よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

イノベータ平田篤胤 その3

2011年05月31日 | 日本教・スピリチュアリティ

今の世の中では、ほとんどの人が、生きている人間の体がなくなってしまえば人間はそれで終わりであり、あとに何も残らないと思っているようだ。

たとえば、「死後の世界」、「霊魂」。

そんな話、やめとけよ、やめとけよ。そんな話、始めたらサイエンティストじゃなくなるぞ!こないだも、車いすの物理学者ホーキング氏が「天国も死後の世界もない」って断言したじゃないか。

そんな声が聞こえてくる、いやはや。

特に日本では妙にこの傾向が強い。いろいろな国のサイエンティストやビジネスパースンとプライベートにいろいろな議論をしてきたが、けっこう欧州、アメリカ、中東、インドあたりの知識人は、まじめに「死後の世界」、「霊魂」の議論に乗ってくる。ホーキング博士のものいいに真っ向から反対する人々が圧倒的に多い。

日本は物質文明が進んで来た反面、知識人の意識はけっこう世俗・低俗的な国で、宗教リテラシー向上にはさほど熱心でない。また、マルクス史観、唯物論や唯物史観の影響、戦後の屈折した反動などがあって、「死後の世界」、「霊魂」のは非科学的、科学が取り扱うようなテーマではないと、片付けられてきた。

かたや欧米や中東、インドなどでは科学者がキリスト教、イスラーム、ヒンズー教などを信仰して実践しているのは特段不思議なことではない。むしろ、しっかりした精神基盤を宗教的なプラクティスを通して確立して、世俗的な仕事もこなして統合するような人物がリスペクトされる。

ははぁ。

私はガキの頃から続いている特殊な超常的体験や、世界放浪経験、長じてからの医療サービスに関連する仕事の経験、グローバル・リテラシーの視点などから「死後の世界」や「霊魂」の問題を、バサっと捨て去るわけにはいかないと思っている。むしろ、ニッポンという文脈を背負って「死後の世界」や「霊魂」をキチンと受けとめることが本質的に大事だと思っている。

いやはや。

ついでに外国の方々にも、それらを正々堂々と開陳、解説することが大事だ。グローバル・リテラシー、インテリジェンスの重要項目として「死後の世界」や「霊魂」の、比較宗教学的な洞察が実に必要だ。

まぁ、そんなに肩に力を入れなくたって、「死後の世界」や「霊魂」のありかたを考えることは大切なことだと思っている。いろいろあって長くなるので、ここではその理由をふたつだけあげる。

①少生多死社会の到来

日本は少子高齢化どころか、少生多死社会に突入してしまって、今後圧倒的に多くの死を社会として受け止めざるを得ないからだ。人には生きたい、死にたくない欲望がある。そして医学、技術が発展して、どんどん生命を長らえさせる術がその欲望を満たそうとする。その欲望を満たすための社会的なコスト=国民医療費をどんどん投入しても、結局は人は死ぬ。

②増え続ける不条理な死

自殺(年間3万人以上11年連続)、孤独死、無縁死、そして今後は放射性物質とそれが発する放射線(現代の魑魅魍魎)の低量ながらも長期にわたる内部被曝を原因としてがんやその他の疾患が確率的に発症し、結果として死がいやらしく増えてゆく。なぜオレが?なぜうちの子供だけが?という不条理な死が増えてゆく。スピリチュアル・ペインが増してゆく。

つまり、死んだら自分はどうなるの?どう死んでいったらいいの?という問題に、より多くの人が直面して自問自答せざるを得なくなってきている。

 それはのっぺりとした抽象的な死じゃないぜよ。家族、隣人、友達などの切実で具体的な死ぜよ。死は、生まれ、育って、老いて、病を得る帰結として訪れることが多いから、結局は生老病死への自問自答が増えてゆくぜよ。逃げられんぜよ。

だから仏教看護(藤腹明子氏)のような仏教の言説、プラクティスを、寄り添うこと、ケアに直接結びつけて実践してゆこうというスタイルや死生学のような行き方は、今後のよりいっそう求められるだろう。

平田篤胤の話に戻す。西洋列強の亜細亜侵略、日本圧迫、そして開国、維新というグローバリズムの大海流のなかで、篤胤は、ジャパニーズならではのアイデンティティを真摯に模索、探求した。

 篤胤は、外国(とつくに)から伝搬された仏教、儒教、道教、基督教などを徹底的に研究。ジャパニーズなるものを、外来の仏教、儒教、道教、基督教などと比較考量し、そういった借りモノの衣を一枚、一枚とりさっていって、結局残る世界を篤胤は描写しまくった。

平田篤胤は、主著の「霊の真柱」(たまのみはしら)でこんなことを言っている。

「学問をするにはまず何よりも自らの死後の魂の行方を知らなければならない」

これ、「自らの死後の魂の行方や死後の世界のことは忘れて、学問をやりましょう」などというそんじょそこらの平均的(ほどんどのと言うべきででしょうか)日本の科学者の意識と真逆ですね。

            ◇   ◇   ◇

「霊の真柱」の上の巻で、篤胤は壮大な神々と世界観のモデリングを行う。10のモデルを次々に弁証法的に展開するオリジナリティ溢れる構成が圧巻だ。世界観(world view)を大胆に構成し直すイノベーション。

この手法は、たとえば、大正時代の人、原田常治が「上代日本正史」前後2巻などでおこなった実在の歴史的人物として神々に迫るというものとは別のアプローチ。原田常治あたりから流行り始めた手法も面白いが、ここではそれはひとまず措く。

まえにもちょっと書いたが、畢竟、「死後の世界」や「霊魂」はふたつの捉え方に行き着く。①絶対主義:「死後の世界」や「霊魂」は絶対的に存在するという立場。多くの宗教者はこの立場をとる。②構成主義:人間社会の意識、習俗、風習、民俗などが「死後の世界」や「霊魂」を構成(コンスティチュート)するという立場。

篤胤の精神的な師匠である本居宣長は、古典を考証した結果、人の魂はその死後、黄泉国におもむくとした。黄泉の国は穢れた悪しき国であり、だから死ぬことほど悲しいことはないとした。その逃れることのできない運命をそのまま淡々と受け入れるべきだと説いた。

篤胤にも大きな影響を与えた服部中庸も死者の霊魂は黄泉国に行くとした。ただし、中庸はイマジネーションをはたらかせて、黄泉国は天体の「月」のことであり、その世界は須佐之男命(月読命と同神だという)が治めていると構成した。

