よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

MOT(MBA)人材論 社長・CEOになる人材

2008年08月29日 | ニューパラダイム人間学
<以下MOT協議会ホームページから貼り付け>

2008.8.29 農工大
東京農工大学MOT 特別講義
8月23日(土) 13:00~17:00に、キャンパスイノベーションセンターにおいて東京農工大学MOTの特別講義が開催されました。

 講師 農工大MOT教授 松下博宣 氏
 テーマ 「MOT(MBA)人材論 社長・CEOになる人材」

当日は、農工大MOT生の他、多摩大学、日本大学、東京工科大学など他校のMOT、MBA生が参加し、各大学との交流・連携を深めるために、広く参加者を募集して開催されました。

30名強参加の下、熱心に討議され、終了後は、アルコールをまじえて懇親を深めることができました。

<以上MOT協議会ホームページから貼り付け>


低迷する新規開業率、終身雇用志向を強める新卒者、格差社会化のなかで安定を求める国民性、内向き志向、たぶんやってくるであろう不況、それに対する予防、etc。

スタートアップス勃興によるイノベーション創発については日本は元気がない。かといって保守的な大企業だけにイノベーションができるわけない。じゃ、どうする?

こんなご時勢で、リスクを取って起業しようという人はよほどの変人か。じゃ、変人として生きるためにはどうする?

上場企業にずっとつとめても社長になれる可能性は0.5%もないんですよ。じゃ、どうする?

MOTやらMBAをとって、おとなしくサラリーマンやっててもしょうがない。じゃ、どうする?

変人としてテーマと視点を提供。おおいに盛り上がる。談論風発。



合理的経済人を疑え

2008年08月27日 | 日本教・スピリチュアリティ

主流経済学が想定する人間は合理的経済人。

需要も供給サイドも市場においてプレーヤーは自らの利益を最大化するように行動する。やがて競争原理のふるいにかけられ均衡に達し、価格が安定し適正な利益がプレーヤーにもたらされる。自らの利益を最大化するように行動することが、最大多数の最大幸福をもたらす、なんてベンサムは説いた。

「市場」で展開されるビジネスは競争原理と合理的経済人を前提としているから、人は自分の利益になることしかしない、とか、なんでも損得勘定で考える、ということが基本となる。

ビジネススクールでの教育もいきおい競争原理に打ち勝つ合理的経済人養成になりがちだ。したがってマジメにビジネスを勉強しすぎると、自分の金銭的利益を最大化する行動をとる。市場経済が想定する合理的経済人を地でゆくような人だ。

・自分の利益を最優先してものごとを進める。
・機密を漏洩する。
・恩をアダで裏切る。

残念ながら、こんなことを平気でするMBAホルダーを知っている。

たぶんその人なりに言い訳や、言い分はあるだろうが、
もう、そうゆうような人とは二度と一緒に仕事なぞやりたくない、
と身の周りの人が思い、ひとりかけ、ふたりかけとなる。

こんな反省があってかどうか知らないが、最近のビジネススクールでは倫理(Ethics)を正規科目にしている。べつに倫理を正規科目になんかしなくてもいいのだが。

人間の心模様の喜怒哀楽、葛藤、懊悩、煩悩、機微に触れるのは歴史や文学にまさるものはないだろう。これらを一般教養なんていうノッペリしたコトバでかたづけるのはよくない。他者と深い部分で交わることができる共感性に裏うちされた人間力こそが、どんな仕事にとっても大切だと思う。

専門科目の履修で忙しいかもしれないが、僕のコースやゼミでは件のMBA氏のような人間は創りたくない。時間をつくって歴史や文学に親しんで欲しい。そして卒業してからも長くつきあえる友人を一人でも多くつくってほしい。

ソーシャルアントレプレナーにとって自覚的に合理的経済人モデルを超越することが大切だとおもう。なぜなら、社会起業家は共感という無形資産をテコにしてモノゴトを進めるからだ。


1970年代片倉シルクキャンピング自転車で北海道

2008年08月15日 | 自転車/アウトドア
いい道具は大切に使えば使うほど、物語性を帯びてくる。使い込むことによって道具が創りだすモノゴトのナレッジが道具に埋め込まれ、そのたゆたゆしい暗黙知が道具の使い手と共有化されるからだ。

