よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

2010北海道自転車ツーリング その6:やっとの思いで札幌へ~サイクリストの系譜~

2010年08月30日 | 自転車/アウトドア
最終日は天候に恵まれた。

235号線をひた走ると、見覚えのある恵庭岳(1320m)、風不死岳(1103m)、樽前山(1041m)が次第に大きく眼前に現れてくる。

千歳から支笏湖、そして恵庭岳の肩を経て札幌へいたる山岳ルートは、両方から走ったことがある。自分の汗が沁みこんでいる山々は自分の分身のようなものだ。



いつものように5:30くらいから走りはじめる。午前の入りとしては一本(始めの小休止までのラン)で30kmくらい走ると調子がいい。



途中、ウトナイ湖のほとりにできた道の駅で休憩。自転車でツーリングしているドイツ人や中国人の女の子が湖畔でテントから起き出したところ。

サイクリストの女の子達と旅のよもやま話に一段落すると、日本人と思しき若者と挨拶。



一見草食系男子だが、26日かけて福岡から自転車でやってきたという。

しかもその装備が驚愕ものだ。

なんと普通の泥除けなしのクロスバイクに、荷物はすべてリュックサック!テントは持たずに寝袋だけの野宿!パンクの修理はこの旅で初めて経験したそうだ!そして、パンク修理用にバカでかい空気入れまで持参している!

訊けば、生まれて初めてのサイクリングだそうだ。28歳の彼女と別れたばかりのセンチメンタル・ジャーニーでもあるとのこと・・・。

iPhoneで地図を読み、Twitterなどで友達をつくりながら北上してきたそうだ。

なんでも京都の町で知り合った某会社の社長から飯も宿も手配してもらい、行く先々で社長さんの知人、友人を紹介してもらい、いろいろ世話になりながら旅をしてきたそうだ。

訊けば、W大学社会学部の5年生という。去年は1年間アイルランドに留学に行っていたそうだ。いいなあ。この大学には昔から奇人変人が多く輩出しているが、こういう奴を見ていると、なるほどと妙に納得してしまうのだ。

というものの、茶髪君も自分のことを相当な奇人変人OBと見なしている様子がありありと。

類は友を呼ぶとはこのことか!?

彼を前にして、キャンピング自転車やら、ランドナーやらの講釈はもはや無意味であると達観。

ordinary miracleをそっと自分へ引き寄せて顕現させる道具として身近な自転車を使って、自分なりのやり方で走ってきたわけなのだから、立派な(あるいは恐るべき)サイクリストだ。

そんなこんなで意気投合して、札幌まで一緒に走ることになったのだ。



ラーメン+ギョーザ+ライスのセットを山岡屋で御馳走してから、幹線道路を避けて、北広島から札幌北広島自転車道でゆったりと話しながら走る。

「26日間でなにか学んだものってあるかい?」

「壁をとりはらって、すべてにオープンになることです。そうすれば道は開けます」

スゴイな。

俺が25のことはなんて言ってたっけ?

"Each of us has a bicycle within, to be safe and free"



札幌駅にて彼と握手して分かれ、僕は札幌ハウスYHへ。

鶴居から札幌まで襟裳岬を経て470km。

明日の札幌市立大学の講義にはかろじて間に合うことになった。

翌朝の講義は9:30から。早朝、身軽になった自転車で北大のキャンパスを散歩がてらポタリング。

クラーク博士曰く、

"Boys be ambitious"

この言葉は次のように言い換えてもいいのかもしれない。

"Boys be with ordinary miracle today"

この日の走行距離 95.93km

2010北海道自転車ツーリング その5:日高沿岸を走る

2010年08月30日 | 自転車/アウトドア


アポイ山荘という名前とは裏腹で、この施設はどう見ても「山荘」ではなくホテルだった。

天皇皇后両陛下も御来臨になっているという格式の高さまで持つ。

さて、アポイ岳(標高810.6m)は日高山脈の南端付近の西海岸寄りに位置する山。北稜沿いのピンネシリ(958.2m)および南東の幌満岳を含む山塊は、約1,500~2,000万年前の日高山脈の形成にともない、地下約60~75kmの上部マントルが上昇露出したとされる幌満かんらん岩体により構成されている。

この山は珍しい生物の宝庫でもある。

国内ではアポイ岳のみに生息する高山蝶ヒメチャマダラセセリのほか、周辺にはクマゲラやシマフクロウが生息。いずれも天然記念物に指定されている。さらに、アポイ山塊でのみ確認されているアポイマイマイや、ナキウサギなどもいる。

それやこれやで、時間に余裕があればちょっと山歩きもしたいのだが、嵐でビハインド気味になっているので、この日も走り続けることに。



昨夜温泉に入り、夕食をとって部屋で横になると、とたんに意識が消えてしまった。

あとは泥のように朝まで寝た。

しかし不思議なもので4:30になると自然と覚醒してしまう。いつもの生活ならありえない身体反応・・・。



美味しい朝食をいただき、山荘の人が親切にも冷えた水を4本のペットボトルに詰めてくれた。

さあ、出発だ。

遅れを取り戻して少しでも最終目的地=札幌に接近しなければならない!



