よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

四谷三丁目の「破壊的」思い出

2005年06月27日 | よもやま話、雑談
午後から暑い中、四谷三丁目の翔泳社さんへ出版について打ち合わせに出かける。よもやま話をしているときに、りそなキャピタルの永島さんから翔泳社の速水社長を紹介してもらったのが発端だ。総勢4人のミーティングそのものは、オープンソース、CRM,MOTなど、とても刺激に満ちて楽しかった。

なんと本を一抱えもいただいてしまい、書物フリークとしては、うれしいやら、恐縮やら。あのクリステンセンの「イノベーションのジレンマ」もいただいた。翔泳社は、ビジネス分野においても実力派であると再認識した次第。さて、やはり英文の原著より早くよめるのは自分の限界を正直に感じるとともに、日本語を母語に持つ身としてはうれしいものだ。

この本のテーゼは一言で言うと、「偉大な企業はすべてを正しく行うがゆえに失敗する」自戒を込めて言い直せば「平凡は企業はすべてを正しく行わないがゆえに成功しない」とでもなるか。破壊的イノベーションをあつかったクリステンセンには、ぜひオープンソース分野の破壊的イノベーションを研究素材にして欲しいものだ。

さて、僕は今でも四谷三丁目のサンミュージックと聞くと、岡田有希子を思い出す。1986年に起きた現役アイドルの衝撃の飛び降り自殺。その遺骸を収めた写真は、写真週刊誌やスポーツ新聞に掲載され、これ以上ない破壊的インパクトをファンに与えたものだった。あの一件後、しばらくはサンミュージックの前に花束がたむけらえていたものだった。実はファン同志の友人と連れ添って花束をそっと道端に置いた、そんなセピア色の思いでも。

帰り道、四谷三丁目の午後の蒸し暑いアスファルトのうえで、全く脈絡はないが、「破壊的」という言葉そのもので、ふたつの破壊的なる出来事について思いをはせた。


日総研福岡にて

2005年06月25日 | 講演放浪記
羽田から福岡に飛んできたが、博多は30度を越える猛暑だ。梅雨の気配は全くなくダムの湖水も干上がっているという話をタクシーの運転手の人から聞いた。

熱心な受講生の熱気もあいまって汗をたくさんかいた講演だった。コンピテンシー理論とその実際的応用は多くの聴衆の関心事である。従来のクリニカルラダーではこのへんが弱かったので、統合型クリニカルラダーに多くの受講生は大きな関心を抱いているようだ。

コンフェデ杯、日本VSブラジル 2:2の勝利だっ!

2005年06月23日 | よもやま話、雑談
昨日は夜ちょっと早めに寝て、3時ごろからごそごそ起きだしてテレビでコンフェデ杯、日本対ブラジル戦にかじりついた。

近年にない絶対的な好カードとはまさに、このような試合のことか!メキシコには敗れたものの、EU王者のギリシャには勝利し、世界王者のブラジルに挑む大決戦だ。しかも、相手のブラジルもベスト4進出がかかっている。試合前はブラジルは日本をなめきって二軍並の布陣で対戦してくるだろう、というような心理戦もあったはあったが、どうしてどうして。ブラジルも本気モードだ。

先制のゴールは日本のものだった。なんであれがオフサイドになったのか?あの不可解な判定がなければ3-2で日本が勝った試合だった。2-2のい引き分けではなるが、この引き分けた意味、内容はデカイ。なので勝手に2:2の「勝利」だったと思っているのだが。

中村俊輔のゴールは、実況中継でも「目が覚めるような!」と叫んでいたが、深夜、やはり目が覚醒するほどのセクシーで美しいインパクトがあった。中村俊輔から放たれた、中村俊輔のあるべき姿をあますところなく表現した、中村俊輔のためのシュート。あのナカムラのシュートはシュートではなかった。あれは、眩いばかりの閃光をともなった芸術だった。マン・オブ・ザ・マッチから、マン・オブ・ザ・アートへ。

