまで注意が向けられない。そのため、グローバル拠点で多様な文化背景をもった人たちを統率できないリーダーが多い。

そのような欠陥を補うためには、東西それぞれの文明の根源的な文化や思想・思考様式を議論を通して学ぶことが必要である。それも、夫々の文明を別個に学ぶのではなく、常に複眼的視点で包括的にとらえる必要がある。

本フォーラムは、上記のような点を踏まえて、古今東西の歴史、宗教、哲学、科学技術史、などの文理統合した幅広い分野からテーマを選択し、毎回講演者と出席者で議論しつつ、学び、気付きを得ることを目的とする。

<以上貼りつけ>

会場でお逢いしましょう!

日本代表の快進撃と監督の仕事

2010年06月27日 | ニューパラダイム人間学
ワールドカップ開始前の親善試合は連敗に継ぐ連敗でしたが、南アフリカに渡ってからの日本代表の快進撃には目を見はります。

日本代表は、たしかに個的なフィジカルと高さでは劣ります。しかし、チームとしての運動量、持久力、俊敏性には優位点があります。これらに組織力が加わり、日本独特の強さが形成されます。

守備力で勝るMF阿部が中盤の底に位置して、機動的なディフェンスから反転する攻撃面では、頻繁に高い位置からプレスをかけボールを奪取したり、トップのボール・キープからサイドへ展開し、両サイドとトップ、ボランチが連携して押し上げるという形がよく見られます。

デンマークなど相手チームがこの日本の攻撃をファールでしか阻止できなかったことからも、この戦術が有効に機能しているのは明らかでしょう。そしてファールが、「悪魔の左足」本田と「天使の右足」遠藤のフリーキックというセットプレーに繋がり、得点をもたらしました。ワールドカップではフリーキックでの得点シーンはあまり見られませんが、デンマークを撃破した試合のように一試合でFKから2得点というのは、ちょっと記憶にありません。

あまり解説番組でも注目されていませんが、三試合での日本がおかしたファール数の少なさもさることながら、被ファール数の合計値70という数字にこそ注目すべきでしょう。本田線竜は、1次リーグでは出場全選手中最多のファウル17回を受けています。

「堅守速攻」とよく言われますが、その速攻の破壊力は、本田選手を中心とした異常に高い被ファール数70に現れています。

さて、今回の快進撃の裏側には、岡田さんの苦悩の軌跡があります。【講演録】岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とはには、サッカー選手という人的資源を管理する、活用する、開発するうえでの要諦が凝縮されています。

8/5中部大学夏季集中講座「人間ポテンシャルの開発」

2010年05月04日 | ニューパラダイム人間学
<以下中部大学のパンフレットより貼り付け>



<以上中部大学のパンフレットより貼り付け>


8/5中部大学夏季集中講座「人間ポテンシャルの開発」というテーマで身体知活性化のためのワークショップを行います。

身体知活性化→身体知の場づくり→発想の揺さぶり→イノベーション萌芽、という流れをビジネス教育の中に組み込む、というのがネライです。

この講座では、スタンフォード大学US-Asia技術経営センター代表、集積技術センター長のリチャード・ダッシャー教授ともご一緒するので、こちらも本当に楽しみです。

詳細はこちらから。