よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

「今、ここに生きる仏教」 大谷光真 X 上田紀行

2010年12月30日 | No Book, No Life

俗事もなんとか終わり、家の門に門松、玄関にしめ飾りをかざり終えて、今年最後のブログといったことろでしょうか。

上田紀行先生と良き御縁をいただき、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻の「生命の科学と社会」という講座で非常勤講師をしました。来年もやることになっています。その講義が終わった折、「今、ここに生きる仏教」という新刊本を頂きました。

サインもしていただき、No Book, No lifeを信条としている身にとっては、実にありがたいことです。



この本は、大谷光真(浄土真宗本願寺派第24世門主)と上田先生との対談本です。

一言でいうと、実に面白い、本質的な、そして読み方によってはコントラバーシャルな議論が繰り広げられている本です。

この本を読む前は、伝統的な日本仏教の果たす使命はすでに終わっていると思っているので、「なにを今さら・・」という冷めた気持ちもなくはありませんでした。中国大陸経由で日本に渡来した仏教はいわゆる大乗仏教であり、仏陀が説いた言説(アーガマと呼ばれる原始仏教経典が最も忠実にその教えと法に関する言説を残している)とはほど遠いものです。以前、阿弥陀仏の由来について考えてみましたが。

大乗仏教、ならびにその一つの中心をなす「法華経」に対する率直な見解を以前一文にしたことがあります。対談の中でも語られているように、かつては葬式仏教とさえ揶揄された、その葬式仏教さえもが成り立たなくなっているジャパナイズされたローカル仏教(日本教仏教派)は確かに危機的な状況にあります。

さて、浄土真宗は、修行、呪術、エゾテリック(密教的)な行法などを完全否定し、ひたすら阿弥陀如来の慈悲にすがる(まさに他力本願)ことにより、極楽浄土に往くことを教義の中心に置きます。

如来の本願によって与えられた名号「南無阿弥陀仏」をそのまま受け入れて心底信心するすると、ただちに浄土へ往生することが決定的に予定される、その後は報恩感謝の念仏三昧の人生をすごすべし、という教え(三密の語密のみを取り出して、身密、意密を省略)です。


同著の中でもっともびっくりしたのは、大谷門主のこの言葉。

「・・・『仏教者には何が必要なのか』という質問について非常に考えましてね。はたと思いついたのは「修行」が必要だと」(117ページ)

そうですか、「非常に考え」て「はたと思いついたのが修行」なんですね!

なにげない言葉のように聞こえますが、実はこの発言は真宗の教義の根本に関わる一大時事です。

すかさず、上田先生は、

「修行を否定する真宗の中でそれをおっしゃるとは!」と叫びます。

その後で、大谷門主は「人生修行」という意味です・・・とある種、言い訳のような言辞を繋ぎますが、「修行が必要だ」は間違いなく本音でしょう。あとがきで「少し口が滑ったところもありそうです」(285ページ)と言っていますが、それは、この部分を含んでいるはずです。

ただし真宗が依経とする「観無量寿経典」にも、阿弥陀仏の浄土に往くための「十六観法」(=意密)という意密系の修行法が説かれています。決して唱名念仏だけで成仏するわけではありません。大谷門主が「十六観法」について言及しないのはちょっと不思議です。

さて、仏教における修行は、ここでも述べたように根本仏教経典で仏陀が説いている修行法(メソドロジー)に他ならなりません。法然、親鸞の日本ローカルな閉じた血脈(けちみゃく)にとらわれることなく、世界宗教としてのBuddhismの、学問的にも検証されている原始経典群テキストに結集・継承されているメソドロジーに回帰すればおのずと答えはあるのですが。。

その他、大変興味深い議論がなされています。上田先生によるおっとりとしながらも切れ味鋭い質問が、大谷門主の本音を引き出し、次々とタブーを破るような議論へ繋がってゆきます。

上田先生は、龍谷大学に新設された実践真宗学研究科で非常勤として教鞭をとられるそうです。どんな講義をされるのか興味津津です。


拙著「創造するリーダーシップとチーム医療」のDVD版

2010年12月28日 | 健康医療サービスイノベーション


あわただしい年末です。出版社から連絡が来ました。

今年の晩秋に出した、拙著「創造するリーダーシップとチーム医療」のDVD版が年明け早々にリリースされるそうです。『医療経営士』中級テキスト全19巻&各巻講座DVD(19枚組)です。

拙著を書き上げてからDVD撮影の依頼があり、11月の初めごろの土曜日の半分を使って急遽撮影したものです。テキストブックとDVDがあれば、学ぶ方としても学びの実感と効果が高まるでしょう。

農工大MOT大学院の授業は、すべてビデオに録画されていて欠席した授業も後でオンデマンドで受講できる仕組みになっています。普段の授業では、ことさらカメラを意識しませんが、このカメラを意識しない習慣がよかったのかも知れません。

「ビデオカメラ慣れしてますね」と出版社の方から言われました。

ビデオカメラ慣れではなく、実のところ、ビデオカメラがあってもなくても関係なくしゃべらざるを得ないことに慣れている、ということなのでしょう。

経験とは思わぬところで役立つものです。


親元で暮らせない子を、古本で救おう!

