よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

資本主義・社会主義・民主主義

2010年05月29日 | No Book, No Life


大方の予想通り、ギリシャからスペインに飛び火。スペインの金融機関の経営破綻をきっかけに、25日以降の世界主要市場は再び株安、ユーロ安の連鎖に見舞われています。

一方、日本は金融不安の震源地でないにもかかわらず、株価の下落率が他国より大きいことに、国内では失望感が広まっています。これは外需依存の産業構造(マクロ的日本型MOTの姿)のためです。またぞろ、輸出主導で自律回復に向かい始めた日本でしたが、冷や水をかぶせられた形です。

以前書いたアマゾンの書評(自分の文章です)をメモ代わりに貼り付けておきます。

<以下貼り付け>

シュンペータの予言が現在進行中です。, 2009/2/20 レビュー対象商品: 資本主義・社会主義・民主主義 (単行本)

イノベーションの文脈から『新結合』のみを切り出して議論する向きもあろう。だがシュンペーターの真髄は彼が存命だった1940年代から未来へ向けて予測した未来の資本主義の変化にこそある。シュンペータ研究者は、この未来への青写真のことを桐箱に入れて「シュンペータ過程」と呼ぶ。

マルクスの労働価値説を真っ向から否定したバヴェルクを師とするシュンペータはマルクスを超えようとする言説を展開した。マルクスをはじめ予言をハズすのが経済学者の常だが、シュンペータの恐ろしさは、彼がハズした予言は今のところないからだ。

さて「資本主義はその欠点のゆえに滅びる」と書いたマルクスの逆張りでシュンペーターは「資本主義はその成功により滅びる」と意味深長なことを書いた。

資本主義の生命線であるイノベーションの担い手=企業家(起業家)が官僚化された専門家へ移行するにしたがい、資本主義の精神は萎縮し活力が削がれてゆき、やがて資本主義は減退する。なので企業家(起業家)は主要な活躍の場を産業分野からしだいに公共セクター、非営利セクターに移ってゆくとも言った。このあたりは、社会起業家の活躍を言い当てている。

シュンペータは「創造的破壊」というコンセプトを真ん中に据えた。創造的破壊を推進する資本主義のethos(行動様式)が衰弱し、資本主義の屋台骨ともいえる私有財産制と自由契約制が形骸化すれば、capitalismは衰退しやがては終焉を迎える。創造的破壊とは不断に古いものを破壊し、新しいものを創造して絶えず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異である。

さて、現下の大不況、恐慌は結果としての現象ではなく、「過程としての現象」と見るべきだ。溌剌たる資本主義の精神をリスペクトするならば死にかけ企業、死にかけ産業は、死にゆくままにしておき、今こそ新企業、新産業へと転換してゆく千載一遇のチャンスだ、キャピタリストの立場では。

大方の納税者やリバタリアンの主張どうりにGM,フォードを消滅に任せてゆくのであれば、おおいなる優勝劣敗の資本主義のプロセスは健全に機能しているといえるだろう。GM、フォードなどに巨額の税金を注入して救済するという行き方は、資本主義の否定なのである。もしそうなれば、アメリカ型強欲資本主義、金融資本主義は、社会主義化してゆく。税金で旧産業の余命延長をはかり、前回のクリントン民主党政権のときに議会に阻まれた国民皆保険もヒラリー・クリントンのもとで今度こそ成し遂げられるだろう。なにせ健康保険にも入っていない無保険の人々が4000万人以上いるのがアメリカだからだ。

現下のこの文脈のなかにこそ、シュンペーターを読まれなければなるまい。なぜなら現在進行形で、「シュンペータ過程」が眼前に現出しているのだから!