数多くの道具のなかでも特に自転車という道具に魅了され、憑かれる人のことを「自転車依存症」に罹っているという。この病が重篤になると、本来の手段=道具である自転車が目的になってしまうのでタチが悪いが。

片倉シルクのキャンピング車CS15-4(1974年型)は3年前にサイクリストの大橋氏(鎌ヶ谷市)から譲り受けたもの。実はO氏もサイクリスト某氏から譲り受けたので僕が3代目のオーナーとなる。いろいろいじって、しっかり走る現役自転車となった。それが古き良き自転車にたいするリスペクトだ。自転車は尊敬の念をもって接するべき道具。



キャンピング仕様のガッチリしたつくりは往年の片倉自転車の質実剛健さがただよう。
サドルだけは新品。ブルックスの大銅鋲を採用。




ハイテンション鋼のラグレスフレームにクロモリのフォーク。
この時代のクロモリは高級品。キャリアを入れると全重量17キロもある。

クロスドシートステイにリアブレーキアーチ。
年代もののカンチブレーキ。
機械工学的には最もシンプルなブレーキのひとつ。
時代を感じさせるキャンピング車のいでたち。
このあたりの雰囲気がとても気に入っている。



サカエの3アームチェンリング、サカエカスタム3。溝つきのクランクとエンブレムが時代を感じさせる。



燻し銀のようなサカエのエンブレム。



サンツアーのリアメカ。手のひらと指の感覚でポジショニングする古典的変速機。
当時としては画期的なリア変速機。



しかし十分変則性能あり。インデックスチェンジは楽だが、旧式のリア変則も味わい深い。



クラシックな風情のいわゆるJOS型テール。
上部はダイナモから電流をとって発光する仕組み。
このあたり、片倉の職人気質がでている。



グランコンペのステムに真鍮製のチンカンベル。
一生懸命みがいてきれいになった。GRAN COMPEの刻印がなんともいえない。



かつてヤジロベーをこういうようにつけるのがはやったことがあった。
しかしバッテリーランプは重量がかさむ。
ランドナー、キャンピング系はラージフランジが似合う。




SILKのエンブレム。栄光のランドナー。



この自転車は製造されたときなら33年経っているが現役。
親子3人で北海道をキャンピング。
名寄→音威子府→手塩→サロベツ→ノシャップ岬→稚内→利尻島。

装備はフロントバックとリアサイドバック。リアサイドバックは片倉純正。

音威子府あたりの原生林にて。
フロントバックは30年以上使っている。



グローブはメッシュ。ツギハギだらけだが、ツーリングにはメッシュのグラブ
が合っている。

音威子府から手塩中川までの道にはたくさん
の蝶が風に舞っている。



手塩中川の公園でキャンピング。
汗をかいて、自分の力で走り、疲れたら地べたに寝転がって寝るのが人間の基本。

自転車に乗ると人間の基本に立ち返る。
旅の原点は人力による移動。



サロベツ平原で。シルク号自転健在。



ノシャップ岬にて。ああ、つかれたぜ。



稚内駅。シルク号、エンペラー、アルプスのランドナー3兄弟。
こういうスタイルのサイクリストはもうあまりいない。
けっこうめずらしがられた。絶滅危惧種?

いまどきのマウンテンバイクやロードバイクではなく、旅のための自転車は
ランドナーであり、キャンピングだ。




彼らの母親を含め家族全員が利尻島で合流。




利尻とムリしてキャンピング仕様にしたアルプスパスハンターの凛とした姿。(萩原さんが店を閉じてしまったのは本当に残念だ)
特大のパニアバッグ(オーストリッチ製)。

ランドナーの灯火は消してはならない。自転車の世界はイノベーションの連続だ。そして日本の島野工業こそが、世界的な自転車部品メーカーとしてユーザを巻き込んだオープンイノベーション、コンポーネント化による自転車本体メーカーにたいして優位に立つ独自戦略に大きな足跡を残しつつある。技術経営的には、シマノはすごい会社だ。(WCCのOB神保もいるし)