いっぽう、泥臭いプレイでは、GK川口の顔面セーブが印象に残っている。僕はちゃっと憶えているぞ、マイアミの奇跡を。その試合で28本ものシュートを止めに止めた川口を、そしてその後の川口の屈折した紆余曲折を、試行錯誤を。そんな川口の過去の思いが、あの顔面セーブにつながったのだ。俊輔中村のゴールには崇高な芸術的な感動があったが、川口能活のセーブには怨念にも似た情念的な感動があった。

ともあれ、世界標準の実力を堂々と示して余りある試合だった。ワールドカップ本戦に繋がる強烈な意味に満ち溢れた一戦だった。がんばれ!ニッポン!がんばろう、ニッポン!!!

いろいろなミーティング

2005年06月22日 | 自転車/アウトドア
今日は社外の方々とのミーティングが多い日か。

朝一番でZend Japanの鈴木社長のご訪問を受ける。言わずと知れたZend Technologyとアライアンスをしてオープンソースがらみの市場では台風の眼のような存在の会社だ。鈴木さんは優秀で、ざっくばらんで話が速い方。こっちもざっくばらんで話は速い方なので、いろいろ話がはずむ、はずむ。そして濃~い議論をさせていただいて、大変勉強になった。シナジーを効かせて、相互補完のカタチをいかにつくるか?各論はここでは明かせないが、、、。

午後は信金キャピタルのキャピタリストの方が来社。Moody'sでA1、S&PでA+の高い格付けを得ている信金中金がフェニックスから買収したキャピタルだ。なんでも新聞記事を読んで、ケアブレインズのサイトをなめるように読んでから来たそうな。

はっきり言って、昨今のVCの投資姿勢に大きな疑問を持っている。株式の買い戻し特約にいろいろ書き連ねて、とことん投資する側のリスクをヘッジしまくっている。買戻しさせることを想定するのなら、はじめから投資するなよ。元来、株を売った、買ったの取引には投資契約書など不要なのだ。間接金融における社長個人保証も資本主義の根本を否定しているが、ベンチャーキャピタルのセコイ株式の買い戻し特約も、プライベート・エクイティ・ファイナンス、資本市場の根本を否定して余りあるものだ。

もっとも、いろいろな特約とひっつけて投資契約書を交わす、交わさないも、どうぞ投資する側、される側のプライベートな話し合いでやってください、となるがゆえに「プライベート」エクイティ・ファイナンスが成立するわけだが。

さて、ベンチャー企業としては、ねじまがった契約形態のファイナンスでも資金欲しさから出資を受けざるをえないこともあるのは事実だ。いや、そのようにしてまでも投資を受けることができるVBは優良ベンチャー企業なのかもしれない。ただ、そうまでして「優良」にはなりたくない。




話し方<訴え方

2005年06月21日 | 講演放浪記
仕事がらプレゼンテーション、セミナー、講演、レクチャーは
大小、フォーマル、インフォーマルなものをあわせると、毎年
50-80回くらいこなしているか。

日総研でのレクチャー記事があがっているのに気がついた。

大学院時代に「マネージャとプロフェッショナルのコミュニケーション」
という気のきいたコースがあり、よし、このコースをとって、一気に
プロレベルになろう!と決意したまではよかったが、もちろん全部英語
で、とほうもない苦労を強いられた。

このコースでは、受講者ひとりひとりに課題を与えプレゼンテーションを
させる。その一部始終をビデオに録画して、クラス全員があれやこれや
評価を加える。そして教授も批評するといった凝ったものだった。

英語を母語とする連中の中に入り、もちろんハンディキャップはあるが
みんなの関心を集め、スコアをとる方法があった。

・ハラからデカイ声を出してゆっくり話す。
・発音などの「みてくれ」に気をつかわず、話の中身で勝負
・とにかく聴衆を笑わせる。

こんなことが役に立っているように思える。で、日本に帰ってきても
バカのひとつ覚えではないが、人前でなにか話すときには心がける
ようにしている。

オープンソースCRMでイノベーションを!