倒産、失業という血を流して資本主義の精神を取るか。倒産、失業という血をいっとき回避、つまり税金の投入をもって資本主義の精神を自己否定して社会主義化を取るのか。オバマ政権は実に歴史的な局面に来月立つことになる。ここがまさに「シュンペータ過程」なのだ。

元来、社会主義的資本主義だのいろいろ悪口を言われてきた日本資本主義だが、社会主義的資本主義は実は未来の先取り形態だったとも言える。おおまかに言ってしまえば、アメリカが行こうとしてしている地点に、日本はすでにいるのだ。「社会主義的日本資本主義のエスプリ」と勝手によんでいるのだが・・。皮肉といえば皮肉なことだ。

<以上貼り付け>

「社会主義的日本資本主義」ではあるが、輸出牽引型産業構造は昨今の局面では脆弱さを露呈している。したがって、ひとつの対応方法として、産業政策として、「社会主義的産業」の健康医療産業など内需市場喚起型のサービス・セクターを刺激するというやり方がある。

「新しい公共」というスタンスからは健康基盤=ソーシャル・キャピタルにコミットする社会起業家、NPO,NGOなどの活動をどんどん支援すべきだ。

健康寿命伸長は医療費増大を上回る → 医療費増大は経済にプラスになるという研究が出始めている。

ハーバード大学 ケットラー教授 とデューク大学のリチャードソン研究(1999)など。
→ 健康寿命の伸びによる健康価値の上昇は医療費増の4倍に近い。

ホール教授とジョーンズ教授の貢献:
健康寿命の伸長が経済的厚生(国民全体の経済的満足度)の大きな増加につながる事実を、経済成長リオンの標準的モデルのなかに取り入れたこと。

∴ コストセンター産業ではなく、成長産業の下支えをする成長担保産業として医療健康産業の再評価を行う必要あり。

iPadという悦楽

2010年05月27日 | 技術経営MOT
K嬢先生@KITがシリコンバレーに出張に行った折、ユニオンスクエアあたりで、なんとiPadを2枚買ってきたのです。

授業のあと、誘っていただいた飲み屋でiPadご神体を見せてもらい、畏れ多くもおさわりさせてもらいました。

なんでもヒルズのカフェでiPadを使っていると、周囲の人々の注目が自然に集まるそうです。来週あたりから日本でも発売なのですが、まさに今が旬のiPadです。



MacフリークだったK嬢先生は、その後、Winに押される研究・業務環境にあがない切れずWindows環境に転換したそうです。10台以上Macを使い継ぎながらも、7年位まえからWindowsになってしまった僕の境遇と似ています。

それにしても、バーや飲み屋というシチュエーションでは、まさにうってつけのおとなのオモチャです。

わーわー、おーおー、言いながらの楽しいひと時です。

このところ、メディアもiPadをよく特集しています。

今週号の日本語版NewsWeekとiPadの実物をワンショットに収めた歴史的写真笑)

「究極のメディア端末化」というコピー泣かせます。



視認性がいいインターフェイス。

あれこれイメージしていたよりもはるかに軽いボディー。感触もシャープな感じでありながら、なんというかちょっとしたぬくもり感もあり、いい感じです。



メールアプリをサクッと開くと、スクリーン上にキーボードが現れます。

一同、ウワッと驚嘆しながら、触ってみればけっこう打てますね。慣れればブラインドタッチもできることでしょう。

薄暗い飲み屋さんでも視認性は確保できます。

K嬢先生のおしゃれなネールアートがiPadととてもよく似あっていますね。

これはけっこう大事なことです。こういうシーンで絵になるのがiPadです。



本質的には、クリエイティブに情報・知識・イメージを創るというようりは、情報・知識・イメージを仕込む、つまりインプット系のデバイスです。

インプットあってのアウトプットなので、高回転の情報代謝系を持つナレッジワーカーにとっては相性がいいデバイスです。

実際に触ってみていくつか、イケそうないいアイディアが浮かびました。たぶんイケるでしょう。iPadは、こいつを使ってなにかやってやろう!と本気にさせる、不思議な磁力を持っています。

