よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

「生きる意味」を問いながら「肩の荷」をおろして生きる

2010年09月28日 | 日本教・スピリチュアリティ

上田紀行先生(東京工業大学大学院社会理工学研究科、価値システム専攻)をお招きしてのトークイベントです。

申し込みはコチラからです。


<以下貼りつけ>

講演タイトル:
「生きる意味」を問いながら「肩の荷」をおろして生きる

日時・場所:
2010年10月30日(土) 18:00~20:00
於:田町キャンパス・イノベーション・センター4階 405教室 (30人)

主催:
◎医療サービスイノベーション研究フォーラム
◎リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム

モデレータ:
松下博宣(東京農工大学大学院技術経営研究科)

パート1
上田紀行先生講演
パート2
上田紀行+参加者での語り合い

その後、講師を囲んだざっくばらんでオープンな雰囲気の懇親会あり(会費制)

概要
少子高齢化が加速し、年間自殺3万人超の常態化など、今や、ひずみだらけの健康・医療システムは社会にとっても大きな「肩の荷」となりつつあります。また生老病死苦を背負って生きる私たち個々人にとっても「肩の荷」の対処の仕方は切実な課題です。

私たちは、どのように生きていったらよいのか?そしてどのような死を迎えたらよいのか?もしかしたら望ましい死に方が見えてきたら、生き方も見えてくるかもしれません・・・。

とほうもなく重い問題ですが、前向きに考えて明るく語り合いましょう。

そこで今回は、『生きる意味』や『「肩の荷」をおろして生きる』の著者である上田紀行先生をお招きし、これらの本や上田先生の社会へのまなざしをベースにしたざっくばらんな寺子屋トークセッションを開催いたします。狭義の医療にとらわれず、宗教、社会学、文化人類学を含むリベラルアーツの文脈でも示唆に富んだ議論を共有したいと思います。

上田紀行プロフィール:

文化人類学者。 博士(医学)
東京工業大学大学院准教授 (社会理工学研究科、価値システム専攻)

1958年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。
愛媛大学助教授(93~96年)を経て、96年4月より現職。
国際日本文化センター助教授(94~97年)、東京大学助教授(2003~2005年)を併任。

2005年には渡米し、スタンフォード大学仏教学研究所フェローとして、「今の仏教は現代的問いに答え得るか」と題した講義(全20回)を行う。

86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒し」の観点を最も早くから提示し、現代社会の諸問題にもテレビ、新聞等で提言を行う。

98年4月より3年間、毎日新聞で論壇時評を担当し、2000年1月から2年間は読売新聞書評委員、2001年4月より1年間NHK衛星放送「週刊ブックレビュー」司会者もつとめるほか、「朝まで生テレビ」「NHKスペシャル」等でも積極的に発言を行う。

近年は日本仏教の再生に向けての運動に取り組み、2003年より「仏教ルネッサンス塾」塾長をつとめ、宗派を超えた若手僧侶のディスカッションの場である「ボーズ・ビー・アンビシャス」のアドバイザーでもある。2004年に出版された『がんばれ仏教!』(NHKブックス)では、時代の苦悩に向かい合う寺や僧侶達を紹介し、日本仏教の未来図を提示して、大きな反響を呼んだ。

学内においては、講義にディスカッションやワークショップ形式を取り入れるなどの試みを行っおり、学生による授業評価が全学1200人の教員中第1位となり、「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。また著書『生きる意味』(岩波新書)は、2006年全国大学入試において40大学以上で取り上げられ、出題率第一位の著作となる。

<以上貼りつけ>


清瀬の森総合病院60周年祝賀パーティーでキックの鬼・沢村忠と邂逅

2010年09月27日 | よもやま話、雑談

先週、清瀬の森総合病院の創立60周年記念パーティーに招かれ病院関係者の方々と旧交を温めた。武谷ピニロピ理事長はバルチック艦隊を率いたロジェストヴェンスキー提督のお孫さんに乗り組み、またツアーリ(ロシア皇帝)の警護にもあたった要職武官(つまりは貴族)の娘さんで、革命ロシアを逃れて日本に渡りった。会津女学校(現県立会津女子高校)を経て、1942年に女子医専(現東京女子医大)を卒業。(武谷ピニロピの詳細経歴はこちら

理論物理学者、科学史家でもあり、湯川秀樹、朝永振一郎とともに素粒子論をリードした武谷三男と結婚。

武谷三男はロマン・ロラン、エンゲルス、フッサールを含め、東西古今の古典、著作物を精緻に読み込んだ博覧強記の読書家。今日いうことろの薄っぺらい文理融合を超越して文理統合の果てに、かの三段階論に逢着したのだ。