2010年12月21日 | ビジネス&社会起業
以前社会起業についてクラスで講演いただいた今一生さんから、「親元で暮らせない子を、古本で救おう!」プロジェクトを紹介されました。

年末の書斎、仕事部屋の大掃除で出てきた本、捨てることになるような本などがある方は、このプロジェクトに古本を寄付しましょう。


<以下貼り付け>

■親元で暮らせない子を、古本で救おう!
たった5冊の古本を寄付するだけで、家にいられない10代の学習・居場所・自立を支援できます


 現代の日本で深刻な児童虐待がはびこっていることを、ご存知でしょうか?

 開発途上国にばかり「かわいそうな子」がいるわけではありません!
 生まれた家が違うだけで、低学歴→低賃金の人生を運命づけられてしまう子どもが日本にもいるのです。

 全国の児童相談所が受理した児童虐待の相談件数は、親に虐待された当事者たちの体験告白手紙集『日本一醜い親への手紙』が初めて出版された1997年(平成9年)当時は、5352件でした。
 ところが、2008年(平成20年)には、42.662件。
 この11年間で、実に約8倍も増加したのです。

(※厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課調べ)

 上記のデータは、あくまでも児童相談所へ相談した件数ですから、相談してこないケースを考えれば、4万人の数倍もの子どもたちが虐待されていると試算する人もいるぐらいです。

 もちろん、こうした虐待の被害に遭っている子どもに対しては、児童相談所による一時保護の措置もあります。
 しかし、一時保護には多くの問題があります。

 一時的に保護しても、児童相談所を出た先の養護施設や自立援助ホームも常に満杯で、里親が見つからない場合も少なくないため、15歳(中卒段階)で路上に追い出される子どもたちが少なからずいるのです。

 しかも、子どもを家に戻したがって再び虐待するケースもあるため、厚労省は児童相談所の所長を「親権代行者」にする児童福祉法改正案を来年の通常国会に提出する方針だそうです(※2010年11月7日発表)。

 しかし、親自身が低学歴のために児童相談所の存在を知らなかったり、子どものほうも自分が親から受けている待遇が「虐待」だと気付くことができないケースも少なくなく、そうした場合、耐えきれなくなった子どもが選ぶ行動の一つが「家出」です。

 家出人は日本全国で、年間で8万人ほどいます(※年齢不問)。

(※平成22年警察白書 統計資料 1-26 家出人捜索願の受理件数の推移)

 家出することで背負うリスクは何だと思いますか?
 犯罪に巻き込まれる? 自殺? 違います。

(※警察庁生活安全局生活安全企画課 平成21年中における家出の概要資料)

 上記を見れば、(被害者186人+加害者2382人)÷家出人全体79936人=約0.03(3%)
 自殺(遺体で発見)でも3071人であり、やはり約3%にすぎません。
 捜索願が出されるような家出人の多くは「帰宅確認等」(約56%)なのです。

 つまり、捜索願さえ出ていれば、半数は警察に保護されて自宅に帰されるわけです。
 しかし、親による虐待が続けば、戻った家からまた家出したり、親が捜索願を出さなくなるため、やはり路上に出ていく子どもが生まれてきてしまいます。

 ところが、前述のように施設は満杯。
 すると、今度は警察や児童相談所などが統計のとれていない「数字に出てこない場所」へ行くしかありません。

 「数字に出てこない場所」の多くは、住み込みで仕事のできる旅館や工場、リゾートバイトなどです。
 
 でも、そうした知恵を知らないうちは、ごく一部の子どもたちは、出会い系サイトを使って知らない人の家を転々としたり、ホームレスになったり、ヤクザなどの非合法組織に関わったりすることもあるでしょう。