とくに老人でも使えるデバイスなので、案外シルバーマーケットも掘り起すことになるのでしょう。

iPadはこれまでの生活やビジネスのさまざまなシチュエーションを現場(目先、手先、口先)を激変させる力を持っていると直感しました。

iPadはモノではなく、モノゴトです。こりゃ、明日以降騒ぎになるでしょう。それにしても、日本での発売を前にして、実際に手にすることができた昨夜はラッキーでした。

起業家教育をめぐるあれこれ

2010年05月25日 | About me

京都大学の麻生川さんが日本の起業活動が低迷していることについてピリッとしたことを書いています。『ベンチャー起業家よ、失敗を誇れ?!』 (『日本の起業家育成の本質的欠陥』 

上記の記事で麻生川さんが指摘されているように、日本人の起業行動が沈滞している現状には歯がゆさを感じながらも、現在は、大学院で技術をレバレッジとする起業家や社会起業家輩出のためのコース(社内新規事業創造も対象です)を担当しています。ちなみに僕には自ら創業した会社を成長させ、その会社を上場企業に売却してイグジットしたささやかな経験があります。

麻生川准教授が聞いた、アメリカコンコーディアベンチャーズ創立者兼パートナーで数年前からカリフォルニア大学バークレー校のビジネススクールでベンチャー教育の教鞭をとるナイーム・ザファー氏(Naeem Zafer)の言辞を引用します。


<以下貼り付け>

(1)『事業がおかしくなったら、なるべく早く撤退するか、倒産させてしまうのがよろしい。芽の出ないビジネスにいつまでもしがみついていないで、新たなビジネスを興す方が、よっぽどいい。』

(2)『事業ステージで社長を変える方がよい。即ち、立ち上げの時に相応しい社長が必ずしも、事業の次の段階でも適任とは限らない。そのような時は、社長を変えることで、会社のカルチャーを変え、新たな観点で展開を考えるのがよい。』

<以上貼り付け>


この2点は本質的に重要な点です。SVで働いている起業家の間では「世間智」のようなものですが、日本ではほとんで共有されていません。起業評論家は、このような言辞を紹介はしますが、なかなか行動様式としてキモに落ちていないところです。

「世間智」とは、日本人が好んで口にする文系・理系といった二項対立の図式を超えたところにあるプロとしてのプロトコルのようなものです。やや拡張していえば、麻生川さんがいうところの、グローバル・ビジネス・リテラシーの実務よりの発露とでも言えるでしょう。

             ***

さて、日本では銀行から借入金がある状態で倒産させるのは個人保証という日本的に特殊なリスクを負わされる(chapter11は日本ではありません)ので、現実的ではありません。

上記(1)については、事業の対局を読み切って売却相手を探し、なるべく有利な条件で売却してイグジットしてキャピタルゲインを確保するのが王道です。しかし、これができない社長が多いです。自分の全存在を事業=ビジネスに埋め込んでしまい、会社を属人化させているような中小・ベンチャー社長は、どうしても割り切りができずに、期を逸してしまい会社とともに沈没、というケースが非常に多いのです。

この目的合理的な割り切り思考(プラグマティズム)がなければ、イグジットはできません。事業ユニット(会社)は市場で交換される非人格的な物象であることを肝に銘じて起業・経営しなければいけません。資本主義の精神を体現するのが起業家であり、起業家たるもの、ウェットな心情に流されて、会社に全存在を埋め込んでしまうような小さな器ではダメです。

やや逆説的になりますが、ゲゼルシャフトとしての会社を市場の中で交換の対象=物象として扱うためには、別次元で贈与関係の場=ゲマインシャフト(金銭、利害関係ぬきにつきあえる絆中心の人間関係、信頼関係)を保持しておくことを強くお勧めします。家庭、地縁の仲間、昔からの友達などです。このバランスが大切です。

上気の(2)については、創業後、成長ステージに入ったら、ナンバー2を採用・育成しておいて、将来そいつを社長にするため力量門地を見極めながら、権限移譲をしておくことが大事です。

M&Aステージで社長を交代するというのは、短距離リレーのバトンタッチ・ゾーンで最高速度を維持しながらバトン交換するようなものです。このゾーンはグラウンドのように整備されているわけではなく、むしろ魑魅魍魎が跋扈する獣道。したがってリスクに満ちています。

