よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

札幌市立大学まで400キロの道のり

2010年07月29日 | 健康医療サービスイノベーション
8/27、札幌市立大学地域連携研究センターにて講演をします。

認定看護管理者コースの「保健医療福祉サービスのマーケティング」を担当します。札幌市立大学には毎年呼ばれてひとコマ分のレクチャーをしています。

今年は、レクチャーの前に釧路あたりから襟裳岬を経て札幌まで自転車キャンピング・ツーリングをする予定です。400キロくらいの道のりですが、なんとか完走できればうれしいです。

変わりゆく神保町

2010年07月25日 | No Book, No Life
神保町にある日本工業大学技術経営研究科で夏学期の客員をやっている。前研究科長の方と飯を食べながらパッと5分で決まった話だ。

No book, no lifeを信条とする身にとって、神保町に通う大義名分を得たのは至福の至り。



さて、神田小唄に「屋並屋並に金文字飾り」というのがある。

神保町の名は、江戸時代、この地区に広大な屋敷を構えていた神保伯耆守に由来する。明治になって市区改正が施され、最初の古書店・高山書店が誕生する。

徳川幕府が崩壊すると、このあたりに武家屋敷を持っていた大名や旗本(つまり、神保町界隈に武家屋敷をもっていた人々)は、一斉に国許へ帰ったり、徳川慶喜について静岡へ行ったりして、空家になってしまった。

代わってやってきたのは新政府の役人や書生たち。広い空地には学校や病院が造られた。例えば、東京大学の前身の「蕃書調所」が、「開成学校」になり、神田和泉町の医学所が「東京医学校」となって、それらが明治10年に統合されて東京大学となっていった。



学習院(学習院大学の前身)、順天堂(順天堂大学の前身)、東京女子師範学校、東京物理学校(東京理科大学の前身)、東京法学校(法政大学の前身)、明治法律学校(明治大学の前身)などが明治の初めから中ごろにかけて、神田、御茶ノ水、神保町、小川町近辺にでき上がっていった。

その後、有史閣(のちの有斐閣)、三省堂などが開店し、明治18年頃には神保町から小川町にかけて約50軒の書籍業者が営業していたといわれる。このようにして、神保町は近代化を担ってきた大学、そしてその界隈に集う気鋭の知識人、学生に書籍を供給し、また読書人の手からはなれた古本を流通させるという知識還流のエコシステムの一大基地となってゆく。

こうしてこの街は、知識人=読書人=book reading classにとってなくてはならない街となっていったのだ。

このような歴史的な背景を持つ神保町は出版業界の沈滞、押し寄せるデジタル化など紆余曲折を経ながらも、未だに世界に誇る本の文化(book culture)の磁力を保っている。欧州、米国、中国など、いろいろな都市を旅してきたが、本と古本がこうも集積した街は他にはない。



しかし古本愛好者、読書人の絶対的人数が減ってきており、神保町に足繁く通う人々の人数は減ってきているという。そこで昨今の神保町は、『読書人』の定義をマンガを読む人々にまで拡張してきている。

この日の神保町は、『週刊少年ジャンプ』に掲載されているマンガ、『ワンピース』をテコにした町おこしイベント≒『神保町ワンピースカーニバル』の真っ最中。



さくら通り、すずらん通りをブチ抜いて、『ワンピース青空展覧会』。街の通りには『ワンピース』の原画が陳列中。



「ワンピース」は1997年から週刊少年ジャンプで連載中で、単行本は累計一億九千万部が発行されている。これらのマンガの読者を神保町に引き込もうという算段は理にはかなっていると思う。



すぐ東側の秋葉原はいまや"AKIBA"として世界各国から家電を求めて旅行者が大挙して集まる街に発展中。とすれば、神保町は日本が世界に誇るアニメをテコにして街おこし=地域イノベーションを図りたいのか?