しかし天文学にも通暁していた篤胤にとって、霊魂が月に行くなどという構成は妄説にしかすぎない。篤胤は、他の学者のように死後の世界はこの世(現世)とは切り離された全く別のところにあるとはしない。

黄泉の国の存在は認めたが、黄泉の国は、死者の国とイコールではないとした。篤胤は、死者の魂は、現世=顕世(うつしよ)を去って死者の世界=幽世(かくりよ)に行くが、その異界はこの世、現世のありとあらゆる場所に遍満・遍在しているとした。


顕世(うつしよ)=上のモデルの左側からはその幽世(かくりよ)=右側を見ることはできない。しかし、死者の魂はこの世から離れても、人々の身近なところ、すぐそこにある幽世に居て、そこから現世のことを見ているという。彼らは祭祀、鎮魂などを通じて顕世の生者とコンタクトを続け、近親者・縁者を見守ってゆくとした。ちなみに上に引用した図以外の図の一応の、「霊の真柱」の解説サイトもある。

            ◇   ◇   ◇

門下一同、悩みながら、幕藩体制が崩壊して明治時代を直前にしたの「夜明け前」(島崎藤村)のグローバル化に直面し、ジャパニーズのジャパニーズたるアイデンティティを求め確立していった篤胤。篤胤が「霊の真柱」で大胆に展開した世界観は、グローバルにしてローカル。

 さて、イノベーションを推進するためのグローバル対応。このテーゼ、イノベーションを言痛(こちたく)議論する産学官領域にかまびすしい。かまびすしい議論がぽこっと忘れてしまっている精神的、内向的なローカル化の支え。

世俗的、外向的なイノベーション・グローバル対応とは、精神的、内向的なローカル化の支えがあってはじめてものにすることができるのである。しょせん支える土壌がないところに柱は建たない。かまびすしい議論には土壌がないではないか、柱がないではないか。

グローバルとローカルの相克、軋轢という点で、篤胤が生きた時代と現代は非常に似ている。だからこそ、土壌と柱が問われるのだ。グローバルなイノベーション対応という文脈にこそ、篤胤の力作、代表作の「霊の真柱」は豊かな示唆を与えてくれるのではなかろうか。


イノベータ平田篤胤 その2

2011年05月29日 | 日本教・スピリチュアリティ


知の巨人、平田篤胤。その巨人の知的スパンは広大にして深遠。あまりにも間口の広さ、深さが広大無辺なため、単一の専門性からはなかなかとらえようがない。

国学、神道学、近代史、思想史などの専門性からは、それぞれの専門領域に依拠した描写になってしまい、なかなか篤胤の全体像に迫れきれない。人は見たいように人物を見るのである。国学者としての篤胤、神道家としての篤胤、神秘思想家としての篤胤、学者としての篤胤、などなど。

人はおのれの尺度でどうしても人物を見てしまう。小さい尺度を用いれば、小さく見えてしまう。小さな尺度に入りきれない部分はどこかに行ってしまう。だから大人物の評価はむつかしいし、大人物に接することを怠っていると、尺度がどんどんちじこまってくる。

さて、篤胤の守備範囲は超ワイドレンジにして茫漠無限の様相を呈する。想像を絶する。窮理(物理)学、暦学、地理学、天文学、漢方医学、西洋医学といった自然科学。神道、国学、古学に始まり、古伝、神代文字、文学、民俗学、妖怪、諸宗教(仏教、儒教、道教、キリスト教、神仙道、陰陽道)、死生学、漢文、ロシア語、ラテン語、オランダ語、英語、蘭学、兵学、易学などに人文知。今の言葉で言えば文理融合、あるいは文理超越的な超広範囲な学問知の蓄積に依拠して、これまた膨大な著述を残している。

Wikipediaの平田篤胤の項の著作物紹介にも膨大な数の著作物が載っています。江戸時代後期、コスモポリタン都市の江戸の知的コミュニティにおいてアベイラブルなあらゆる知識を縦横無尽の渉猟し我がものとして、それらのインターディシプリナリーな知を橋渡しし、トランスレートして、超越的次元にまで高めた篤胤。篤胤の知的世界は、実に超越的=トランスディシプリナリーなのだ。とほもなく。

というわけで、篤胤は、「~としての」の「~」に実に多様な代入項目が入りすぎる。結局は描写する専門性からの切り口になってしまう。学問の専門性がこまぎれになり、専門領域が狭まるにつけ、たしかに深くはなるのだが、それだと、篤胤のような巨人には歯がたたないのだ。

だから、なんでもかんでも一切万物を飲みこむ「博物学」のような切り口が篤胤描写には合いますねん。だから荒俣宏氏の描写は、とにかく面白いし刺激的。しかし、この水木しげると仲良しのオッサン、魑魅魍魎、幻想文学、妖怪の方向性が強すぎるのが難点といえば難点でしょうか。

じゃ、どう篤胤を見るんですか?はい、まずは、社会イノベーションを体現する社会イノベータ、ソーシャル・アントレプレナーとしての平田篤胤ですね。

ウンチクを少々。そもそもアントレプレナーシップとは、チェコに生まれのオーストリア人経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが、イノベーションの担い手として起業家(アントレプレナー)を捉え、起業家によってもたらされるイノベーションの本質を「新結合」の実現に求めたことに淵源する。

シュンペーターは、著書「経済発展の理論」でイノベーションの本質を抉り出して「新結合」と定義した。イノベーションとは、ラテン語の"innovare"(新らしくする)が語源で、in (内部へ)+novare(変化させる)がイノベーションである。つまりイノベーションとは、経済活動を通して新方式を内部に取り込むことである。シュンペーターはイノベーションとして5類型を提示した。

つまり、新しい財貨の生産、新しい生産方法の導入 、新しい販売先の開拓 、新しい仕入先の獲得、新しい組織の実現。シュンペンターはイノベーションを体現する当事者をアントレプレナー(entrepreneur)と呼んだのですね。

ただし篤胤先生が切り開いて普及させた財は、モノじゃなかった。で、銭儲けにはほとんど手を出さなかった。一生お金に困った貧乏学者でした。初めの奥さんの織瀬さんと死別してから幼い子供たちを男でひとつで育て、江戸の下町の借家の家賃も満足に払えないものだから、家を転々と。