もっとも天才の学問には文・理の区別なんてありゃしない。人文科学や自然科学の境界を越える独自の哲学を構築していったのだ。

さて、武谷三男の三段階論とは、人間の認識を、①現象論的段階、②実体論的段階、③本質論的段階の三段階を経て発展すると捉える学説である。湯川秀樹博士が「実体としての中間子の存在」の着想を得たのは、この武谷三男の「三段階論」を読んだからとされる。この「三段階論」はかくも影響力のある論文なのだが、実は武谷三男が京大の理学部を卒業するときの卒論。博士論文でもなければ修士論文でもない・・・。

天才恐るべし。

その天才の息子さんが武谷光さん。彼は数学の研究の傍ら、作詞・作曲活動(『六本木あたり』など)に浮名を流しつつも、その後George Washington UniversityでHealth services administrationのマスターを取得し、帰国後は病院経営の現場に立つという稀有な経験を積んできている。いっとき、共同体の桎梏に脚を取られそうになっていた武谷病院(現、清瀬の森総合病院)に請われ、意気投合して武谷光さんといっしょに病院改革に汗を流したことがあるのだ。

光さんの奥さんの典子さん(看護師、助産師)が現在、副理事長を務めている。そういえば、彼らの結婚パーティーの時、頼まれて下手なスピーチをしたこともあったっけ。

天才の天才たる所以に思いを馳せながら、閑話休題。

格闘技の天才。

沢村忠(本名、白羽秀樹)と聞いて、ピンとくる人は格闘技ファンとして比較的長い経歴を持っているはずだ。

1966年(昭和41年)4月に日本キックボクシング協会が旗揚げされ、白羽秀樹は“沢村忠”のリングネームで参戦。241戦232勝(228KO)5敗4分けという驚異的な勝率を誇る。

格闘技で96.27%という勝率はありえないくらいの大業績だ。



対戦相手の右ボディーに喰い込むような重くてシャープな回し蹴り。

小学、中学と沢村忠を熱烈にフォロー。

バネのある鍛え抜かれた身体から繰り出される回し蹴り、真空飛び膝蹴りは実に破壊的だった。

その沢村忠が、な、なんと、祝賀会の会場に現れたのだ!!



相手の延髄を捉え、破壊する真空飛び膝蹴り。



浦和のほうで空手道場を開いて、子供たちに空手を教えているそうだ。



まさか、このパーティーで沢村忠に逢えるとは夢想だにしなかった。



沢村忠さんは、格闘技のイメージとはほど遠い静謐で柔和な雰囲気に包まれているジェントルマンです。


自殺とQOD(Quality of Dying and Death)

2010年09月26日 | 日本教・スピリチュアリティ



追い詰められた人々=人的資源は、自殺を選ぶ。その数、年間3万人以上。未遂者をふくめれば一日なんと1000人が自殺をコミットしている。

健康問題をソーシャル・キャピタルの文脈で追い詰めてゆくと自殺の問題に行き着く。人口構造が若年中心で経済も成長している時代の基本テーマはQOL(Quality of Life)。しかし、少生大量死時代には、必然的にQOD(Quality of Dying and Death)が問われることになる。

QODとは、あまり日本では注目されていない概念だが、「死と死に至るまでのプロセスの質」ということで北欧などでは現在しきりに議論されていること。ニューパラダイムの人間学としても、QODは避けて通れないイシューだ。

自殺という社会現象に顕現するQODは絶望的に低劣で悲惨。OECDの国々の中でも突出して高い自殺率を持つ日本は、QODにおいてもけっして高くはないだろう。否、かなり低いものだと思われる。

日本の医療システム、社会保障制度の暗黙的な合意事項は、QOL向上にあったが、これにQODが加わることになる。今後、QODを向上させるためのシステムつくりは、医療サービス・イノベーションとしても大切になってくる。その暁には、医療サービスではなく、究極のヒューマン・サービスとして捉え直さなければなるまい。

<以下貼りつけ>

松下博宣(2010)、「サービス・イノベーションの経営学8:大量死に直面する医療サービスの苦悩」、看護管理30(8)、pp852-858, 2010/8

◯自殺という死にかた

さて、日本人が直面している「死」において特徴的なものが自殺の問題です。日本の自殺率は、欧米先進国と比較すると高い数値で推移しています。さらに範囲を広げて比較すると日本は、ベラルーシ、リトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリーに次いで自殺率は世界第6位です。 NPO法人自殺対策支援センター ライフリンク清水康之代表は「かつて交通戦争で亡くなる人の数が1万人を超えて、『交通戦争』と呼ばれた時代があったが、今や自殺で亡くなる人は年間3万数千人。日本社会は今、『自殺戦争』の渦中にいると言うべきだろう」と嘆じます。

