よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

ICSE ビジネスプランコンテスト 2010 説明会のお知らせ

2010年06月27日 | ビジネス&社会起業
《NPO国際社会起業サポートセンター ビジネスプランコンテスト 2010 説明会のお知らせ》

Orientation for ICSE Business Plan Competition 2010 - Social Innovation for Sustainable Society -

「ソーシャル・イノベーション / 社会革新」とは貧困、長期に渡る失業、人権、環境問題などの社会的課題対処への新しい手法や仕組みの導引を意味し、こうした取り組みを行う先導者/リーダーは「社会起業家」と呼ばれます。我々、国際社会起業サポートセンター(ICSE)は「社会起業家」を支援して行きます。

The "Social Innovation" is the introduction of new methods and structures to address social problems such as poverty, long-term unemployment, human rights or environmental problems, and the leaders of these activities are called “Social Entrepreneurs", We, at ICSE, will support “Social Entrepreneurs".

詳細はこちらから。



日本代表の快進撃と監督の仕事

2010年06月27日 | ニューパラダイム人間学
ワールドカップ開始前の親善試合は連敗に継ぐ連敗でしたが、南アフリカに渡ってからの日本代表の快進撃には目を見はります。

日本代表は、たしかに個的なフィジカルと高さでは劣ります。しかし、チームとしての運動量、持久力、俊敏性には優位点があります。これらに組織力が加わり、日本独特の強さが形成されます。

守備力で勝るMF阿部が中盤の底に位置して、機動的なディフェンスから反転する攻撃面では、頻繁に高い位置からプレスをかけボールを奪取したり、トップのボール・キープからサイドへ展開し、両サイドとトップ、ボランチが連携して押し上げるという形がよく見られます。

デンマークなど相手チームがこの日本の攻撃をファールでしか阻止できなかったことからも、この戦術が有効に機能しているのは明らかでしょう。そしてファールが、「悪魔の左足」本田と「天使の右足」遠藤のフリーキックというセットプレーに繋がり、得点をもたらしました。ワールドカップではフリーキックでの得点シーンはあまり見られませんが、デンマークを撃破した試合のように一試合でFKから2得点というのは、ちょっと記憶にありません。

あまり解説番組でも注目されていませんが、三試合での日本がおかしたファール数の少なさもさることながら、被ファール数の合計値70という数字にこそ注目すべきでしょう。本田線竜は、1次リーグでは出場全選手中最多のファウル17回を受けています。

「堅守速攻」とよく言われますが、その速攻の破壊力は、本田選手を中心とした異常に高い被ファール数70に現れています。

さて、今回の快進撃の裏側には、岡田さんの苦悩の軌跡があります。【講演録】岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とはには、サッカー選手という人的資源を管理する、活用する、開発するうえでの要諦が凝縮されています。

Temple Universityにて

2010年06月21日 | 技術経営MOT


先日、Temple UniversityのHealthy Healthcareというプログラムによばれて講演。少子高齢化現象がもたらす社会へのインパクトを医療提供システムと医療技術の点から英語で議論しようという趣旨。

こんな質問があった。

Q:「消費税10%にあげることに賛成か反対か?」

A:「賛成である。ただし、増税して日本国の国庫に入った資金が米国債に化けてアメリカに還流しないという明確な条件があればだが」

こう答えるとなぜか会場の一部から拍手が。ここはアメリカの大学の日本校なのだが、キチンとものを見ている人もいるのだな。このプログラムの参加者のレベルの高さを垣間見た。

「消費税10%への増税→医療・保健・福祉・介護への配分」とは言われるものの、実は「消費税10%への増税→米国債の購入→アメリカへの資金流出→日本の国富の収奪」というシナリオが動いている。

こうなると、いつか来た道の繰り返し。ちなみに日本のMOT関係者のなかでも、日米関係のこの問題に注目している研究者はいるにはいる。早稲田大学の山本教授の言説は「消費税10%:悪徳ペンタゴンにとことんなめられる国民」に詳しい。