雨に打たれたせいで、心なしか愛車のワインレッドのフレームが朝日に光って輝いているようだ。

日高地方の太平洋沿いの地域には、サラブレッドを飼育する牧場が点在している。



馬の親子。

仔馬は好奇心旺盛で、カメラを向けるとこっちへやってくる。



仔馬の額から鼻にかけてなぜてやると、とても喜ぶ。

それやこれやで、しばし、この仔馬とじゃれあって遊ぶ。



傍観者にとっては、まさに牧歌的な風景だが、海沿いの地域は津波要警戒地区でもある。



有名なフラット牧場。

家屋の建て替えをしていた。

ちなみに、国道沿いに「サンシャイン牧場」なんてのがあった。

Mixiのファンなのか!?



雨の中、グリップを握りしめて走ったためか、グラブのメッシュが破れてきた。



鵡川の道の駅の裏手の広場でキャンプ。

札幌まで100kmを切る距離まで接近。

ほっと一息といったところだ。

事情を話したら、道の駅のスタッフがキャンプを許可してくれた。ありがたし。

慶応の野球部が、この道の駅に併設されたホテルでキャンプを張っていた。春の東京六大学リーグで早稲田を破って優勝した強豪チーム。

(実は早稲田が負けて慶応の優勝が決まった試合は、とある事情があって神宮球場にいたのだ・・・)

西風に晒してテントもシュラフも心地よく乾いた。このテントは数年前まで親子3人男同士(除く母親)で寝たテントだが、ひとりだと余裕の広さ。

さびしくもあり・・うれしくもあり、か。

しかし、そのようなセンチメントを横に置けば、この季節の北海道の晴れた日のキャンプは実に快適だ。

人間の基本として、地べたに寝ることを忘れてはいけない。

ついこないだ、健康とヘルスケアサービスの講義をやったばかりだが、大事なことを言い忘れたことに気がつく。それは・・・

「地べたに寝ることを忘れた人間は病気になる」

ということだ。

ネイティブ・アメリカンとアイヌに共通する教えには真理が宿っていると思うのだ、つくづく・・・。

地べたに寝ることは、たやすいことだ。しかし、その行為には、ordinary miracleの契機さえもが潜んでいる。

誠さんに頂いた『釧路湿原の聖人・長谷川光二』にサインしてもらった。

そこには、"ordinary miracle today"とあった。


この日の走行距離 116.49km

2010北海道自転車ツーリング その4:嵐のなかを襟裳岬へ

2010年08月30日 | 自転車/アウトドア
前の晩に雨が降り始め、テントを水場の軒下に移動して雨をしのぐ。

幸福に満ちた昨日とは打って変わって、早朝5:30から雨の中の自転車ツーリングとなる。



大樹町の歴舟川に懸かる歴舟橋。

8月15日午後8時半ごろ、同町の日高山系ペテガリ岳(1736メートル)などを東京理科大学ワンダーフォーゲル部4人が登山中、歴舟川上流にある中ノ川の沢沿いでテントを張っていたところ、鉄砲水とみられる濁流にのまれ、テントごと流され、3人死亡。

冥福を祈りながら歴舟川を渡るも、すでに最下流にあたるこの部分は激流、濁流と化している。



黒い雲が来るや否や、雷があたりに落ち始める。

これには生きた心地がしない。

あたりには電柱の他、自分よりは高いものはなく、雷が自転車に落ちたら一発でthe endだ。

ガンガン雷が落ちる原野を走ること10km。やっと農業会館を見つけ、軒下で集中豪雨が過ぎ去るのを待つ。

その先の豊似のセイコマートで出会ったオヤジさん曰く、

「この先の道が閉鎖になっている!」

「北海道じゅう豪雨に見舞われている!」

「山の方ではガケ崩れがあり、集落が孤立している!」

やれやれ。

この先、200kmは鉄道が来ていないので、とにかく走るしかない。

今日中に襟裳岬を片づけないと、札幌には間に合わない!