旧社会主義の国々で自殺が大量に発生していることは、アノミーという概念を用いることである程度説明が可能です。すなわち、急激な社会体制の変化の結果、それまで社会を支えてきた規範が崩れ、人と人を結ぶ紐帯が急速に消失した結果、自殺に結びつくという因果関係を想定するものです 。

とすれば、現代の日本では、東欧の旧社会主義国家が経験しているのと同等、あるいはそれ以上の急激な社会のありようの変化、それによって引き起こされる社会的な歪みがソーシャル・キャピタルを急速に、かつ深部において退嬰化し、劣化させていると見立てることができます。

これほど左様に自殺の問題は重大です。したがって近年、無縁死とは異なり、こと自殺に関しては、その発生プロセスが実証的な分析の結果、明らかになりつつあります。NPO法人ライフリンクが実施した「自殺実態1000人調査」によると、68項目の危機要因に対してパス分析や重回帰分析を駆使した結果、自殺の「危機複合度」が最も高い要因を「うつ病」、危機連鎖度が最も高い経路を「うつ病→自殺」と同定しています。

その上で詳細な自殺の危機経路パターンを16通りにモデル化しています。たとえば被雇用者ならば、「配置転換→過労+職場の人間関係の悪化→うつ病→自殺」「昇進→過労→仕事の失敗→職場の人間関係の悪化→自殺」。自営業者の場合ならば、「事業不振→生活苦→多重債務→うつ病→自殺」 というように。

◯健康基盤、ソーシャル・キャピタルの劣化

本稿の主題は医療サービスに焦点を絞ってはいますが、無縁死や自殺は直接的な医療の問題ではないかもしれません。しかしながら、すでに医療サービス構造機能モデルを用いて考察したように、十全な医療サービスを成立たらしめる、その基礎基盤にはソーシャル・キャピタルが横たわっています。

無縁死と自殺の問題は、端的に言えば、ソーシャル・キャピタル、すなわち、共同体の中に息づく絆、互恵、信頼、相互扶助、気遣い、いたわりあい、素朴なケアリングといった目には視えないものの人と人を繋ぎ合わせるサービスの関係性が疲労・劣化していることに随伴していると見立てられます。

人と人とが触れ合う共同体の希釈化、脆弱化は、健康と医療の課題に対して間接的ながらも、根底から揺るがす桎梏であるととらえるべきです。

<以上貼りつけ>

                  ***

東工大の上田紀行先生と八重洲あたりで飲んでいるときにこんな話となり、上田先生と対談したことがあるライフリンクの清水康之さん紹介していただいた。

こんな経緯で、清水さんと先日飯田橋で会っていろいろ議論する機会を頂いた。

副代表の根岸親(ちかし)さん。親というステキな名前を彼に授けたお父さんは自殺で亡くなったそうだ。親の運命を背負った親さんとそんな話をしながら、やるせない思いにかられながらもたくさんの資料を頂く。ありがとうございました。

濃度の濃い運動を繰り広げ、様々な提言を行い、最近では内閣府参与として活躍している清水さん。しかし肩に力がはいっていないというか不思議な透明感さえ漂う草食系のナイズガイの雰囲気。

                  ***

忘れないうちに議論をメモ。

・グローバライゼーションは避けることができない動き。市場で動いている企業は合理的な選択として年功序列、長期安定雇用、福利厚生を従業員に提供してきたが、1990年代以降、企業が演出してきたセイフティーネットが脆弱化。

・公共セクターから提供されるセイフティーネットは断片化、分散化→ワンストップになっていない。

・自殺に追い詰められる人々を水際で食い止める(下流)、プラス社会の構造的側面(上流)を変える必要あり。

・上流部分は政策化が大事。(1998年3月問題。この月から自殺者が急増。新自由主義的な政策ドライブ(小泉、竹中路線)と自殺急増現象との間には相関関係はあるだろうが、因果関係を立証することは難しいね。

・新自由主義が発祥(発症)したアメリカには日本以上に宗教、地縁コミュニティが育っている。

・上流と下流の中間の中流には、コミュニティのなかで私・公・共をデザインし直してソーシャル・キャピタルをエンリッチさせてゆくような仕組みが必要。で、だれがやる?→ 社会起業家、市民??

・自己承認を与える「多くの目」をいかにふんだんに社会に埋め込んでいくのか?