写真をおくっていただいた、まささん(朝5時起きの 魂心の外科医)ありがとうございました。


人口構造変化、医療サービス、在宅ケアサービスの陰影

2010年06月14日 | 技術経営MOT

今年の前期の授業は人的資源管理論(HRM)を担当している。技術経営の方法論やイノベーションは企業などの人的資源を通して実行されるので、ありていに言えば、いかに人材を雇用・開発して「人財」にしてゆくのかは大変重要なテーマだ。しかも、技術者はどうしても専門志向になりがちで、企業のHRMの機微に疎いことがままある。

自分のキャリアをどのように開発していったらよいのか、コンピテンシー(能力・行動特性)、リーダーシップ、アントレプレナーシップをいかに涵養したらよいのか。これらもすべてHRMの守備範囲だ。よって、HRMに関するミクロ的な側面が技術経営研究科で講ぜられることには一定の意義があると思っている。

ただし、昨今のグローバルな思潮でのHRMは、国や地域単位での人的資源全体の出生、雇用、健康、死亡を含めたマクロ的な側面が注目されている。

この授業のなかで注視しているのが、人口構造の変化。少子高齢化現象の行く先には、「小生多死社会」が静かに待っており、その社会の変化にともなうストレスを技術はいかに緩和できるのか、という点では、マクロ的なHRMの課題。

Deutsches Institut Fur Japanstudien=ドイツ日本研究所(実はドイツが運営している対日本向けインテリジェンス機関)での講演でも、この角度から見た医療サービスのテーマでお話させていただいた。

あまり知られてはいないが、人口政策、医療サービス、社会保障サービス、移民政策などを構想するさいに、世界最高速度で亢進している少子高齢化現象と、その社会的対応のサンプルを提供している日本は、インテリジェンス活動の対象なのである。

              ***

忘れないうちにちょっとメモしておいていずれ、まとまった文章にしてみたい。

かいつまでまとめてみると、2005年を境に、出生数を死亡数が凌駕するようになっている。これからの社会は、よく言われるような「少子高齢化社会」というよりは「小生多死社会」といったほうが合っている。



そして、下のグラフに端的に現れているように、日本人の死に場所はかっては自宅だったものの近年は圧倒的に病院になっている。



でも多くの人々は、病院よりも自宅で死んでゆきたいという。だから今後は、在宅での看取りが反転して主流になっていくのか?

とんでもない!

あまりにも急激な「小生多死社会」の進展により、死に場所の確保がままならないのが近未来の日本社会である。そのひとつの根拠が下の厚生労働省から発表された推計値。



前出の2図のように、出生率、死亡率、自宅死、病院死の趨勢値を活用して今後、日本人はどこで死んでゆくのかを予測したものがこの図。

注目をしなければいけないのは、「その他」という区分である。2030年には47万人が病院、介護施設、自宅以外の場所で死んでゆくと予測されている。(保守的な予測ではあるが)

「その他」という区分は意味深長だ。有料老人ホーム、既存制度の枠外で今後つくられるであろう介護施設、シルバー・グループホーム、シェアード・ハウスなどが死に場所となる人々もいるが、社会からexclude(排除)される人々にとっては、路上、公園、富士さんの麓の森林などかも知れない。意味深長と形容したが、本当は「不気味」という形容詞を使うべきだろう。

さらに問題を複雑にしているのが、昨今の病床削減という厚生労働省の政策だ。



この図に端的に現れているように、療養病床数には厳しいタガがはめられ今後はこれらの病床は増えていかない。日本の病床数はOECDのなかでも突出しており、過剰な病床を過小な医師、看護師が担当しているので、結果として医療密度が低下すると同時に、医療者に過大な負担をしているという側面を無視できない。

社会的入院の発生プロセスを調査研究した印南一路(慶応義塾大学)は、社会的入院とそれを生み出す根本原因である低密度医療が廃用症候群を通して高齢者の寝たきりや認知症を生み出すきっかけとなり、医療と介護の需要そのものを誘発するという悪循環が存在している と指摘している。