 そうなると、一般の社会人が普通に中学や学校で学んできた常識や教養を知らないため、妊娠や病気をしたり、夫婦間暴力(DV)の被害に遭っても、警察や婦人センターなどの福祉施設や民間のシェルターなどが味方になってくれることに思い当らず、わが子を死なせてしまったり、いつまでも殴る夫の元から避難できなくなるなど、「不幸の再生産」の人生へ転落していきかねません。

 つまり、家を出ざるを得ない10代の本当のリスクは、「不幸の再生産」に導かれてしまうことにあるのです。

(※こうした問題を解決するために、完全に合法で自立できるノウハウを書いた『完全家出マニュアル』という本を1999年に発表しましたが、現在では電子書籍として500円の安価で公開しています)

 このように、親に虐待されただけで低学歴→低スキル→低賃金=不幸の再生産という人生を歩んでしまいかねない10代が「数字では見えてこない存在」として、今この時もこの国のどこかで生きるのに必死の暮らしを送っています。

 親に虐待されたために孤独を持て余して犯罪に手を染め、少年院や鑑別所、少年刑務所で過ごしたのに、出てきたら親が身元引受人になってくれなかった10代。

 気がつけば、中学時代から引きこもったり、高校も中退してしまったという「家にいずらい」10代。

 親が低学歴であるために、低学歴→低スキル→低賃金の仕事観しかなく、世界の大きさを知らずに低い自己評価のままでしおれたように毎日をやりすごしている10代。

 そんな孤独な10代のために、2010年夏、福岡で一つの団体が立ち上がりました!
 それが、一般社団法人ストリート・プロジェクト(略称ストプロ)です。

 生まれた家が違うだけで虐待を受け、将来の夢を見る力も奪われ、「不幸の再生産」に転落しかねない10代の抱える切実な苦しみを見過ごしたくありせません!

 ストプロは、官公庁のデータからとりこぼされた10代たちと共に汗をかき、共に苦しみ悩み、彼らの夢の伴走者として、それぞれの将来をワクワクできるものへ変えていきたい!

 だから、親のお金に頼れない10代でも無料で受講できる「高認まなび舎」を2009年から提供してきました。

 高認とは「高等学校卒業程度認定試験」(旧・大学入学資格検定)の略で、中卒や高校中退者が大学などのその後の進路を切り開いていくために必要な学力を認定するものです。

 しかし、国家が認める高認に合格しても世間では「高卒」として認められないことも多く、19歳で高認に合格しても就職面接でも新卒の18歳と比べられて不採用になるケースも少なからずあります。

 そこで今後は、10代自身が自力で稼ぎ出せるスキルが身につくゲストハウスも運営する予定です。
 どんな学歴でも、やりたい仕事を自分で作れるようになれば、就職できなくても高収入を得られるからです。

 何を隠そう、僕自身がストプロの理事を務めているのですが、僕らは共に稼ぎ出すパートナーとして「さまよえる10代」と出会うチャンスを作り出しています。

 それが、「前向きぶっちぎりトークライブ」です。
 第1回は、児童虐待のドキュメント映画『アヒルの子』を上映し、小野さやか監督を招きました。
(※映画『アヒルの子』の上映を希望する方は、公式サイトまでお問い合わせください)

 第2回は『それでもお前は明日を作れる!~可能性の活かし方、殺し方・悪のトップから社会のトップへ』と題して、12月19日(日)に岡本達也氏の講演会を行います。

 岡本さんは1967年福岡県出身。
 福岡市における暴走族で最大のグループを束ねていた伝説の狂走連合「餓鬼」総長として、二度の少年院を経験。
 その後、多数の飲食店、建設会社などを経営し、(社)福岡青年会議所のメンバーとなり、委員長を歴任。
 在任中から青年会議所のメンバーを引率して少年院へ慰問や講演に行くなど、青少年の立ち直り支援に力を注いでます。

 次のような方は、足を運んでみてください。

★学校中退・不登校・ひきこもりなどによる低学歴=低賃金労働から解放されたい10代
★お子さんの子育てにお悩みの親御さん・教育・児童福祉・警察の関係者
★社会貢献に関心があり、若者支援の活動をしたい学生・フリーター
★CSR活動として地元の次世代育成活動に参加したい企業の社長

 詳細・予約は、下記の公式サイトまで。参加予約が始まっています。ご予約はお早めに!


