よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

イノベーション推進・起業家育成あれこれ

2011年06月30日 | ビジネス&社会起業

特定非営利活動法人(NPO)国際社会起業サポートセンターの理事に再選されました。引き続き、この仕事は、ボランティアベースで行うことになります。

現在、いろいろトライしつつ、イノベーション推進、起業家育成を4つのチャネルないしは場で行っています。本来イノベーション推進と起業家育成は表裏一体のものなので、イノベーション推進と起業家育成が収斂してきています。

①ひとつめは、技術経営教育の場です。担当している農工大大学院の講座に、ちょっとしたファンドが経産省からついて、技術をレバレッジ化する技術起業のコンテンツを体系化しました。日本工業大学大学院技術経営研究科でも「アントレプレナーシップとベンチャー企業経営」という講座(客員教授)を毎年夏学期に開講しています。

②ふたつめは、エンジェル投資家としての活動です。起業(入口)X成長Xイグジット(出口)の全フェーズを現役CEOとして経験した者として、ハンズオンでピリッとしたアイディアを現実化している起業家を資金、ノウハウ、メンタリングなどの面で支援というかケアしています。

③みっつめは、医療健康サービスのイノベーション。健康医療サービスイノベーション創発にも起業スピリッツがぜひとも必要であると考えています。現在、日本の医療システムは「医療崩壊」が叫ばれていますが、これを前向きに「創造的崩壊」と捉えれば、実に多くのチャンスの宝庫なのです。

医師の開業(病院、医院)、看護師の開業(訪問看護ステーションなど)、助産師の開業(助産所)にも本来ダイナミックなアントレプレナーとしての起業スキルが必要です。またそれらの新しい医療システムが、既存の医療機関などと連携してゆくときには、連携型の組織間起業家=トランスプレナー(私の造語)の活躍がなければいけません。同時に、既存の医療システムの内部の変化・変革を行ってゆくイントレプレナーも必要です。

これらの非営利型、社会共通資本創造型の健康医療サービス起業家のためのトレーニングプログラムも複数のクライアントの依頼により提供しています。この詳細は昨年、出版した「創造するリーダーシップとチーム医療」の中で紹介しています。

④よっつめが国際社会起業サポートセンターの活動です。

いろいろな問題がありながらも、日本は一応資本主義を標榜している国(実態は官僚制社会主義国家・・・)なので、①と②の活動を通して、資本主義の主要なプレーヤーを育成したり応援しています。

起業家は、資本主義社会を成り立たせるための原動力ですが、起業スキルは、なにも資本主義体制の継続のみに使われるわけではありません。

起業スキルは、資本主義、市場主義が排除してしまいがちな貧困、健康・医療問題、環境問題、教育問題など様々な社会的問題の解決にとっても有効なカードです。④の国際社会起業サポートセンターは、この分野の活動です。

この文脈では、近年、社会起業=social entrepreneurという用語が頻繁に使われるようになってきました。

④の活動では、アジアアフリカの国々から日本にやってくる留学生の母国に帰ってからの社会起業を支援しています。この活動は、ボランティアでやっています。


自分流ギャップ・イヤーと世界自分価値(world value of yourself)

2011年06月25日 | About me

知人で、一般社団「日本ギャップイヤー推進機構協会」という面白いことを始めた奇特な人がいる。そのギャップ・イヤーについてWikipediaにはこうある。

<以下貼り付け>

ギャップ・イヤー(英: gap year)は、高等学校からの卒業から大学への入学、あるいは大学からの卒業から大学院への進学までの期間のこと。英語圏の大学の中には入試から入学までの期間をあえて長く設定して、その間に大学では得られない経験をすることが推奨されている。

この時期にアルバイトなどをして今後の勉学のための資金を貯める人も多い一方で、外国に渡航してワーキング・ホリデーを過ごしたり、語学留学したり、あるいはボランティア活動に参加する人も多い。

<以上貼り付け>

今も昔も日本には、ギャップ・イヤーというコンセプトはない。でも、それに近いことを勝手流にやってきた。私の場合、自転車狂、放浪狂で、学部の3年から4年になる時期の準備も含めて半年間、友人とパーティーを組んでインドとネパールを走った(資料1資料2)。