で、学者としての篤胤のアウトプットは学問知、霊性、スピリチュアリティ、広い意味での文化、文明をおおぐくりにとらえる知の体系なり。宇沢弘文先生の言説をおかりすれば、社会的共通資本(Socail Common Capital)。

ちなみに、下手の横好きで、内閣府で社会起業関連のワーキンググループの委員として参画したことがありまして。その時に内閣府に提出された公文書では、ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)はつぎのように定義。

「社会的課題に対し、解決の意思をもって新規の事業アイディアを創出し、当該事業アイディア実現のための事業基盤の持続性確立を目指し、手元の資源に制約を受けることなく、主体的に実践に取り組むことによって、当該事業の普及と普及による社会変革の担い手となる一人または複数の人物」(露木 2008)。今は明治大学にいる露木さんの定義、光ってますね。

次にこの定義に沿って、篤胤の業績をトレースしてみましょう。

この定義に現れるキーワードに沿って篤胤の業績をトレースしてみると・・・ 

(1)新結合 

うえに書いたように、窮理(物理)学、暦学、地理学、天文学、漢方医学、西洋医学といった自然科学。神道、国学、古学に始まり、古伝、神代文字、文学、民俗学、妖怪、諸宗教(仏教、儒教、道教、キリスト教、神仙道、陰陽道)、死生学、漢文、ロシア語、ラテン語、オランダ語、蘭学、兵学、易学などに人文知を縦横無尽に結び付け、イノベーティブな知的アウトプットを出し続けた。このうえもなく、スカラー、求道者として新結合を体現しています。 

(2)社会的問題 

外からは西洋列強、アメリカが日本に開国、通商を迫り、内では、徳川封建体制の崩壊と、明治維新へと続く社会の激動が、シンクロナイズして、とにかくこの時代は、一気に社会的問題がどっと出てきた時代でした。

鎖国から開国へ。封建鎖国経済から資本主義経済へ。激変の時代、人々は新しいマインドセットは切実に希求しました。幕末の混沌とした政情の中王政復古が間近に迫っていた時代。篤胤はこの新しいマインドセットを提案、供給したのです。ただし、「新しい」だけではなく、「新しき古」という一語に膨大な知の体系を込めたんですね。

(3)解決の意思

篤胤先生の解決の確固たる不動の意思は執筆活動に端的に現れています。篤胤愛用の机にはヒジを突きすぎてぽっかり穴があいているくらいです。不眠不休の末、執筆した本が多数あり。解決の意思は強烈です。

マインドセットの変革のための知をいかにディフューズ(普及)させてゆくのか?平田篤胤の学問は燎原の火のごとく世の中に普及。その普及の仕方が、これまた目を見張る。一般大衆向けの「大意もの」を講談風に口述し弟子達は自主的に筆記して講義録のような形で記録。後に製本して出版。これらの出版物は町人・豪農層の人々にも支持を得て、国学思想の普及に多大の貢献をする事になる。

解決の意思は広く社会に共鳴して5000人を越える門人が育ってゆきます。平田篤胤→平田銕胤→平田延胤→平田盛胤→平田宗胤とつづく家系に沿って、門人組織も継承されていった。

(4)手元の資源の制約を受けない

江戸の知的コミュニティーのネットワークによって、どこからともなく西洋由来の発禁本などを入手してしまう篤胤。インプットする知的資源は膨大。

またアウトプットする知識も特段の制約を受けない。古学という側面だけとっても、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長の学問的系譜の最後に平田篤胤は国学四大人(うし)の中の一人として位置づけられる。この学派の学問的系譜、学説を無批判的に継承するのではなく、手厳しく批判もして自説を展開するのは凛とした書きぶり。

代表作の『霊能真柱』の中で述べている篤胤の幽冥観(死後の行方)についての論考しているが、死して人の霊魂は黄泉の国にゆくとした師本居宣長の説(世界観)に対して、顕世(うつしよ)・幽世(かくりよ)論を展開し、まっこうから新説(新しい世界観)を構成し発表している。師の人格を心から尊敬はするが、師の言説は人格とは別。よって人格は尊重するが、言説は別。知識発信においてもウェットな制約はなし。

「古学とは、よく古の真を尋ね明らめ、そを規則(のり)として、後を糺すをこそいふべけれ」とスパッと定義、ブレはない。

(5)社会的変革の担い手

真菅乃屋、後に気吹乃舎と改名される勉強会、門人の知識共有の私塾のような組織がネットワーク上にできあがり、篤胤の学問は社会に普及。「解決の意思」に賛同する門人が、そうですね、今組織論あたりのはやりのタームで言えば、ラーニング・コミュニティ、プラクティス・コミュニティといった自己組織的な組織をネットワーク的に生成されてゆき、それが明治維新胎動の一大契機にまでなっていった。

伊那の平田学派の存在は有名ですね。ただし、明治新政府にとっては、これらの動きがあったことを歴史に残すことはいろいろと都合がよくなかったようで、まあり文献が残っていません。わずかに島崎藤村の小説『夜明け前』で平田学派の開明的な地方民衆の苦悩が描かれています。

※だだし、「気吹舎日記」という篤胤とその周囲の動向が記されている日記全32部が歴史民族初物間に所蔵されている。戦前に渡辺金造という研究者がこのうち4部だけを紹介いただけで、あとは世に出ていない。吉田麻子さん(資料)という気鋭の研究者が残りの解読と公開に挑んでいるようだ。ちなみに彼女が作った平田篤胤略年譜はとても力作で役に立つ。(別冊太陽「知のネットワークの先覚者平田篤胤p133収蔵)

この日記に残っているかどうかは分からないが、年代別の門人の人数推移、地域ごとの人数、出版別の推移などをデータベースにすれば、計量的に社会的普及を明らかにできるのかも知れない。今後の課題。

 さて、篤胤にとって変革の対象にタブーはなかった。天保12年(1841年)に篤胤が開発した『天朝無窮暦』が幕府によって発禁処分。いわゆる徳川幕府が設定する社会秩序の根幹を代替する『天朝無窮暦』は幕府から見れば権威の否定である。それでも篤胤は、『天朝無窮暦』の科学的正しさを凛として主張。これがもとで、篤胤、故郷である秋田に帰るように命じられた。