M&Aフェーズになれば、買う側、売る側、株主、新社長など、当然、露骨な私利私欲が蠢きます。とくに社会的な規範が薄弱化しつつある今日、私利私欲に流されれば、ゲゼルシャフトの住人は汚いことも平気でやります。既存株主に情報をリークしたり、対象会社と内通したり。汚いことにいちいち逆上していたら起業家は失格です。むしろ、そのような人間の行動を所与のものとして対局から清獨併せ飲み、平然と受け止める人間観が問われます。

対象会社幹部や次期社長を時にうまく泳がせたり、「用間」(孫子)として動かし状況を創ってゆくインテリジェンス(諜報謀略)能力が問われます。

        ***

僕の場合は、起業するときに3つある会社の出口(IPO、M&A=会社売却、倒産清算)のうち、キャピタルゲインを得ることができるIPOとM&Aに出口を絞り込みました。経営コンサルタント出身者は、けっきょく個人の能力に依存したかたちで、ダラダラ会社を経営してしまいイグジットできないことがほとんどです。年をとったり、病気になったらThe Endです。入り口=創業時点で出口の戦略を構想しておくことが大事です。これは起業家が身につけるべき行動様式=資本主義のエートスのひとつです。

ちなみに、日本人一般に欠けているもののひとつは、入り口で出口を構想するシナリオプランニング能力であると思われます。とくに、組織を扱うエントランスとイグジットの結び方がダメなことが多いのです。ゲゼルシャフトであるべき組織を、ゲマインデ(共同体)化させてしまう悪い癖は、大東亜戦争の時の陸軍・海軍においても顕著でしたが、戦後もずっと企業組織、公共団体のなかに陰微に継承されています。

現在、ビジネス起業のみならず、社会起業への支援、Base of Pyramid起業支援もやっていますが、思いのほか、自らの起業経験一式が役立つ局面が多いので、よかったと思っています。人生なにが役に立つのかわからないものです笑)

自らの起業経験などというものは、経営現象の森羅万象のなかの芥子粒のような特異・特殊な経験です。しかしながら、そのような経験でも、経営理論やモデルで濾し出してみると、けっこう使えるのには多少ながらも驚いています。サッカー選手の経験のある人間がサッカー・チームの監督になる。臨床医の経験がある医者が、臨床指導者になる。プロ教育というのは、その道の専門的なエクスペリエンスが大事なのでしょう。

会社を経営するようになって、自分でも面白いなぁ、と思ったことがあります。それは、それまで、むさぼるように読んできたビジネス本や実務書に手が伸びなくなり、歴史宗教を含む古典を多読するようになったことです。

この文脈で、東西古今の古典に通じる麻生川氏と知己を得たのは妙なる縁起。僕が経営していた会社のアドバイザーにもなっていただきましたが、今も氏と東西古今の古典を材料にしてグローバル・ビジネス・リテラシーを、ベンチャーの今を語るのは、愉しいひと時です。


恩師がMITプレスから新著出版

2010年05月24日 | No Book, No Life


コーネル大学にいたときにお世話になったRoger Battistella先生が新著をMITプレス(米国を代表する学術出版社)から出版。草稿段階から送ってもらっていたのでことのほか、うれしいです。

この本の主張は厳しいものです。なにせ、市場に任せ放題にしてきたアメリカの医療の根幹をストレートに批判しているからです。マイケルポーターなどのようなポピュリスト的スタンスとは異なり、さすが40年に渡って米国医療政策、医療経営をクリティークしてきた知的資産がこの本のベースにあります。

日本の医療サービス改革を構想する視点から見ても大変参考になります。主要な論点は:

■Health care is a social good that should be free to all.
(医療サービスは社会的な財であり、すべての人々がアクセスできるようにすべし)

■Prevention generates big savings.
(予防は、医療全体を効率化する)

■More health spending will stimulate the economy and have a positive effect on health status and longevity.
(効率的に医療費を使えば医療は経済を活性化するし、健康指標にもポジティブな影響を与える)

■The principles of market competition aren't applicable to health care.
(競争的な市場主義は、医療には適用できない)

