よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

シュンペータの予言

2009年02月20日 | No Book, No Life


今最も読むに値する経済学者は誰か?なんて会話でよく登場するのが、シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter)だ。とくにMOT関係者ならば、シュンペーターは必読。数日前招かれて話をした「サロンdeMOT」のときも、いっときシュンペーターが話題になった。

イノベーションの文脈から『新結合』のみを切り出して議論する向きもあろう。だがシュンペーターの真髄は彼が存命だった1940年代から未来へ向けて予測した未来の資本主義の変化にこそある。シュンペータ研究者は、この未来へ向けた資本主義の青写真を桐箱に入れて「シュンペータ過程」と呼ぶ。

マルクスの労働価値説を真っ向から否定したバヴェルクを師とするシュンペータはマルクスを超えようとした。ただしケインズの影響があまりに大きく、シュンペータ存命中は、ケインズの影に隠れていた印象は隠せないが。

マルクスをはじめ予言をハズすのが経済学者の常。しかしシュンペータのスゴさは、彼がハズした予言は今のところない、ということだ。さて「資本主義はその欠点のゆえに滅びる」と書いたマルクスの逆張りでシュンペーターは「資本主義はその成功により滅びる」と意味深長なことを書いた。

資本主義の生命線であるイノベーションの担い手=企業家(起業家)が大企業の官僚化された専門家へ移行するにしたがい、資本主義の精神は萎縮し活力が削がれてゆき、やがて資本主義は減退する。なので企業家(起業家)は主要な活躍の場を産業分野からしだいに公共セクター、非営利セクターに移ってゆくとも言った。このあたりは、社会起業家の活躍を彷彿とさせる。

シュンペータは「創造的破壊」というコンセプトを議論の真ん中に据えた。創造的破壊を推進する資本主義のethos(行動様式)を保持するアントレプレナーが衰弱し、資本主義の屋台骨ともいえる私有財産制と自由契約制が形骸化すれば、capitalismは衰退しやがては終焉を迎える。

創造的破壊とは不断に古いものを破壊し、新しいものを創造して絶えず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異である。その破壊的な突然変異は、操作も予測も不可能。それをやり遂げるのが市場で活躍し新しい均衡を創造する起業家だ。

さて、現下の大不況、恐慌は結果としての現象ではなく、「過程としての現象」と見るべきだ。溌剌たる資本主義の精神をリスペクトするならば死にかけ企業、死にかけ産業は、死にゆくままにしておき、今こそ起業家が跳梁跋扈する新企業、新産業へと転換してゆく千載一遇のチャンスなのだ。

大方の納税者やリバタリアンの主張どうりにGM,フォードを自然死に任せてゆくのであれば、おおいなる優勝劣敗の資本主義のプロセスは健全に機能しているといえるだろう。GM、フォードなどに巨額の税金を注入して救済するという行き方は、資本主義の否定なのである。もしそうなれば、アメリカ型強欲資本主義、金融資本主義は、統制経済を経て社会主義化してゆく。税金で旧産業の余命延長をはかり、前回のクリントン民主党政権のときに議会に阻まれた国民皆保険もヒラリー・クリントンのもとで今度こそ成し遂げられるだろう。なにせ健康保険にも入っていない無保険の人々が4000万人以上いるのがアメリカだからだ。

シュンペーターを読みこむべきは現下のこの文脈のなかにこそ、である。なぜなら現在進行形で、「シュンペータ過程」が眼前に現出しているのだから!

倒産、失業という血を流して資本主義の精神を取るか。倒産、失業という血をいっとき回避、つまり税金の投入をもって資本主義の精神を自己否定して社会主義化を取るのか。オバマ政権は実に歴史的な局面に来月立つことになる。ここがまさに「シュンペータ過程」であり正念場だ。


米国の運命は『GMとともに』なのか!?