◇  ◇  ◇

以上のように、平田篤胤は社会変革者、社会イノベータとして見ることができるだろう。



イノベータ平田篤胤 その1

2011年05月27日 | 日本教・スピリチュアリティ

日本に顕現してきたスピリチュアリティを語る上で、避けようもない人物がいる。

平田篤胤。

代々木の平田神社の早稲田大学の大先輩でもある米田勝安さん(篤胤の子孫)が亡くなられて、それまで平田神社に所蔵されていた平田篤胤関係の膨大な遺稿、確定原稿、テキスト、メモ、絵図、資料・史料が国立歴史民族博物館に移管されたのが、たしか2004年あたりのことだった。

読書界ないしは近代史、思想史分野での平田篤胤の一般的に受けとめられる人物像はここ10年くらいで様変わりしている。

荒俣宏氏と前述の米田勝安氏による「よみがえるカリスマ平田篤胤」が出版された2000年を節目として、2004年には別冊太陽が「知のネットワークの先覚者平田篤胤」を特集。そして2004年には、満を持したように歴博が、「明治維新と平田国学」という企画展示を行ったことのインパクトが大きかった。

以前は、八紘一宇の皇国のあるべき姿を唱道し、排外的な国家神道のエキセントリックなイデオローグといったもの。年配の方々が抱くイメージは大概がそんなものだろう。

こところが、近年は、「よみがえるカリスマ」、「知のネットワークの先覚者」、「諸学の統合者」、「自然科学、人文科学、超科学の先導者」といった形容が忽然と加えられ、専門家のみならず一般の歴史・思想愛好者、幻想文学、妖怪愛好者、好事家、キワモノ好きの間でも平田篤胤の再評価イメージが拡がってきている。

歴史の記述には、なにやら法則のほうなものが働いている。それは、歴史に名を留める傑出した人物の再評価は、変化する時代の節目、節目によく顕現するということ。平田篤胤のイメージの変化は時代の変化の裏返しなのだ。

タコツボのような専門にとらわれることなく、イノベータとしての篤胤に迫ってやろう。幸いイノベーション研究という切り口からの平田篤胤研究は前例はない。ほとんどの研究は、国学、神道学、近代史、思想史などの領域からのアプローチからにとどまってきた。

ということで、特別の許可を得て、佐倉市にある歴史民俗博物館の奥の院に潜入する貴重な機会を得たのだ。実に有り難いことだ。奥の院では、某大な史料の現物に直接、手づから五本の指と手の平で触れ、肉眼で括目して診て読んで、かぐわしき門外不出の史料の芳香を嗅ぐ知的悦楽を存分にわがものとすることができる。

ちなみに、この奥の院は裏口から入ることになっている。裏口から入ると、一般閲覧、特別展示、合計1500円くらいかかる入場料もタダになる。おまけに奥の院では、有能なアシスタントがついてくれて、膨大な史料に対する直接アクセスの手助けまでしてくれるのだ。

歴史民俗博物館の奥の院は、顕世(うつしよ)と幽世(かくりよ)を架橋する場である。本業の間をみて何回かに分けてちょくちょくメモってみることにする。いずれまとまったモノになればいい。


6/23 いのへる寺子屋セミナー

2011年05月26日 | 健康医療サービスイノベーション

いのへる=Research Forum of Health Services Innovation寺子屋無料セミナーを開きます。

今回は国際医療福祉大学の松浦清先生をお呼びして、「包括評価導入による病院経営変革とマーケティング戦略」についてディスカッションを深めます。松浦清先生は私が渡米する前、私のボスだった方です。温故知新。

6/23、18:30~虎ノ門の金沢工業大学で開きます。

詳細と申し見込みはコチラからです。


原子力安全委員「低線量放射線の健康影響について」という文書

2011年05月22日 | 健康医療サービスイノベーション

先週書いた第22講:原発過酷事故、その「失敗の本質」を問うは、筆者の期待に反して解説記事週間閲覧数トップでした。辛辣な論説が、こともあろうに、原発を巡る政・産・学・官共同体の出店的な日経グループの媒体で週間閲覧数トップとは、尋常ではありません。

あるいは、日経連(清水正孝前東京電力社長は日経連副会長)ベッタリの日経グループの体質が変化しているのかも知れません。だとしたら、いい傾向です。

さて、原子力安全委員会が、「低線量放射線の健康影響について」という文書を5/20に発表しました。

「確定的影響」と「確率的影響」についてはこのブログでもとりあげています。上記文書は、確率的影響については、「100mSv以下の被ばく線量では、がんリスクが見込まれるものの、統計的な不確かさが大きく疫学的手法によってがん等の確率的影響のリスクを直接明らかに示すことはできない」というICRP(国際放射線防護委員会)の見解を引用したうえで、「2009年の日本人のがん死亡率は約20%(がん罹患率(2005年)は約50%)で、年々変動しております。また、地域毎、がんの種別毎のがん死亡率の変動もあります。100mSvの被ばくによるがん死亡率は、その変動の範囲の中にあるとも言えます」と結んでいます。

論拠は、「国際放射線防護委員会の2007年勧告」とされています。

つまり、今後、100mSv以下の被ばく線量によってがん死亡率が増えたとしても、それは毎年変動している日本人全体のがん死亡率の変動内に収まる、つまり特段の問題はない、ということを言っています。

まったくもっておかしな結論です。

まず、精密な議論をするためには、年齢区分別にがん死をとらえなければいけません。そして、これから生まれてくるであろういのちに注意を向ける必要があります。


上の図は、京都大学助教の小出裕章氏が、講演会や国会招致などで用いている人口1万人あたりのがん死亡を年代階層ごとに表示したものです。

若ければ若いほど、がんの発症に対して感受性が高くなり(敏感になり)、年をとるほど鈍感になります。

さて、ここで問題にしたいのは、0歳未満のいのちです。

卵子と精子がであって、受精卵となり、やがて胚となってゆきます。日本産科婦人科学学会では、妊娠8週未満を「胚芽」と呼び、8週以降を「胎児」と呼んでいます。


胚の発生後14日には、原始線条が現れて、臓器の分化が著しく発現して、人としての形状を顕しはじめます。細胞分裂が急速に進むので、DNAと染色体へのダメージも修復されることなく、分裂して引き継がれることが多くなります。これが将来、胎内死亡、胎内健康被害、そして生まれてからの健康被害を招くことになります。

したがって、原子力安全委員会が引用した「国際放射線防護委員会の2007年勧告」では、「子宮内医療被ばくに関する最大の症例対照研究は,すべてのタイプの小児がんが増加する証拠を提供した。委員会は,子宮内被ばく後の放射線誘発固形がんのリスクに関して,特段の不確実性が存在することを認識している。委員会は,子宮内被ばく後の生涯がんリスクは,小児期早期の被ばく後のリスクと同様で,最大でも集団のリスクのおよそ3倍と仮定することが慎重であると考える」と明記しています。