そんな図式は、面白くもあり、また一抹の寂しさをも感じさせなくもない。

社会的起業の背景と問題

2010年07月22日 | ビジネス&社会起業
(財)商工総合研究所刊行の 『商工金融』2010年(平成)22年7月号[第60巻7号]論壇「社会的起業の背景と問題」に寄稿しました。以下テキストです。

              ***

『社会的起業の背景と問題』

 近年、社会的起業(Social Entrepreneurship)や社会的企業(Social Enterprise)に注目が集まっている。筆者は、NPO国際的社会起業サポートセンターや内閣府の社会イノベーション研究ワーキンググループ委員(2008~2009年)として、これらのキーワード界隈で活動しているが、これらをテーマとするシンポジウムやセミナーはどこも大入り満員の状態が続いている。

 とくに若い世代の中で、この領域についての関心が急激に高まっている。社会的起業・企業は、スモールビジネスや起業の動向を分析、予測する上で、今後重要な切り口になるだろう。さて、筆者は、社会起業家とは、「社会の問題を見つけて定義し、新規性の強い事業アイデアを繰り出して持続的に取り組み、その事業を普及させ、社会に大きなインパクトを与えるような変革の担い手」と定義している。そのような担い手によって広い範囲で社会に普及し、インパクトをもたらす変革が「社会イノベーション」である。

 たしかに社会的起業はブームの感なきにしもあらずだ。しかし、このブームの背後に潜んでいる構造的な変化にこそ注目すべきである。ここでは3つの構造変化に注目してみよう。

(1)広義の「ケア」を必要とする人口の急増
 筆者は、医療、保健、看護、福祉という専門職のみならず、コミュニティの人々がお互いにやり取りして共有する信頼関係、支えあい、絆、支援も含めて広義の「ケア」と呼んでいる。日本全体に占める「子供+老人」の割合は、1990年から2000年を底にして「ほぼきれいなU字カーブ」を描く。

 戦後、出生率の低下により「子供+老人」の割合は減り続けていたが、1990年代を境に高齢化の勢いが上回り、「子供+老人」の割合は増勢に転じた。戦後から高度成長期を経て最近までは、一貫して地域とのかかわりが薄い人々(生産年齢人口)が増え続けた時代であり、それが現在は、逆に地域とのかかわりが強い人々(子供+老人)が一貫した増加期に入る、その入口の時代なのである(注)。  

 さらに注目すべきは、共同体としての家庭や企業が薄弱なものとなり、拠って立つ共同体から排除され、どこにも帰属しない、ないしは所属できない人々が増大している。これは、「失業」「低所得」「住宅難」「ニート」「非正規雇用者」「格差社会」「健康格差」「家庭崩壊」「無縁社会」などの社会的な問題を引き起こしている。これらの問題解決に共通するコンセプトは「ケア」である。

(2)新しい公共
 公共セクターによる解決を待ちながらも、公共セクターが解決できない、あるいは解決しようとしない社会的問題の幅は拡がりつつある。たとえば、保健・医療・福祉、街づくり、環境保全、自然保護、森林保全、過疎対策、農村活性化、教育、能力開発、セーフティーネット、地域経済活性化、消費者保護、雇用支援、弱者救済、障害者支援、貧困対策、災害救援、人権擁護、男女共同参画、科学技術振興、地域安全、国際協力…など、多種多様なテーマが広がっている。

 旧来型の公共セクターが逼迫する財政のもとで、これらの社会的問題を解決するためにソリューションをデザインし、提供するのは容易なことではない。本来は公共によってなされてきたパブリックな問題に対するソリューションの提供元として社会起業家が注目されているのである。

 新しい公共の問題解決を、従来型の公共が担当するのではなく、市民セクター、NGO、NPOなどの手に委ねてゆこうとする動きが先進国では顕著である。イギリスにおけるPublic Interest Companyや韓国の「社会的事業法」の施行は、これらの動向の現れである。この領域で日本より先をゆく韓国の「社会的事業法」は「社会的企業を支援して、わが社会に十分に供給されていない社会サービスを拡充し、新しい就労を創出することにより、社会統合と国民の生活の質の向上に寄与すること」を目的としている。

(3)新しい社会的サービス
 社会起業家が取り組む社会的ビジネスの圧倒的な中心はサービスである。OECD各国のGDPに対するサービスセクターが生む出す付加価値比率は増大しており、日本でもGDPの70パーセントがサービスセクターに依存するようになっている。

 このようなトレンドを受けて、社会起業のビジネスモデルが提供するものは、製品・商品というより、断然サービスが中心である。経済エンジンの主題は、「モノ」→「エネルギー」→「情報」→「サービス」と遷移してきており、新規に創業する社会起業家が活躍するのは社会的サービスの領域である。

 以上3つの構造的な変化を概観したが、筆者は社会起業・企業には、サービスが中心であるがゆえの問題が内在していると見たてている。それは端的に言えば、労働生産性の低さである。社会的サービスに限らず、わが国のサービス業の労働生産性は製造業の労働生産性と比較すると、明らかに低い。