・欧米人の日本人の自殺問題の見方は短絡的。腹切りの文化の影響など。

・社会構造要因、経済要因とは独立した自我構造の特徴は仮説できるだろうね。exイスラーム、キリスト教などの一神教的:贖罪、契約、死に対する規範。日本教:空気、人間関係、絆が最高規範。ここが崩れると、一気に自我崩壊する。小室直樹先生が亡くなってしまったのは残念至極だが、このあたりは今後研究テーマか。

                  ***

QOD(Quality of Dying and Death)を高めるイノベーションについて書かないといけない。もちろんアクションも。

生きる意味、

走る意味、

死ぬ意味。

いろいろとコラボ予定。

重いテーマに真剣に明るく取り組む姿に感動。日本も捨てたもんじゃないと思わせる若者に会うと元気がでます。
            


Change the World~日本の社会起業家が語る社会イノベーション~

2010年09月17日 | ビジネス&社会起業
今年も、大好評の社会起業家講座シリーズが東京工業大学にて開催されます。国際社会起業サポートセンター関係者も関与しています。御関心のある方はぜひどうぞ。以下、案内メールをはりつけます。

<以下貼りつけ>

ノンプロフィットマネジメントコースの公開講座「Change the World ―日本の社会起業家が語る社会イノベーション―」は、今年度も10月15日開催の第1回を皮切りに、全6回で開催の運びとなりました。

下記に、第1回のご案内と、最終回までの講師・テーマのラインナップをご案内させていただきます。

皆さまのふるってのご参加をお待ちしております。

-----------------------------------------------------------------

東京工業大学ノンプロフィットマネジメントコース公開講座(全6回)
「Change the World ―日本の社会起業家が語る社会イノベーション―」


第1回

「NPOが支える〝働きたいけど働けない〟」
~ 若者の就労支援 最前線 ~


2010年度公開講座のトップバッターは、立川を拠点に若者の自立や就労、社会参加を支援するNPO法人「育て上げ」ネットの理事長・工藤 啓さんです。


日時:平成22年10月15日(金) 18:30~

場所:東京工業大学大岡山キャンパス 西9号館2階204セミナールーム
(東急目黒線・大井町線「大岡山」下車)


講師: 工藤 啓 さん(NPO法人「育て上げ」ネット 理事長)

[プロフィール]
1977年生まれ。大学を中退後、米国シアトル滞在を経て、2001年、ニート・フリーターの就労支援団体「育て上げ」ネットを立ち上げる。2004年にNPO法人化。若者たちと直接かかわり、粘り強く就労支援する姿勢が高く評価され、「ヤングジョブスポットよこはま」「ジョブステーション立川」などの責任者を務めるほか、内閣府「若者の包括的な自立支援方策に関する検討会」や厚生労働省「若者自立塾準備懇談会」の委員を歴任。著書に「16才のための暮らしワークブック」(主婦の友社)、「育て上げ―ワカモノの自立を支援する」(駿河台出版)、「『ニート』支援マニュアル」(PHP研究所)。


NPO法人「育て上げ」ネットHP
http://www.sodateage.net/

工藤 啓(sodateage_kudo)on Twitter
http://twitter.com/sodateage_kudo


[講演概要]
東京都立川市を中心に若者の就労支援活動を行うNPO法人「育て上げ」ネット。任意団体として活動を始めた2001年以降、一貫してミッションとして掲げるのは、若者の「働く」と「自立」をサポートするということ、そしてそのための「情報」と「経験」を提供していくということです。ニートや引きこもりなど、働きたくても働けない事情を抱えた若者たちのカウンセリングや就労訓練はもちろん、こうした若者たちを支える側へのカウンセリングやセミナー開催、行政・企業・学校との連携事業などを多角的に展開しています。活動開始から10年、工藤さんの目に映る若者を取り巻く現状はどう変わってきたのか、そして「育て上げ」ネットと工藤さんが描く将来ビジョンとは――


受講料:無料 / 定員:40名程度

本講座へ参加をご希望の方は、お名前、ご所属、ご連絡先(E-mailアドレス)を明記のうえ、
下記までメールにてご連絡ください。

tsuyuki.m.ab@m.titech.ac.jp
(@を半角に変換してください)

-----------------------------------------------------------------

次回以降の公開講座2010は――

10/29 第2回 健康格差を解消する「ワンコイン健診」(講師:川添高志さん)
11/ 5 第3回 中高年の知識と技術で社会貢献活動を(講師:鈴木政孝さん)
11/12 第4回 自分達の使う道は自分達で直せるという意識を広げたい(講師:木村 亮さん)
11/19 第5回 〝美しき母〟マドレボニータ(講師:吉岡マコさん)
12/ 3 第6回 青少年が生きやすいコミュニティへ(講師:滝田 衛さん)
※各回とも金曜日18:30~


※公開講座のご案内は東京工業大学および東京工業大学大学院社会工学専攻のホームページからもご覧いただけます。
http://www.titech.ac.jp/
http://www.soc.titech.ac.jp/

<以上貼りつけ>

自転車冒険大百科 池本元光・著

2010年09月12日 | 自転車/アウトドア
畏友サイクリストO氏から、こんなのに出てましたヨ、と言って本のコピーをいただいた。



ええっ、こんな本が出てたのか!