引用するのならば原子力安全委員会は、この部分の引用もすべきです。

ベラルーシでの人口10万人あたりの甲状腺疾患の発症率を示したものが上の図です。チェルノブイリ事故発生から6年後あたりから発症率が上がっているのが分かります。子どもはやがて青年になってゆいくので、赤(子ども)の発症率は下がるように見えますが、青色(20-46歳)の発症率は1990年代にはいってから急増しています。

こうして長期的な影響が尾を引きます。日本はベラルーシよりも公衆衛生、医療管理のレベルは全般的には高く(国民皆保険制度、検診制度、医療統計など)、今後より厳格なトラッキングが大切になります。

特に、放射性物質の降下量が多く、土壌汚染が強い多地域(資料1資料2)に、どの年齢のとき(生まれる前も含め)に居たのかといいうデータが重要になってきます。

以上により、今後、長期的に観察すれば、100mSv以下の低量被ばく、内部被ばくによるがん死亡率は、従来の変動の範囲内におさまる可能性は少ないと見立てられます。がんに注目が集まっていますが、なにも疾患はがんに限定はされません。その他の疾患についても注意深く発症率の将来的な推移をトラッキングするべきでしょう。

海外の研究者からはぜひデータが欲しいだの、共同研究をやらせてくれだの色々とリクエストが増えてきます。海外の研究者はチェルノブイリ以降のまさに千載一遇のチャンスとは表立っては言ってきませんが、人類史上稀に見る規模の大量放射性物質の環境への放出には間違いなく、疫学、毒物、公衆衛生、医療管理の研究者から見れば、喉から手がでるほどの「観察対象」のようです。

チェルノブイリ事故については原発推進派、反あるいは脱原発派で、データの収集方法、解釈に大きな乖離があり、それぞれが否定しあっています。科学には立場の違いはないはずですが、実は立場によって発表されるデータと解釈に雲泥の差があるのです。

ほっておけば、今回もそうなるでしょう。

・・・とても複雑な気持ちがします。原発擁護・反対の立場に左右されることがない公正な立場からの長期的な研究が待たれることろです。まずはなんといっても、放射性物質の不要な体内への取り込み=内部被ばくをさけることが大切です。そして文部科学省は、可及的速やかにこどもを対象にした現行の20mSv規準を、是正することがぜひとも必要です。

未来はこども達によって創られます。日本の未来に禍根を残してはいけません。それが大人の役割です。


原発過酷事故、その「失敗の本質」を問う

2011年05月18日 | 技術経営MOT

このところ、ブログでは放射性物質、放射能によってもたらされる健康被害について内外の情報を分析してきました。

日経ITProの連載では、福島第一原発事故の失敗の本質について書きました。東電はもちろん日経グループから見れば有力スポンサーです。したがって、東電をめぐる構造的な問題を正面から批判するような記事や論説はまず出ません。

そんななかで、よくぞデスクは出してくれました。経営に活かすインテリジェンス~第22講:原発過酷事故、その「失敗の本質」を問う~

(閲覧できると思いますが、もしかしたら無料登録が必要かもしれません)山莉秋山莉奈


4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ

2011年05月16日 | 健康医療サービスイノベーション

Peace Philosophy Centreさんのブログに注目すべき情報が載っていますので以下コピペしておきます。Peace Philosophy Centreさん、感謝です。

首都圏在住者の方々(私も含めて)は念のため下の図を見ておきましょう。あまり気持ちのよい図ではありませんが。

<以下貼り付け>

4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ

文部科学省原子力安全課原子力防災ネットワーク「環境防災 Nネット」のサイトにあるように、文科省はダイナミックな三宅島噴火のシミュレーションを作れるSPEEDI-MPというものを持っています。しかし福島事故については公表しておらず、小佐古辞任演説でも情報開示が求められています。

(小佐古辞任文より) 
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県*、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。 (*原文ママ)
「福井県*(*原文ママ)」とあるのは、文脈からも福島県のことだろう。小佐古氏は「福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべき」ということで、実際自分はそのデータを見ていてその深刻さを把握しているということを訴えているように聞こえます。

実はこれに相当するような情報が4月半ばNHKニュースで一瞬流れた、との情報が埼玉の自称「天狗」さんから入り、その画面を保存した画像ファイルを送ってくれました。


私は見たことがない画像だったので驚きました。「天狗」さんによると、これは公表されていないとのことです。このNHKの画面にも、「放射性物質の予測 データ公表見送る」とのキャプションが
あります。「公表見送る」のにどうしてこの画面で公表しているのか不可解ですが、NHKが入手した一部を流したということなのかと察します。これは「先月(3月)16日に計算されていた」 I-131 infant organ dose 2011_03_15_15H ということなので、放射性ヨウ素131による乳児の臓器被ばくの程度の予測で、3月15日15時時点での積算値ということなのではないかと思います。文科省が他に公表しているSPEEDIの被ばく線量予測は、3月12日6:00からになっているので、これもその時点からの積算値ではないかと想像されます。いずれにせよ、一番大量の放射線が放出された後の3月15日午後までのデータだということは意味深いです。3月14日から15日早朝にかけては福島第一で悲惨な事故が相次ぎました。14日昼前、3号機は爆発しました。これは白煙で覆われた12日の1号機水素爆発とは違い、黒煙が高く上がった爆発で1号機の爆発とは質の違うものだと言われています。2号機は14日夕方燃料棒全体露出に続き15日早朝、圧力抑制室で爆発がありました。4号機も15日早朝に爆発しました。これだけ大事故が続いた直後の乳児の被ばく予想というのは重要と思います。上記のマップに「天狗」さんは地図を重ね、埼玉県のご自分が住んでいる町がオレンジ色の地帯(1mSV-10mSV)に入っていたことを知り、危機感を募らせました。


これは広く共有した方がいい情報と思い、ここに掲載しました。分析、コメント、情報提供等、歓迎します。( ツイッター @PeacePhilosophy )あらためて、どうしてこのように重要な情報を3月16日時点で計算しておいて公表しないか、人命軽視も甚だしいと思います。

文科省が既に発表したSPEEDI計算結果についてはここをご覧ください。

文部科学省 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による計算結果

文科省東日本大震災関連情報

 

<以上貼り付け>

(私の意見)

いわき、北茨城、日立、三戸というように茨城県を通り、千葉県北西部を横切り、北本、熊谷など埼玉県の中央部を通り、群馬県前橋あたりまで、円弧を描くように、1000mSv~10,000mSvのオレンジ帯が伸びています。

最も大量の放射性物質が放出された3月15日の翌日の3月16日の時点での予測計算値をグラフィック化したものです。被ばく予測データとしては、とても重要なものです。

【疑問】

①なぜ3月16日の時点でかくも重要な予測データ公表されなかったのか?