<以上貼り付け>

アメリカ地方銀行の惨状とゴールド急騰

2010年12月17日 | 恐慌実況中継
年の瀬なので経済アウトルック=恐慌実況中継をまとめます。

このところ、米国国内の地方銀行の破綻が強烈な勢いで進行中ですが、日本の大手マスコミはこの重大な動向を全くと言っていいほど報道していません。

エビゾーかカニゾーか知りませんが、あの低俗ニュースの10分の1でもいいので、マスコミは米国の草根経済の報道をすべきなんですが、そうもいかないようです。

さて米国の草根経済過去5年間の実体を雄弁に物語るデータは米国地方銀行の破綻件数です。ざっと、以下のような推移を辿っています。

2006年 0件
2007年 3件
2008年 26件
2009年 140件
2010年 151件(12月17日まで)

米国の地方銀行の破綻件数は激増中です。Failed Bank Listというリストが公開されています。Federal Deposit Insurance Corporation (FDIC)が破綻銀行の処理業務にあたっていて、この組織が、銀行利用者、投資家などステークホルダーのために破綻地方銀行を公開しています。

The Federal Deposit Insurance Corporation (FDIC)は米国政府が経営する企業で、もとはといえば、1933年のGlass-Steagall Actによってできた会社です。銀行が破綻した時の貯金保険を提供して消費者を保護し、銀行が破綻した時のマネジメントを行っています。

Wikipediaにも信頼がおける破綻情報を集約した米国破綻米国地方銀行リストがあります。

このところダウ式平均株価が戻しつつあり、なんとなく米国経済にうっすらと日差しがあたりかけているようなニュースが目につきます。しかし、米国経済の足腰にあたる米国地方銀行の惨状を見れば、ダウ式平均株価の揺り戻しなどは、ほんの表面的な出来事(操作された表面的な事象)でしかないことがわかります。

アメリカの地方銀行は地元の中小企業や家庭の金融を扱っています。とりわけ住宅の購入や投資にともなうローンや商業不動産開発のための融資の要の役割を果たしているのが地方銀行です。

一連の世界的な金融・財政危機と先進国を中心とする景気大幅悪化の「震源地」は米国の住宅バブル崩壊です。だから住宅着工件数、住宅市場指数、購入用住宅ローン申請、借り換え用住宅ローン申請件数にも注目する必要があります。

米国金融破綻シナリオは、サブプライム⇒アルタA⇒プライム⇒商業用不動産投資用貸付、というように破綻の連鎖はまったくもって着実、かつ深刻に進行中です。

破綻が続くと、個人消費や経済に一層の影響を与えること必至です。FDIC会長のSheila Bair氏は、今年2月に、2010年の破綻件数は、商業用不動産投資用貸付の焦げ付きのため、2009年の140件を凌駕するだろうと警告を発していましたが、はやりそうなりました。

したがって瀕死状態にある国=米国が発行する国債の人気が出るわけがありません。ユーロ圏の国々が発行する国債も、不安定要素の塊です。株、国債、債券などありとあらゆるペーパー・マネーの信用が失墜すれば、お金は究極の実物ゴールドに行かざるをえません。



紙幣、株、債券などのペーパーマネーの価値は、その時々の材料に敏感に反応して凹凸はあるものの、長期的には下落傾向が鮮明となります。日本以外の世界は、金に敏感になっています。ゴールドを巡る直近の現象としては以下の3点に注目です。

①チャイナの動向
中国の金輸入量は、2010年1~10月の実績値で209トン。昨年に比べて約5倍に急増しています。それに比べて中国による米国債の買い越し残高は頭打ちです。ところが、日本は相変わらず、買わされ続けています。チャラパーになる米国債など、本当は買ってはいけないのですが、そこは米国寡頭勢力に操作されている日本のイタイところです。

②欧州の財政危機
欧州ではギリシャに端を発した財政危機のあおりで、国債の買い増しを敬遠し、金に逃避する動きが高まっています。国家破綻は、アイルランド、スペイン、ポルトガル、イタリア、フランスと連鎖中です。昔ならば「ドルか金」という選択肢なのですが、ダメドルの今日では、はやり長期的には金でしょう。ドルの下落基調には変わりありませんから。

③東北アジア戦争
11月23日に北朝鮮と韓国の間で砲撃事件が発生。「有事のゴールド買い」で市場が反応し、金は1オンス=1383ドルまで上昇。東北アジアで戦争を始めたい寡頭勢力が蠢動しています。オバマ政権が終息する時と前後して、米国戦争屋の台頭と東北アジアやイスラエル・イランでのドンパチが懸念されます。

                ***

現代の世界恐慌は、静かにでも着実に進行中です。日本のマスコミ(マスゴミ)は正しく報道していません。マスコミが伝えないモノゴトにこそ、真実が隠れています。その恐慌基調に加え、マクロ的、長期的な節目が近づいているようです。それはデフレからインフレへの潮目の変化です。

