よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

東京MOT6大学連合の設立について

2005年08月29日 | ニューパラダイム人間学
科学技術と経営との融合を目指さなければ先端的なビジネスを生み出すことはできない。そして先端的なビジネスを創造してゆくこと、そして既存のビジネスを進化させてゆくことは日本にとって死活問題でさえある。よって科学技術と経営との融合を目指す技術経営(Management of Technology)は日本という国の存立基盤づくりには必要にして不可欠なテーマなのだ。

また米国のケースに見るように技術経営(Management of Technology)というテーマはきわめて学際的、かつ産学連携のシーンで進展してきている。産学官のダイナミックな連携、連結、シナジーがMOTにはぜひとも必要だ。

こんな思いでわが社ではMOT領域のeラーニング教材の配信、コンサルティング、オープンソースを産学提携スキームを創って進めてきた。具体的には早稲田大学、千葉県、千葉市、マイクロソフト社、東京大学などと手を携えて、さまざまなプロジェクトに取り組んできた。

このような経緯もあり、東京MOT6大学連合の設立、運営にケアブレインズが事務局としてかかわることになった。産学官連携、MOTにかかわってきたケアブレインズとしてはエキサイティングなプロジェクトだ。この連合の活動は次のようなものだ。

1. MOTの啓蒙と普及
2. MOTプログラムの連絡・連携
3. MOTプログラムの発展
4. 世界レベルのMOTプログラムの開発

9月27日、皮切りのイベントとして東京国際フォーラムにてMOTシンポジウムを開催する。ご関心のある方々のご参加をお待ちしている。

釧路にて講演

2005年08月27日 | 講演放浪記
金曜に羽田から釧路へANAにて飛んだ。夜は釧路労災病院の方々と楽しい宴席。そして翌土曜日は釧路労災病院にてクリニカルラダー、人的資源開発、人材評価などについて講演。

朝方から昼頃までは曇っていたが、午後から急に晴れはじめる。空には秋を思わせる箒ではいたような雲がたなびき、北の方角には阿寒の山々が連なっている。ああ、なにもアウトドアの機会を持たずに羽田に引き返すのは、あまりにももったいない。

でも諸般の事情のため、サイクリングもカヌーもなく、講演をして帰るだけだ。ぜひともつぎの機会にはいろいろと釧路周辺の大自然に心ゆくまで浸りきりたい。

敗戦記念日に読む「戦略の本質」

2005年08月16日 | No Book, No Life
大東亜戦争の敗戦記念日に読む「戦略の本質」は複雑な読後感を漂わせる。

60回目の大東亜戦争の敗戦の記念日と前後して、20年の時を経て名著のなかの名著「失敗の本質~日本軍の組織論的研究~」の続編が、まったく同じ研究者チームから出版されている。戦略の本質が最も顕在化するのは逆転現象であるという仮説をもとに毛沢東の反包囲討伐戦、バトル・オブ・ブリテン、スターリングラードの戦い、朝鮮戦争、第四次中東戦争、べトナム戦争の戦史をコンプリヘンシブにレビューしている。

前作の「失敗の本質」では、「日本軍の組織的特性は、その欠陥も含めて、戦後の日本の組織一般の中におおむね無批判のまま継承された」ととらえ、いくつかの戦略上の失敗要因を提示している。(2章p186以降)

・あいまいな戦略目的
・短期決戦志向
・主観的、機能的は戦略策定
・狭く進化のない戦略オプション
・バランスを欠いた戦闘技術体系
・空気が支配する集団的意思決定
・プロセスや動機を過度に重視した評価

以上の前作の記述をベースにして、今回の「戦略の本質」では優良な戦略が顕在する戦争における逆転現象に注目する。あたかも不振をかこってきた日本経済、日本社会全体の課題を俯瞰し、処方箋をきるかのように逆転現象を可能たらしめる戦略を論ずることは時代の要請でもある。

ビジネス関係の戦略書はあまたあるが、戦史をレビューすることによって体系化する戦略論が王道である。なぜなら、戦略は軍事用兵、戦争軍事分野で最も用いられてきたからであり、戦争と軍事の領域において戦略は明確に発現するからだ。ビジネス書ライター、研究者が書く戦略はビジネスという文脈での表層的アナロジー、後知恵の周辺的産物であることが多いからだ。