2009年02月19日 | 恐慌実況中継

この本の背表紙を見ると複雑な思いがよぎる。米国の運命は『GMとともに』にあるのだろうか。

ビルゲイツをして「ビジネス本で一冊だけ読むとしたら、この本だ」と言わしめた一冊。総ページ数が500ページを超える大作だ。アルフレッド・P・スローン財団が寄付した大学院プログラムに在学しているときは、もちろんこの本が必読の一冊とされていた。

そのGMがいまや虫の息になっている。20世紀初頭,T型フォードに経営資源を集中させていたフォードに対抗して、いろいろな車体メーカー、部品メーカーをM&Aで集約してゼネラルモーターは多品種戦略を打ち立て成功をおさめた。自動車史、米国産業史上に燦然と輝く米国企業なのである。その米国の象徴のGMが倒産しつつある。

GM社とクライスラー社は今月17日、米財務省に再建計画を提出し、GM社が166億米ドル(約1兆5514億円)、クライスラー社が50億米ドル(約4672億円)の追加支援を要請した。GM社では、昨年12月に受けた「つなぎ融資」の134億米ドル(約1兆2523億円)を合わせると、融資総額は300億米ドル(約2兆8037億円)に達する。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙はインターネット上で「政府はGM社、クライスラー社に資金援助を行うべきか」とのアンケート調査を行った。その結果84.7%が「援助するべきでない」と答え、「援助すべき」と答えた15.3%を大きく上回った。

85パーセントの救済反対論は:

・GMは環境対策、エコカーの開発では大きく出遅れ、とるべきイノベーションを創発できなかった。経営の不作為だ。
・GMは車をローンで買う消費者とローン会社に大きく依存しクレジットエコノミーの主役でしかなかった。
・なによりも一私企業に税金を投入するのは間違いだ。

かたや、15パーセントの救済賛成論は:

・実際にGMやフォードが倒産すれば失業者の急増を招き、米国経済への深刻な影響は避けられない。
・経済の回復の兆しが見られなければ、国民の政治不信につながる。

シュンペーターは、経済活動における新陳代謝を創造的破壊と呼んだ。また、資本主義は、成功ゆえに巨大企業を生み出し、それが官僚的になって活力を失い、社会主義へ移行していくと予言した。現下アメリカには、紛れもなく「シュンペーター過程」=法則が顕れて疎外が発生している。

米国政府はGMとクライスラーの再建計画を精査した上で、3月末までに計画を承認するかどうか判断する。承認しなければ融資の即時返済を求め、経営破綻となるだろう。アメリカを象徴するGMとクライスラーの破綻の火砕流は一気に裾野の産業を巻き込み、製造業=実物経済の連鎖倒産となるはずだ。こうなると、市況を悪化させ、市場センチメントも一気に悪くなる。

そうなれば半年前に予測した恐慌のシナリオがまた一歩進む。


ジェームズ・アベグレンさんのこと

2009年02月11日 | 技術経営MOT

シコシコと4月から開講する新講座=人的資源論(HRM)のコースを作っている。ふと、ある人のことを思い出した。

日本国内のHRMというと、だいたい年功賃金、長期雇用、企業内組合といった高度成長期を支えた、いわゆる3種の神器がよく言及される。じつはそれを言い出した張本人とは知り合いだった。ジェームズ・アベグレン(James C. Abegglen)さんという。

マネジメント、MBA、MOT、まっとうな経営コンサルティング関係の人ならば知らなければモグリだろう。

Hayから独立して、会社経営でシノぎはじめた最初の2年間は、アベグレンさんが経営していた千葉市幕張新都心のインキュベーション・センターJBCに入っていたので、よく彼と雑談をしたものだ。高校生のころ、親父の本棚にあった彼の本をチラチラ読んだことがあったので、そんな話をすると、アベグレンさんはとても喜んでくれた。アベグレンさんの奥さんのアベグレン裕子さんにもお世話になった。