実物コモディティ=必需品の高騰が2011年半ばから2012年の年央位にはハッキリしてくるでしょう。綿花、砂糖、ゴム、大豆、小麦、コーヒー、トウモロコシなど2010年にものきなみ高騰していますが、今後はますます高騰基調になります。

これらの大半を輸入に頼っている日本は、輸入品から悪性のインフレがもたらされることになるでしょう。これをインポートインフレと命名することにします。たぶん野菜の値段も今後上がるので、260万人の専業農家に対し200万人いる週末家庭菜園ファーマーは今後とも増えるでしょう。

これら実物コモディティの頂点に君臨するゴールドは、乱高下(下値1g=3000円位)を伴いながらも、高騰してゆきます。

国際標準化、技術インテリジェンス、時局放談

2010年12月14日 | 講演放浪記
今日は藤沢にある(株)山武の技術開発本部によばれて講演。「技術インテリジェンスの動向:~日本では議論されないIT産業の競争の裏側」をお話させていただきました。

このところ、ヘルスケア系の講演が続いていたこともあり、技術経営系のテーマなので、講演させていただく立場としても新鮮です。

今年の夏あたりに日本規格協会でお話させていただいたおり、聴衆のおひとりが山武の技術開発本部の方で、是非ということで招待いただきました。

上場企業の記述開発本部レベルであっても技術インテリジェンス・リテラシーは限定的です。日本国家のMOT(技術経営)を再構築し、対米、対中国・亜細亜太平洋地域のビジネスを戦略的に有利に展開するためには、技術インテリジェンスの素養は必須です。

国際標準の現場はまさに、技術インテリジェンスの火花が散っている場です。ここをいかに押さえるのか、そこにいかにうまくポジションできるのかによって中長期的な企業群の位置づけは根本的に変わってきます。国家は市場に対して不介入などという自由主義的な言説はこの分野ではナンセンスです。むしろ、新しい産官学連携、そしてindustrial policyが要請されているのが国際標準化の領域です。

さて会場を一瞥すると、なんと大学の先輩のA川さんが鎮座しています。A川さんは自由奔放で無軌道な放浪系の自分とは異なり、秀才の誉れ高く、若くして既に山武の要職に就き、以来ご活躍です。

講演といっても、大学の講義とは異なり「時局放談」という趣旨だったので、インテリジェンスに端を発して、一党独裁国家中国の状況など尖閣事件の背後関係などまで話題は及びます。

講演が終わってからA川先輩と藤沢駅近くの飲み屋で一杯やりながら、近況やら昔話やらで話に花が咲きました。持つべきは面倒見がよく、腹を割って話せる先輩ということでしょうか。

セミナーのご案内

2010年12月13日 | ニューパラダイム人間学
年の瀬を挟んで2つのセミナーが開催されます。

(1)いのへる(医療サービスイノベーション研究フォーラム)のセミナー

加藤眞三先生『患者学~患者中心の医療を実現させるために~』
講演タイトル:
加藤眞三先生(慶応義塾大学医療看護学部教授)
『患者学~患者中心の医療を実現させるために~』

モデレータ:
松下博宣(東京農工大学大学院技術経営研究科)

日時・場所:
2010年12月18日(土) 18:00~20:00
於:田町キャンパス・イノベーション・センター4階 405教室 (25人)
講演会のあと講師を囲んだざっくばらんな懇親会があります。(会費制です。おおむね2500円位です。)

申し込みはコチラからです。

(2)第3回リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム開催

今回は、第1回目の続きとして、ライフネット生命保険株式会社の出口治明社長の『5000年史 Part. 2』をご講演頂きます。今回は、ライフネット生命保険(株) 出口治明 代表取締役社長 をお迎えして、前回に引き続き次の1000年(BC1000~0年)史につき、『5000年史 Part. 2』と題してご講演をいただきます。

ビジネススクールで教えるテクニック論に飽き足らない、本当の学びを得たい企業人、大学生の方、是非ご参集下さい。

『5000年史 Part. 2』のカバーする時代範囲は、紀元前1000年から紀元0年までの千年間。取り扱うテーマは次の3つ:
○アジア・大帝国の興亡
○紀元前5世紀・高度経済成長の到来
○紀元前4世紀・世界宗教の登場

2011年01月22日(17:00講演開始(16:30開場),19:30終了予定)
開催場所 矢満登ビル 5F-3 「ルノアール八重洲」
(東京都中央区八重洲1-7-4 )