だからといって古い自転車を捨て去ればいいというわけにはゆかない。精魂こめて職人魂を注いだモノには、時代、時代の精神や物語が埋め込まれている。

サイクリストは経験価値を自転車に見出す。機能、品質を超越する物語性といってもよいだろう。あるいはポストモダン的消費性向か。



神保町で思う技術インテリジェンス

2008年08月13日 | 技術経営MOT
日本には中国と国境を接する国々の情報がよく集まってくる。知る人ぞ知るのは神保町のレインボー通商



ぶらっと店内に入ると、インテリジェンス関係者と思しき人々が入れ替わり立ち代り入ってくる。かれらは決して店内では母国語をしゃべらないが、商品の代金を払うときの多少ぎこちない会話から、出自がわかる。



店内には一級の資料、史料が揃っている。店主のMさんが定期的に中国経由で、北朝鮮と接する国境の町までおもむき、特定のルートから仕入れてくるのだ。この店の強さは店主の人脈、ヒューミントにある。



日本は機密性の高い文書でも公刊するカルチャーを持つ。北の関係者が下記のような文書を求めるのもうなずける。

「北朝鮮の極秘文書 」1945年8月~1951年6月
上・中・下 281,400(税・送料込み)
米国・国立公文書館所蔵資料+朴慶植氏から編集・解説:萩原 遼が特別入手した資料2点=「正しい路線のために」、「正しい路線」
上巻「ソ連占領下の北朝鮮と朝鮮共産党」、
中巻「朝鮮戦争を準備する北朝鮮」、
下巻「南進から平壌陥落まで」 
出版元 : 夏の書房、各巻約500枚
発行: 初版1996年、第2刷:2007年、第3刷:2008年1月


「金日成綜合大学学報 語文学 김일성종합대학학보 어문학」(金日成綜合大学出版社)もきちんと揃っている。



気になる話だが、北朝鮮内で発行されている雑誌の紙の質がこのところ粗悪になってきている。軍内部の綱紀引き締めのために配布した冊子なんかも急ごしらえの雑駁感はいなめない。一国の情勢は活字に現れるので、相当に厳しい状況にあることを窺わせる。

「ラジオの製作」、「CQ」といったアマチュア無線雑誌がその町にもあったそうな。工作機械などの非常にクリティカルな設計図、仕様書などもかの地になんらかのルートで北に漏洩されている。北の技術インテリジェンスの実行、鹵獲ノウハウは巧妙を極める。

I博士のようなロケットやミサイル関連の技術を持つ人物を取り込んで機密情報をまるごと得るような積極ヒューミントはお手の物。

日本のMOTにはカウンターインテリジェンスを含めた技術インテリジェンスが必要だ。

戦争(社会)起業家、石原莞爾が説く国家の基盤=技術経営力

2008年08月10日 | 技術経営MOT


組織論の領域では、「失敗の本質」、「戦略の本質」(ともに日本経済新聞社)が卓越した考察を展開している。後者については、共著者の一人早稲田大学ビジネススクールの寺本先生から、以前サイン本をいただいたのはうれしい思い出だ。技術経営、リスクマネジメントの観点からも、戦史、諜報諜略は学問的に研究されるべきだ。

大東亜戦争の敗戦後長らく、石原莞爾については、ネガティブなイメージばかりが喧伝されてきたが、福田和也「地ひらく」あたりからぐっと事実と根拠をベースにした再評価が進んでいるのは、いい傾向だと思う。

石原は1928年に関東軍作戦主任参謀として満州で活躍した。自身の弁証法的戦争文明史観である「最終戦争論」を基にして関東軍によるきわめて精緻な満蒙領有計画を立案した。小室直樹などによって分析されている旧日本軍の腐敗官僚制、視野狭窄的精神主義、呪術思考の瀰漫体質のなかにあって、石原は目的合理性に基づいた科学的思考ができる数少ない軍人だった。

戦争起業家である石原は、1931年に板垣征四郎らと連携し満州事変を企画、遂行した。23万の張学良軍を相手に僅か1万数千の関東軍で、日本本土の3倍もの面積を持つ満州の占領を実現したのである。もちろん、彼は中国では悪の権化のような扱いを受けているので、柳条湖事件の記念館に首謀者として板垣と石原のレリーフが掲示されているくらいだ。