燦々と降り注ぐ太陽のもと、鼻歌まじりで快走するはずの黄金道路は・・・

見るも無残な鉛色の世界。



雨と風の中、トンネルをいくつも潜り抜け、やっとの思いで襟裳岬へ。

春ではなく夏なのだが、本当に「なにもない」ところだ。

しかしながら、こういう時のためにガザばるゴアのパーカーを持ってきて本当に良かった。

だから毎年の装備にはゴアのパーカーははずせない。体温の低下、体の濡れを最小限に抑えることができるからだ。



強風で雲が飛ばされると、ほんの一瞬だが岬の風景が現れる。

数年前に親子で宗谷岬を自転車で訪れたことがある。大きな達成感を親子で味わった。

今日の襟裳岬の話は、あとで息子どもに語って聞かせよう・・・なんてことを考えながらもさすがに腹が減ってきた。



「なにもない」のでは悔しいし、せめてもの記念と体を温めるためにラーメン850円を食べる。ちゃんとタラバ蟹の脚も入っていてこの値段はうれしい。

蟹の脚を食べれば、萎えた脚もちょっとは元気になるか!?



体が暖まったところで岬を後にして走り始める。岬の西側は東側にくらべアップダウンが多く急だ。

途中、幌満の町を過ぎる。サイクリストのO氏(僕が片倉シルクキャンピングを譲り受けた方)が学生の頃、この地の上流のダム湖を訪れ、そこでマタギ的な生活をするオジサンの山小屋に棲みこんでいっしょにヤマメ釣りや漁をした場所だ。

O氏の話を聞いて、できれば上流のマル秘の場所を訪れてみたいと思ってはいたが、急な山道を登る気力は萎えているので記念写真だけとする。交番で水を補給させてもらってひた走る。




次第に雨脚は遠ざかり、夕方には雨はほぼ上がる。

しかし、目的地の日高三石を前にして夕刻。しかもヘトヘトであと40kmを走るパワーはなし。

白状すれば、濡れたからだでぬれたテントに入る気力もなし。

様似駅の観光案内の女性が勧めるアポイ山荘に泊まることにした。来た道を5kmくらい逆走して最後の急な坂道を自転車を押して登る。

その後、ニュースで知ったのだが、この日の北海道は強烈な低気圧の通過で本当に悲惨だったようだ。たしかに地元の方々も口を揃えて惨状を語っていたのだた。

それにしても豪雨、落雷、風の中のサイクリングは苦行だ・・・。「最苦輪苦」とでも悪態をつきたくなるが、好きでやっていることなので、まぁしょうがない。

この日の走行距離 130.97km

2010北海道自転車ツーリング その3:花々の廻廊

2010年08月30日 | 自転車/アウトドア
直別から晩成温泉までは主要道を外れて、ダートを含む裏道を行く。

車がほとんどやってこないのがいい。だが、このコースには60kmに渡って食べるものを売っている店がない。

なので、昨夜、ライダーハウスのおばあちゃんに頼んでおにぎりを3つ作ってもらったのだ。



道端とはいえ、花々が咲いている。



楚々としたたたずまい。



青々とした太平洋を左に望むダートの道。



装着しているタイヤはブリジストンサイクルのタフロード。ゴツいトレッドパターンなので、ダートにはぴったり。

さりとて舗装路でもコロガリ抵抗は少なく、パフォーマンス、経済性に優れた650A(26-1・3/8)タイヤだ。アメゴム色のサイドウォールが欲しいところだ。



ツーリング自転車にはメッシュのグラブが似合う。このグラブのメッシュ部分は一度縫い替えた二度目のもの。

速度、距離などの計測にはブリジストンサイクルのeメーターが重宝する。



このコースにはいたるところに牛牧場が点在し、のどかな風景が拡がる。



やがてルートは十勝平野の核心部へ。

伸びやかな風景に青い空。

何も要らない。



たおやかな水をたたえながら流れる十勝川を渡る。



青い空に青い道しるべ。



休憩のひと時。

足元にさいている花。



湿った空気と水が絶えず供給されるこのあたりは湿地帯、湖沼がいたるところに拡がっている。



常々思うのだが、北海道はJohn Denverが歌が合っている。自転車に乗って口づさむと気持ちがいいものだ。こんな純朴な音楽の楽しみ方に転機が訪れたのは、橋爪大三郎先生(東工大)の比較宗教学と旧約聖書解題に触れてからだ。

John Denverは保守的なアメリカ人に好まれた。日本ではカントリー・ミュージック系の歌手のように見られているが、その歌詞は、多分に聖書の終末に関わる記述を連想させる暗喩、隠喩に満ちている。