同時に素朴にも、梅竿忠夫の「文明の生態史観」などに触発されて、比較文明・文化のフィールドワークにも凝っていた。帰国してから、その自転車冒険旅行を文章にしてみると、一本は「サイクルスポーツ」という月刊誌に載り、もう一本はEnglish Journalという英語雑誌の論文コンテストで一等賞を取り、合計で12万円稼ぐことができた。当時の初任給くらいのお金だった。

こうして、学部在学中からモノカキ稼業に手を染めるようになった。異質な経験こそが、文章になり、その文章に読み手がつくとカネになるということを皮膚感覚で学んだのだ。こういうのを原体験というのだろうか。その後も、今に至るまでいろんなモノを書き続けている。

学部に通うというよりは、クラブの部室に出入りしているほうが圧倒的に多かった。古本が好きで、やたらと乱読した以外は、あまり大学の勉強はやっていない。ただし、夢は大きくIvy leagueのビジネス系大学院へ行きたかったので、ビジネスの基本となる英文会計学と英語はそれなりに準備しておいたのだ。

当時は、グレードポイント換算にカラクリがあり、そのカラクリのお陰で、自動的に成績表を英文にしたときは見栄えがよくなったのだ。日本語の成績表はボンクラ、英文成績表になると、グレードポイントアベレージ3.7(4点満点)。

英語上達法と上記のカラクリは、こちらでまとめてみた。

英語の勉強を続けて国際ビジネスのイロハを知りたかったので、ブリヂストンタイヤ(今は、タイヤがとれてブリヂストンっていうそうな)の海外部に入った。ただし年功序列だの、終身雇用は肌にあっていなかったので、まぁ、2年くらい居るつもりだったのである。

予定どおり、2年でその会社を辞めたものの、会社の寮母さんと仲が良かったこともあり、退社してからもなんと寮に居座ってタダ飯を食っていたのは、図太いといえば図太いか。

そして次の会社へ。当初私をヘッドハントした企業グループのオーナー兼会長は、「社費」で私を留学させてやる、と言っていた。しかし、私よりも先に留学していた社員が帰国するや否や、別の会社に逃げてしまい、恐れをなした会長は海外留学制度を廃止してしまったのだ。

それやこれやで、3年サラリーマンとして下積みの仕事で働いて、晴れてコーネル大学大学院へ自分のコスト負担で留学することになったのだ。事情をコーネル大学に話すと、大学では奨学金を用意するから心配するな、早くやって来い、と言う。ありがたや。

自転車日本一周やインド・ネパールの自転車冒険で、貧乏旅行やサバイバルは得意なので、この感覚でアメリカに渡ったのだ。どこの組織にも所属せず、自分だけで目的地、ゴールを設定し、走る道を探して走ってゆく。

当時はコーネルに行ってみると、日本人もけっこういた。

驚いたのは、彼らの大半は、日本の一流大学を卒業して一流企業や霞が関の役所に就職をして、派遣としてまるで、出張するかのような意識で留学に来ているのである。留学とはいえ、けっこう日本人で納豆のようにネチャッと集まって英語もあまりしゃべらない。日本人租界を作って、そのなかで要領良くやって帰国するというような感じなのだ。よくないね。

そうこうしているうちに、「おまえ面白いな」ということで、日本人なんかまったくいない、フラタニティハウスのKappa Alpha Societyに日本人初のbrotherとして迎えられ、その寮に格安の条件で棲むことになったのだ。

         ◇    ◇    ◇

大学院に入るまでに5年間のギャップイヤーを過ごしたことになる。イースト・コーストの大学院では、放浪に明け暮れた学部とは打ってかわり、本当に学問づけの日々だった。人にアゴで使われるサラリーマンの悲哀を経験した後の、別天地での学究生活の有り難さは骨身に沁みるものがあった。

タテ割ニッポンでヨコ方向へはみ出ることは、周りからは奇異な目で見られる。その反面、ヨコ方向へのはみ出し系から見れば、閉鎖系タテ割伝統系の方々は奇怪に見えてしまう。

この溝はなかなか埋まらないように見えるが、企業社会では年功序列や終身雇用が崩壊しつつあるので、現状では「意図的でないヨコ方向へのはみ出し系」が増えてはいる。

今も昔も、ニッポンの本質的な体質はそれほど変わっていない。

多様性の尊重!、異質の創造!、イノベーションで牽引!。

ほんとですか?