ここで思い出されるのがIvan Illich。彼が論難した病気の治療を行うための病院の病床が、病気を作っているという構図がここにある。つまり、「パンパワー不足→平均在院日数の高止まり→病院収入の確保→低ケア密度医療→長期臥床、廃用症候群、褥瘡患者の増加」というサイクルが、低密度医療の体制の中には存在しているとし、病床が過剰であることは、マンパワーが分散し、病床あたりの医師・看護職員などが極端に少ないことを意味する(印南 2009)。いわゆる療養型病床は、疎診疎療、低密度医療の温床である可能性が強いのだ。濃沼と印南のラインの指摘はあたっていると思う。

さて、今まで廃用症候群、褥瘡患者の温床でありながらも、「社会的入院の受け皿」として「社会的なニーズ」を満たしてきた長期慢性期疾患を主たるターゲットとする療養病床は今後は抑制されて増えない。しかも、医療ではなく、広義の介護、あるいは介護の外延部にあたる施設(有料老人ホーム、ケアハウス、高齢者専用賃貸住宅)がこれらのニーズに対応してくるようになる。

では今後、どのようなケアが要請されるのか?

答え、在宅ケアと訪問ケア。

ただし茨の道だ。なにせ、キュア中心で組み立てられてきた病院医療の逆張りが求められるからだ。もとよりCureとCareは2項対立的な概念ではなく、相互補完的なもの。ここを押さえて置いたうえで在宅では、Careが全面に出てくるのだ。Cureはどちらかと言うと、Young人口のAcuteな疾患に対応し、「死」に対する態度は、Rejection中心。そしてCure機能は病院にようにCentralizedされている。医療チームもCentralized型。


その一方でCareは、Chronic疾患を罹患しやすいOld人口が対象。「死」に対する態度は Acceptance。しかも局部ではなく、その人の人生、生活全体、つまりHolisticなアプローチが要請される。医療チームはDecentralizedされたCommunity & home basedに対応しなければならない。

ややおおげさに言えばパラダイムが違ってくるのだ。在宅ケアと訪問ケアはパラダイムシフトへの対応なのであり、CUREとCAREのUとAの一文字の違いはとほうもなく大きなものだ。

                    ***

exclude(排除)からinclude(包摂)へ、が政策課題となるべきである。しかしながら、ドイツ日本研究所で日本政治を研究しているAxel Kleinさんがいうように、「政治家は票にならない問題はことさら大きな声では発言しない」のである。特に与党、野党を問わず、新自由主義的な傾向の強い議員にはこの傾向が強いように思える。

元来、「ケア」は家庭や地域コミュニティのなかでヤリトリされてきた。「市場」で「交換」されるサービスではなく、ケアは互恵、信頼関係、人間関係の絆のなかで贈与されていたサービスである。

在宅ケアと訪問ケアの浸透は、在宅ケアの市場化の方向に向かわせしめるのか、あるいはそこに「新しい公」的な非営利的な互恵・贈与関係が温存される余地があるのか、については今後の課題だろう。

Putnamを引いてソーシャル・キャピタル論のウンチクをしようと思っていたのだが、このセミナーのオブザーバとして、なんと不均衡動学理論の宇沢弘文先生が目の前にすわっているではないか!

なんという奇偶か、シンクロニシティか。ちょっとまえに、『社会的共通資本』(岩波, 2000)を読み返していたのだ。

宇沢弘文は「ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、 それぞれのもっている夢とアスピレーション (aspiration: 熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生を送ることができるような社会である」という( 『社会的共通資本』,岩波, 2000)。

そのための「基本的諸条件」として次のような事項を挙げている。

1.美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。

2.快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。

3.すべての子供たちが、 それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。

4. 疾病、傷害に際して、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。

5. さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平に配分されるような経済的、 社会的制度が整備されている。



社会的共通資本の「資本」を市場に求めて、交換対象なモノゴトとして開発されうるものもある。しかし、市場経済に埋め込まれない互恵・贈与的社会のもうひとつの社会性が顕現する交換され得ない「なにか」があるということも忘れてはいけない。