数日前に、こんな話を鶴居のヒッコリーウィンドの誠さんとバーボンを片手にJohn Denverを聞きながらしていた。

時間が余ったので、Rhymes & Reasons(John Denver)を訳出してみる。

               ***


So you speak to me of sadness
悲しみに満ちて

And the coming of the winter
冬の到来をあたたは口ずさむ

Fear that is within you now
あなたの心の底に沈んでいる恐れは

It seems to never end
消えそうにもない

And the dreams that have escaped you
あなたを見放した夢や

And the hope that youve forgotten
もう忘れてしまった希望

You tell me that you need me now
君は僕が必要だと告げて

You want to be my friend
僕の友達になってくれって、君は言ったのさ

And you wonder where were going
君が彷徨うところは

Wheres the rhyme and wheres the reason
詩と理由があるところ

And its you cannot accept
でも君は受け入れない

It is here we must begin
ここから始めなければいけないということを

To seek the wisdom of the children
子供のような純粋な知恵と

And the graceful way of flowers in the wind
風に揺れる花々のような優雅さを求めることを

For the children and the flowers
なぜなら、子供たちと花々は

Are my sisters and my brothers
僕の兄弟姉妹だから

Their laughter and their loveliness
その笑声と愛らしさは

Could clear a cloudy day
曇り空さえ晴れにする

Like the music of the mountains
山々の音楽

And the colours of the rainbow
虹の色

Theyre a promise of the future
未来への約束

And a blessing for today
今日という日への祝福

Though the cities start to crumble
城壁都市が崩れ落ちて

And the towers fall around us
高層ビルが次々と崩壊し

The sun is slowly fading
太陽もだんだん消えうせる

And its colder than the sea
海よりもさらに冷たくなって

It is written from the desert
地の果ての砂漠から

To the mountains they shall lead us
山々へと誘われる

By the hand and by the heart
手をとりあって心の底から

They will comfort you and me
君と僕をなぐさめてくれる

In their innocence and trusting
無垢と信頼

They will teach us to be free
自由への賛歌を教えてくれる

For the children and the flowers
なぜなら、子供たちと花々は

Are my sisters and my brothers
僕の兄弟姉妹さ

Their laughter and their loveliness
その笑声と愛らしさは

Could clear a cloudy day
曇り空さえ晴れにする

And the song that I am singing
僕の唄は

Is a prayer to non believers
無神論者のための祈りの唄さ

Come and stand beside us
こっちへ来ていっしょに立とうよ

We can find a better way
いいやりかたが見つかるよ

               ***



帯広市の菓子メーカー六花亭が作る「マルセイバターサンド」は依田勉三が設立した晩成社、そして帯広を開拓し、農業・産業振興に多大な足跡を残した偉業を記念したものである。

今風に言えば、晩成社は社会的企業であり、依田勉三は社会起業家だ。



今日の寝床。

温泉料金500円を払えば、キャンプ料金はタダになるという仕組みがいい。

ヨード成分を大量に含む温泉を堪能してから、安藤誠さんにいただいた『釧路湿原の聖人・長谷川光二~永遠なる人間の鏡』(伊藤重行著)を読み始める。

「ウォールデン 森の生活」を書いたヘンリー・D. ソローと長谷川光二の比較考証(p105)が秀逸だ。日本のアウトドア関係者は、ともすればソローを崇めたてまつる妙な傾向がある。

ソローの読者でもある自分にとってやや複雑な思いもあるが、日本、そして釧路湿原には、ヘンリー・D. ソローを凌駕して余りある人物がいたのだ、という論旨には、なるほど、説得力がある。

伊藤重行はこう書いている。すなわち、

長谷川光二とヘンリー・D. ソローの「大きな違いは長谷川は家族をきちっと持ち育てたが、ソローは気楽な独身生活。また長谷川は47年間鶴居に住み続けたが、ソローはウオールデンにたったの2年2カ月」(p105)

「やはり両者の違いは宣伝力の違いによって起こっていると解釈した方が良いかもしれない。私が指摘したようにソローの人生の実験と長谷川光二の一生の実験は良く研究してみれば、長谷川光二の方が多くのことをなしたに違いない。ソローばかりではないが、明治時代からの日本のインテリが紹介した思想が日本の伝統的知や生き方と大差ないにも関わらず、良いように紹介されていると」(p106)

ヘッドライトを頼りに150メージまで読んだところで寝てしまう。

この日の走行距離 61.35km

2010北海道自転車ツーリング その2:さようなら、鶴居

2010年08月30日 | 自転車/アウトドア

<ヒョウタン沼から仰ぐ雄阿寒岳>

楽しくも色々な出会いに満ちた鶴居での滞在も終わり、カヌーから自転車へとモードが切り替わる。

みなさんと簡単に挨拶をしてから、おもむろに鶴居丹頂サンクチュアリ脇の地道を走り始める。

自転車の旅は、Expedition on my own risk(自己リスクによる探検)である以上、ここからはなにがあっても自己責任の世界。

旅の終わりには、札幌市立大学での講義があるので、札幌にまで辿りつくことがこの旅の唯一にして明快な目標となる。



<釧路湿原と自転車>

今回の装備は、ここ数年、北海道定番となっているアルプス・パスハンターベースの機動的テント泊仕様。

1週間くらいのキャンピング・ツーリングにパスハンターを使うのは「邪道」なのかもしれないが、パスハンターは、ホイールベースが長く直進安定性が強い設計。アスプスの萩原さんと相談して、僕流の走りの目的をよく理解してもらい、特注でリアにダボを設えてもらいダブルバテットのパイプも太めにしてもらったのは10年前。