 2008年度「通商白書」 によれば、わが国では製造業の労働生産性を1 としたときにサービス業のそれは0.616 。同様の比率は、アメリカ0.919、イギリス0.760、ドイツ0.938、フランス0.974 にとどまっている。この傾向が社会的起業によって創発される社会的サービスに埋め込まれるとしたら、安かろう、悪かろう、ばかりではなく、社会的なサービスの継続性さえもが危ぶまれる事態になりかねない。

 それゆえに、社会的な問題解決を図る社会起業において、公的な支援策以上に、労働生産性を上げるべく社会的ソリューションの多地域展開、システム化、ファイナンスといったビジネス戦略こそが鍵を握るのである。社会起業家が展開するソーシャル・ビジネスは、ビジネスの戦略的基盤が確立されて初めて、社会的存在になるのである。社会起業家はビジネス感覚が試されるのである。

(注)引用: 広井 良典 :「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」.筑摩書房.2009


              ***

アントレナーシップとベンチャー企業の経営

2010年07月16日 | 技術経営MOT
日本工業大学技術経営大学院(MOT)の夏学期で上記の講座を担当します。土曜日、3・4限(13:30~16:40)通しです。

 7/24、7/31、8/7、8/14、9/4、9/11、9/18の7回です。ここは技術系のビジネスバックグラウンドを持つ社会人学生が多く、昨年もアツい議論の連続でした。アツい議論はなんというか栄養のようなもので、授業をやる方としてもパワーに転換されるので望むところです。

授業というのは共創、共進の場なのですね。今年もアツい議論ができればうれしいです。神田古本屋めぐりも楽しみです。

日本助産師会で助産所開業セミナー

2010年07月16日 | ビジネス&社会起業
7月24日の午前中、日本助産師会主催の助産所開業セミナーで講演します。

医療・保健・福祉分野は、今後大きな変化の波が訪れます。公益的なケアに関わる非営利組織が大きな変革を遂げるのです。その際には、公益に貢献するアントレプレナー、イントレプレナーの質量が帰趨を握ることになります。

企業家(起業家)は主要な活躍の場を産業分野から次第に公共セクター、非営利セクターに移行させてゆくだろう、と予言したのはかのシュンペータですが、助産を含める、医療・保健・福祉分野の社会起業家を応援、支援、鼓舞したいものです。

サービス・イノベーションの経営学・7

2010年07月13日 | 技術経営MOT
 「イノベーション・パイプラインの目詰まり現象を打開する」
看護管理 2010年07月号 (通常号) ( Vol.20 No.7)pp610-616

日本の製薬企業、医療機器企業をめぐるイノベーションの創発現象(実のところ沈滞現象なのです)を、産学官連携、ドラッグ&デバイスラグ、知財戦略、特許法の審査運用基準の変更などの角度から解説しています。

イスラーム学の系譜

2010年07月09日 | No Book, No Life
しばらく前に、駿河台にて中央大学の櫻井秀子教授にお会いして、親しくご著書『イスラーム金融』を机上に置き、イスラーム社会と日本社会の比較論などに話の花が咲いた。

「日本的経営」は比較する相手がなければ、話は始まらない。そしてその比較する相手は1極をなす欧・米の経営モデルのみではダメで、第2極として、イスラームを置いてみたかったのだ。このあたりの雑感は、「イスラーム的経営」の地平線

ご教授をお願いしたいくつかの質問については女史の先生にあたる、黒田寿郎先生を紹介いただき、さっそく『イスラームの構造』を紐解く。はからずも、大川周明~井筒俊彦~黒田寿郎~櫻井秀子と継承されているイスラーム学の系譜の本流に邂逅しえたのは僥倖の一言である。

             ***



西洋の対語として「東洋」があるとしたら、そこにはにはどのような哲学的、思弁的共通性があるのか。明瞭な形では存在しえなくても、東洋哲学の諸伝統の蓄積の上に新しい哲学を生み出さなければならない。

こんな壮大な問題意識から著者は膨大な知識を駆使し、著者独自の「共時的構造化」の方法によってイスラーム、ギシリア、儒教、仏教の系譜を縦横に跋渉して知の体系化を目指す。スコラ哲学、プラトン主義、新プラトン主義、ユング、フッサールの現象学など西洋の系譜もしっかりと押さえながら、記述は明瞭かつ分かりやすい。

そこかしこに溢れ出る術語概念に対する深い理解と分かりやすい説明は、なるほど、30カ国語に熟達した語学の広範な知識に裏づけられている。圧巻なのは、密教(esoteric religion)に関する奥深い理解が、本書全体を通底していることだ。凡庸な学者は、顕・密の顕を極端に重視することはあれども、密に対する見解があまりにも表層的なことがままある。