申し込みはコチラからです。

本の質感

2010年12月09日 | No Book, No Life


モノカキ稼業を、ひとつの世をシノぐヨスガにしている身にとっては、出版社から届けられる段ボールを開いて、自分の本を視野に納める瞬間は、はやりなにものにも代えがたい。amazon.co.jpで垣間見る自分の本の仮の姿とは、はやり違うといことに気がついた。

世はこぞって、電子ブック・ブームの到来でにぎわっているが、やはり、新品の本の香りとインクの匂いにはある種の「質感」がある。その質感は脳のけっこう深いトコロを刺激してやまない。

しかし、その質感が3000円なにがしかの価格と見合うかと言われれば、??である。紙が丁寧に折りたたまれたBookという媒体は、はやりとほうもない贅沢品なのだ。紙やインクという物的媒体をはなれて、コンテンツのみを電子的に流通させる電子ブックのほうが、はるかに経済的だろう。

たぶん未来の人間は、本当に本のように進化した端末(タブレットやkindleのような装置を柔らかくしてまるで本のような手触りのある装置)でコンテンツを消費し、思索を深め、豊饒な意味をそこに紡ぎだし、あるいはイノベーティブなアイディアをスパークさせてゆくのだろう。そんな近未来の読書の流儀と比べれば、自分のそれは、旧人に属するのだろう。

僕には極度の悪癖がある。というのは、本という本に、グチャグチャとラインを引いたり、余白に感想や批判を書き連ねるのだ。ひどい場合には、本の文脈からふと思いついたアイディアを書きなぐることもしばしば。これでは古本としての価値は消失するが、神保町の古本屋で本を漁るように買っても、売ることはないので、よしとしているのだが。

しかしながら、この私秘的な悪行のお陰で、自分の思索を本に埋め込んで、というか、著者の思考と志向をなぞらえることによって自分のアイディアを深めることができる。その意味で、読書というのは、本を書くための無意識的な助走なのだろう。

高い値段を払って本を買う理由は、そんなところにしかないのではないか。それにしても原稿料や印税を得て、本を書くという所作は、因果なものである。

坂の上の雲~松山の愛媛大学医学部付属病院~

2010年12月06日 | 講演放浪記


松山や 秋より高き 天主閣

ちょっと前のことだが、10月20-21日、愛媛大学医学部付属病院から招待されて講演をさせていただいた。

松山は学生のころ、当時住んでいた大宮から、自転車で西日本一周をした時に訪れたことがある。九州の佐多岬を経て、九州を「8」の字に走ったから大分から四国の八幡浜までフェリーで渡り、そこからえっちらおっちら自転車を漕いで、数時間で松山だった。

寝袋で野宿しながらの自転車ツーリングだったので、各地の先輩や後輩の実家に転がり込むことが、なによりの楽しみだった。なにせ、たらふく飲み食いさせてもらって布団で寝れるのだ。

松山出身のI城先輩の家に転がり込み、たらふく飯を食べさせていただき、夜は道後温泉という天国のような2日間を過ごしたのだ。I城先輩のわけの分からないウンチクを聞きながら、坊っちゃん団子を頬張った。いい思い出だ。



           ***

当時は、しまなみ海道なんぞはなく、今回は仕事がてら、しまなみ海道を自転車で走ろうと画策。だが、低気圧通過で天気がよくなく、断腸の思いで自転車ツーリングはあきらめる。

そのかわりといったらなんだが、道後温泉につかり、子規記念博物館をたっぷり堪能。聞くところによると、昨今の観光客は「竜馬伝」の影響で、高知を巡ってから三坂峠を越えて、「坂の上の雲」の松山に来るというパターンが出来上がっているという。




子規記念博物館。

創造していたより、はるかに立派で大きな建物。

松山の人々がいかに、子規を誇りにしているかがひしひしと伝わっている。



I城先輩の風貌は子規になんとなく似ている・・・。

子規は、34歳の若さで、脊椎カリエスによって歩行の自由を奪われ、世を去ってしまったが、親友たちの、夏目漱石、河東碧梧桐、高浜虚子、伊藤左千夫、長塚節らは、子規の死という大きな悲しみを乗り越えて、子規の文学活動を継承し、近代文学界隈の発展にそれぞれの立場から貢献することになる。