知りませんでした。

1986年に大和書房という出版社から出ている本です。著者の池本元光さんは、1970年代から90年代にかけて世界中を走り回っていたサイクリストです。

「勇気と根性とわずかな金があれば、自転車が世界に飛び出す知的冒険の立派な道具となることを知ってもらいたい」と書かれています。

たんなる冒険ではなく、「知的」冒険ということろが本質的です。



一緒にパーティーを組んで走った仲間とともに僕の名前も記録として書かれていました。

感無量!

この本には当時、世界を自転車で走りまわった自転車冒険野郎のレコードが載っています。

                 ***

たしかに、池本さんが書いているように「自転車は、知的冒険の立派な道具」だろう。

この本の出版は1986年で、この年に僕はアメリカに留学に行っている。知らないはずだ。

カトマンズで次の目標をアメリカに設定して、5年かけて準備して新たな知的冒険を求めて片道の飛行機のチケットを握って北米に旅だった。

海外を自転車で走ることによって学ぶのは、もちろんそれぞれのサイクリストによって異なるだろう。僕の場合は、「知の足腰」とでもいうようなものだったと思う。具体的にいえば、英語による異文化間コミュニケーション能力、状況適応能力、身体知的グローバル・リテラシーである。

米国での留学に際して、これらの領域で涵養されたものが役に立った。そして留学で得た様々な体験がその後、経営コンサルテーション、起業、研究などに陰に陽に役立っていることを考えるに、「知の足腰」はある種の基本動作、型の役割を果たしていると思われる。ベンチャー起業家としてのエートス(行動様式)は、間違いなく、アドベンチャー・サイクリングの経験が基礎になっている。

いきなり「知」に飛びつく前に、「足腰」を鍛えておいてよかったと思う。

さて、いくつかの大学や大学院で講義をしていて気づくことは、最近の若い人達の内向き志向、海外回避志向。

この傾向はよくないと思う。

自転車はたんなる道具なので、若い人達は自分なりの道具を見つければいい。楽器、筆、画用紙、包丁、なにがしかの技術、あるいは体ひとつでもいい。海外に出て放浪することを勧める。

「釧路湿原の聖人・長谷川光二」伊藤重行著

2010年09月10日 | No Book, No Life


ヒッコリーウィンドの安藤誠さんの濃密な部屋の書斎に何気なく置いてあったこの本の背表紙に魅せられて、パラパラめくってみると、とてつもなく面白い本だということがわかった。

神保町でもそうなのだが、面白い本と出逢うときは、本から送られてくる磁力・霊気についつい反応してしまうものだ。

「伊藤先生のその本、持って行っていいですよ」という有り難い言葉に甘えて、自転車のパニアバックに入れ、鶴居から襟裳岬を経て札幌までの470kmを、この本と一緒に旅をすることになったのだ。

著者の伊藤重行さんは、この書物を書くにあたって現地(鶴居は生まれ故郷)で調査、取材しているときに、マコトさんと知り合い、マコトさんの文章も引用文献にて引かれている。それ以来、伊藤さんとマコトさんは親交を深めているそうだ。

さて、この本の著者伊藤重行はホワイトヘッドのシステム論、サイバネティクス論の紹介などに実績を持つ経済学者。サバティカル休暇を利用して、若かりし少年の頃薫陶を受けた同郷の長谷川光二の生活、足跡、時代背景を丹念に史料、資料を紐解いて記述した労作である。

「私は60歳くらいになってから恩人としての長谷川光二先生の一生をじっくり考え、日本の歴史に残るようにしたいと思っていた」(p280おわりに)著者は、なるほど、この本を渾身の力を込めて書き綴ったことが行間に漂う。自分の専門に汲々とすることなく、このような書を世に出す姿は教養的知識人の凛とした気概さえも伝わってくる。

自転車で走っている最中は本など読めるはずもなく、休息の合間や、ヘッドランプを頼りにテントの中や、さもなくば温泉に設えてある和室のごろ寝部屋などで読んだ。

いわゆる本好きで、かつアウトドアのなんからのジャンルに傾倒している人にとってアメリカ合衆国の作家・思想家・詩人のヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau、1817-1862)は、馴染みの人物だ。