産学官のタテマエでは、こんな言葉の大合唱だが、潜在意識の底に横たわるホンネは違う。深層のホンネでは、日本という内向き隔離・閉鎖共同体空間の中で、目先、手先、口先のことにこだわり、もって「日本的~」を冠することを偏愛する傾向がある。いいとこどりのツマミ食いで、選択的に外部世界の文物を移植しつつ。

こんなことを連綿とやってきたので、日本という伝統主義社会は、ガラパゴス島のように、文明、文化、人間社会生態の経路が外の世界とは異なってきたのだろう。

         ◇    ◇    ◇

人の行く道の裏、花の山。

その後は、いろいろと長くなるので省略するが、外資系のコンサルティング会社を経て、裸一貫から自分の会社を起業して、成長させて、喜怒哀楽の後、上場企業に売却してキャピタルゲイン(小銭)を得た。自分で言うのもなんだが、バリバリ商(シノ)いで稼ぎもいい方だった。

こんなことをやってきたので、友人・知人にもけっこう奇人・変人が多い。プー、キモヲタ、起業家、サイエンティスト、学者、医者、AV監督、変態、作家、歌手のできそこない、サイクリスト、自然愛好者、お役人、ピンからキリまで、友人や知人との交流は広い方だろう。

反面、マジメで杓子定規な人は苦手だ。権力をカサにかけて威張る人、一緒にいる相手をカンファタブルにしようとする習慣がない人も苦手だ。

今は大学院で技術経営、マーケティング、イノベーション、医療サービスマネジメントの研究・教育を行いつつ、イノベーション人材、若手起業家の育成、支援も行っている。

振り返ってみると、勝手流のギャップ・イヤーを使って、ヨコ方向に奔放にはみ出して、ずいぶんムダなことをやってきたと我ながらに思うのだが、ムダな経験の中にこそ、得るものも多かったような気がしている。

グローバル・リテラシーなんて、たいそうな言葉があるが、世界のどこでもだれとでもわいわい、がやがややったり、駆け引きしたりして、いっぱしの仕事をして、しぶとく生きてゆく世渡りの人間力は涵養されたのではなかろうか。

世渡りの「世」というのは、日本の世間ではなく、世界の「世」に置き換えてみるといいと思う。

日本のいくつかの大学院で教えてみて実感するのは、日本国内仕様の空気を胸いっぱいに吸い込んでしまい、世界とのインターフェイスを持たない、内向きな人が多数派を占めるということ。こうして日本教の無自覚的な経路に乗ってしまう人は多く、その結果、インテリジェンス欠陥症候群(詳細は、この連載で詳述)に罹患してしまうのだ。

日本の病のひとつの根源が、このあたりにあると見立てているのだが、さて。

世界における自分価値(world value of yourself)を上げて世界のどこでも、だれとでもビジネスをやれる柔軟さとクリエイティビティこそが、job securityである。

ギャップ・イヤーというのは、空気という同調圧力に過剰に整合し、インテリジェンス欠陥症候群に陥りやすいマジメで内向きな日本人だからこそ必要なシステムだと思う。おりしも、この日本の空気はFUKUSHIMAからダダモレしている放射線物質で汚れてしまっている。

こんな空気、若者が吸いつづけたらヤバイぜよ!

ギャップ・イヤーを自分で創って、世界と自分の境界を越境して、外の新鮮な空気を吸い、世界と自分の関係性をヨコ方向に再デザインするには格好の機会なのではないか。

イノベーション人材には、通念、定説、常識にとらわれない、意図的なヨコ方向へのハミダシが必要なのだ。


福島第一原発から漏れた放射能の広がり

2011年06月21日 | 健康医療サービスイノベーション

<早川由紀夫の火山ブログより>

政府や地方自治体が、放射線による包括的な汚染状況をほとんど公開していません。そんななか、群馬大学の「早川由紀夫の火山ブログ」さん(Twitterアカウント:HayakawaYukio)が、有用な情報を独自に調査、公開しています。

研究者としては学術的な研究成果は学会経由で公開というのが一般的です。しかし研究成果をブログやホームページを通して公開してもらうと、一気にその「恩恵」は一般化します。

放射線被ばくを最低限のレベルにとどめることは、健康状態にポジティブな影響を与えます。とすれば、この種の市民・研究者からのボランタリーな情報共有は健康医療サービスイノベーションの草の根版です。この情報をうまく活用すれば、「恩恵」となることでしょう。