顕・密にわたる認識についての明快な枠組み設定がp214の意識の構造モデルで示されたくらいから、東洋思想に共時的に存在する哲学は、まさに「密」に集約されていることに読者は次第に気づいてゆく。




知識人は、日本社会を欧米のそれらと対比してのみ分析しようとするある種の病に冒されている。明治維新以降、欧米の文化、文明、科学技術はおろか、自由文芸までも積極的に移植してきた背景があり、大東亜戦争の敗戦をもって覇権国家アメリカの影響下に組み込まれてきた日本にあって、それは必然ともいえる桎梏なのかもしれない。

本書は、そのような退嬰的な思潮のなかにかって、歴然と社会比較の対象をイスラームに求める。タウヒード(世界観と存在論=価値観の根本)、シャリーア(法律・経済=社旗運営)、ウンマ(共同体=ともに生きるかたち)の3極構造からはじまり、それらを3層構造に読み直しつつ精緻な論が展開される。

泰斗井筒俊彦の弟子である著者の論は、井筒が「東洋哲学の根幹に通底する諸神秘思想の共時的構造化」をこころみた大著、『意識と本質―精神的東洋を索めて』の存在論を随所に引きつつ、イスラームの本質を冷静にかつ思弁的に著述してゆく。

その静謐な思弁はp352以降つづられる終章にあっては、強烈な問題意識に根差した議論に集約される。そこでは、黒田は、「旧ソ連崩壊後、覇権国は、共産主義という主要な敵の衰退、消滅に伴って、文明の衝突の相手として戦略的にこの地域(中東イスラーム地域)を選んだ感が強い」(p354)とみたてる覇権国を『同一律の帝国』とさえ呼ぶのを憚らない。

9.11以降、『同一律の帝国』(アメリカ)側からイメージが形成されたイスラーム=テロリストといった操作的イメージに無批判的に流される日本人一般に対して著者が抱いているであろう焦燥感が終章の行間にはあふれている。

非婚率の上昇、家庭崩壊、近所づきあいの希薄化、企業共同体の崩壊など、日本社会の小共同体の劣化現象は着々と進んでいる。『同一律の帝国』が推進してきたグローバリズムを無批判的に同調・導入してきた今日の日本の姿を、イスラームという鏡で映し出すとき、より問題の輪郭は鮮明なものとなるのである。

そのような意味合いにおいて、本著は、日本社会を相対化するよき鏡の役割をも果たしていると思われる。

コマーシャル・オープンソースCRMの裏側

2010年07月04日 | オープンソース物語
先日東京MOT会で講演の中でSugarCRMについて軽くコメントしたところ、会場にユーザになることを検討した方と、販売チャネルの会社に勤務している方がいて、講演が終わってから雑談となりました。世の中狭いものです笑)

シリコンバレーにあるSugarCRMは、LAMP(Linux, Appach,MySQL,php)環境で動作するオープンソースのCustomer Relationship Managementを無償のコミュニティ版と有償版の二つのライセンスで配布してきました。

同社のビジネスモデルは、無償のコミュニティ版をGPL(General Public License)でソースコードを公開して、その中の一定比率のユーザが有償版を使うだろう、という前提が戦略の基礎をなしています。ソフトウェアのキモであるソースコードを公開して、コミュニティで何らかの思惑を持つ方々が、時にユーザとして、時に開発者として、ソースコードの進化に寄与するというものです。

技術経営的に言えば、無償のコミュニティ版の普及モデルは、贈与関係、互恵関係を育むオープン・イノベーションの最たるものでしょう。ところが、SugarCRM社は、コミュニティ版をGPLで無償配布しているので、思わぬビジネスモデルが出現しています。

SugarCRMの無償のコミュニティ版を独自に加工して販売するというビジネスモデルです。構造的にはSugarCRM社のコミュニティ版と有償版とアイソモーフィックな(同型の)ビジネスモデルです。無償のコミュニティ版については、合法的に、独自のコミュニティがサポートしており、SugarCRMに対して似たような技術軌道を歩みます。有償版に関しては、顧客に独自機能をアドオンしてEnd User License Agreementを結んで使用料を取るというものです。

カナダのThe Long Reach Corporationが運営するinfo@handというプロジェクトはSugarCRMのコミュニティ版のソースコードを独自に加工して有償版として販売しています。