パスハンターはリアの泥除けとシートチューブの間にインフレーターを納めているため、前三角にはボトル・ゲージ2つの取り付けることができる。

フロントバックに、オーストリッチの特大パニアバック。74Lという大容量はサイドバック4個よりも遥かに使い勝手がいい。テント、寝袋、エアマット、North Faceゴア・マウンテン・パーカー、各種衣類、ガソリン・ストーブ(Optimus 123)などが一式余裕で搭載できる。自転車からディスパッチした時も、肩に乗せて運べるのもいい。



恋間海岸の道の駅にて。なんともロマンチックな名前。

白糠の恋の間に間にひとやすみ。



道の傍らには、こんな綺麗な花々が。



海岸線を左に眺めながら、右には大小の湿原、丘陵が続く。

緩いアップダウンが続く。



今日はこの直別という小さな町で寝ることにする。ところがこの町には、適当なキャンプサイトがない。

直別の駅はけっこう新しくいい感じ。ここで寝ることも一瞬頭をよぎったが、学生でもあるまいし、『ミッキー』というライダーハウスへ。

ネット情報では素泊まり1000円となっていたが、なんと1800円に値上がりしていた。

こりゃ、高いわっ。

ミッキーのおばさんから「あんた、トホダーでしょ?」と言われる。

こんなおばあちゃんでも「トホダー」(ライダー:バイク乗り、チャリダー:自転車乗り、トホダー:歩きの人)という特殊用語を使うことに新鮮な驚きを感じる。

ライダーハウスという特殊業界にこのおばあちゃんがいるからか?

それにしても、僕は「歩き」や「トホダー」ではない。いやはや。

***

今日の走行距離75.71km(eメーター)

2010北海道自転車ツーリング その1:鶴居のヒッコリーウィンドにて

2010年08月29日 | 自転車/アウトドア
出会いには理屈が介在する余地はほとんどないのだろう。

出会うべくして出会うことは、Implicated order(内臓秩序)として予定されているのかもしれない。そんなことを釧路湿原北部、鶴居のヒッコリーウィンド(Hickory Wind Wilderness Lodge)安藤誠さんとの邂逅を通して感じた。

ウィルダネス(Wilderness)とは「自然のままの原野、原生自然」という意味。その名の通り、ヒッコリーウィンドは釧路湿原国立公園のほとりの原野の中の一軒家だ。



鶴居から札幌までの450kmにおよぶ自転車ツーリングの出発地として、まさに最適な地である。



ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドは、ネイチャーガイド・カヌー・スローフード・音楽とバーボンなどを提供する、こだわりの宿だ。

物語り、意味のともなわない物質をマテリアル(Material)と呼ぶことにすれば、豊饒な物語りや意味が埋め込まれた人工物(Artifact)をモノと言っていいだろう。そして、モノとセマンティックな文脈が真実に迫る本質を共有している場合、それをホンモノと呼ぼう。

このあたりの事情は、Artifactという英語の背後にも埋め込まれている。通常、人工物と訳されるArtifactという英語は、ラテン語のarte(技術で)という語と、factum(創られた)という語の結び付きから生まれている。至上の技術で創造され豊かな意味が埋め込まれた人工物は芸術(Art)作品とされるゆえんだ。

こんなことをツラツラ思いながらも、ウィルダーネスのさなかにあって、ホンモノがかくも凝縮されている空間には目眩さえ感じる。

そして特上のバーボンを飲み、さらに目眩は昂じてゆく・・・。



リビング・ダイニングにそびえる柱は流木を拾ってきて設えたそうだ。

なるほど、この流木に耳をあてると、潮騒の音が聞こえてきた。



御縁を得て、アメリカ人の親子連れ、モーターサイクル・ライダー、ツーリストの方々と連れだって、阿寒湖の南西に位置するひょうたん沼をカナディアンカヌーで巡る。

阿寒湖、パンケトー、ペンケトー、ヒョウタン沼が雄阿寒岳を取り囲むように横たわっている。

ヒョウタン沼はほとんど人が入らない秘境。




まさにclear blue mountain lake。

原生林に囲まれた静謐。

その静謐さのなかを水生植物、樹木、ニジマス、サギ、猛禽、昆虫など、ありとあらゆる生き物がCosmic dance(宇宙的な舞踏)を繰り広げている。この舞踏会にちょこっと舟に乗って混ぜてもらう。