しかしながら、その「恩恵」の受けとめ方は実に様々です。詳細は、上記ブログのコメントなどをご覧ください。


いよいよ米国債デフォルト

2011年06月17日 | 恐慌実況中継

2011~2012年は本当にひどいことが連続して起こる。津波とFUKUSHIMA原発事故と未曾有の放射線物質の環境への大放出。そして現在進行中の恐慌がいよいよ、誰の目にもハッキリしてくる。

市場という信仰の上に構築されてきた原理が崩壊する姿が目の前に現れている。

<以下貼り付け>

◎米国のデフォルトを懸念、対米投資継続の用意ある=中国金融政策委員

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-21602220110608

北京ロイター

中国人民銀行(中央銀行)の李稲葵・金融政策委員は8日、歳出削減をめぐる米議会の折衝が難航していることを受けて、米国がデフォルト(債務不履行)に陥るリスクに対し懸念を表明した。 

歳出削減に向け、一部の米議員では、短期的なデフォルトなら容認できるかもしれないとの見方も広がる中、世界最大の米国債保有者である中国が、米国のデフォルトリスクに対する懸念を鮮明にした格好。

委員は会合の合間に「米国がデフォルトに陥るリスクがある。実際にそうなれば、影響は極めて深刻だ。米国が火遊びを止めることを望む」と発言。「中国政府は、米政府が大局的な見地に立つことを心から希望する」と述べた。

その上でデフォルトになった際には、中国政府は米政府と協議すべきとした。

また李委員は「デフォルトとなれば、ドル安を招く恐れがあるため、デフォルトのリスクを非常に懸念している」と指摘した。

「中国は米国債を売却しないと約束することができる。ただ、米国も対米投資の安全性を保証することで、中国の利益を害しないよう約束しなければならない」と述べ、米国債保有を続ける用意があることを示すとともに、対米投資の安全性を確約するよう米国に促した。

中国が米国債を売却すれば、パニック的な売りを誘い、さらにドルの価値を押し下げることになりかねず、中国は身動きの取れない状況を余儀なくされているとの事情がある。

◎22011年6月5日   田中 宇

今から7月中旬まで1カ月半の時間があるが、米議会は1週間の休会が2回はさまるので、議論できる期間は6月13日からの2週間と、7月6日からの2週間だけだ。共和党が米国債上限引き上げ絶対拒否の姿勢なので、6月中は議論が進まないだろう。8月に入ると長い夏休みなので審議できない。となると、本気の議論が行われるのは7月6日からの2週間だけになる。その間に2大政党間で話が妥結しなければ、米国債デフォルトの可能性が一気に強まる。

今後、米国債がデフォルトするとしたら、それは経済的(市場原理的)な理由からでなく、議会のばかげた論争の結果としての政治的な理由からであり、政治的デフォルトとなる。

CNBCは「米経済指標が、崖から落ちるように悪化している」と書いている。景気が再び悪化したら、米政府は追加の対策が必要になるが、議会で赤字縮小ばかりが論じられる中で追加対策は難しい。QE2の延長も、やりそうもない。米経済は危険さを増している。

財政破綻と金融危機を引き起こすのに「デフォルトした方が良いんだ」と豪語する米共和党は、大間抜けか売国奴である。米マスコミは、それをほとんど指摘しない。 

以上 田中宇のサイト引用  米国債政治デフォルトの危機

<以下貼り付け>

私のコメント

このブログでは2008年から進行中の世界恐慌を描写してきたが、米国債デフォルトのことも口を酸っぱくして予測してきた。

強欲カジノ資本主義総本山総崩れ、米国発恐慌が近い(2008年09月06日

米国債暴落という悪夢は取り繕えず2009年07月11日

アメリカ地方銀行の惨状とゴールド急騰 (2010年12月17日)

欧州の経済メディアは、もっぱら米国債デフォルトの話題でもちきりだ。上記のように中国のメディアもかなり騒いでいる。日本が保有する米国債残高が帳消しになれば、国富はチャラパーになって消失する。

米国債チャラパー、日本国債暴落、株式暴落。あらゆるペーパーマネーが暴落し、紙屑となる。これ世界恐慌。そのかわり、実体のあるコモディティーは高騰してゆく。金はすでに5月末には史上最高のグラム4200円を突破している。