さて「戦略の本質」の終章では戦略を戦略たらしめる命題を10ほど提示されている。

・戦略は弁証法的である。
・戦略は時間、空間、パワーの「場」の創造である

がもっとも本質的だ。あとの8つは補足だ。

さて、戦後状況のなかで正当な評価がなかなかなされなかった軍略家、戦略家もいる。その代表格は石原莞爾だろう。石原莞爾はクラウセビッツを徹底研究し、戦争を持久戦争と最終決定戦争の弁証法的発展過程と明確にとらえていた。さらに戦略のインプリメンテーションにおいても稀有な創造性を発揮している。東洋ではじめて空爆を企画実行した戦略家、電撃戦法を遂行した関東軍きっての戦略思考、戦略的行動の体現者である。東京裁判では、人道上の罪、平和に対する罪は、原爆投下を瞑したトルーマン大統領にこそ問われるべきだと喝破して連合国側の裁判官、検察官をだまらせた正論の弁論家でもある。

その人となり、業績、そして昭和という時代を背負った一軍人の軌跡は福田和也が書き連ねた大著、「地ひらく~石原莞爾と昭和の夢」に詳しい。












脳と創造性

2005年08月14日 | No Book, No Life
不安とたいくつによってもたららされる心理的悪影響こそが、現代の管理社会において注意深くケアされ、いやされなければならないとチクセントミハイは主張する。そうしてフロー体験に潤沢に接続されることによって、人はいきいきとした生をいとなむことがでるが、そのいっぽうで、不安とたいくつが全くない状態からは、フロー体験も生まれない。

「脳と創造性」のなかで茂木健一郎は、面白いことを言っている。「退屈するということは、別の言い方をすれば、社会の中で自分の置かれた文脈から一時的に自由になるということである」と。チクセントミハイとは逆に、退屈さに肯定的な意味を与えているのだ。ちょっとしたことだが、彼ならではの見方だと思う。茂木の言う退屈とはいうなればこれは可逆的、能動的退屈である。

社会的文脈から不即不離の距離を保ちながら、オンとオフを自在に行き来する、そんな「文脈オン/オフの往復運動のなかにこそ、人生の愉しみがあり、創造性の秘密がある」と。なるほど、自転車ツーリングとマネジメントに関わる仕事との循環は、文脈オン/オフの往復運動として見てみると違和感はない。

茂木の文章には過剰なレトリックを廃した観察が小気味よく、かつ品のある抑制のもとに展開される。さりげなくも本質をさらっと書き連ねるスタイルが好きだ。レトリックには過剰さはないが、その主張はラディカルだ。ラディカルさの横にそこはかとない文学的ユーモアが流れている。


北海道講演プラス自転車ツーリング

2005年08月09日 | 自転車/アウトドア
北海道の名寄と札幌でちょうど一週間はさんで講演。その間、自転車で北海道の北部を走ってきた。名寄から天塩川沿いにルートをとり、音威子府、天塩、サロベツ原野、稚内、そして利尻島という約300kmの自転車ツーリング。

講演と自転車ツーリングをミックスさせた夏休みはかれこれ3年連続だ。仕事とライフスタイルをマッチングさせると、こんなになる。

泊まりは公営のキャンプ場にライダーハウスなど。一日に約100kmの走行距離はさほど長くはないが、とにかく北海道にしては熱い天候で厳しい走りを強いられたのだが。

とはいえ、濃い緑と青い空に充満した空間を自らの力のみで移動する自転車ツーリングの醍醐味を堪能した。旭とともに走り出し、夕日とともに一日の走りを終え、あとは夕食ととって泥のように眠るだけ。その間の時間を占める目的は、その日の目的地に達するということだけ、ただそれだけだ。

その間のプロセスはフロー体験に満ち満ちている。体の両脇を過ぎ去る風、背中を照らす太陽、海の蒼さ、草原の伸びやかさ、満天の星空、タイヤとアスファストの摩擦音、自分の心臓の鼓動、道々であう旅人とのちょっとした会話。とにかく一瞬一瞬の出来事に没頭できる、その没頭の瞬間から意味がほとばしり出てくる。

自転車ツーリングの基本はいたって単純だ。自分の頭で考え、自分の足腰を動かし、身のまわりで起こるすべてのことがらを受け入れ、折り合いをつけながら目的地に達する。経営と似ているといえば似ているか。