カヌーと自転車は、その本質において共通点がある。

人が認識する本質は時として述語(主語の動作や性質などをのべる文節や語)に顕れる。

すなわち、大和言葉(北海道で大和言葉は外来の言語なのだが)では、カヌーと自転車に関わることを「漕ぐ」という共通の動詞を用いる。

「カヌーを漕ぐ・・」

「自転車を漕ぐ・・」

自力を用い、自らを律してカヌーや自転車を「漕ぐ」=共起的な律動によって、人はコスミック・ダンスのささやかな一部であるということを身体知として体感するのだ。

カヌーイスト、サイクリストは、この秘儀的なフィールドに参入できる特権的な人種なのだ。

Ordinary miracle(日常にある奇跡)はomnipresent、つまり、いたるところにあまねく「遍在」しているものなのだろう。でもそれが、日常の日常性たるもののために、なかなか体感できない。

カヌーや自転車は、日常のベールの向こう側にあるネーチャーから、奇跡をちょっとこちら側に引っ張ってきて顕現させてくれる道具なのだ。そこでは自然と人間のシンクロニシティが頻繁に共起するし、それらの場を共有する人間同士のシンクロニシティも勢いづく。



阿寒湖アイヌコタンにたっているポール。



安藤誠さんと親交のあるアイヌ彫刻家の藤戸竹喜氏のアトリエにて。

ホンモノが処せましとメッセージを発している。



夜は素敵なスペースで小さなトーク

Talk of poems, prayers and promises...といきたいところなのだが、サイクリストの視点から見たいろんな話。暖かい方々に囲まれてついつい話すぎ。

             ***

圧巻はトークが終わってからの深夜のカヌー。

夜の夜中に人っ子一人いない、ウィルダーネスの湖沼をカヌーで巡るというのは生まれて初めての経験。

昼間のヒョウタン沼とは全く異なる別世界がそこには展開される。

静謐を越えた静寂、寂寞の空間だ。

スターン(自転車で言えばリア)に乗る安藤誠さんのリードとヨークのカオリちゃんのアシストを得て、バウ(自転車で言えばフロント)ポジションに乗って漆黒のヒョウタン沼を巡るという究極のネイチャー・ガイド・サービスだ。

パドルが水面を愛撫するように漕ぐ音のみ。なにも話さない、圧倒的な豊かな時間。

おもむろにムックリを奏で始めるマコトさん。

白と黒のグラデーションの世界は、ムックリの音色とバーボンを得て、一気にcolorfulな世界へと転換し始める。

やがてボートは暗い森の中へ。

その漆黒の空間は、木立の甘い香りに充ち溢れ、木霊が充満している。

突然、ぽつり、ぽつりと雨が降り始め、やがて湖面は驟雨に包み込まれた。

             ***


2泊3日のとても充実したと時間をすごした。安藤さんご夫妻とアシスタントのカオリちゃん(三ツ山佳織さん)のおかげ。

なるほど、プロフェッショナル・ネイチャー・ガイドはクライアントとサービスを共創(Co-creation)し、共進(Co-evolution)させるのだ。サービス・イノベーションについてあれやこれや書いている身にとって、実に意味に満ちた示唆的なレッスン。

ともあれ、ここでは意味に充満した時間が異次元の中でゆったり流れている。ここで得た思索はいずれ専門書ではない、ライフワークとしてのNature Writingに結実させよう。

明日からは自転車を漕いで襟裳岬を目指す日々が続く。

サービス・イノベーションの経営学・8

2010年08月19日 | 技術経営MOT


連載8ヶ月目は「大量死に直面する医療サービスの苦悩」です。
看護管理 2010年08月号 (通常号) ( Vol.20 No.8)pp852-858

無縁死、自殺、低密度医療、看取られ場所の欠乏などの健康基盤に巣食う病巣の問題を渉猟しています。重々しく暗い問題です。これらの問題は、現代日本社会の健康基盤であるソーシャル・キャピタルの退嬰化、劣化と無関係ではありません。

このテーマについては、以前Temple Universityどのレクチャーや日本ドイツ研究所でのレクチャーで扱ったことがあります。今回はこれらを大幅に発展させて独立した日本語の論考としました。

                 ***

明日から北海道ですが、大自然を堪能するのみならず、北海道のソーシャル・キャピタルにも触れたいものです。



遠く、釧路湿原でトーク

2010年08月09日 | 自転車/アウトドア


8/21夜8:00から一風変わった講演会(小さなトーク)をします。

場所は、遠く釧路湿原の北のほうの鶴居にある、ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドという素晴らしい自然に囲まれたこだわりの宿です。




ふだんはアントレプレナーシップ、医療マネジメント、技術経営などのテーマでお話させていただいていますが、今回は、「自然と自転車」を切り口としたリベラル・アーツ系雑談トークです。上田紀行先生の「生きる意味」に触発されて、「走る意味」について遅ればせながら語ります。

ヒッコリーウィンドのオーナー、安藤誠さんと語らってこのような運びとなりました。



<安藤誠さん近映> この雰囲気が好きです。

安藤誠さんは、ヒッコリーウィンドを営みながら、湿原が果たす「人と自然への役割」をさまざまな角度から伝えて、北海道認定アウトドアガイド、環境省委託北海道指定タンチョウ監視人、スワロフスキーオプティック社サポートプロガイド、知床ボランティアガイドレンジャーなど実に多様な活動をなさっています。