など。豊饒な語彙に支えられる論理構成と網羅的なレファレンスは、いかに医療健康分野の社会科学者の著者が過去の議論をカバーしているのかを示してあまりがあります。

             ***

コーネル大学を退官してからは名誉教授。現役の教授のころから、ブドウ栽培とワインづくりにも情熱を抱き続けていて、学期の最終日には教室に先生が自分で醸造したワインを持ってきて学生に飲ませてくれました。



これが大学から車で10分くらいのところにあるSix Mile Creekで彼が営んでいるワイナリー。この2階の書斎が思索の場で、ここで多くの著作をものしてきました。葡萄畑の緑色と青い空。農作業のかわたら、夜は木の香りがする書斎で、多くの蔵書に囲まれて執筆にいそしむ。

実にバランスのとれた知的な生き方をされている先生です。


技術経営的な人的資源管理論の拡張

2010年05月19日 | 技術経営MOT
こないだ「日本的経営あるいはジェームズ・アベグレン博士との対話」を書きましたが、この話は、人的資源管理論のクラシカルな視点からでした。

そこで、ここでは、技術経営領域でよく論じられるオープン化、モジュール化、製品アーキテクチャ、オープンイノベーションという視点から人的資源管理論を拡張してみます。試論です。

モジュール化とはシステムの全体を比較的独立性の高い部分(つまり、これがモジュール)に分けて、全体システムをモジュールで構築してゆくことです。

パソコン、電子機器、家電などの分野ではおなじみの手法です。最近では、これら以外にも様々な業界がつくるプロダクトにも普及しつつある手法です。さて、モジュール間のインターフェイスでどのような役割分担を行うのかについての「全体思想」を提供するのがアーキテクチャです。

製品アーキテクチャー上でモジュール化が進行している海外・日本企業の方々に対してコンサルティングしていて、気がついたことがあります。ぱっとメモします。(いつかはまともな文章にしたい)

                ***

卓越した海外企業(産業)では製品アーキテクチャのモジュール化とともに、人材も積極的にモジュール化させてきている。これをモジュール人材と呼びます。ジョブサイズが大きい、管理職、専門職、経営者、技術、科学者、起業家というセグメントにまでモジュール化が及んでいます。

業務の内容つまりモジュールの中身は職務記述書(Job Description)で定義されることとなります。モジュール間のインターフェイスを保証するのが、クレデンシャル(学問歴、専門知、ノウハウ)と呼ばれているものです。どこぞの大学院でPh.DとかMScとかMBAでだいたいがわかります。

その結果、雇用市場のなかでも、高度モジュール人材の流動性は高く、彼ら彼女らは、新しいモジュールを求めて比較的たやすく転職をします。キャリアはヨコ出世型です。

そこでは人材は市場で「交換」される価値である、と見なされています。そして、価値志向の強い人たちはその「交換価値」を高めるための生涯を通しての勉強、あるいは生涯学習に余念がありません。

日本企業では、どうなっているのでしょうか。モジュール化はジョブサイズの小さな業務では進んでいますね。オペレーション・レベルの業務ならば、固定費を変動費化するという目的で、非正規化や外注化は常套手段となっています。しかし、ジョブサイズが大きい仕事はモジュール化がかなり遅れています。その証拠に、管理職や高度専門職の転職選好度は概して低く、またインターフェイスを保証する専門的教育も欧米に比べ浸透してはいません。社内擦り合わせ型の人材が多いのです。キャリアの方向はタテ方向願望型が多いですね。いわゆる内部化された労働市場ってことです。

オープンイノベーションの叫び声がよく聞こえる昨今ですが、人材が効果的、効率的にオープンに流動する仕組みぬきのオープンイノベーションはありえません。硬直的に内部化された労働市場に依存する日本の産学官世界から発せられる「オープンイノベーション」には、このように自己矛盾の構造が隠れているということは意識しておいてよいでしょう。

いずれにせよ、クラシカルなHRMではあまり面白くないですね。技術経営の視点で拡張した人的資源論が要請されていることには間違いがなさそうです。技術経営の方法論を実行するのは人=人的資源なのですから。