②なぜNHKは4月半ばの時点で「一瞬」この画像を流したのか?そこには公衆に知らせておこうという意図があったのか?

③小佐古氏は、上記予測データとそれが意味する甚大な事柄を深く理解していたはずです。官邸が「守秘義務」をたてにとって圧力をかけたとされていますが、小佐古氏は「公益通報者保護法」をタテにしてディフェンスしなかったのでしょうか?

引き続き、上記の3点調べます。

 


「日本の事故はチェルノブイリよりも何倍もの桁で悪い」のだから無限責任損害保険を。

2011年05月16日 | ビジネス&社会起業

この言は、Dr. Helen Mary Caldicottのものです。

国内の主流派新聞、テレビは、今回の原発事故がレベル7と判定されたとき「チェルノブイリにくらべれば環境に放出された放射線物質の量は1割程度」といった論評を頻繁に加えていました。しかし、5/16の時点で、いっこうに事故機は収束に向かっておらず、早くも工程表で示したパスから大きく逸脱しはじめました。

日本国内の目線だけではなかなか客観的な評価や論評に接することができません。その点で、前記のヘレン・コルディコット博士の言説は注目しておいていいでしょう。

日本国内の意思は、診断、診療が中心ですが、海外の医師には、ヘレンさんのように、健康をまもる、健康被害を防ぐという観点から実証的な研究にもとづき、社会的な発言をなさっている方が多いのですね。

さて、以下は「脱原発の日」さんからの引用です。抄訳を作っていただき、ありがとうございます。感謝です。

<以下貼り付け>

「大局からみた福島原発事故」
( * 同講演のビデオ: 
<http://www.youtube.com/watch?v=Jo-l36-ALjk&feature=feedu > )
(抜粋訳)

「最初にこのレポートをお知らせしたいです。
 ニューヨーク・アカデミー・オブ・サイエンスによる、チェルノブイリ報告です。
 (* Annals of the New York Academy of Sciences 
<http://www.nyas.org/Publications/Annals/Default.aspx > ) 

彼らはロシアからの5,000の報告記事を初めて英訳しました。WHOやIAEAが何を言おうと、この報告によればチェルノブイリ事故の結果ほぼ100万人の人々が既に死んでいるようです。これは医学の歴史においてもっともひどい隠匿の一つです。

そしてそこから日本までを推測しましょう。日本の事故はチェルノブイリよりも何倍もの桁で悪いです。これまでの人生で私は6つの原子炉が同時に危機になるということを考えたことがありませんでした。 これらGE社のマーク1型原子炉の設計を支援したGE社の3人の技術者が同原子炉が危険だからと言う理由で辞任したことは知っていました。

日本はそれらの原子炉を地震断層の上に建設しました。......冷却プール(*複数)の中には、ひとつの原子炉コアにあるものの10~20倍もの放射能があります。ひとつの原子炉コアには、ヒロシマ級爆弾1000発により生じるほどの長寿命の放射能があります。私たちは悪魔のエネルギーを扱っているのです。...............

......さて、ウラニウムを核分裂させると新たに200の物質が生成され、そのすべては当初のウランよりもはるかに体に有毒となります。ウランは大変有毒ですが、米国はそれをファルージャとバグダッドで使用しました。ファルージャでは生まれつつある赤ちゃんの80%はひどい奇形児です。脳がない、目が片方しかない、両腕がない...。医者たちは妊娠中の女性たちに子供を産むのをやめるように言いました。小児ガンの発症はおよそ12倍に増加しました。これは集団虐殺ですーーイラクで行われているのは核戦争なのです。米国が使っているウランは45億年もなくならないのです。ですから我々は文明のゆりかごを汚染しているのです。「有志連合と称して!」

しかし原発においては放射線量が莫大です、200の生成物質ですから。あるものは数秒で消滅し、あるものは数百万年残ります。放射性ヨウ素は6週間でなくなりますが、甲状腺ガンを引き起こします。それで人々は「ヨードカリウムをとったほうがよい」と言います、なぜなら甲状腺が放射性ヨウ素を摂取し、後年甲状腺ガンが生じるのをそれが防ぐからです。チェルノブイリでは20,000人が甲状腺ガンにかかりました。甲状腺を取り出しても、毎日甲状腺の代わりとなるものをとらなければ死にます、ちょうど糖尿病患者がインシュリンを取らねばならないのと同じです。

ストロンチウム90が放出されるでしょう、それは600年残ります。骨に集まり、そこで骨ガンや白血病を引き起こします。セシウムは600年間なくなりませんーーそれはヨーロッパ中にあります。ヨーロッパの40%はいまなお放射能を帯びています。トルコの食べ物はきわめて放射線量が高いです。トルコの乾燥あんず、あるいはトルコのヘーゼルナッツを買わないように。チェルノブイリ事故のあとトルコ人はロシア人に対し大変立腹したので、放射性の紅茶をすべてロシアに送りつけました。

ヨーロッパの40%はいまだに放射能汚染されているのです。英国の農家の子羊はセシウムの量が高いため売り物になりません。ヨーロッパの食べ物を食べないでください。

しかし、そのようなことも現在起きつつあることにくらべれば何でもありません。最もおそるべき核の副産物は、黄泉の国の神であるプルートの名にちなんだプルトニウムです。もし1グラムの100万分の1を吸い込めばガンになる可能性があります。理論上では、1ポンド(450グラム)のプルトニウムを均等に配分すると仮定するならば、地球上のあらゆる人間をガンにし得るのです。原発のひとつひとつの原子炉には250kgのプルトニウムがあります。原子爆弾を製造するには、ほんの2.5kgあればよいのです、なぜならプルトニウムは爆弾の材料だからです。

ですから原子炉があるどんな国も、カナダのウラニウムで稼働させているのです。カナダは世界で最大のウラン輸出国です。カナダは二つのものを売ります。命のために小麦粉を、そして死のためにウラニウムを売ります。プルトニウムはいま排出されつつあり、北半球全体に広がろうとしています。それはもうすでに北アメリカに向かってきています。