トークは以下のようなものになると思います。

○自転車で「走る意味」
○日本の神々とジャパニーズネイチャー
○ジャパニーズネイチャーとのチャネリング




鶴居でカヌーや自然散策を楽しんでから自転車で走りだし、札幌まで400km走り、札幌市立大学で授業をする予定です。

神保町界隈、靖国神社

2010年08月07日 | 技術経営MOT


日本工業大学MOTで講義した後、お参りに行ってきた。

靖国通りを歩いて10分ほど。至近なのだ。

アメリカに留学が決まってから靖国神社に参拝。そして帰国してからもほぼ毎年参拝に訪れている。

かつての敵国で学べたのは「鬼畜米英」、「米鬼撃滅」を叫びながら散華していった僕の先祖のお陰でもある。また大陸で戦死した御先祖もいれば、B29の空襲で亡くなった親戚もいる。

英語上達法

2010年08月02日 | 技術経営MOT
このところ、畏友麻生川さんが英語上達法について面白いことを書いている。麻生川さんによると「語学がかなり上達するには、絶対に海外滞在体験がないとだめだ」ということで、周囲を観察するとおおむね以下グラフのような傾向があるという。詳細はこちら



(引用:ブログ「限りなき知の探訪」)

また、「話が通じるかどうか、つまり話を聞いてもらえるかどうかは、発音だけでなく内容(コンテンツ)も深くかかわっている。そしてその境界がこの図で分かるように、曲線になっている。つまり、発音が下手でも内容が豊富な人(例:ソニーの盛田さん)などは、人がどうしても聞きたい内容なので、聞きづらい発音でも人は非常に熱心に耳を傾けてくれる。しかし、中身のない人だと、無理してまで聞いてくれない」ということになる。詳細はこちら



(引用:ブログ「限りなき知の探訪」)

実は、英語をめぐるあれこれは、自分の関心事でもあり、上図ならびに麻生川さんの観察内容と自分のものとほぼ一致する。

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本格的に留学計画を始動させたのは学部1年の頃だった。いろいろ調べると、とんでもないことを発見したのだ。当時通っていた学部の成績評価は、(優)、優、良、可、不可という5段階評価だった。これを事務に頼んで、英語の成績表を発行してもらうと、(優)と優がA、良がB、可がCとなり、自動的にグレード・ポイントがかさ上げされるのだ。

ならば、がりがり勉強やって(優)なんでたくさん取る必要はない。優と良を取ればいいのである。

大学1年の夏までには、大学院は学問の本場(と勝手に思い込んでいたアイビーリーグに行く)と勝手に夢想して、勉強は適当にすませ自転車で全国を走り廻るという、どちらかというと、「首から下」を鍛えることに専念したのだ。

「首から上」を鍛えに米国の一定レベル以上の大学院へ行くためには、もちろんそれなりの英語力が必要なので、マージャンを一切やらないことにして浮いた時間を英語に回した。英語習得のための戦略は:

1)しょせんネイティブレベルにはなれないだろう。だとしたら、下手な発音でも相手をぐっと言わせる内容を持とう。(麻生川モデル下図の右上)

2)英検1級とTOEFL600点(旧式)を当面の目標とする。(麻生川モデル上図のハイスコア組)

3)カネをかけずに安く済ませ、1)、2)を達成するコストパフォーマンスを極大化する。

この線に沿って、まず、リンガフォン(英会話上達用として当時売られていたテープ教材)の販売員をやっていた先輩をたらしこんで、全巻無料でダビングし徹底的に聞きこむ。雑誌のNewsWeekを購読して毎号かならず始めから終わりまで読む。

モチベーションを維持するために、海外に一切出ることなく英語を極めたとされる松本道弘先生の『黒帯英語』理論を学んで、「英語の学習方法の学習」から始めることにしたのだ。当時はLanguage1-2 Theoryというようなものがあった。これによると、15歳以上になってしまうと、母語(language1)の基礎ができてしまい、その母語の基礎基盤の上に外国語(language2、つまりこの場合なら英語)を構築してゆくほうが効率的ということがよく説かれていた。

たばこのプラント輸出に伴う膨大なドキュメントを英訳するアルバイトを見つけ、そこに出入りしていると、強烈に英語ができるお姉さんと知り合った。彼女は宮沢喜一元首相のお孫さんにあたる人で小中高の大半を英国と米国ですごしたという。とにかく彼女の英語は素晴らしく、もちろんいろいろ教えてもらったが、麻生川モデル上図の「小学校で現地」に接したショックは大きかった。実は、上記目標2)にしたのは、越え難い壁を早期に認識できたことが影響している。