登山、自転車、幕営生活、自然散策が嵩じて小さな山荘まで持ってしまった自分にとって、ソローとの関わりあいは、触媒のようなものだったのかも知れない。

街でのあくせくした生活に飽き、カウンターカルチャーの色彩、叙情的な記述やNature writingに対する渇望の度合いが嵩じるとき、たしかにソローの文体はアウトドア志向がいくぶんかある読書人(literati)の心の奥底に蠢動するオリエンテーションをくすぐらずにはいられない。



ソローを、崇拝とまでいかないまでも、思索生活のある種の糧とせざるを得なかった人間にとって、ソローを比較対象の相手として、木っ端微塵に批判する同書の次の部分は驚嘆に値する。否、痛快でさえある。



「やはり両者の違いは宣伝力の違いによって起こっていると解釈した方が良いかもしれない。私が指摘したようにソローの人生の実験と長谷川光二の一生の実験は良く研究してみれば、長谷川光二の方が多くのことをなしたに違いない。ソローばかりではないが、明治時代からの日本のインテリが紹介した思想が日本の伝統的知や生き方と大差ないにも関わらず、良いように紹介されていると」(p106)

この著を紐解けば、著者が克明に調べ上げた長谷川光二が残した俳句の質量、そして東西古今の蔵書5000冊がいかに稀有なものかが判然と了解される。光二のライフスタイルは、当時の知識人の吉田絃二郎(早稲田大学教授、小説・随筆・評論・児童文学・戯曲など膨大な著作を残す。井伏鱒二はその弟子)、船越道子(画家)、望月百合子(婦人運動)、石川三四郎(アナキスト)、小宮山量平(児童文学作家)、市原豊太(東大・フランス文学)らにも強く影響を与えている。

それらの知識人のうち少なからぬ人々が遠路はるばる釧路湿原チルワツナイの長谷川光二宅を訪れていることも伊藤は丹念に追跡し、考証を加えている。

この本の隠し味は、当時の文芸運動に関わっていた知識人の人間模様が、光二との邂逅を通してまるで盆栽のようにまとまっている点にある。文芸やリベラル・ア-ツ系には疎いことを常とする経済学者とはいえ、著者の幅広く奥ゆかしい教養を感じさせるには十分だ。

                 ***

さて、ソローは今や世界中に信奉者、ファンを増やし、The Thoreau Society(ソロー学会)なんていう学会さえもある。米国以外にも25の国々に支部的な集まりがあるそうだ。そして日本にもその名を冠した学会がある。また、ソローが2年2ヶ月だけ棲んだ小屋もレプリカとして復元されて顕彰されている。

だとしたら、鶴居が、釧路湿原が、日本が誇るべき長谷川光二邸はどうなっているのだろうか?そしてその貴重な蔵書、思索、農耕牧畜の営みの痕跡は?

                 ***

p13には長谷川邸の位置が記されている。キラコタン岬と宮島岬の中間の奥手にある、「どさんこ牧場」の前の細い道(昔の道道535号線、最近は243号線と改称されたらしい)を南に下ったあたりである。

かって自転車で3泊しながら石北峠を越えて北見に降り、美幌峠を越え、屈斜路湖を駆け抜け、塘路から鶴居にぬけるためにこの道を走ったことがある。もちろん当時は長谷川光二のことは知る由もなかったのだが・・・。

ネットで調べてみると、長谷川光二邸は荒れるにまかされている状況のようだ。たとえば、実際にかの地を訪れた人が写真つきで紹介しているサイトがある。「鶴居村 長谷川光二 邸宅跡 2009年10月17日」などだ。


<写真:「鶴居村 長谷川光二 邸宅跡 2009年10月17日」から引用>

また釧路の高校教師だった方のブログでは次のような回想談が載っている。「僕が長谷川夫妻の人生を追い始め、取材調査を進めだした頃、次女の方から取材の拒否を受けた。いわく「そっとしておいて欲しい。父も母も、そして私たち三人の子供も、当たり前に生きてきたのだし、特筆されたくはないのですから」。作家としては落第だと思ったが、僕はその時点で取材調査の手を止めた」とも記している。

このブログの記事には、この本の著者の伊藤重行の次のようなコメントが載っていた。

「私は鶴居村出身で長谷川光二先生から学問を教示していただいた者です。素晴らしい方でした。子供たちは批判的で、特に次女と長男ですが、この数年前にそんなに批判するのであればあなたは父をどの程度乗り越えましたかという私の質問に返事がありませんでした」

                 ***

どうやら複雑な背景があるようだ。資本主義社会において所有権は絶対であり、所有権を継承している親族の意図は尊重されるべきだ。しかしながら、朽ちるに任せておけばこの遺産はやがて釧路湿原の土へと還ってゆくのは必定だろう。釧路湿原の土に還らせるということを作為的にエコロジー運動の一環としてやているのならば話はわかる。


<世代を越えて語り継がれるソローの山小屋>

しかし、そうでなければ話は別だ。

ソローの精神を尊重して、かってソローが2年2ヶ月棲んだ山小屋を複製、再建し、記憶に留めるため惜しみない努力をしているコンコードの公共と比べて、鶴居のそれは、あまりに作為がなさすぎはしまいか?