放射性ヨウ素、加えてストロンチウム、さらにセシウム、その上トリチウム、さらにもっともっとあるのです。雨が降れば、死の灰が降りてきて食物に凝縮します。海に流れ込めば、藻がそれを数百倍に濃縮させます。さらに甲殻類がそれを数百倍に濃縮させます。それから小魚、そして大きな魚、そして私たちの口に入るのです。私たち人間は食物連鎖の頂点に位置するからです。

食物に入ったこれらの放射性要素には味がありません、それは目に見えません、においもしません。それには何の気配も感じられません。体内に取りんでも、突然倒れてガン死するわけではありません。あなたがガンになるには5年から6年かかり、胸に固まりを感じても、その固まりが「私はあなたが20年前にたべた一切れの魚にあった、少しのストロンチウム90から作られたのよ」と言ったりしません。

どんな放射能でもダメージを与えるのです。それは積もりますーー少量浴びるたびにあなたがガンになるリスクを増加させます。アメリシウムはプルトニウムよりさらに危険ですーー私はこのような説明を際限なく続けることができます。あなたが放射能をとりこむかどうかは、雨が降るかどうかによります。雨が降り放射能が降下するならば、食べ物を栽培せず、その地の食べ物を食べないように。つまり600年間食べないようにという意味です。

原発から出る放射性廃棄物は(*注:カナダでは)オンタリオ湖の隣の敷地に埋められると私は聞いています。それは漏れ出し、数百万年もとどまるでしょう。水に入り込み、食物連鎖に入り込みます。放射性廃棄物は、今後ずっとガンや白血病、遺伝子の疾病を誘発するでしょう。 これは、核戦争という日常的な危機を除き、今まで世界が目撃してきたなかで最大の公衆衛生災害なのです。

アインシュタインは「原子を分裂させることが、人間の思考形態を除き、全てを変えた」ーーとても深い言葉ですーー「それゆえ、我々は比類無き災害へと漂流する」と述べました。私たちは傲慢で、多大に思い上がっており、そして一部の人間の脳にある爬虫類の中脳は病変であると私は考えます。

私たちはこれまで太陽のそれのように莫大なエネルギーを押さえ込み利用していた状況です。 それが今まったく制御不能です。そして私たちにできることは何もありません。 (終)

<以上貼り付け>

(私の意見)

原発推進に反対?賛成?

こんなこと、よく尋ねられます。

そもそも、原発については推進派も反対派も、教条主義的な主張が強く、そこに党派性が加わってしまい、双方の間には建設的なダイアローグはなかったのです。絶対反対、絶対賛成の両極端の主張ありきで、その主張を組み立てるための言説です。

この種の教条的主張をモトにした議論は現実的なソリューションを生みはしません。賛成のための賛成論、反対のための反対論。こりゃ、水掛け論だわ、ウチゲバだわ。

ビジネスの基本にたちかえってプラグマティック(実用・実際的)な議論をしましょうよ。

原発事故によって、①失業など地域の住民が被るあらゆる機会損失、②農作物、畜産物、海産物被害、③現在そして未来の健康被害、④棄損された山、森、川、海、水、土、大気などの自然環境、⑤道路、橋、鉄道、港、上・下水道、電力・ガス、郵便・通信などの社会的インフラストラクチャー、⑥教育、医療、金融、司法、行政、文化などの制度資本、⑦自衛隊、警察、消防などの危機対応出動・稼働コスト、などのコストが発生し、資産が減耗、棄損されました。

これらを公的資金=税金でまかなうのは国民が納得しません。また電気料金値上げも国民は納得するわけがありませんよね。

電力会社は、いくら独占企業の色彩が強いとはいえ、市場経済のなかでリスクを先取りして、リスクをヘッジして、リターンを得てリスクを負担する株主に分け前を配分する企業です。資本主義体制下でのビジネスの基本として、すべての非定常的な損害コストは保険でまかなうというのがスジです。

①~⑦の損害にたいしては無限責任保険でカバーする。無限責任保険スキームが実現すれば、どうぞおやりください。無限責任保険スキームが実現できなければやれません、やってはいけません。

話はとても単純明解です。

 


日本医師会も20ミリシーベルト問題を非難・糾弾

2011年05月15日 | 健康医療サービスイノベーション

5/12になってようやく日本医師会が文部科学省「福島県内の学校・校庭等の利用判断における 暫定的な考え方」に対する日本医師会の見解の見解を公表しました。日本医師会は、日本に居住するすべての人々の健康・医療サービスをキュア、ケアするなかで大きな影響力を持つ、専門職の最大職能団体です。(ときとして圧力団体にもなってきましたが)

<以下貼り付け>

平成 23 年 5 月 12 日 

文部科学省「福島県内の学校・校庭等の利用判断における暫定的な考え方」に対する日本医師会の見解 

 

社団法人 日本医師会 

 文部科学省は、4 月 19 日付けで、福島県内の学校の校庭利用等に係る限界放射線量を示す通知を福島県知事、福島県教育委員会等に対して発出した。 

 この通知では、幼児、児童、生徒が受ける放射線量の限界を年間20 ミリシーベルトと暫定的に規定している。そこから 16 時間が屋内(木造)、8 時間が屋外という生活パターンを想定して、1 時間当たりの限界空間線量率を屋外 3.8 マイクロシーベルト、屋内 1.52 マイクロシーベルトとし、これを下回る学校では年間 20 ミリシーベルトを超えることはないとしている。 

 しかし、そもそもこの数値の根拠としている国際放射線防護委員会(ICRP)が 3 月 21 日に発表した声明では「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1~20 ミリシーベルト/年の範囲で考えることも可能」としているにすぎない。 

この 1~20 ミリシーベルトを最大値の 20 ミリシーベルトとして扱った科学的根拠が不明確である。また成人と比較し、成長期にある子どもたちの放射線感受性の高さを考慮すると、国の対応はより慎重であるべきと考える。 

 成人についてももちろんであるが、とくに小児については、可能な限り放射線被曝量を減らすことに最大限の努力をすることが国の責務であり、これにより子どもたちの生命と健康を守ることこそが求められている。 

 国は幼稚園・保育園の園庭、学校の校庭、公園等の表面の土を入れ替えるなど環境の改善方法について、福島県下の学校等の設置者に対して検討を進めるよう通知を出したが、国として責任をもって対応することが必要である。 