僕の場合は、初めて海外に行ったのはインドとネパール。3人でパーティーを組んでデリーからカトマンズまで自転車で走ったのが最初だった。病気になっては現地の方々の親切に救われ命拾いをしたり、ヒッピーと夜な夜な語り合う。こんな経験は、英語の学習を遥かに超越した素晴らしいものだった。

それやこれやで英検1級はなんなく取得。学部を出てから就職したのは、某メーカーの国際部。英語の学習システムが充実しているから選んだという不純な動機からだった。ただし就職した年に、海外留学制度が廃止になってしまい、「話がちがうわっ」ということで早々に退社。

その後、20代後半でコーネル大学に留学。GMATは610点位。まあ、そこそこで、アイビーリーグの大学院としてはボーダーラインくらいだったと思う。

企業派遣はどうしても甘さがでるが、僕の場合は自費。つまり留学というプロジェクトをスタートさせたのだ。2年間、得べかりし給料を敢えて絶って、卒業後のインカムゲインで高ROI(Return on Investment)を狙うというもの。

ここでPolicy Analysis & ManagementとSloan Program in Health Services Administrationをダブルでやった。この大学は州政府がグラントした大学院の学費は他のデパートメントの半額。ただし、ビジネススクール、エンジニアリングスクール、ホテルスクールなど高額な大学院の授業も自由にとることができる。これはありがたい制度だ。

New York訛りの教授にはほとほと手を焼いた。また、熱くなって早口でまくしたてる米国人学生の英語はわけがわからない。そこで、一計。クラスディスカッションは話が込み入る前に、「自分はかくかくしかじかだと思う。その根拠は①なになに、②なになに、③なになに」とバッと言ってしまい、あとはダンマリを決め込む。そして授業が終わりにさしかかる頃を見計らって、教授にかならず1つは質問なりコメントをするのだ。

奨学金をとったりTAをやったりで、円高の影響もあり、年間生活費は100万円を切った。棲んだのは大学の敷地の中にあるKappa Alpha Societyというフラタニティーハウス。食費が込みでたったの月2万円。日本人として初のブラザー(任侠系ではなく友愛系)。朝から夜まで、とにかくだれかと一緒にいる環境なので、英語を話す機会はいやでも増える。

企業派遣の人たちは日本人同志で、納豆のようにひっつく場合が多く、これだと英語はほとんど上達しない。「日本人空間」をその場で作ってしまい、その中にはまると英語どころではない。日本人留学生の失敗パターンを見ていると、10人中7人くらいまでは、「日本人空間」に足をとられて英語が熟達していない。

3)については、大学院終了後、職を得た外資系コンサルティング・ファームのペイがよく、なんと1年ちょっとで、留学に際して発生した機会費用(遺失給与)と直接費用(渡航費、生活費など可留学で使ったいっさいがっさいの費用)を回収できた。これは留学前の給与がとほうもなく安かったことが影響しているのだが。

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もとより、留学の効用は語学だけではない。やや誇張して言えば、生活圏そのものを異質なものにして、自分が置かれた環境のミニ「パラダイム」を変えることができる。自分と留学環境で遭遇するありとあらゆる異質なモトゴトを「新結合」(シュンペーター)できるので、日々イノベーションの契機に充満するのだ。

そして、しっかりした欧米の大学院ならば、その後のキャリアにおいて開発できるコンピテンシーの基礎を培うことができる。黒川清さんは「世界デビュー」と呼んでいるが、たしかに、世界に対するチケットのようなものを手中にすることができるように思われる。(たしかに実績もへったくりもない若者にとって、このチケットはさすがにまぶしく眼に映った)

下の図は、僕の観察からひっぱりだしたある種のパターン。外国企業、外資系企業などで英語ができる日本人に長年接していて抽出したものだ。



若年のころは、仕事において英語の占める割合が大きいが、キャリアを発達させてより高度な職務に就くに従って、相対的に英語以外のコンピテンシーが占める面積が膨らんでくるのである。それにしたがい、その人の英語力はいくら素晴らしくても、高度な英語力が仕事に対して掛ってくるレバレッジは小さくなってくる。

いくつかのレッスンがある。

・英語のみをレバレッジにするようなキャリアはいわゆる「英語屋」になってしまう。

・グローバルな環境=英語環境である今日、英語の持つ国際的な環境で専門性を発揮するときのレバレッジ性は増している。

・留学の効用は短期においては英語力に現れやすい。長期においては、英語力が基礎となるグローバル・リテラシーの涵養に顕れる。

・したがって、グローバルキャリアを積みたい人にとって、発音が多少訛っていてもコンテンツで勝負というゾーンにレバレッジを掛けることが効果的。

・純粋な人ほど米国留学をすると、アメリカ崇拝・追随的に洗脳されることが多い。この点は要注意。欧米留学に前後して発展途上国での経験があったほうがいい。