Twitter+場力で変化する「まなび」

2010年05月11日 | 技術経営MOT
RESEARCH FORUM OF HEALTH SERVICES INNOVATION(略称、「いのへる」)の寺子屋ワークショップが開かれました。そのちょっと前に「バーチャルとリアルな学びの融合」というインサイトフルなイベントをUstream経由で参加させてもらいました。これらのイベントに接してみて、「まなび」のあり方がずいぶん変化しているように感じました。

ちなみに、「いのへる」のTwitterのハッシュタグは#innohealthです。Twitterをやられている方は追いかけてみてください。

もともと「いのへる」はTwitterがらみで知り合った大学院界隈のプロフェッショナルなバックグラウンドを持つ仲間と、「なにか本当に勉強になることをやろうよ!」という気持ちから出発したものです。

実は、ネットを利用したeラーニングについては以前経営していた会社で事業化したことがあり、「eラーニング入門」という実務書を執筆したこともあります。それやこれやで、ネットとまなびについては並々ならぬ関心を持っています。

         ***

ここから本題です。

2000年ごろまではBlended Learningといった考え方が中心で、サーバに置いたLearning Management System(LMS)からクライアント側にパッケージ化されたモジュール(学習メニュー)を配信するといったビジネスモデルが中心でした。古い用語ですが、このようなビジネスモデルを前提としたものが、いわゆるeラーニングですね。

同期・非同期を問わず、学習メニューの供給者がコストを負担して、顧客(法人や個人)を開拓するためのマーケティング、営業を行い、学習メニューを「配信」するというものです。

リアル感覚を演出するためのコーチ役や、メンター役のシステム化や人件費がバカにならず、このあたりの事情が、eラーニング各社の収益構造を圧迫しています。

サプライヤーがコスト負担をするモデルでは、多額の資本を要します。したがって、eラーニング各社は、こぞってLMS、コンテンツ、ナレッジ・マネジメントのアプリなどの分野に絞り込んで差別化を図るビジネスモデルを追求してきています。業界の中でもほんのわずかですが、エッジの聞いたeラーニングのスタートアップスはVCなどから投資を受けることができました。

さて、2007年ごろから、ネット環境にSocial Streaming系のクラウドサービスが登場してしだいに普及し始めました。なかでもTwitterとUstream(Tw+Ustなど)の登場はラーニング環境の変化として衝撃的です。なにが衝撃的なのでしょか。3つほど理由があります。

(1)リアルとバーチャルの相互浸透
そもそもネットがない頃、なにがバーチャルだったのでしょうか?本の中の世界?テレビの中の世界?ネットの浸透によって、私たちは、無意識的に自分の手で触りづらいもの=ネット経由で伝わってくるもの=バーチャルというように感じているようです。

eラーニングという言葉で括られていた時代では、あくまで対面や教室の中で、講師と生徒が触れることのできる距離で学ぶことがリアルで、それ以外はバーチャルであるというような区分がされていました。

しかし、Tw+Ust等は本質的にリアルとバーチャルの区分を無実化しているようです。あるいはリアルとバーチャルを区分するかしないか、またはその区分の程度を、当事者に委ねるようになってきています。つまり、その区分を意識しない人にとっては、二項対立の区分はどうでもいいようなものとなりつつあります。中原淳さんは、『バーチャルとリアルという言葉は、もはや、「死語」である』とさえ言っています。共感します。

Tw+Ust等の世界に触れたことのある人は、以上のことを皮膚感覚で理解できると思います。Twで知り合った人に頻繁に、セミナーや飲み会であったり、その逆もありです。「リア充」や「バチャ充」笑)は相互に入れ子構造のように融合し、相互浸透を始めるのです。相互浸透によってもたらされる均衡的な世界にはもはや、リアルとバーチャルの区分は不要です。

リアルとバーチャルの相互浸透のプロセスは、弁証法的に言えば、正・反・合の繰り返しです。で、結局そのプロセスから人は何を獲得したいのかといえば、究極のところ「意味」なのでしょう。意識は世界に物語りを与えようとし、意味を紡ごうとします。紡がれる糸がリアルかバーチャルかは意味にとって決定的なものではありません。