北京オリンピックで沸き立つシナではあるが、中国共産党、そして中華人民共和国の建国の潜在的理念のひとつは自覚的かつ強固な「反日」である。よってこのレリーフ展示は彼らの歴史観の正直な帰結でもあろう。この一件の歴史的評価はここではしないが、僕は石原をいたずらに賛美するものではない。

満州事変を契機とした満州国の建国では「王道楽土」、「五族協和」をスローガンとし、満蒙領有論から満蒙独立論へと思想を転換させていった。石原が構想していたのは、偽装植民地などではなく、日本中国を父母とした独立国であった。そして日本人も国籍を離脱して満州人になるべきだと説いたのである。

さて自由闊達にしてインテリ、しかも稀有な軍略家として石原莞爾の再評価が進んではいるが、決定戦争の帰趨を決する国家の力=技術経営力という観点からも石原は正鵠を得た議論をしている。下記はその一端のみ。


<最終戦争論より以下抜粋>

発明は単に日本国内、東亜の範囲に限る事なくなるべく全世界に天才を求めねばならぬ。

 しかし科学の発達著しい今日、単に発明の奨励だけでは不充分である。国家は全力を尽して世界無比の大規模研究機関を設立し、綜合力を発揮すべきである。発明家の天才と成金の援助で物になったものは適時これをこの研究機関に移して(発明家をそのまま使用するか否かは全くその事情に依る)、多数学者の綜合的力により速やかにこれを大成する。

 研究機関、大学、大工場の関連は特に力を用いねばならない。今日の如くこれらがばらばらに勝手に造られているのは科学の後進国日本では特に戒心すべきである。

 全国民の念力と天才の尊重(今日は天才的人物は官僚の権威に押され、つむじを曲げ、天才は葬られつつある)、研究機関の組織化により速やかに世界第一の新兵器、新機械等々を生み出さねばならない。

 次は防空対策である。何れにせよ最終戦争は空中戦を中心として一挙に敵国の中心を襲うのであるから、すばらしい破壊兵器を整備するとともに防空については充分なる対策が必要である。

 恐るべき破壊力に対し完全な防空は恐らく不可能であろう。各国は逐次主要部分を地下深く隠匿する等の方法を講ずるのであろうが、恐らく攻撃威力の増加に追いつかぬであろう。また消極的防衛手段が度を過ぎれば、積極的生産力、国力の増進を阻害する。防空対策についても真に達人の達観が切要である。

 私は最終戦争は今後概ね三十年内外に起るであろうと主張して来た。この事はもちろん一つの空想に過ぎない。しかし戦争変化の速度より推論して全く拠り処無いとは言えぬ。そこで私は「世界最終戦論」に於て、二十年を目標として防空の根本対策を強行すべしと唱道した。

 必要最少限の部門はあらゆる努力を払って完全防空をする。どれだけをその範囲とするかが重大問題である。見透しが必要である。

<最終戦争論より以上抜粋>


石原莞爾「最終戦争論・戦争史大観」のフルテキストより。大東亜戦争敗戦記念日が近いが、このテキストはひろく読まれるべきだろう。

ちなみに石原は極東国際軍事裁判においては戦犯の指名から外れている。マッカーサーやトルーマンが指揮した一般の日本国市民に対する絨毯爆撃、原子爆弾投下による無差別殺戮を「人道上の罪」と断罪する石原をもてやましたと伝えられている。あの裁判の欺瞞を「茶番」としてあざ嗤ったのは大川周明だけではない。石原も堂々と正論を吐いたのである。

石原は、その後、立命館大学で教授として講義したり、執筆、講演、社会起業活動に多くの時間を使った。実践の対象は、農業、森林保全、教育、宗教に及んだ。石原莞爾は社会起業家でもある。


学期末、最後の授業→打ち上げ

2008年08月05日 | ビジネス&社会起業


今日は、社会起業家の田辺大さんを招いて田辺さんがリードしている社会的事業、考え方、今後の抱負などをケースとしてお話いただいた。非常に濃い内容、かつ意味が充満したメッセージをいただいたと思う。

