<雷電トンネル>
なぜ、自転車に乗るのか?
さて、自転車に乗り始めてもう35年にもたつのだが、今だによくわからないのだ。
ああ、情けない。
①健康増進のため、②安く旅をするため、③自動車やバイクでは速すぎる、④非日常を極めるため、⑤地球環境に対する負荷をなるべく小さくするため・・・。
もはや自転車に乗ること自体が目的化されているので、why?という疑問を投げかけたとたんに勝手な正当化が始まるのだ。
だから、もうこんな無意味な問いややめようと思う。
でも、ついつい人にたずねられたり、苦しい時などは、ついつい、この無意味な問いにハマってしまうのだ。
ま、しょうがないか。
と思いつつも、ちょっとこのあたりのこと考えてみる。
ようは前述したように、「自転車に乗ること自体が目的化」しているということがポイントじゃないのか?
認知心理学のタームをちょこっと借りて言えば、これは、自転車がフロー体験をもたらしてくれるからだ。そして、自転車ツーリングという行為は、sense of coherence (首尾一貫感覚)と達成感を、乗る者に体感させてくれる。
今日は、この地点まで、この峠を越えて、何キロ走って辿りつくという、その日の行為はなるほど、絵に書いたように明確な目的達成的行為(purposive action)だ。
ところが、じゃ、おまえさん、もっと長いスパンではなんのためにチャリで走ってんの?と尋ねられれば、前述したとおり、限りなく、目的を探さなければならない。つまり、目的探索的行為(purposeful action)だ。
自転車に乗って旅をするという事態には、短期的な目的達成(purposive)と長期的な目的探索(purposeful)が、同居しているのだ。
<デジタルデバイスと火器類>
さて、昔と今の自転車放浪環境でもっとも異なるのは、上の④非日常を極める、ではなかろうか。なぜ?ガラゲー、スマホ、PCを自転車のバッグの中に携行すれば、どこでも、いつでも、ありとあらゆる情報や知識にアクセスできるからだ。
こうなると、日常も非日常もへったくりもない。こと情報環境に関しては、日常⇔非日常の安直な二項対立は不可能だ。
北海道とはいえ、電波が届く地域では、グーグルマップ、温泉、キャンプ場、安宿、セイコマの位置、旅関係のアプリ・・・・・あらゆる情報にアクセスできるのだ。(その意味で、やはり電波がとどかない知床半島の中央部から先端にかけてはスゴイ所なのだ!)
非日常とはいえ、仕事のメールは容赦なく来るし、それらに対する返事もしなければならない。ということで、病院や企業との共同プロジェクト、講演依頼、大学や海外からの問い合わせ、論文ドラフトをこなしながらシコシコ走るという事態になっているのである。
こりゃ、ちょっとツライな・・・、なんて愚痴ったことがある。
とある知人は、こんなことで愚痴ったり、逡巡するのは「旧世代、オールドジェネレーション」の証拠だと喝破した。
なるほど、それもそうだ!
なので、いちいち逡巡するのはやめて、いつでも、どこでも、仕事とアウトドアが入れ子構造のようになっている「日常」を目いっぱい楽しむのがいいと思うようにしている。
キャンピング道具一式とデジタルデバイスを積んだ自転車は、ノマドの棲家。
これをモソホブと命名する。
モソホブとは、すなわち、MOSOHOB (Mobile Small Office Home Office On Bicycle)である(笑)
***
<小樽で食べたオムライス>
さて、岩内の道の駅で、休憩していたら、おもむろに、「こんちわ!」と元気のいい声をかけられた。
そのライダー氏は毎年、1人で北海道をめぐっているそうだ。昔なら、ひとしきり道中の情報交換をしたら、「いい旅を!」とでも言って分かれるところだが、今は、「ところでfacebookやってますか?」と尋ねるのが、旅慣れた人のひとつの挨拶。
で、その通りにたずねれば、パッと繋がる。
おお、すげー。
そのライダー氏の足跡を、ダダダーーと共有。
稲穂峠を越えて余市に着く。暑い、暑い。
そのライダー青年から教えてもらった安くてうまい海鮮料理を食べることができるかきざき商店の前には長蛇の行列で諦める。
ああ、残念。
途中、そのライダー青年に国道で呼び止められた。なんと彼は、積丹半島を一周してきたのだ。
ああ、バイクは速い、自転車は遅い・・・。そして、シコシコ小樽まで走ったのだった。
走行距離:130km
(前半終わり)
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