「私」の領域で解決が困難な問題の解決にこそ、「公」と「共」が出番があるはずだ。ホンモノを後世に伝えようとするソーシャルな責任、あるいは地域社会の「新しい公共」とのあ関わりあいが問われている。

サービス・イノベーションの経営学・9

2010年09月09日 | 技術経営MOT


連載9ヶ月目は「チーム医療がもたらすイノベーション」です。
看護管理 2010年09月号 (通常号) ( Vol.20 No.10) pp923-928

チーム医療を巡る議論では、診療報酬制度上のインセンティブや損得勘定に目が行きがちです。また、職種の役割分担という視点からは、(1)看護師が自律的に判断できる機会を拡大しよう、(2)看護師の実施可能な行為を拡大し、能力を最大限に発揮できる環境を用意しよう、といった議論(価値判断)も見られます。

今回は一連の議論の盲点となっている部分に光を当てています。

<以下本文より貼りつけ>

適切にデザインされ運用される医療チームには、3つの効果を期待することができます。

(1)有効な介入手法、治療方法、理論を多職種間で共有し、伝搬・普及させる効果。つまりイノベーション効果。
(2)メンバーの専門性に依拠するサービススキルを持ち寄って、新結合させ、新しいケアサービスを創造してゆく効果。つまりインベンション効果。
(3)以上により、臨床的効果、患者満足効果などの患者アウトカムが上昇すること。つまり患者効果。

チーム医療では、新結合がキーワードとなります。必ずしも周囲をあっと驚かせるような斬新で真新しいことが創新を生むわけではありません。従来からあった既存の当たり前のモノゴトを①足し合わせる、②結びなおす、③掛け合わせる、④拡げて超えることによって新しいアイディア、サービスが生まれるきっかけとなります。

<以上本文より貼りつけ>

リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム

2010年09月07日 | ニューパラダイム人間学


仲間うちで語らって、『リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム』が立ち上がりました。このフォーラムの経緯、背景、趣旨については京都大学の麻生川静男准教授のブログ「限りなき知の探訪」に詳しく書かれているのでご参照ください。

9/30に第1回フォーラムを京都大学東京オフィス会議室(東京都港区港南2-15-1 品川インターシティA棟27階)で開催します。

概要、参加申し込みなどはコチラから。

ライフネット生命保険(株) 出口治明代表取締役社長による講演 
 講演タイトル:
  『5000年史 Part. 1 ~人間とその社会を  よりよく理解するために~』

松下もパネルディスカッション:『なぜ今リベラルアーツ教育が必要か?』 で語ります。

 パネリスト:
    出口治明(ライフネット生命保険株式会社代表取締役社長)
    松下博宣(東京農工大学大学院技術経営研究科 教授)
    麻生川静男(京都大学 産官学連携本部 准教授)
  司会: 楠浦崇央(TechnoProducer株式会社 取締役)

趣旨は:

<以下貼りつけ>

ビジネススクールではとかく目先の経営技術に終始し、グローバルビジネスの根源をなす文化背景にまで注意が向けられない。そのため、グローバル拠点で多様な文化背景をもった人たちを統率できないリーダーが多い。

そのような欠陥を補うためには、東西それぞれの文明の根源的な文化や思想・思考様式を議論を通して学ぶことが必要である。それも、夫々の文明を別個に学ぶのではなく、常に複眼的視点で包括的にとらえる必要がある。

本フォーラムは、上記のような点を踏まえて、古今東西の歴史、宗教、哲学、科学技術史、などの文理統合した幅広い分野からテーマを選択し、毎回講演者と出席者で議論しつつ、学び、気付きを得ることを目的とする。

<以上貼りつけ>

会場でお逢いしましょう!