「アベグレンさん、『逃亡者』のデビット・ジャンセンに似てますよね」
といささか古いネタでヨイショすると、
「おお、昔はよくそういわれてね」



たしかに経験カーブもシブイが、アベグレンさんはダンディでシブい人だった。なんとなく憂いを秘めた哲学的な表情で、"By and large.."なんていつもの口癖で話し始めると、もうたまらなかった。

ある日、昔話になり、はじめて彼は"Iwo-jima"を口にした。そう、アベグレンさんは初めて日本にやってきたのは硫黄島を攻撃する部隊の一員としてだったのだ。その後、彼は原爆の破壊力調査のために広島も訪れたという。

「僕の親戚も、硫黄島あたりの島でアメリカから日本を守るために戦ってましたよ。父は海軍航空隊で無線技師をしていましたが、アメリカと戦う前に戦争が終わって生き残りましてね。でもあの二発の原爆は断じて許しませんよ、はっきり言わせてもらいますが。一般市民を無差別に殺戮した人道上の罪ですよ。しかし、因果なものですね」

「・・・・・」

それやこれやで、見かけるとよくコーヒーを飲みながら戦争、戦後日本について雑談したものだ。金谷にある別荘にも招待されたが、忙しすぎてとうとう一回も行けなかったのが心残りだ。

でも時には軽い話にも花が咲いた。

「年功賃金、長期雇用、企業内組合って、アベグレンさんが言い過ぎたので、その後日本の経営学者や実務家は洗脳されたように、そのように思い込んじゃったんですよ。なにか根拠はあったんですか?」

とカマをかけると、アベグレンさんは、ニヤッとして、

「15人くらいの日本人経営者にインタビューしてだいたい分かったんだよ。観察ってやつだね。あれはいいフレーズだったね」と言っていた。

Hayの不出来なOBとしては、経営ジャーゴンに溢れる議論は大得意。アベグレンさんも熱い議論によく付き合ってくれた。

Lifetime commitment, Seniority-based wages, Periodic hiring, In-company training, Enterprise unionなどなど。これらすべてアベグレンさんが定義して海外の日本研究者のみならず、日本人経営者も当時まだそれほどいなかった経営研究者も彼の言説にすっかり飲み込まれちゃったのだ。

そんなアベグレンさんが世を去って2年だ。日本的経営をごく初期に定義し、その後、偉大なPath dependencyを内外の経営研究者、実務家のコミュニティに図らずもセットしてしまったこの不思議な日本分析者について、いささかのコメントを教室ですることになる。

これも因果か。不思議といえば不思議だ。


中谷巌 『私はなぜ自壊したのか』

2009年02月02日 | No Book, No Life
中谷巌(経済学者)の転向


『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社、2008)で中谷巌氏は、新自由主義者だった自分を謙虚に反省しているかのような言説を展開している。この人は本当にどうかしている。ちなみに友人が中谷巌氏が学長を務めていた多摩大学に准教授として勤務しているのだが、この人の大学経営能力も「自壊」して、定員割れ(Fランキング入り)と新設高校の失敗を責を問われ、過日その職をクビになったばかりである。この人は「自壊」させることが好きなようだ。

本来ならば、『私はなぜ自壊したのか』と題名を改めるべきだ、もしあなたが謙虚な研究者ならば。

まず『資本主義はなぜ自壊したのか』という題名に中谷巌氏の不遜ぶりが表現されていることに読者は気づくべきだ。かってに資本主義を自壊させちゃいけませんよ。彼の自己弁護のロジックは謙虚さを装いつつも実は狡猾である。「資本主義が自壊した」という実証的な根拠を挙げず、いきなり、「自壊した」という過去形の動詞を使って総括している。