この博物館の一階には、書籍コーナーがある。

漱石と子規は、明治22年、高等中学校の同級生として出会い,寄席通いをとおして親しくなった。その友情は終生変わることなく続いたそうだ。

漱石が批評を求めて子規に送った俳句と子規の添削を含め,その間に交わされた手紙を年代順に収録した記録が、『漱石・子規往復書簡集』だ。

これを読むとふたりが、いかに知的なやりとり(オタク的でもある)をしていたかが分かる。その話題は、自由闊達で奔放。

そんな知的奔放さの一端を、帰りの飛行機の中で堪能した。

大阪から嵐山嵯峨野へ

2010年12月05日 | 講演放浪記
金曜の遅くに大阪へ。

土曜日の午前中、日本助産師会でお話させていただいた後、東北大学の佐藤喜根子先生、神奈川県立保健福祉大学の村上明美先生、ウパウパハウスの岡本登美子先生とお弁当を頂きながらしばし歓談。

伊達藩の時代から「山の神講」という相互扶助の共同体が300講ほど存続していて、その中には「若妻会」があり、出産後のケアや神社仏閣への参拝を相互扶助しながら行っているそうです。

特別な日があって、その日は旦那連中が食事を作り、子供を産んだ母親たちをもてなすそうです。

ほほえましい風習です。

ちなみに、山の神講以外にも、田の神講、水待神講、日待講や月待講など、自然信仰( 精霊信仰 )に基ずくものも日本全国にあります。また、氏神、産土や鎮守という、神道の系譜で祭祀集団もあります。神仏が習合している講も多数あります。無尽講は主として経済的目的の講です。

近年は活動がやや下降しているそうですが、市場原理によらない共同体的な相互扶助、信頼関係の絆が仙台周辺の地域にはあるそうです。Social capitalですね。

そういう地域にターゲットを絞って出生率、自殺率の変化を経年的に調べてみようか!?という話に花が咲きました。

                ***

いい天気。

当初の予定を変更して、在来線で京都へ。

そして山陰本線に乗り継いで嵐山嵯峨野へ。



大覚寺の北をかすめながら

小径は嵯峨野へ。



鬱蒼としながらも、

凛としたたたずまいの嵯峨野独特の竹林。



大河内傳次郎が映画で稼いだ資金の大半を費やして造営した大河内山荘。

移ろいやすい映像での自己表現ではなく、未来の果てまで残る山荘、庭園づくりに傳次郎の表現欲求は収斂していった。

いつ来てもこの庭はいい。

傳次郎のcreativityが庭園に表出され、forwardabilityに転写され横溢し、おとづれる人の五感を奥深いところで刺激してやまないのだ。

お抹茶をいただいてからお庭を歩く。

実はお抹茶には集中力や感受性を高める、ある種の向精神性的なサービス効果がある。庭を歩く前に抹茶をいただくというのは、forwardabilityを受け入れて庭園となにかを共創してゆくInitiationみなたいなものか。

飲んで歩くのは、夜の街だけの話ではない。抹茶を飲んで=いただいて庭園を歩く、というのは日本ならではのspiritualな文化。



裏を見せ

表を見せて

散るもみじ。



仁和寺の塔や、遠く比叡山の山並み。



夕暮れ時の渡月橋。

和歌のうら

芦辺の田鶴の鳴声に

夜わたる月の

影そさひしき

 「仏教看護の実際」:ケアサービスのイノベーションは霊的存在へ

2010年12月03日 | No Book, No Life
12/15と12/22、東京工業大学で「生命の科学と社会:Life Science and Our Society」(上田紀行先生)の講座で、「生老病死の苦とヘルスケア」と「ケアリングのイノベーション」についてレクチャー(非常勤で)します。MOT(技術経営)分野では、農工大や日本工大で授業を持っていますが、MOTの文脈では語りきれていないことをお話しするいい機会なので、よろこんでお受けしました。

ケアリングは、ケアされる対象の拡がりとともに拡張します。つまり、物質圏、精神圏、それらが交わる身体性、そして身体性のまわりに創発している、いのち圏と霊圏にまで拡張してゆきます。

霊なんていうと、「オヤッ!?」、「オカルト~!?」、「コワ~!」、「江原さんみたい~」と思う人がいるかもしれません笑)

しかし、世界保健機関(WHO)が、1999年のWHO憲章全体の見直し作業の中で、健康の定義を見直して、「健康とは、身体的、精神的、霊的(スピリチュアル)及び社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気又は虚弱が存在しないことではない」と再定義の提案を行っていることでもわかるように、健康・医療のケアリング・サービスにとって、霊的(スピリチュアル)な実存として人間を捉えることは、もはやあたりまえのことです。