2005年06月20日 | オープンソース物語
旧来のCRMユーザの間でずっと言われつづけてきた文句がある。

CRMに高額な費用をかけたわりには効果が出なかった。メインテナンス、運用コストも高額で、効果がはっきり見えない。儲かっているのは、CRMユーザではなく、CRMのベンダばかりじゃないのか。

顧客に関するあらゆる情報を営業部門で共有しよう、CRMを営業ツールとしてではなくナレッジマネジメントのツールとして使おう、顧客関係に関するシームレスな業務フローを再構築しよう、ミッション・クリティカルな顧客情報をCRMで全社で共有しよう、営業の暗黙知を形式知に転換して、効率化しよう、etc...こんな「効果」的側面をCRMベンダーはずっと呪文のように強調してきたんじゃないのか!?どのCRMもSFAのベンダも似たりよたりのセールストークばかりだ。

効果をとりわけ強調する宣伝文、マーケットメッセージにはもう飽き飽きだ。効果だけでは価値は出ない。ようはかけるコストとの兼ね合いが大事なのだ。効果とコストの兼ね合い、もっと言えば、「効果」割ることの「コスト」によって「価値」が決められる。

さて、あたりまの話だが、価値は以下の式によって成り立つ。

V=O/C (V:value 価値, C:cost 費用, O:outcome 効果)

効果が測定しずらい状況において、価値を上げ、確保するにはコストの削減、ないし低価格サービスの活用が一番わかりやすい。しかも圧倒的な低コストが。そう、効果の部分をああだ、こうだ美辞麗句を並べて訴求するのではなく、圧倒的に安価なコストで導入、運営できるCRMが求められている。はっきり言って、オープンソースCRMで、十分に機能は事足りる。米国系S社(複数)や国内大手ベンダーが有償でパッケージ販売やASPサービスで装備している基本機能はすべてカバーできているし、カバーしてあまる機能さえもある。

オープンソースSugarCRMの存在意義のひとつはここにあるが、もっと詳しい情報はこちらを参照されたい。


人になついた雀

2005年06月18日 | よもやま話、雑談
幕張新都心のワールドビジネスガーデンの西にはモダンなかたちの展示場の建物がある。その施設の前は噴水を配置し、植え込みに囲まれたちょっとした憩いの場だ。

時間があまりなく、そして天気のいい日はこの場所のベンチでお弁当を食べる。昨日もそんな日だった。ここにくると、いつも一羽の雀が近寄ってくる。今日もちょんちょんと近寄ってきたので、いつものようにコンビニ弁当のごはんつぶを三、四つぶなげてあげると、喜んで食べる。

こっちもおなかが減っていたので、お弁当を食べていると、なんとベンチの上に上がって来て50センチにも満たない距離をちょんちょんしているではないか。この雀ずいぶん人に慣れたんだな、と思いながら、右手の人差し指にご飯粒をひとつつけて差し出してみた。

ちょっととまどった様子をみせながら、多少いったりきたりしている。それからおもむろにひとさし指のご飯粒をついばんで、うれしそうに食べる。雀に直接、自分の手からえさを与えたのは初めてだったので、おおいに感動。たかが雀。でも、こんなにもこの雀が自分になついてくれるとは。また晴れたら来るからな。いっしょに遊ぼう。





新聞記事と縁

2005年06月17日 | オープンソース物語
このところ、オープンソースCRMの新事業がよくマスコミ各誌に取り上げられている。限られた広報予算のわが社としては大助かりだ。しかも、新聞記事を読んで大きな関心を持つに至った企業人はわざわざ海浜幕張のケアブレインズまでやってきてくれる。

昨日会ったリアルコムの谷本さんは、「今日も新聞に載ってましたよ」とわざわざ日経産業新聞をみせてくれた。日経産業新聞からはなにも連絡がなかったので、そのときはじめて知って、笑ってしまった。