こんな深刻な事態なのになぜ日本人はもっと騒がないのか?汗水たらして一生懸命貯めてきた国富が、米国にだまし、かすめとられて、チャラパー。本当なら反米暴動が起こっても不思議ではない。いやはや。

原発事故によってタレ流しされている放射性物質の件でもそうなのだが、情報が当局とマスメディアによって操作されていて、この種のニュースは積極的に取り上げられずに意図的に操作されているからだ。トホホ。

市場という信仰の上に構築されてきた原理が崩壊する姿が目の前に現れている。いやがおうでも、生きてゆくために、次の原理を作っていかなければならないのだ。そう考えれば、多少とも前向きになれるというものだ。

競争→共生

占有→共有

私権→公共権

地球収奪型技術→地球共生型技術

金融資本主義→社会的共通資本主義



四国松山にて

2011年06月16日 | 講演放浪記

<松山城>

出張で四国の松山へ行ってきました。愛媛大学医学部付属病院の田渕典子副院長・看護部長からの依頼で、愛媛県内の医療機関の看護部長や看護学校の教務主任の方々に対する講演です。100人くらいの熱心な方々にお集まりいただきました。

地方からの講演依頼は、日程を調整して必ず対応するようにしています。問題解決の手法、問題解決への道筋を世に示す者としては、講演はインプットでありアウトプットです。本や論文(ブログもそうかも)を読んでいただいた方々からの依頼がインプットです。

講演はインプットです。マーケティング概論のコミュニケーション・モデルのひとつAIDMAを使ってみれば次のようになります。

インプットになるまでのプロセスは、ある方が、松下が書いたモノなどをご覧になって、松下にちょっとした注意を払う(Attention)。そのなかで奇特な方は、さらに興味を持っていただく(Interest)。その中でもさらに奇特な方は、実際に話を聞きたいという欲求を持つにいたる(Desire)。そしてその欲求を忘れずに覚えていてくださる(Memory)。さらに、それらの方々の中から、本当に私に連絡をくださり、メールや電話で講演を依頼するという行動にまで結びつけてくださる(Action)。

たぶん、AIDMAに沿って、200人→100人→50人→10人→1人のように人数は減ってきます。だから講演依頼というのは、本当に貴重なインプットであり、御縁です。まさに「有り難い御縁」を感ぜざるを得ません。

講演はアウトプットです。ヨタ話や世間話ではなく、専門家である以上、自分が認めかつ依頼者も認めた専門領域について、オリジナリティのあるコンテンツを提供します。私の場合は、自分というコンテンツを通して問題解決の手法や道筋を、私の拙いお話をお聞きいただく方々に提供します。本、論文という媒体で書いてきたことのみならず、あまりたいしたことじゃありませんが、私という人間がいかに世の中に向き合ってきたのか、そういったことすべてが凝縮されます。

講演はなるほどアウトプットの場ですが、会場からの質問や意見には、ハッとさせられることがよくあります。講演はアウトプット性が強いのですが、Good questionsを得ることは実はインプットです。これらの質問や意見を謙虚に受けとめ、さらにそれらをベースにして、さらに新しい地平が拡がってゆきます。

私の講演は変わっていて、時としてフロアの皆さんを巻き込んで議論に発展することもあります。こうなってくると、講演の場は、一方通行ではなく、共創性(co-creation)に満ちたものになってゆきます。語り合って、場を共有して、新しいなにかがポッとそこに産み落とされて、そういったものをそこに居合わせた皆で分かち合う。一期一会(いちごいちえ)です。

   ◇   ◇   ◇

今回は、変化する生老病死パラダイムと、医療マネジメントの変化というテーマでお話をさせていただきました。

講演の後は、愛媛大学医学部付属病院の田渕さんと本間さんと道後の山の手ホテルで、今後の展望など意見交換をしながら、美味しい宴を共にさせていただきました。松山の地ビールを初めて頂きました。これがまた楽しい、愉しかった!