さて、QOL(Quality of Life)のライフ(Life)にはいくつかの意味があります。

まずは人生としてのライフです。身体を授かってオンギャ~とこの世に生まれて、死ぬまでのすべてのプロセスです。人間はいかに生きるべきか!?と悩んだりします。

二番目は、生命としてのライフです。その生命によって起きる現象は、生命科学の対象としては、急速に解明、応用されつつあります。生命によって起きる現象は解明・応用されつつありますが、生命そのもの=いのちとなると、未解明なところが多すぎます。

三番目は、生活としてのライフです。この世をシノぐ人間は社会での人間関係なしには生活することができません。ここでは経済、法律、経営、各種社会制度やシステムといかに折り合いをつけてゆくのかという社会性が問われます。

四番目はいのちとしてのライフです。身体性を中心として、かけがえのなさ、そして存在の深奥で他のいのちと繋がっているいのちは、こころ、あるいは意味が問われる精神圏、物質圏をまたいで存在します。

一番目の要請に応えるものは、なんといっても人文(Humanity)でしょう。二番目の要請にこたえようとするものが近代科学、ここでは生命科学(Life science)と限定してもよいでしょう。三番目は、世間智とでもいうようなものですが、いちおう社会科学(Social science)がそれらの基盤的なものを作っています。

そして四番目です。これはいったいなんなのか?たぶん、人文、生命科学、社会科学などから、よりどりみどりの捉え方があるんでしょう。しかし、古来、この問題に正面から取り組んできたのは宗教(Religion)なのでしょう。ツラい人生をいかに生きるべきか?という問いを越えて、死に逝く人をいかに看取る?死んだらどうなる?という問いは、人文、社会科学、生命科学ではちょっと手に負えません。



そんなことが気になっていて、母が日医大病院に入院たときに、ふと立ち寄った院内の書店で「仏教看護の実際」藤腹明子著(三輪書店)という面白い本が目にとまり(共時性の発動?)、さっそく読んでみました。

拡張するケアに身を置く職業が看護師です。そして看護師に学問的体系を与えるのが看護学です。その看護学は、米国で大いに発展を遂げた近代科学の流れで構築されてきました。

この大局的な系譜のなかで、スポッと穴があいている4番目のソリューションにあたるところに、正面から接近しているのが「仏教看護」ということになり、ここにこの本の大きな意義があります。

看護師でもある藤腹明子氏は、法華経などフィクション系創作物には目もくれず、原始仏教のテキストのみを丹念に引用してます。ここに、筆者の見識の高さが現れています。ちなみに、法華経に関する私見は日経BP社のコラムにも『語られ得ぬ法華経の来歴』として書きましたが、なぜか阿修羅掲示板『語られ得ぬ法華経の来歴』にも載っています。

著者の藤腹明子氏は佛教大学の御卒業とのことですが、浄土宗の開祖=法然上人の言説、大乗経典の引用一切なし、原始仏教系のテキストのみの引用と解釈というのは、なかなか奥深いものがります。

三十七菩提文法(七科三十七道品)のなかの「七覚支法」を援用して看護ソリューションを提言している部分(p100~)が秀逸です。もっとも七覚支法が最も顕教的で、活字にしやすい部分です。p97~の「仏教看護における看護過程」も実に読み応えがあります。アメリカで発祥した現代看護理論の圧倒的影響下にある今日の日本の看護界にあって、一服の清涼剤にも似た身に沁みる言説が展開されています。

ヒューマンサービスを密教の脈絡でとえらることもできますが、ブッ飛びすぎるので、顕的な「七覚支法」の側面で十分なのかもしれませんが。

さて、三十七菩提文法は、パーリ語などで記述された雑阿含経「応説経」などの、原始仏教テキストに説かれたているシステマチックな三十七の修行法=成仏法のことです。具体的には、念処(四念処法)、正勤(四正断法)、如意足(四神足法)、根(五根法)、力(五力法)、覚(七覚支法)、道(八正道)のことを指しています。八正道は大乗経典にもよく伝えられ、現代の大乗系仏教でもしきりに説かれていますが、本質的に重要なのはそれ以外のところです。教えではなく、法=メソドロジーだからです。

念処(四念処法)、正勤(四正断法)、如意足(四神足法)、根(五根法)、力(五力法)、覚(七覚支法)のスピリチュアル・ソリューションを看護サービスのなかにいかに展開してゆくのか?ケアリング・サービスの対象を霊的存在に拡張するとき、既存の人文、社会科学、生命科学で手に負えない領域をカバーしてくれるでしょう。

この文脈で、ケアリング・サービス・イノベーションの新しい地平が切り開かれてゆくことを期待したいですね。読者として、次の本では、このあたりの論述と言説を期待したいものです。