 国ができうる最速・最大の方法で、子どもたちの放射線被曝量の減少に努めることを強く求めるものである。 

<以上貼り付け>

(私の意見)

この声明のポイントは2点あります。つまり、「1~20 ミリシーベルトを最大値の 20 ミリシーベルトとして扱った科学的根拠が不明確である」から、20ミリシーベルトの根拠を示せ。そして、「国ができうる最速・最大の方法で、子どもたちの放射線被曝量の減少に努めることを強く求めるものである」ということ。

 このブログでは、文科省の「福島県内の学校・校庭等の利用判断における暫定的な考え方」について「メチャクチャ」と書きましたが、日本医師会でも、ようやく場当たり的な基準について非難声明を出してくれました。できればもっと迅速に、かつ既存メディア、ネットメディアに対して会見を行いプロモーションしてくれればよかったですね。

さて、診断をして治療をするというのが伝統的に医師の業務の中心でしたが、近年ではそのワークフローを前後に引きのばして、健康増進・疾患予防→アセスメント→診断→治療計画→介入→評価となりつつあります。

放射線物質が発する放射能の低線量被ばく、内部被ばくは、明らかに健康増進・疾患の予防に直結する課題です。今後30年以上に渡って続く、主として低線量被ばく、内部被ばくが引き起こす多様な疾患、健康被害に見舞われる患者を現場でキュア、ケアする医師の最大職能団体がこの声明を出したことの意味は大きいです。

権力から独立した大規模な医学・社会医学・医療管理・疫学・毒物研究調査スキームをデザインして、今後の健康被害の動向を科学的にフォローすることも大切です。いずれ、暗く、根の深い、陰湿な社会的な問題に発展することが必至なので、このさい、未来に向けたアクションを始めるべきなのです。

①子どもたち、これから生まれてくる赤ちゃんは、日本の未来です。②すぐそこに来ている未来の健康被害の動向を科学的にフォローすること。このように未来をケアしてもらえれば、日本医師会をポジティブに再評価したいと思います。

内に閉じた開業医中心の利益誘導、既得権益の維持だけではいけません。

 


東京も「チェルノブイリ第3レベル」並みの汚染

2011年05月13日 | 健康医療サービスイノベーション

事故発生から約2ヶ月経ってやっと3月25日現在までのヨウ素131の表面沈着量を予測するSPEEDIのデータが公開されました。3/25の時点で行われた予測が、5月の連休明けに出てきました。

あと出しジャンケンのようなものです。

パブリックヘルス(みんなの健康)を守りたいのならば、政府はもっと早く公表すべきでした。ほかにもっと守りたいものがあったようですね。

さて結論からいうと、自分や家族の健康を守るために、放射性物質の量を入れ込んで判断することが大切な時代になってしまいました。テレビ、新聞は、この重要な問題についてダンマリを決め込んでいます。ネットをよく調べて、自分や家族(子孫も含めて)の健康を守りましょう。

まずは、下の図で、自分や気になる方が住んでいる地域の目星をつけて、だいたいどの色なのかを特定してみてください。それから下に引用している文章などを参考にして、自分が負担している(というか正確には負担させられている)健康被害リスクを考えてみましょう。

このブログでも書いてきた、低線量被ばく、晩発性健康被害が、首都圏でも今後じわっと起こるであろうと推測するにたる重大なデータです。人口が一極集中している東京と首都圏に確率的影響が出る地域だからです。確率的影響と確定的影響についてはこちら



黄色の地域:1,000,000-10,000,000Bq/m2
福島県東部(避難エリア)にとどまらず郡山市北部から福島市中心地、宮城県白石市南部まで拡がっている。いわき市より南の北茨城県茨城市・日立市までも含む。

緑色の地域:100,000-1,000,000Bq/m2
福島県中部の大部分、宮城県、山形県の南東部、茨城県のほぼ全域。栃木県はまばら状態。千葉県の東北部。埼玉県の中部、西部。東京都は奥多摩を除くほぼ全域。神奈川県はまだら状況。

水色の地域:10,000-100,000Bq/m2
東北・関東・静岡・山梨のほぼ全域のエリア。

青色の地域:1,000-10,000Bq/m2
東海地方の一部、日本海側の海岸線に近いところから静岡県北部の山岳地方にかけてのエリア。

           ◇    ◇     ◇    

上記についてこちらのブログでのコメントを引用しておきます。

<以下貼り付け>

■ チェルノブイリ汚染区分に当てはめてみると・・・

最後にチェルノブイリの汚染区分と比較しておこう。ここでは先述した理由から予測値の最高値を使って計算する。

東京:77,000Bq/m2(MBq/km2)=2.1Ci/km2
茨城(北茨城・日立除く):125,000Bq/m2(MBq/km2)=3.4Ci/km2
福島市中心地:500,000Bq/m2(MBq/km2)=13.5Ci/km2
※Ci(キュリー)=37000MBq(MBqは百万ベクレル)


福島市中心地の13.5Ci/km2とは、自主移住が進められたチェルノブイリの第二汚染区分(5-15Ci/km2)に匹敵する。東京の2.1Ci/km2はチェルノブイリの第三汚染区分(1-5Ci/km2)に匹敵する。この記事ですでに千葉市が第三区分に含まれると書いたが、WSPEEDIの情報から東京の大部分も第三区分に含まれる可能性が濃厚になった。この第三汚染区分は、チェルノブイリ災害から10年から20年の間に、その地域で呼吸しその地域の食品を食べていた人々(成人含む)の中でガンや白血病が増加したエリアである。

これらは3月25日までの堆積量の予測値であるが、もちろんその後もセシウムは放出され続けている。地表がコンクリートでかなり下水に流れたエリアを除けば、堆積量もさらに多くなっているはずだ。福島市近辺でもすでに第一汚染区分(15Ci/km2以上)つまりソ連が強制移住としたレベルにまで達しているかもしれない。航空モニタリングのデータでは30km圏外の飯舘村で81Ci/km2以上(セシウム137)というとんでもない値が出ている。


引き続き政府には、まだ隠し持っているすべてのデータ・予測値の公表と、一向に行われないプルトニウムやウランの計測を求めたい。また25人に1人の子供をガン死させる学校の基準や、国際基準より数十倍ゆるい食品・水の基準値を早急に見直し、徹底的な放射性物質の除去・排除に努めてもらいたい。

<以上貼り付け>