   ◇   ◇   ◇

せっかく講演で地方にお邪魔したら、なるべく時間をひねり出してでも、色々なモノゴトを観るのが楽しいですね。

翌日、道後のレンタサイクル屋さんで自転車を借りて(一日300円)、道後あたりから松山城、JR松山駅あたりまで、緑ゆたかな松山を自転車で散策しました。紹介いただいた市場で新鮮な野菜を少々求めてお土産にしました。


松山の街は、どこに行っても、モックン扮する凛々しい秋山真之の「坂の上の雲」のポスターが貼ってあります。松山という土地の人は、本当に郷土を誇りに感じ、次の時代に残してゆこうという静かな気概を持っていると思います。

司馬史観にはバイアスがかかっているだの、いろいろ言われますが、あの物語は物語として大好きです。民族として語り継いでゆくべき日本人の物語りです。


ニューエイジ・ムーブメント、原発事故、医療管理学

2011年06月07日 | 健康医療サービスイノベーション

せんだって、健康医療サービスイノベーションのからみで、日本医科大学の医療管理学教室教授の長谷川敏彦先生と逢った。そのときのディスカッションをちょっとメモしておく。

熱い議論を繰返していると、会話のなかに1970~1980年のニューエイジ(new age)の芳香がする用語がポンポンと。フリッチョフ・カプラ「タオ自然学」、ケンウィルバー「意識のスペクトル」、スタニスラフ・グロフ「自己発見の冒険」、「個を越えるパラダイム」、フランシスコ・ヴァレラ「知恵の樹 — 生きている世界はどのようにして生まれるのか」などは、1970~80年代に読まれたニューエイジの古典といったところか。

こういう文脈のノリで健康医療を議論するはとても刺激的だ。

医師として長谷川先生はハーバード大学公衆衛生大学院に留学中、かなり自由に知的探検をしていたとのこと。神学部にも出入りしながら、医療人類学のクラインマン(資料123)に師事したのを皮切りに、フリッチョフ・カプラ(の公式サイト)、ケンウィルバースタニスラフ・グロフフランシスコ・ヴァレラ、サンフランシスコ禅センターの片桐老師など、当時のニューエイジと言われていた思想家、科学者、実践者を総なめにインタビューして、ユリイカ、理想などの雑誌を舞台に日本に紹介していた。

このような多様な分野のニューエイジャーと実際に逢い、英語で議論をして、日本語の文章にして世に出すというのは異文化間コミュニケーションの実践。一言でいえば、グローバルリテラシーがないけばできないことだ。

 ニューエイジを生きてきた人々には、ある種の共通する雰囲気がある。やわらかい、権威をかさに威張らない、他者を受容する、関係性のなかでモノゴトを見て行動するなど。とかく大学のようなところでは、本当は権威がないのに自分では権威があると思いこんでいて威張りたがる人が多い。こういのは苦手だ。

     ◇    ◇    ◇

さて、長谷川先生の研究領域は、社会医学系の医療管理学というもの。「医学人類学の齊したもの」(長谷川敏彦、理想1985)のなかで、医療マネジメントに関係することろなどピックアップしておくと:

「現代西洋医学では、感染症を、19世紀末のコッホ理論にもとづいて、病原体=臨床症=感染症という直線的因果関係において一次元的に捉えてきた。このように疾病を実態的、機械論的に捉える疾患概念=特定病因論は、近代社会の感染性疫病の克服という輝かしい歴史的成果に助けられ、現代西洋医学一般の疾病観の主流をなしてきた」

「感染症を知らない狩猟民族の立場から、近代社会の感染症を分析すれば、その原因は、病原体なのではなく、都市への人口集中、労働、生活環境の変化、つまりI・イリイチのいうごとく、近代社会そのものがが感染症の原因と断定してもあながち誤りとはいえないだろう」(下線松下)

「生態学的システム論は、感染症における病原体の重要性を否定するものではない。病原体=感染症と捉える短絡的特定病因論に対し、その他の人口動態、文化、社会、環境などの要因を含めて、それらの関係性の中で感染症を捉えようとする、いわば全体論的視点(holistic perspective)なのだ」

「社会の側から見れば、この社会的関係性の名に外化した反復された問いの過程こそ、医学社会学でいう病気の役割(sick roll)に他ならない。そして治癒者(healer)が選びとられ、治癒者-被治癒者(healer-healee relationship)関係が取り結ばれた時、病気の役割は、さらに病者の役割(patient roll)に役割転換(role shift)する」

クラインマンを敷衍して:

「自らの身体への、そして社会の網の目への外化された問いを透かして、病気の身体的、文化的意味を探り続けることが医療の過程であるとするなら、その問いと答え、すなわち交通(comminication)と、その方法すなわち媒体(media)にその鍵が潜んでいるように思われる」