それから東京工科大学ビジネススクール、アントレプレナー専攻の専攻長の尾崎弘之先生と学生さんもジョインいただき、にぎやかな講演となった。



その前に、大村と安力川のビジネスプランの発表会。ふたりともよかった。
安力川は、めずらしく?マジメモード。



あとは田辺さんを囲んで東京工科大学BS+農工大MOTのアントレプレナーで飲み会。



なんとお父さんが東京工科大学の大学院で学び、息子さんが農工大2年という親子も会場に。すごいです。



アントレプレナーシップでは株式会社起業とともにソーシャル・イノベーションの担い手の社会的起業にも力を入れている。もちろん、MOT専門職大学院の授業である以上、イノベーション創発、リスクマネジメントの旋律を織り込みながらのコース。



田辺さん、本日はありがとうございました!エネルギーをたくさんいただきました。



MOT、MBAやアントレプレナー系の大学院は現場でもっと絡んでいこう。今後もこのようなかかわりあいはつづけてゆきたい。よろしくお願いします。



さて教室内のインストラクショナル・デザインは、アクション・ラーニング手法を中心としてきた。当事者としてビジネスプランを2ヶ月半かけて作成するというもの。



やりたいこと、やれること、やるべきことをそれぞれの「場」で、拡散的、収束的に発想してアイディアを練り上げビジネスプランにしてゆくという手法。この流れのなかで、起業家発想をみにつけてゆく。



経営事象を事後的に分析するのではなく、創ろうとする経営事象の根拠を積み上げて仮説しストーリー化してゆく。伝統的な経営学のアプローチは経営事象の事後的な説明が中心なので、このコースは「逆張り」だ。



知識を使って人は思考を高め思索を深める。なので知識のインプットは大事だ。しかし、知識は使うことによって身体に粘着してくるし、他者のそれと研磨することによって熱の場力を生じさせる。

このアツさがイノベーション発生に繋がってゆけばしめたもの。



ビジネススクールや専門職大学院での大きな獲得価値は人と人との絆づくり、人脈づくりにもある。



上海出身でM1の才媛、呉さんと。後ろにはなぜか大村が・・・笑)

社会起業は2008年7月30日をもって社会現象となった!

2008年08月01日 | ビジネス&社会起業


社会での出来事は社会を構成する個人の集合によって認知されることによって社会現象となる。社会起業は欧米の知識コミュニティーでは注目度が高いが、日本では相対的に低いといわれている。

ところが、社会起業支援サミット2008に出かけていって変化の兆しを感じた。新自由主義ドクトリンで操作される市場原理、市場競争、株主利益主義だけでは解決できないような問題、そしてそれらが作った問題に対して「問題解決」を図りつつある老若男女が早稲田の大隈講堂に集結し、300人もの聴衆が熱く集まっているいる様は、社会起業がたんなる出来事から社会現象へ静かに転移しつつあることを示している。

そしてその示唆が早稲田大学という大衆志向の場から発せられたことは今後、この運動のエッポックとして意味深いものとなるだろう。当時はそのような言葉はなかったのだが、大隈重信は稀有の社会起業家だったことを参照すればなおのことだろう。

なるほど近年ハーバード、コーネル、MIT、スタンフォードなどで盛んに社会起業のイベントが開催されている。そして社会起業というテーマが、日本の大学でも平日300人の市民を動員して盛大に開かれたという一事をもって、社会現象となる端緒に果敢な第一歩を踏み出したわけだ。かくして2008年7月30日は永劫に記憶されるだろう。

社会に対する問題解決を、自分への問題解決と同一視するコヘレント感覚の社会事象化こそが今、必要なのだ。そしてその必要性がどこからやってくるのかという再吟味も。

出来事を現象化する技術、その技術を共有化するコツ、ちょっとしたアイディアやヒントを共有して分かち合ったり、助け合ってゆく場としてのコミュニティ・オブ・プラクティス(Community of Practice)を拡げ深めてゆくことが課題だろう。

社会起業スキル、社会企業経営スキルをオープンソース化してゆくことがこの国の「場」力を高めてゆくことにいささかながらも寄与できるだろう。もちろん、当事者としてその動きを進めてゆきたい。