贈与関係、互恵関係にあるサービスは、市場の外部に息づいてきた社会の静脈のようなサービスである。かつてはシャドウなどと呼ばれてきた、社会的サービス・イノベーションを構想(再建築)する余地は大きいだろう。

こんな話をしながら、セミナー終了後、宇沢先生と。


暗い話を明るくしゃべる

2010年06月13日 | 健康医療サービスイノベーション
このところ、ヘルスケア関連のお話をすることが増えています。

明日、German Institute of Japanese Studiesでマネジメントの視点から日本の人口問題(もはや少子高齢化ではなく、近未来には、少生多死問題)と医療システムの機能不全問題についてお話しします。

厚生労働省は、低密度医療の温床であると目されている療養・介護型病床の圧縮に余念がありませんが、そのしわ寄せは地域にまわってきています。非病院型の長期療養施設が今後増えざるをえませんが、必然的に、在宅医療と訪問医療が今後伸長しなければ、少生多死の傾向を強める人口問題に対応できません。

政策誘導で在宅医療と訪問医療に配分する診療報酬点数を上乗せするだけではまったく不十分です。

・在宅医療と訪問医療では、本質的な「チーム医療」が求められる。現状では不十分。
・在宅医療と訪問医療分野で従来見られなかったスタイルの医療系起業家(社会医療起業家)の輩出が必要ですが、なかなかこれらの分野に進出しようとはしない。
・そもそも財源があるのかよ!?
・消費税引き上げかよ!?

こういうテーマは暗くなりますが、つとめて明るくお話しなければなりません。学校で教える「問題」の英訳は、"problems"ですが、実はプロフェッショナルの間では"challenges"というほうが多いのですね。すべての問題は解決されることを待ってる、という大前提で前向きに話をする。

これが明るく話す秘訣だと思いますが、さて。

サービス・イノベーションの経営学・6

2010年06月06日 | 技術経営MOT


「医療サービス・ナショナル・イノベーション・システムのグローバル競争」
看護管理 2010年06月号 (通常号) ( Vol.20 No.6)pp528-533

1年間の連載で今回が6回目なので折り返し地点です。こないだ、とある病院の看護部長さんから、「ためになりますヨ!」といわれちょっと気をよくしました。

今回、次回は人工物から創発するイノベーションに焦点を当てています。いわゆる技術経営的なイノベーション論の視点からいろいろ書きました。

産業、医療機関、大学、公共セクターが諸制度を設計、運用、媒介させながら、サイエンス、テクノロジー、マネジメントの力動的な流れを共創、共進して、新しい医療サービスのイノベーションを創発させる振る舞いの生態的な全体像を医療サービス・ナショナル・イノベーション・システム(NISHS: National Innovation System of Health Services)と命名しました。

再生医療など先端医療における特許出願や国際標準化を含む体系的な知的財産マネジメントの重要性などについて書きました。

Temple Universityにて講演します。

2010年06月01日 | 健康医療サービスイノベーション
Temple University(麻布) のHealthy Healthcare - Lecture Seriesにて "How and who will care for the aging and dying population?"というテーマで講演します。主催者からのリクエストにより英語での講演となります。詳細と申し込みはこちら

<以下貼り付け>

Date: Friday, June 18th, 2010
Time: 7:00 p.m. door open (7:30 p.m. start)

Outline:

As Japan is faced with confronting an aging and dying society in advance of the rest of the world, systemic problems have become intense and diverse. In his presentation addressing “How and who will care for the aging and dying population? Professor Matsushita will discuss the problems associated with the underlying phenomena of Japanese population, death, healthcare delivery systems, and health service organization primarily from his own service innovation perspective.

Although invention geared towards artifacts including pharmaceutical and medical equipment utilizing cutting-edge medical technology seems attractive, is materialistic innovation perfectly effective and affordable for those who require care? Should the significant part of the national budget go to the sector that leads materialistic innovation? Who decides the application of newly developed medical technology and how? Does the principle of market competition work well in health care? In answering those questions, he will provide the audience with insights to use and empower “social capital” in innovating health services in local community.

<以上貼り付け>