     ◇    ◇    ◇

医療崩壊・・・・。暗い言葉だ。そして感染症のみならず、病因としての原発事故による放射性物質が、撒き散らされ、放射線の低線量、長期内部被ばくというやっかいな重荷を背負ってしまった日本。原発を内部化してきた現代社会の仕組みそのものが、疾患の原因づくりにいそしんできたという構図がある。皮肉にも。

原発からやってくる電気は、人の生活や産業を支えて人々を幸福にするはずだった。でも原発事故によって幸福になる人はまずいないだろう。

医療管理と原発による健康被害。そんな時代のなかで、ニューエイジ思想が生きてくるのではないだろうか。いやがおうにも3.11を境に、新しい時代に突入してしまった日本。

社会の網の目の中で、関係性を紡いで、いっしょに生きてゆき、お互いが癒し、癒され、ヒーラーとしてケアをやりとりする社会。超高齢化社会、少生多死社会のなかは、医療管理のパラダイムさえもが、シフトしなければいけない。

日本は、経済成長という点ではピークアウトしているが、超高齢化社会、少生多死社会化という点では超先進国。ニューエージの遺産でもあるhuman potential development、transpersonal psychology、spiritualityが健康医療サービスの次元で、あたらしいヘルスケア・サービスモデルを体現すべきは、実は、日本なのかもしれない。ここの日本の先進性がある。(・・と言い聞かせて頑張ろう)


雲仙・普賢岳災害の6・3大火砕流から20年

2011年06月06日 | 自転車/アウトドア

20年前の6月4日、サイクリングクラブの2期上の先輩から電話をもらった。

同じクラブで1期上で、日本経済新聞で記者をやっていた黒田耕一さんが雲仙・普賢岳の大火砕流のために亡くなったというのだ。

黒田先輩はアウトドアと現場志向が強い、プロフェッショナルな記者だった。

「いいか、松下。おれは春からフォト・ジャーナリストだぜ」

と日経新聞から内定をもらった日に嬉しそうにニコンを片手に話していた。

時は経ち、日本航空123便墜落事故のときも、御巣鷹山に他社に先駆けて現場入りし、壮絶な事故直後の現場に踏みいった人だ。

修羅場をかいくぐってきた人だけに、あっけなく大火砕流で亡くなったという知らせは衝撃的だった。

初めて経験した先輩の死である。あれから20年経った。


食料安全基準大幅改悪と民主主義

2011年06月04日 | 健康医療サービスイノベーション

放射線を発する物質を含む食物を人間に摂取させないようにする食料安全基準が大幅に甘くなってしまった。まさかの時、平常時を問わず、国民の安全を守るためのものが規準である。

科学的な知見を集大成し、国際的な学会の知見などを動員して長期間にわたって実行されてきた安全基準。

ところが原発事故を境にして大幅に規準が甘くなった。暫定基準値というものだ。

上図のようにその甘さは海外の国々と比較すると異常だ。いったいなんのための規準なのか?

3.11以前の正しい規準をあてはめると、膨大な量の食料がアウトになってしまう。それでは生産者も困るし、損害賠償も巨額になる。食料需給が狂い、安全食料の価格が上がってしまう。この国をガバナンスする為政者にとってそれは都合のよいことではない。

だから、規準を大幅に甘くして暫定規準を作りなおした。暫定規準とはウソの規準である。

危機管理、安全管理の大前提として、「人は過ちをおかすもの」という命題がある。基準管理においても、「人は過ちをおかすもの」という命題が当てはまるのである。この命題は実におそろしい。なぜなら、今回明らかになりつつあることは、「人は過ちをおかすもの」と知りながら、正々堂々と政府が間違いを確信的に侵しているのだから。危機管理、安全管理、基準管理、総崩れなのだ。

何年かして、疾患、健康被害が発症しても、「因果関係はかならずしも明確でない」ということにして、ウヤムヤにして逃げ切るのだろう。

そしてウソの規準を作って汚染された食物を国民に食べさせる、ということになった。国民の健康を守ることを放棄したのだ。

「民」を中心として、「民」が「主」の体制を民主主義体制という。あきらかに反民主主義的な行いだ。民主主義の衣を着たフィクシャスな体制は、それを守ろうとしているのだが、実は、崩壊の途上にあるのである。