(2)専門知を持つ個人の多能エージェント化
eラーニングの時代はビジネスモデルをインプリするために多額の資本が必要でした。したがって株式会社を設立して、第三者割当増資などのファイナンスのテクニックを駆使して、リソースの集中化を図ったわけです。

ところが、Tw+Ust等を活用して、コンテンツあるいは内容知を持つ個人はいともたやすくサプライヤーになることができるようになったのです。ヒト、モノ、カネ、知といった経営資源のうち、ヒト、モノ、カネはなくても知があれば、サプライヤーになれるのです。

集中から自律分散へ。Decentralizationがまなびの世界にも訪れているようです。それなりの知を持つ人は、だれでも知のサプライヤー、コーチ、そしてユーザになれる。昔、アルビン・トフラーがProsumerということを言っていましたが、さしずめ、まなびのDecentralizationが進めば、個人は、自律的にエージェントとしての能力を場に応じて切り換えて、サプライヤー、コーチ、ユーザにかわりばんこになれるのでしょう。それなりの知をもつ人の多能エージェント化です。

さて、「知」の中には、形式知化してモジュールに落とし込むことがたやすい知もあれば、人間力や知的足腰のようなどちらかというと暗黙知のままでしか伝わらないような知もあります。たぶん、前者は選別や淘汰にさらされ、後者に秀でた人は価値を維持するのでしょう。そして暗黙知系の「知」をマネジメントする「知」、つまり、メタな知をデザインする知的パワーが求められてくるように思われます。

その知的パワーとは換言すれば、暗黙知の編集力といっていいでしょう。暗黙知は「場」に埋め込まれます。絶えず蠢いている文脈(Shared context-in-motion)の束が場だとしたら、まさに、暗黙知の編集力は「場力」なのです。この「場力」を駆動する馬力・人力が問われるのです。

(3)コスト負担のフラット化、互恵化
社会はまなびのサービス・システムです。だれもが低コストでリソースを他者に伝えることができるようになれば、まなびの世界はガラッと変わるでしょう。分散してなまびのリソースを保有する個人が、自分たちを編集して、たがいに、リソースをやりとりするといったゆるいまなびがTw+Ust等の世界に出現しているようです。

そこでは、各自がそれぞれ少しずつリソース提供、時間などのコストを負担しつつ、フラットに繋がりあう互恵的なまなびの生態系が生まれつつあります。

営利性を前面にもってこない(厳密にいえば、株主に配当して内部留保するプレッシャーがない、少ない)NPO、NGO、そして個人が主人公になりうる可能性が高まりつつあります。

そのようなシーンでは、基礎的なネットリテラシーに加え、リアルとバーチャルが相互浸透する「場」を創発させる、「場」に首を突っ込む、「場」に意味づけする、「場」と自分自身の物語をシンクロナイズさせるような場力・人力系コンピテンシー開発が大切になってくるのでしょう。

            ***

リアルとバーチャルを相互に浸透さる専門知を持つ個人が主役になり、多能エージェント化した個人は、ラーナー、ティーチャー、コーチというように位相を変え、まなびのためのコストをそれぞれがフラットに負担して、互恵関係に持ち込む。

このような方向のまなびの変化を感じました。


8/5中部大学夏季集中講座「人間ポテンシャルの開発」

2010年05月04日 | ニューパラダイム人間学
<以下中部大学のパンフレットより貼り付け>



<以上中部大学のパンフレットより貼り付け>


8/5中部大学夏季集中講座「人間ポテンシャルの開発」というテーマで身体知活性化のためのワークショップを行います。

身体知活性化→身体知の場づくり→発想の揺さぶり→イノベーション萌芽、という流れをビジネス教育の中に組み込む、というのがネライです。

この講座では、スタンフォード大学US-Asia技術経営センター代表、集積技術センター長のリチャード・ダッシャー教授ともご一緒するので、こちらも本当に楽しみです。

詳細はこちらから。