こうして会社の会議室ではわいわい、がやがやがはじまる。訪れる方々はベンチャー企業のトップが多いので、もともと話が早いほうの人ばかり。話が盛り上がれば、即アウトプットがでる。これは気持ちがいい。逆に「社に持ち帰って検討させていただきます。。」の類の具体的なアウトプットや結論を先延ばしにする会議の終わり方は嫌いだ。

いろいろなリアルなネットワークがこうして拡がって行く。そんなこんなで、日経新聞、日経産業新聞、日経流通新聞などで掲載された記事が縁になって、またいろいろな連結がなされてゆく。


オープンソース・コミュニティと道具としての英語

2005年06月14日 | オープンソース物語
昼休み、パスタをたべながらオープンソース・コミュニティの話題で盛り上がった。

オープンソース・コミュニティの数は増加の一途。しかもそのほとんどは国際語の英語で運用されている。英語なのだ。ここで問題。日本人プログラマ、SE、技術者は英語ができない人が圧倒的に多い。その結果、オープンソース・コミュニティに参加したくても、参加できない。また参加してもシャイになってしまってうまくコミュニケーションができないことが多いと。

これではいつまでたっても世界との壁の前にたたずむしかないのではないか。かといって、日本語のオープンソース・コミュニティをどんどん立ち上げようという動きにも限界がある。島国根性、プロパライアトリな世界の住人ほど内向きで、オープンソース・コミュニティの基本精神のコスト、リスクの分散化、自律的参加による成果の共有化という行動様式が身についていなければ、へんてこりんなコミュニティになってしまう。

できの悪いソフトウエアをポンとほおって、あとはお願いします、というような無責任が横行してしまう。これではオープンソース・コミュニティがソフトウエア産業のために産業廃棄物処理センターと化してしまう。笑いごとではすまされない!

オープンソース・コミュニティでは肩書きなんて通用しない。参加者は行動、そしてアウトプットで自らの存在を示すのだ。そして、頻繁に使われるコミュニケーション・モードは、質問、報告、提示、相談である。この世界には外発的な報酬はない反面、アクティブな参加者は内発的に動機づいている。言うなれば、外発的報酬がない成果主義が支配するバーチャルなゆるい連結組織なのだ。自分の成果が他者から認知され、賞賛される。その達成感、貢献による満足感は、きわめて内発的なものだ。オープンソース・コミュニティはリアル組織とは異なり、内発的動機のネットワークでもある。そして、そのクロスカルチャーな世界=オープンソース・コミュニティでたちまわる作法としての、道具としての言語運用能力、とくに英語力が求められる。

さて、そこで雑談のなかで提唱された対策。日本人プログラマ、SE、技術者は技術のお勉強と同等に、そしてそれ以前に、実用的英語の習得に時間をかけるべきだと。さいわいspoken Englishよりもwritten Englishのほうがキャッチアップはしやすいはずだ。

ちなみにそのランチをともにした同僚は、日本人プログラマ、SE、技術者のために、「オープンソースコミュニティのための英会話」というテーマのブログを開設している。さすがだね。

インタビューよりも雑談

2005年06月13日 | オープンソース物語
今日は日経MJ(日経流通新聞)から取材を受ける。なるほど、マーケティングや営業のシーンを扱う新聞ならば、オープンソースの基盤から生まれてきた、格安で高機能なCRMに注目しない手はないだろう。

記者の冨山さんの鋭い質問に答えながら、よもやま話に脱線したりで約1時間、いろいろな話になった。新聞記者の取材というと、インタビューされたことに対して答えることが一般的だろうが、うちに来る新聞記者さんは雑談が好きな人が多い。というか、こちらが雑談が好きなのでそうなるのか。

新聞記者の人は世の中をそれぞれの切り口でよく見ている。そんな切り口からいろいろ切り込んで交わす雑談は面白い。できれば雑談ばかりがいいのだが。