彼の内在的論理はこうだ。かつては、日本のためによかれと思って「資本主義」を擁護してきた。とくに小渕内閣にたいして、アメリカ型の競争社会実現のための方策を積極的に提言した。しかし米国で「資本主義」が崩壊した。日本もそのあおりを喰って多くの人々が困っている。だから自分の非をいち早く認める。だから読者も、「資本主義は崩壊した」と認めてください。ついでに読者はそのような自分の謙虚さも追認してくださいと。

事実はこうだ。世界同時不況(恐慌突入一歩手前)で、新自由主義や市場原理主義の旗色が色あせるや否や、中谷氏は関が原の小早川秀秋よろしくパッと旗色を変えた。そして、「叛・資本主義」を引っ張り出して旗に貼り付けた。ただそれだけだ。それはそれで世をシノいでゆく氏一流の身の振り方なのだろうが、あまりにも浮薄のきわみだ。

彼の言う「資本主義」は、実は「私」の言い換えに過ぎない。もう一度言う。『私はなぜ自壊したのか』と題名を改めるべきだ。

しかし確信犯的非愛国者=竹中平蔵に比べれば、まだ救われているのかもしれない。先日、東工大で久しぶりに副島隆彦氏と会って親しく意見を交換する機会があり、竹中平蔵についてこっぴどく批判していたのは、まったくの同感。毒を食らわば皿まで。厚顔無恥。副島隆彦氏は佐藤優氏との対談で、「竹中さんは捕まるのではないかと思っています。リーマンブラザーズが竹中さんの資金源でしたからね」とはっきり書いている(「暴走する国家、恐慌化する世界」p76)。

小泉親分も目がないと2008年引退を表明。アメリカ型競争社会の実現をいっしょになって唱道していた中谷巌氏もあっさり「懺悔」して降参。小早川巌は、背後から竹中平蔵を襲うのか?さあ、どうする竹中平蔵?そっと住民票を海外に移して逃亡の準備でしょうか。

資本主義、新自由主義、市場原理主義を十把一絡げに、自壊、崩壊、終焉といったセンセーショナルな言葉で否定する論調には辟易。経済学者という肩書きでシノいでいる連中さえもこんな簡単なことを混同している。宇野弘蔵の恐慌論を引くまでもなく、循環過程を経て近代資本主義は展開され、変質してゆく。

資本主義は終わらないが、市場原理主義やそれを操作してきた新自由主義には大きな変更・修正が加えられ、新自由主義的な政策を放棄する国々のオンパレードとなる。日本もそうなる。

新自由主義思想のもとでは、市場原理主義が重視され活用される。そして医療、福祉、交通などの公共社会サービスを縮小させてゆき、公営企業を民営化し、経済の対外開放を促進し、規制緩和にも執着質的に取り組む。また市場競争を促進し、労働者保護などを手薄にしてゆく一連の政策の体系・経済思想である。アメリカのロナルド・レーガン、イギリスのマーガレット・サッチャー、日本の小泉純一郎政権そして、それ以降も新自由主義は経済の一大潮流として大きな影響を及ぼしてきている 。

新自由主義的政策が昂進してきた国々では、必然的に社会のありようが市場経済のなかに取り込まれた。医療サービス、介護サービス、医療保険、簡易保険、公共交通、教育、保育、育児支援などはそれらの例だろう。市場から排除される人々が増加するという現象も起こっている。貧困者の救済、社会的弱者への支援、派遣労働者の雇用確保などは、市場で活動する営利企業から見れば、期待収益に乏しいゆえに事業化の対象にされない。小さな政府、あるいは小さくさせられた政府も、積極的にこのような人々に支援を送ることを躊躇する。

中谷巌や竹中平蔵の輩のおかげで米国留学組みへの風当たりは強くなるだろう。たしかに、自分のまわりにも「米国留学=米国かぶれ=親米・反日分子」があてはまるような人間ははいて捨てるほどいるが。米国流留学を経ながらも、リベラルコンサーバティブなスタンスから愛国を自認する立場からは、このサイトが面白い。