ケースで学ぶ実戦 起業塾

2010年09月06日 | No Book, No Life


京都大学産官学連携本部の麻生川静男さんから献本いただいた本。麻生川さんは共著者のおひとりです。簡単に書評します。(ちなみに、ヒトリシズカのつぶやき特論さんも同著の書評をしています)

経営という社会的な現象を専門的に記述するときのスタンスは大きく二つに別れます。ひとつめは純粋な観察者の視点に立って、客観的に、あるいは論理実証的に記述する行き方です。ふたつめは、経営に深く関与した経験がある者が、自らの経験を基にして、そこから抽出されたパターン、モデル、公理、定理的なものごとを記述する行き方です。

前者の専門的記述スタイルの典型は経営学者のそれです。経営学者にとって、実務としての経営にタッチすることは積極的には求められません。ゆえに、請求書を発行したことのない人、経営計画書を書いたことのない人、人を採用したり首にしたことのない人、イノベーションについて当事者として取り組んだことがない人でも、大学院を出て経営に関する論文などを書けば経営学者の一端には入れます。後者の専門的な記述スタイルの典型は、経営に積極的に関わり、携わってきた実務家ないしはプロフェッショナルのそれです。

ここで注意しなければならないことは、起業経営(Entrepreneurial management)におけるプロフェッショナルな経験というのは、企業の管理職、事業部門長、新規事業創出担当者、会計士や税理士などのレベルではないということです。起業経営におけるプロフェッショナルな経験とは、そうそう間口が広いわけではなく以下のように限定されます。

1)グローバルレベルでのイクスパティーズが蓄積されたコンサルティング・ファームでのコンサルティング経験。(コンサルティング経験)

2)ハンズオン投資を行いイグジットまで持っていった経験。(投資経験)

3)自らリスクを取って起業し、かつイグジットさせた経験。(起業経営+イノベーション経験)

この本の著者達は、上記の起業経営プロフェッショナルの条件を持つ方々が中心です。その意味でクレデンシャルは高いと判断されます。

豊富な事例では、自らが関与したナマの物語が展開されており、読者にとって著者達が、その場、その場でなにをどう考え、判断したのかについて大きな学びの機会となることでしょう。巻頭に述べられている『自分経営』の感覚こそが、起業家に必須の資質でしょう。この特殊な感覚をベースにして論を展開しているところに見識の高さが顕れています。

                 ***

ハイレベルな実務家による著作物ではあるものの、ライティングスタイルについて気がついたところを挙げます。

・社会起業(Social Entrepreneurship)という切り口がない

本書はfor-profitのビジネス起業を中心に構想していますが、social(社会的)インパクト、社会イノベーションといった昨今の社会起業の動向に関する記述が見当たりません。これらのテーマに対しても俯瞰的に押さえておいたほうが、本書の相対的位置づけが明確になったことでしょう。

・知財を活かす「三位一体の戦略」(p246)
「知財戦略の三位一体とは、①研究開発戦略(技術戦略)、②事業戦略、③知財戦略」(p248)を挙げていますが、この言説は筆者オのリジナルな言説でしょうか?

妹尾堅一郎「技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由」(2009年7月刊)に同型の記述があります。

・マーケティング・ミックスの4P解説のダブリ(p079、p216)

クラシックながらもマーケティング・ミックス=4Pの重要性はわかります。しかしながら、2箇所にわたって同じ項目の解説が出てくるのは、紙面がもったいない気がします。

・ロゴスとエートスで書く(p166)
著者は「投資家は『ロゴス』だけではなく、『エートス』で投資する。投資家の『頭』ではなく、『直感』に訴えかけることが大事になる」

論理、理論、ビジネスモデルといったものをロゴスに含意するとしたら、直感を対置的に含意させるための適切なワーディングは「エートス」(行動様式:この訳はマックス・ヴェーバー研究の大塚久雄が初出)ではなく、「パトス」(感情・熱情・情動)とすべきでしょう。

                 ***

しかしながら、以上はむしろ瑣末な点とすべきであり、その瑣末な点にこだわり過ぎたら、本書の大胆さが損なわれるでしょう。読者には、瑣末な点は横に置き、本書の本質とじっくり対話をして欲しいものです。オススメの一冊です。

「褥瘡学」を解剖する-見えないものをみることがもたらすイノベーション-

2010年09月03日 | 技術経営MOT
先月は北海道でカヌー、自転車ツーリングなどoutdoorに完全没頭~!しましたが、季節は学問の秋をむかえつつあるので、モードを切り替えて久々の研究ネタです

医療サービス・イノベーションがこのこところの研究の核となっています。以前から取り組んできた医療サービス・メネジメントの分野の中でも、イノベーションのマネジメントはとても大切なテーマですね。

ということで、10/22-23に名古屋で開かれる第9回日本看護技術学会学術集会キーセッション:「褥瘡学」を解剖する-見えないものをみることがもたらすイノベーション-にて『褥瘡ケアに見るイノベーション生態系を俯瞰する』について講演します。

看護系の研究者中心のチームにあって、技術経営やイノベーション系の人は僕一人ですが、異分野交流によって新しい出会いや混じり合いが起これば楽しいですね。オーガナイザーは東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 老年看護学の、真田弘美先生です。