インドのvTiger社が運営する無償版は一日に1000ダウンロードがあるそうです。(同社ホームページより)また有償版も安価で高機能なラインアップを揃えています。SugarCRMのコミュニティ版のソースコードを活用し、かつ相対的に安い人件費の恩恵を活かしながら高機能の有償版を開発して安価に販売するというビジネス・モデルです。



vTigerCRMの日本語版のコミュニティもできています。そこには以下の意味深長な記載があります。

<以下貼り付け>

<sugarCRMへのリスペクト> 既にSugarCRMを扱っておられる業者様も当方のブースをご覧になられたようです。当ユーザーグループは、vtigerCRMのフォーク元のソフトウェアとして、また日本でのオープンソースの普及と啓蒙において果たした役割に対して、sugarCRMを非常にリスペクトしております。vtigerCRMは未だにsugarCRMのコードを残しております。これまでsugarCRMに携わってこられた業者様がこれまでの蓄積を生かし、また業務の幅を広げる手段として、vtigerCRM日本語版がお役に立てる機会があれば幸いです。

<独自機能実装の勧め> vtiger社の見解によると、vtigerCRMのライセンスはMozillaベースであり、vtiger上に独自の商用アプリケーションを作成し、なおかつアプリケーションのソースコードを「非開示」にすることも可能とのことです。この点がsugarCRMオープンソース版が採用するGPL系と異なっております。独自技術を持つ業者様でも安心してvtigerCRMに投資いただけます。

<以上貼り付け>

ちなみに、日本でもvTigerを活用したクラウドサービスが始められています。たんなるASPでも昨今流行っているバズワードとしての「クラウドサービス」を冠すれば、なんとなく高級そうな語感も漂います。ちなみに、クラウドサービスの動向についてはコチラにまとめてあります。


ユーザにとっての価値は、モノ=ソフトウェア(オープンかクローズドかを問わない)からコト=機能のサービスへと急激にシフトしています。その意味で、クラウド対応が汎用アプリ市場のトレンドになっていて、オープンvsクローズの対置構造でビジネスを展開してきたコマ―シャル・オープンソースのビジネスモデルは陳腐化の瀬戸際に来ています。

さて、SugarCRMのコミュニティ版のソフトウェアからフォーク(脈生)を作るコマーシャル・オープンソース・ビジネスモデルは、それぞれの国の法律とオープンソースのライセンスに準拠しているので合法なものです。ただし、SugarCRM社の無償版、有償版を含むビジネスモデルから見れば直接的な脅威となります。しかしながら、SugarCRMの無償コミュニティ版は2007年夏にGPL化する前の脈生ソースコードにアドオンしてコミュニティが開発して配布しても特段法的な問題にはならないのです。

ただしRedHat Linuxは、GPLプログラムを複製されないように、Subscription Agreementのなかで、RHELを第三者に頒布するにはRedHatの各種の商標やマークを削除しなければならないと規定し、それらを削除するとソフトウェアが壊れる可能性があるので、削除は各自のリスク負担でやるべし・・・としています。つまり、著作権を防衛手段として巧みに利用しています。

つまりオープンソースをビジネス化するためには、ソースコードの知的財産マネジメントが非常に重要であるということです。そして、その知財マネジメントのツボは、GPLなどのライセンスの穴をいかに著作権などの権利で埋め合わせて「飛び道具」化させるかということになります。

このあたりの事情は、日本ではほとんど周知されていないようです。

デュアル・ライセンス(無償のコミュニティ版と有償の商用版)を扱う、いわゆるコマ―シャル・オープンソースのビジネス・モデルは、イノベーションの民主化という観点からは注目に値するでしょう。シリコンバレーで創発したコマ―シャル・オープンソースが、カナダへ、インドへ、そして、上記の3社の代理店によって80カ国以上にインベンションがディフーズ(普及・伝搬)しているからです。

しかしながら、公開情報を分析する限りにおいて、for-profit事業の収益化という観点からは?です。本家、脈生を問わずコミュニティ版同志と有償版との二重のカニバライゼーション(共食い)が発生しており、投資に見合うリターンをステークホルダーには還元できていないようです。

For-profit Businessの世界では、インベンションがグローバルにディフーズし収益をもたらして初めてイノベーションとなるのです。したがって、無償のコミュニティ版は、ユーザにとってのイノベーションですが、有償版を加えたトータルとしてのコマーシャル・オープンソース・ビジネスは、内部収益率の点からビジネスとして成立するのは容易なことではありません。